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日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

昨日であった一言

2010-08-08 10:16:46 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
出どころも、ぼんやり、なのだけれど、妙に納得したから、ここに。

ー 親の子を思う心は本能、子の親を思う心は道徳 -

と。

なーんだ、本能だったのかー。
さて、自分のの道徳目盛りは?

いかがでしょう。

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テレビ「日本の一番長かった夏」を見る

2010-08-01 10:10:02 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
昨日。NHKハイビジョンで。
昭和38年に雑誌文芸春秋で企画された座談会を、当時の出席者になぞって、座談の様子を視覚化して再現しよう、という試みの番組です。
ディレクターは、戦後生まれの、ワタシと同世代。父親が戦地から復員してきてから生まれた子供です。
「今思えば、もっと父親から聞いておきたかった」そんな気持ちから、企画をスタートさせたとのこと。戦後18年という時は、まだ戦争中枢部にいた人たちも健在だった。その方々の発言の内容が、きっと若かったころより、今の私のほうが、これまでにいろんな書き物を読んできたわけだし、耳傍立てる思いがします。

そして、この私にしても、自分の父親がシベリア抑留から戻って産まれた子、という思いを引きずっています。だから、その手の書物には関心も持つし、残留孤児たちは満州に多いと知って、なんだか満州からシベリアへ連れられていった、という話と関連させてしまうところもあったりします。
そして、今も本が届きました。
井上ひさし著「一週間」。
シベリア抑留となった医師の物語、ということ、先日亡くなった井上さんの最後の本です。
昨日の午前にアマゾンをクリック、で、今届いたというわけです。

私はこれから読み始めですが、次の世代の人たちにも、読み継がれるものであれば、いいことです。

で、併せて購入したのは、柴田トヨさんの詩集「くじけないで」です。
今月99歳になられる方の、初版詩集です。
産経新聞の投稿欄で話題になった方だそうです。
90を超えた母にプレゼント、と思ったのですが、ひとまず、こちらに同送してもらって、一読してから、母に送ります。ちゃっかり(笑)でしょ。ま、実母だからOKです。
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井上ひさし著「京伝店の烟草入れ」

2010-07-31 08:34:51 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
先日なくなった、井上ひとしさんの「京伝店の烟草入れ」を読んだ。
この作品は比較的初期の作品。でも、手にした文庫本は2009年発行のもので、ご当人の、「著者から読者へ」という一文がついている。また、文庫本だから解説もあるし、その後には年譜も。
この年譜を眺めながら、思った。
なんという沢山の作品を世に送り出した人だろう、と。
「ひょっこりひょうたん島」の作者で、話題の作品の出版広告をリアルタイムで見、彼の社会的発言にも接してきていたのですが、2、3冊程度を読んだ程度でした。
「脚本の出来上がりが間に合わなくて」の話題で「遅筆堂」と呼ばれているなど、小耳にはさんで、なんで、そんな「わかっているのに期限に間に合わない人の作品を待つの?」なんて、素人そのものでした。
このたび年譜をみて、作家井上ひさしって、蜘蛛みたいな人だったのだ、と思いました。
蜘蛛が糸を身から繰り出すように、机に向かって、言葉を紡ぎだして生き切ったひとなんだ、と。
彼は、役者さんに「台詞の正確さ」を求めた人だった、とききました。
自分の身を削って繰り出す言葉であり、その言葉でこそ伝えたかったのでしょう。
ご本人が亡くなっても、紡ぎだした作品が残っています。
そして、友人の勧めで、読み始めた1冊が「京伝店の烟草入れ」です。

