ロレーヌの魔女審問の研究者ブリッグスの著書
しばらく雑事に時間をとられ、このテーマについての思考の糸が途切れてしまっていた。何を考えていたか思い出さねばと、しばし、衰えてきた思考力の歯車を逆転させる。どうもこちらの油も切れてきたようだ。
きっかけは、もはや旧聞になるが、世界的なベストセラーとして40カ国以上の言語に翻訳され、4000万部以上売れたというダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』The Da V inci Codeに遡る。少し、確認したいこともあって映画も見た。原作は小説とはいえ、キリスト教の初期の歴史に関わるかなり刺激的な問題提起が含まれていた。
とりわけ、マグダラのマリアに関する議論は、白熱したものとなった。ダン・ブラウン自身はあくまで小説であると言っているが、キリスト教会への挑戦ともいえる問題が多数含まれているし、かなりの論争に耐えうる考証もなされている。たとえば、小説ではマグダラのマリアMary Magdaleneはベンヤミン部族出身のユダヤ女性であり 、イエスの最も重要な弟子と解釈され、愛人でもあり、妻でもあり、彼らの間にできた子供サラの母親でもあったとされる。そうだとすれば、単なる使徒にとどまらずイエスに最も近い存在であったはずだ。キリスト教史に関心を持つ人にとっては、容易には認めがたい多くの挑発を含んでいる。なぜ、マリアの存在がその後の歴史的過程で、ことさらに表面から隠され、歪められるようなことになったのか。マリアは実際にいかなる人物だったのか。ここでその内容に立ち入るつもりはまったくないのだが、議論は、このブログでとりあげてきた17世紀ロレーヌの画家たちの精神風土を理解するに欠かせないマリアの評価、さらに背景として中世以来の魔女狩りの実態ともある脈絡を持っている。
16世紀から17世紀前半のヨーロッパは、近代初期とはいえ、社会には多くの矛盾、不合理さ、不安、恐れ、そして闇が充ちていた。魔術師の存在もそのひとつだ。とりわけ興味を惹く問題はなぜ、迫害の対象となったのが男性の魔術師よりも女性が圧倒的に多かったのか。
先の『ダヴィンチ・コード』によると、魔女狩りの時代にヨーロッパでは教会が500万人の女性を魔女として火刑台に送ったとされる。しかし、17世紀前半における魔女狩りの時代に関する現代の研究者によると、この数字はまったく根拠のないものであり、小説のベストセラー化とともに、誤解も広まったという。数字自体をみると、これまで900万人という驚くべき数さえ挙げられたこともあった。いずれにせよ、今日の研究者の間ではまったく根拠のない数字とされている。
ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』には40カ所を越える根拠なき誤りがあるともいわれるが、著者自身はあくまで小説としているので、議論はかみ合わない。しかし、小説とはいえ、その構想の巧みさと資料的考察は膨大なものだ。だが、時代についての誤解を広げてしまったとすれば、ベストセラーの影の側面でもある。
実際はどうだったのだろう。17世紀前半という現代とはかけ離れた時代の空気や精神の継承がわれわれには途絶えていて、直ちに伝わってこない。時代を遡り、史料を読み、推理力を駆使して、その次元を支配した空気や人々の心の中までを推し量ることで、ようやく見えてくるものがある。
絵画作品についても、現代とつながり、画面の中にほぼすべてを見ることができる印象派以降の作品とは明らかに違うところだ。画家はいったい何を伝えようとして作品を描いたのか。それを読み解くためには同時代の空気を推し量り、読み取る作業が欠かせない。画中にその鍵が隠されていることもある。観る者にとって、あたかもパズルを解くような作業でもある。
すでに何度か記したように、16世紀から17世紀にかけてのロレーヌは複雑怪奇な地域でもあった。17世紀前半でも魔術や錬金術が広く受け入れられ、魔女狩り witch craze がかなり見られた。この実態を知ることなく、近世初期のヨーロッパを正しく理解することはできない。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの重要な作品主題の一つである「悔悛するマドレーヌ」シリーズの背景には、なにがあったのか。
ヨーロッパの魔術研究は近年大きな進歩を見せた。その成果は、これまでかなり一般化していた知識や理解に修正を迫るような内容を持っていて興味深い。 ダン・ブラウンの場合のように、伝承や「魔術学者」たちの限られた著作の内容をほとんどそのままに受け入れてきた側に問題があったのだ。少しでも正確な評価を取り戻すためには、信頼できる客観的なデータの確保と再現は欠かせない。近年では主要研究者は自分の開発したアーカイブ(史料ベース)を持っている。たとえば、このシリーズの記事を書き始めた動機のひとつとなったロレーヌの魔女裁判に関するブリッグスの貢献だ。 その他の著名研究者の例を挙げると、マクファーレンはイギリス、エセックスの史料、カルロ・ギンズバークはフリウリに、ドイツの研究者はしばしば自分の居住する都市の史料庫に論拠の基礎を置くようになった。
ブリッグスたちが開発・整理し、公開しているロレーヌの事例は、実に膨大であり、とてもたやすく読み切れるものではない。現代のフランス人でも難解きわまるといわれる手書きの古文書をここまでに読み解き、整備した努力は、敬服の他はない。現代人にはしばしば大変理解しがたい内容だが、興味の赴くままにいくつか読んでみると、大変興味深い内容に充ちている。
今回、記してみたいのは、呪術した魔術師の男女比の問題だ。1570-1630年の間にロレーヌ公国の審問官は2000例近い裁判を経験していた。このうち、史料として信頼できる審問事例としておよそ400例が整備され、公開されている。ブリッグスによると、魔術を悪用し、人々をたぶらかしたとされる容疑者の約28%は男であり、数で見れば合計500-600人だった。他方、72%は魔女とされたのだから、女性の比率はきわめて高い。当時のロレーヌ公国は、人口およそ30万人の小国であり、人口比でみると、ヨーロッパで最も徹底した魔女審問が行われた地域であった。ヨーロッパで魔女として女性の比率が高かったのは、このほか、ルクセンブルグ公国、ケルン選帝領などであった。
ロレーヌ公国の裁判システムはフランスにならっていたが、上級審への上訴は行われなかった。魔術師審問の過程で、拷問は自白を強制する手段として組み込まれ、ルーティン化していた。 ブリッグスなどによって、完全に記録化されたケースの79%が有罪の判決を受けている。
それにしても、女性の比率がこれほどまでに高かったのは、いかなる理由、背景によるものだろうか。ブログ読者の皆さんはどう考えられるのでしょうか。(続く)