日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

緑いっぱい

2008-06-27 07:57:35 | 私の雑感あれこれ
梅雨時の今、狭いながらも我が家の庭は、緑いっぱい。
充分な水分と温度の今は、雑草も伸びる伸びる。
週日の日中は留守にしているし、気の向いたときにしか草取りをしない。
よって、芝生も雑草と共生。
あーあ。
でも、遠目にはみどりが美しい。
CO2削減が叫ばれている昨今、雑草も植物だし、CO2削減に貢献しているのかな、なんて自分流に解釈したり(笑い)。
どれだけの面積の緑が、どれだけのCO2削減効果を持つのか、コレを人の生活一人当たりに換算すると、どれだけの面積になるのか。
コレが広報されているいいのに。
すると、農業で広い面積を緑にしている人は、それだけで貢献していることになり、耕作放棄地もCO2削減に貢献していることにならないだろうか。
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新聞コラムを読みながら

2008-06-26 21:13:37 | 私の雑感あれこれ
新聞の文字に目を走らせながら、胸が詰まる気分になることがあります。
声を出すこともなく、読んでいる私の外観も変わらず、なのだけれど、こみ上げてくるものがあるのです。
ブログというスペースに、そんなケースの一つを書き留めておこうと思います。
誠に、たわいもない、ことなのでしょうが。

昨日の朝日新聞天声人語は、千葉県沖の鰹漁に出ていた船の海難事故を伝えていました。テレビでもみた、漁船の姿が目に浮かびます。

子供の頃、昭和30年代の記憶です。
祖母と母が話しているのを聞いていました。
今日、船が出て、○時ころだって。
今度(戻るの)は○月らしいよ。
などと。
それは遠洋漁業なのか沿海漁業なのか、北陸沿岸から北海道辺りまで漁に行く船がいよいよ出発するという話でした。
そのとき私は、音を聞いただけなのか、いや、確かに水平線あたりを行く船を見たような気もします。テレビのニュースで写しているあれくらいの大きさの。
いや、遠目だったから、もっと大きい船だったかもしれません。

ボー、ボー、ボー、と汽笛をいくつか鳴らしていくのです。
私の町は小さな町で、その大きい船は、もっと大きな港町から出帆するのです。だから漁師の夫を見送る家族のいる町辺りに近づくと、
「ボー、ボー、ボーと汽笛を鳴らすのは『行ってくるよ』の合図なんだよ」と。

教えてくれたのは、祖母だったか、母だったかは覚えていません。
でも、そのときの、低い汽笛の音は忘れられません。
岸辺で見送っているのは、何人の家族でしょう。
家族が住む沿岸を航行中のたびに、岸辺の家族に届くように、ボーボーボーと。

汽笛を通して、船から岸辺に伝えようという仕組み。
危険を承知で漁にでる男と見送る家族の繊細なワンシーンに、大人の世界の思いやりを思いました。
漁船の転覆記事に目をやりながら、あの時お隣のチコちゃんは、旦那さんを見送る側だったな、などとポケットの中から記憶が飛び出してきて、コレって、感傷って言うのでしょうか。
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星野富弘さんの詩

2008-06-21 21:55:56 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
車のJAFの冊子をめくった。
巻頭に星野富弘さんの詩・画。
ここに詩文だけ転載します。

何だってそんなに
あわてるんだ
早くおおきくなって
何が待っていると
いうんだ

子豚よ
そんなに急いで
食うなよ
そんなに楽しそうに
食うなよ

(文字はフリーハンド。画は4頭の(餌箱に突っ込んでいて)お尻部分しか見えない子豚と、眺めている母親豚)
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豊かさの中での子育てと、ギリギリの子育て

2008-06-21 11:46:42 | 私の雑感あれこれ
秋葉原での連続殺人犯が、中学校までは優等生だったとか、母親が教育熱心で、とか、子育て中の母親なら想像できる家庭環境なのに…、もし、このことが事件に関連性を持ってくるとしたら、日本の豊かな子育てが、何を育て、何を育てる力を失っているのか、豊かさが突き当たった混乱といえるのでしょうか。

発展途上国の子沢山家庭では・・・。
8人兄弟の二男の彼は、子供時代、遊ぶときは、妹をオンブさせられた、とのこと。
8人もいれば、年長が年少の子育てに参加しないとやっていけない、必要に迫られてのことでしょう。
水道もガスもなく、もちろん洗濯機もない中での子育て。
彼のお母さんは、彼の背中に赤ちゃんを背負わすときに、オンブ紐を後ろ(背中側)で結ぶのだそうです。
何で?
遊んでいて、勝手に解いて背中の赤ちゃんを下ろせないように(笑い)。
お母さんの生活の知恵。
背中の赤ちゃんを背負ったまま遊ばなくてはならない少年のシブシブ顔が浮かびます。
そんな風にして育った彼は、母親から邪険にされた、と思っている?
そんなハズはないのです。
高校までの学費を出してもらえた、と親への感謝を忘れない孝行息子です。

もちろん、今の日本では妹をオンブして遊んでいるお兄ちゃんはいません。
そういえば、私の子育て時代より更に進んで、赤ちゃんをオンブしているお母さんだっていません。

豊かで快適になったことは、幸せであるのは確かです。
だけれど、その幸せは歪みを生む部分も孕んでいる、ということなのでしょう。

どの時代がよかった、なんていい方はしません。
今、目の前の課題に最善を尽くす、社会てあっても個人であっても。
結局そこに行き着くように思います。

てんてこまいの母親が、ギャングエイジの男の子の背中に、赤ちゃんを何とか長くくくりつけておこうと、結び目を後ろにした、その場面を創造すると、ユーモラスで、ちょっとここに。