京伝は山東京伝のこと。田沼意次の政治で、経済が傾いて、松平定信の改革で華美が戒められ、質素倹約を旨とすべし、で戯作者、黄表紙作者京伝が冷や飯を喰っているころの話。
先日「江戸東京博物館」に行く機会があったが、そこでの展示物を思い浮かべながら、だから、タイミングもよし、です。
徳川幕府が安定してくると、絵師、刷り師、本屋、そんな食べるための生業だけでなく、武士階級の調達物のためでなく、庶民がたのしみものを求める世相が生まれたのだと、思いやる。
まだ、産業としての規模は小さいから、みんな五十歩百歩。で、そんなところから、評判のよしあしがあったり、富を蓄えたところに、親類縁者が群がったり。
作者井上さんが、過去の人の名を着せて登場人物を動かしているのだけれど、書かれている庶民の心根に、共感もするし、説得もされてしまう。だから引き込まれる。
大説ではなく、小説、小説ではなく、戯作。
大上段に説をぶち上げるのではなく、こそっと皆さんに、耳打ちするかのように語られる噂話の如くの書き振りが、井上さんが皆さんに提供したかった戯作の真骨頂なのでしょう。

〔番外余談〕
テレビに映った柔道家が、バッチを付けてもらって「国民のために頑張ります」ってコメント、どんな気持ちで、私たち(国民)は、うけとめたらいいのでしょう。
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「数学ガール」が我が家のiPADに。

2010-07-09 17:33:26 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
家人が購入したらしい「数学ガール」
クリックしてみると、面白い。
iPADでの電子書籍2冊目。 
どこまで、興味が続くか判らないけれど、
楽しみな本を持っているときは、気分がいい。

ああ、いま読書中は、向田邦子のエッセイ。
で、井上ひさしが、読書会の課題図書で、アマゾンからのお取り寄せ「江戸の備忘録」磯田道史(3冊目)も揃っているし、
読みたいものに囲まれて、予は満足じゃーー(笑)。
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「もし高校野球部の女子マネージーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」

2010-07-04 09:07:42 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
もし高校野球部の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海著)を読了。
今、本屋さんの店頭で平積みになっている本らしい(本はネット購入になって、殆ど本屋さんに行かなくなった)。
で、これは、さらに進化して、先ごろ購入したiPADで読見始め、iPODで読了した(両方とも購入、これが働いていることの恩恵だと思っています)。
ワタシが率先してIT機器を使いこなしているわけではないのですが(汗)、家人のおかげ手、世の中の進歩を享受しています。
指先で液晶画面に触れてページを捲るという仕組みで、本の厚さ、というものを実感できず、どこまで読み進んだものか不明、と思っていたら、今朝、進行具合の表示も出るという仕組みを発見。
ま、便利なものです。
表紙はコミケ版のような軽いイメージ。登場するのも高校生。で、語られるのはドラッカーのマネジメントのセオリー。
高校生たちをチェスの駒のように配置して、判りやすいし。
真面目に立ち向かいたいのだけれど、でもどうしようもないよね、と自分に回答しそうになっている人に、元気を与えてくれる、リポビタン(古い?)のような本です。
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「殿様の通信簿」(磯田道史著)を読む

2010-06-27 12:59:11 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
磯田氏の本2冊目。
私的には★★★★

物差しが違う。
読み終わるまで終始その思い、なのに、数百年前の私たちの国であり、こんな「かつて」を経て今に至っているのだと、つくづく感慨、です。

戦国の世から、江戸期3代頃までは、戦力での圧倒的勝者でなければ、命の保証がない。
自分が、自国が安定、領土拡大のために、あらゆる策略をとるのが有能な武将。
なんどか、このころは、まだ人権という意識はない、という著者の文章にでくわすが、思いやりのある二代目などは、後継者としてはイエローマーク、という世界。
家康は3歳の孫娘珠姫を外様大名前田利家の子(加賀の3代目)に嫁がせる。乳母を始め付け人を付けて。この乳母や付け人は、隠密の役回り、なのだと。
珠姫は、子供を産める歳の16歳から24歳まで8人の子を産んで死ぬ。加賀藩3代目当主の夫である前田利常と睦まじかった珠姫に、隠密役らが家康様の使命に叛いている、将軍家の姫ともあろうものが、家臣の夫に心打ち解けては、と危惧して企んだとも。
もう少し時代が後になると、正室は江戸住まい。空閨の大名に、江戸徳川は美しい女性を側室に送りこむ。奥向きで女性三昧になったとしたら、幕府の思う壺。幕府は大名のバカ殿化大歓迎、だったのです。
武勲によって、大名の領地をあちこち変えるも、禄高の加増、取り上げも自由自在。
うーん、そういうものだったのか、と、多分膨大な古文書という資料を熟読されて記された、この話は、どれも興味深く読めました。

