ロレーヌ、マルサールの製塩所跡
なぜ、ヨーロッパ近世初期、ロレーヌの魔女狩りなどに関心を抱いたのか。以前にも一端は記したが、理由としてはさまざまなことを感じている。そのひとつは、この時代の画家、とりわけジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品だけを見ていたのでは、ロレーヌという地域の特有な歴史、風土、そしてそれらが生み出した複雑な社会状況が十分見えてこない。そればかりでなく、作品自体も十分鑑賞しえないと思ったことにある。これらの点について、美術史専門書、企画展カタログなどでも、輪郭程度しか紹介されていない。日本人にはなかなか理解できない時代と風土だ。
他方、混迷し、先が見えず、不安が支配する今の時代を、後世の人が振り返って見たらどう思うだろう。魔女狩りの対象が、しばしば社会の片隅で孤立した老人、それも女性に向けられたこと、占い師や詐欺師の横行などの例を見ていると、日本の「オレオレ詐欺」の蔓延などを思い出してしまう。
魔女はどこに
閑話休題。ロレーヌに限ったことではないが、16-17世紀ヨーロッパ、魔女狩りが頻発した地域には、なにか共通の特徴が見いだされるのだろうか。大変興味深いテーマだ。しかし、その答にたどり着くのは容易なことではない。
ひとつの問題は、魔女狩りの頻度、発生数の多寡をなにで測るかということだ。なにをもって、魔女、そして魔術の存在を確認するのか。とてもすぐには答えられない。多くは、300年以上をさかのぼる時代のことである。具体的な検証に耐えられる記録とはなにか。伝承のたぐいは、多数残っている。その中で最も頼りになるのは、魔女審問の記録である。しかし、これとても、長い年月の間に散逸しており、すべてが残っているわけではない。むしろ、残っているのが稀なのかもしれない。
運良く記録が残ったロレーヌ
こうした状況で、魔女狩りの研究は絶えることなく続けられてきた。最も信頼できる資料とされる魔女審問記録は、すべて保存されてきたわけではない。その多くは散逸し、消滅してしまった。記録の質の問題もある。ロレーヌは幸い記録が残った数少ない地域のひとつだった。それには記録保管所 archives の存在と継承が大きく寄与している。
16世紀末、ロレーヌ公国のシャルル3世は、自らの積極的外交のために資金を必要としていた。そこで、1591年には300人近い官吏に、仕事を保証する代償に課金を求めた。その集金を記録するための課税台帳の整備が行われ、記録保管所が整備されて発達した。ここに数百の魔女裁判記録も一緒に保管されて生き残った。いわば収税活動の副産物だった。
公国の財源
シャルル3世は、1588年以降しばらくの間、多数の軍隊の動員をしたり、一般的な危機の雰囲気が漂っていた時期について、かなりの租税軽減を行った。1595年の講和の後、緊張感はやや和らいだ。こうした中で、ロレーヌ公国はその主たる収入源を大きな農場主に求めた。しかし、実際には公国の収入の半分以上は、特産の岩塩の交易によるものだった。かなりの輸出を行うとともに、国内では独占的価格を維持していた。ロレーヌには、当時の製塩所の跡が塩博物館などの形で残っている。その他の収入は森林利用権など、さまざまな封建的収入、取引税、そしてヴォージュ山脈の銀、銅、その他の鉱山からの収入だった。
ロレーヌ公国の住民は、フランスと同様、90%以上が農民であり、多数の村落から成っていた。多数の領主、地方の修道院、貴族などが、複雑に支配していた。農民はさまざまな支払いや義務を負わされていた。そのひとつひとつは小さいが、合計すると農民には大きな重荷となった。
小国の世界
16世紀から17世紀前半にかけてのロレーヌ公国は、隣国フランスの影響を強く受けていた。政治や財政などの仕組みも、フランスに倣ったものであった。しかし、相違している点も少なくなかった。17世紀ロレーヌ公国の政治の座にあった公爵たちは、この小さな国はヨーロッパの覇権を競い合う政治世界では、主要な役割は担えないと自認していたようだ。
次第に整備されてきた法律などの制度は、君主にとって権力と威信発揮の手段となって、新たな機会を与えた。特に、フランスでは法律家たちは、行政の主要なグループと結ぶことで次第に力を蓄えていた。第4階級と呼ばれた王の裁判官や官吏が、王の名において活発に動いていた。
ロレーヌでは、1580年代、ポンタムッソンにジェスイット大学が設立され、法学部が置かれるまで、公国のほとんどすべての法律家たちは、フランスの大学で修業していた。当然だが、フランス的なやり方を公国へ持ち込んでいた。しかし、この小さな国には、あまり大きな仕事はなかった。結果として彼らが過ごした狭小な世界が、魔女審問のあり方に影響を与えたかもしれない。
さらに、ロレーヌ公国は、国としての精神的基盤として、カトリックを柱としてきた。この国の君主や裁判官たちは、このカトリックの支持の下で、自らの権力を維持してきた。近世初の神聖国家であったといってもよい。ロレーヌ公国の魔女狩り、魔女審問は、こうした独特の風土の中から生まれてきた。 (続く)