家康が秀吉に呼びつけられたとき、用心のために、秀吉の母親を人質に預かってから、出向いた。
そういえば、前田利家の妻まつも江戸に人質として住まわされていた、という話も。
母親や妻をいとおしいと思う感情があるからこそ、の人質効果なのでしょうが、この発想って、中世ヨーロッパの各王家の婚姻にも通ずるところがあります。

本を読めるって、いいですね。こういう歴史をもっているのだ、と文字を通して知ることが出来るのですから。
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番号外で、読書感想 「武士の家計簿」磯田道史著

2010-06-12 08:21:02 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
「武士の家計簿」副題-「加賀藩御算用者」の幕末維新-新潮新書を読む。
2003年が初版で手元の本は37版、地味系な本と思われるのに、購読者が続いている本なのです。この本は家人が読んでいて、続いて読んだのですが、
「あっ、この人、多分、知ってる!」でした。
ここ数ヶ月、土曜の朝、朝日新聞の土曜版のコラムで、歴史上の学者(塙保己一とか)を紹介するコーナーを読むのを楽しみにしていました。確か、筆者はそんな名前の人のハズ、程度の知識でした(05年からのコーナーだったらしい、ああ、宝物に気づかなかった!)。
磯田さん、1970年生まれ、こんな若い世代でこんな地味な分野の専門家もいるのかと、素人考えでいたところだったのです。
読後感、よかったー。であってよかった本です。
1800年代の江戸期の下級武士の暮らしぶりを克明に記した資料に基づき、研究者の視点で誠実に、でも、当時の暮らしぶりが目に浮かぶように書き進められています。
藤沢周平の小説などから想像していた江戸後期が、資料の裏づけのある金沢藩の生活模様として、再度自分のなかの情報として取り入れられた、そんな気分です。

歴史家磯田氏の声、というか人となりがにじみ出ている「あとがき」の一部引用します。

「歴史とは過去と現在のキャッチボールである」学生時代、ふと教室の片隅で耳にしたこの言葉に、私は静かな感動を覚えた記憶がある。歴史とは、いまを生きる我々が自分の問題を過去に投げかけ、過去が投げ返してくれる反射球を受け止める対話の連続。

 -中略ー
 
 私はというと、猪山家の人々から、大切なことを教えてもらったように思う。大きな社会変動のある時代には、「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか」が人の死活を分ける。かつて家柄を誇った士族たちの多くは、過去を懐かしみ、現状に不平をいい、そして将来を不安がった。彼らに未来はきていない。栄光の加賀藩とともに沈んでいったのである。一方、自分の現状をなげくより、自分の現行をなげき、社会に役立つ技術を身に付けようとした士族には、未来が来た。私は歴史家として、激動を生きたこの物語を書き終え、人にも自分にも、このことだけは確信をもって静かにいえる。恐れず、まっとうなことをすれば、よいのである……。
2003年1月24日                        磯田道史

以上引用。

磯田先生、このとき33歳、若いのにすごいなー、といったら、人は年齢じゃない、と、横から声が。
まったく、です。
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番号外で、読書感想 初めて読んだ橋本治

2010-05-29 08:06:20 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
読んだ本は、橋本治の「橋」近著です。
著者は1948年東京生まれ。
彼の名前を知ったのは「桃尻娘」とか、奇を衒ったタイトルの本の出版のときです。70年頃の学生運動の時代は、映画では高倉健や藤純子のヤクザ映画全盛でもありました。そのころ、私の大学の美術部にサイケデリックな色調の東大駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏がないている 男東大どこへいく」が、貼ってありました。私は諧謔的で上手いなー、と眺めていた記憶があります。
そのポスターの製作者が橋本治という学生だったと知ったのは、作家としてデビューの話題の時だったと思います。その後、小説や評論の文筆業で身を立てるひとになったと知っているものですから、彼の生い立ちが絡んでいる内容かしら、という私的興味もあって、読書会の課題本として、仲間に推薦したのですが、違っていました。因みに、私はこれまで彼の本を読んではいません。
あのころの東大は(地方の私の大学も、規模こそ違え)学生運動で荒れていて、69年3月の卒業式も入試もなく、4月に入学する新入生はいないのです。大企業に就職するのは資本家側に加担することになるから、と、企業に就職するのを嫌う人種もいました。今、政権の中枢にいらっしゃる仙谷由人さんは、東大中退だと、最近知りました。年齢から察すると、その頃に学生時代をすごしていらっしゃいます。季節はずれの時期に卒業式があったり、安田講堂で卒業式という集会をすると、何が起こるかと危惧した大学は、証書だけを交付したりと、そんな時代だったのです。
そんな大学キャンパスで、件のキャッチコピーで時の人になった彼はどういう人かな、という興味で読み始めたのでしたが・・・。

この本の内容は、数年前に起きた殺人事件が基になっている話です。かつて、三島由紀夫が金閣寺を書いたように。
ひとつは、新潟の出身の比較的裕福な育てられ方をした女性が夫を殺してバラバラにして捨てた事件。
もうひとつは、畠山鈴香が近所の男の子を殺し、自分の娘を橋から落として殺した事件。
結論の事件があって、犯罪者がどういう生い立ちで、事件を巻き起こさなくてはならない状況になっていったか、と、カメラを逆回転させて、始めから見せてもらっている、という感覚でした。
但し、コレは作り物語です。
なんだか、事件を起こす人たちが送っている人生の、どうしようもなさ、に気が重くなります。
プロの作家橋本氏の情報収集と、人間観察力で組み立てられた小説ですが、普通の生活の中に、闇へ落ちてしまう穴は、あいているのだ、と。そして、それらは、身近にあったりもするのだと、そんなあれこれを想像しながら読了しました。
付け加えると、金閣寺ほど、センセーショナルさは持ち合わせていません。
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映画「二ールンベルグ裁判」を観る。

2010-04-18 09:10:00 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
3時間を越える長編。製作されたのは1961年。
ニールンベルグ裁判は、第2次大戦後、敗戦国ドイツの戦争犯罪を裁く裁判です。
映画は、その裁判が始まって2年余り過ぎた頃の1948年。
主だった軍人らの裁判はすでに終わって、ナチス政権下で、ナチスが制定した法律にしたがって裁きをしていた裁判官や司法関係者が被告人になって、裁判が繰り広げられる法廷シーンを丁寧に追います。
ユダヤ人との男女交際はご法度。人種法により、劣等とされた人間の生殖機能は医学的処理が施されます。
戦後であれば理不尽と声を上げることもできるけれど、ナチス政権下では、その法に異を唱えること=職を失うことになる、という時代が裁判されているのです。

裁くのは、戦勝国アメリカからドイツに赴任してきた老判事。
裁かれるのは、法学者として世界的評価を得ているヤニング裁判官。
勿論、犯した罪を追求する検察官も、戦勝国のアメリカ人。
元裁判官のヤニング被告人を弁護するのは、彼の教え子である若きドイツ人弁護士。
証人にたった、ヤニングが師事した元裁判官は、裁判官の法服の胸に、ナチスの紋章を付けることが強制されたとき、自分は裁判官の職を辞したと。
ヤニングはなぜそのとき、やめなかったのか。
一般市民ではなく、人を裁く立場にいて、裁かれた人のその後が、どうなるのか、本当に知らなかったのか。

アメリカから来た老判事は、彼を知るために、彼の法学者としての著作を読破する。

判決言い渡し。
終身刑。

映画は1961年製作。
ナレーションが流れる。
-この時点で、この裁判で裁かれた人で、刑務所に入っていることはいません-

被災したベルリンなのか、瓦礫と化した街の映像が印象に残りました。
よく、日本の被災地の写真は目にするのですが、ヨーロッパ、爆撃を受けたドイツも同じく、ここまで廃墟となっていたのかという思いで眺めました。
10年ほど前に、ベルリンのブランデンブルグ門の辺りで絵葉書を数枚買ったことを思い出しました。どれもセピア色の敗戦後のドイツの街、人々の絵葉書でした。
この映画より後に書かれたものですが、ワイツゼッカーさんの本を読んだことを思い浮かべながらドイツを駆け足訪問したことを、思いだしました。
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想像のゆりかごにいます。 

2010-04-13 12:20:44 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
ゆっくりと。
愛蘭土(アイルランド)紀行という司馬遼太郎さんの手になるゆりかごに。

以前、スペインのオリーブ畑を何時間もバスに揺られたとき、
この国の大航海時代、沢山の木造船が製造され、気候が変更するほど、国中の多くの森が失われました。殆ど砂漠化したようになったのですが、今はこうして、オリーブ畑になっています。
オリーブの木は、作業しやすいように、まばらに植えられているから、目の前一面に広がる光景に森の面影はない。

そうなんだ、と思いつつ幾歳月(笑)。

今度は、イギリスの森のことが、愛蘭土紀行に。
かの国では、他国に先駆けて、鉄鉱石を溶かして鉄を精製する技術が開発され、その溶かすための燃料として、次々に森が姿を消していった、との記載。
石炭からコークスを取り出して燃料として利用されるようになるまで、木が燃料だったのです。
そして、石炭から、石油と、時代は燃料を変えていったということ。
自分一代では、その変化を体感できないけれど、こうして本を通して理解できることが、またとなく楽しい。
で、輸送手段。
私たちは、車、または、鉄道、そして飛行機を思い浮かべます。
でも、それらより先に発達したのは、「運河」。
そう水運、船です。
工業が勃興せんとしているイングランドに、次々と人力で運河が掘られ、物資輸送で活躍したのだそうです。
で、あの蒸気機関の発明により、鉄道へとつながり、運河は廃れる。
その後、自動車と道路網の時代になっていく。

うーん、ゆっくりのようで、大きな変化が見られます。
今、日本では自動車会社はその系列子会社、関連会社を含めると、沢山の人を養っています。
これまでも、その時代、時代のメーン産業が、多くの人々を養ってきたのでしょう。
とすると、今の時点の勝ち組会社は、いつまでも勝ち組産業であり続けることはない、という流れになります。

その流れを変えるキーになるものは、時代によって様々でしょう。
あと、20年もしたら、
「あんな排気ガスを出すガソリン車によくも乗っていたものだ」と
そんなようになっているかもしれません。

ここ数年、新聞、テレビがインターネット社会の定着化で、情報発信の地位を脅かされている、と耳にします。
変わる潮流が速いような気がします。

かつてのヨーロッパも、目先の必要に迫られて、森を燃やしてきたのです。
その歴史を持っているからこそ、地球環境にも熱心なのでしょう。
古代、中世、そして、ビートルズまで、司馬さんの筆による、時空を超えての案内は、読書のゆりかごのようです。


追加
読み進めるほどに、教えられることが多くて、自問自答。

底知れない知識を縦横に語ることのできた、司馬さんも、なくなると知識もきえるのだ!
あー、もったいない。
だから、こうして書物を通して出会えるじゃないか。
私、司馬さんの1000番目の教え子になりたかった!

キミが1000番目なんて、彼はファンが多いから、100万番目ぐらいじゃないかと、横槍。笑

もう、ご本人にお目にかかれる機会はないけれど、彼の書物を通して、自称、末席の教え子になろう。
神様は、こんな力を司馬さんという人を通して、人にお与えになるのですね。
知らないことを知り、分かりやすく解説してくれる司馬さんの目線で、これから、ゆっくり彼の紀行文を傍らにおいて、読んでいこう。




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