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NHKドラマ「会計監査」第1回を見て

2008-06-19 13:12:33 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
NHKは、自分の番組のコマーシャルをしばしばする。このコマーシャル頻度からいって、この「会計監査」というドラマは、以前の「ハゲタカ」と同じく、力を入れているのだろう、とは推測できるのですが、その第1回放送を見た感想としては・・・。

人間関係が、まるで絵空事のようです。
若い公認会計士たちが、やたらと目を見開き、口を尖らして、「正義は自分」と挑みかかってくる場面が多くて、えっ、えっ!です。

20代の主人公と思われる会計士が、直属の上司に向かって、「あんたね~、云々」と相手のあいまいさをなじり、正義を説こうとするシーン。まさか、あれが社会だと、脚本家やプロデューサーが思っているのかしら?
仲が良くて上司とタメ口ってことはあるかも知れないけれど、非を指摘するのに、上司に「あんたね~」では、そこでおしまいじゃないのでは、と呆れてみていました。
そもそも、公認会計士という職業は、自分たちの収入源の会社の会計監査をする、仕組みであり、現実問題として、公正な監査ができにくい土壌である、のが現実です。
若き公認会計士が、ビシバシと社長に、苦言を呈するのは、度胸があって、ドラマではヒーローなのでしょうが、現実味がなくって、その現実味のないドラマを、HNKがこぞって、宣伝しているのだから、ドラマの質を判断する目もなくなったのでしょうか。
このドラマについて、意見交換している公認会計士さんたちのブログに出合ったので、読ませていただきました。
本物の公認会計士さんたちの意見交換の方が、格段に説得力があります。
ドラマのプロもたくさんいらっしゃるNHKでしょうに、そして専門家の監修ってなかったのかしら。

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こんな一コマ。

2008-06-18 07:45:40 | 私の雑感あれこれ
先月のことです。
東京の若者達の街、歩行者天国なのでしょうか、賑やかな通りを歩いていました。普段離れて暮らしている長男、長女らと一緒に、目的の場所を目指して地図を片手に。
道が二手に分かれているその中心点に、(私達が歩いている道筋の、ちょうど目の前に)、確かに見覚えがある顔を見つけました。
年配の男性と女性、そして5歳ぐらいの女の子。
疲れたのか、路肩の盛り上がったところに腰を下ろしています。
若者が行き交う街に、そこだけ違った趣・・・。

・・・私、この人たち知っている!
写真でみた人と同じだから。
だから、この方は、今日娘が結婚しようとしている相手のご両親。
あっ、言葉が通じない。
でも、こんな街で道に迷って疲れ果てたかのようでもあり・・・。
咄嗟にこう思いました。
「私はあなたたちを知っています」
「私は、今日結婚式を挙げようとしているTの母親です。連れは参加しようとしている家族です」
そのことを伝えなくてはならないと、思いました。
彼らは、この日本で、息子Kと私の娘Tしか知らず、言葉もわからず、でも、今ここに、KもTもいない。
英語もわかりません。
KとTの名前を繰り返して、一緒に目的場所に行きませんかと、誘導するアクションを繰り返しました。
どこまで通じたのか、通じていなくて困惑したのか。
考えてみれば、私は年末に娘がかの国で、皆さんにお会いして沢山の家族写真を持ち帰ったのを見ていますが、相手は私の顔を見るのは初めてなのですから。

そうこうしているうちに、今日の花婿であり、唯一の通訳Kが妹と戻ってきて、不可解な状況は解決。

コレが、あの、先月の末娘のささやかな結婚式に当たっての、前座余興のような出来事でした。

そのときの出会いがはじめてでしたから。
かの国からきた家族は普段着で出席するだろうから、お母さんたちも普段着でもいいよ、そんなふうな、ささやかなイベントでした。
息子のおかげで、日本という国に来れることができました。
にこやかな表情で、そう答える(もちろんKの通訳付き)、お父さん。
1ヶ月近くの日本滞在。東京の交通のシステムの複雑さ、それを混乱もなく理解している一般の人々に驚いたとのこと。
かの国には、鉄路そのものがありません。

日本の「結婚式って…」という相場からは、かなりかけ離れているのかもしれません。
――先日も、結婚式は、留め袖を着たの?それとも洋装?と、結婚する息子を持つ同世代の友人に尋ねられましたが、あのささやかさでは、留め袖は場違いかなと、娘のウェディングを思い起こしていました。――

こんな縁もあるのです。
きっと、世の中には、もっとへぇー、と思うような縁もあるのでしょうね。
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点滴の思い出から

2008-06-13 07:41:53 | 私の雑感あれこれ
三重県の個人病院で点滴した患者さんが、細菌感染したとのニュースが流れています。
その病院では、日に約300人の患者が訪れ、100人程に点滴を施すという記事がありました。
幸いにして、家族は健康に恵まれていたからか、家族の点滴の体験、記憶は3回しかありません。
だから、点滴は、症状の重いときに施すものであって、こんなに頻繁に施療されるものなのかと、驚きでした。

結婚して10年間ほど、我が家は週刊朝日を購読していた。その週刊紙の記事の中で、点滴治療はお医者さんにとって利益率が高い施療だと書かれていたことを覚えています。だから、このニュースに接して、点滴を多用するお医者さんは収益がらみ・・・、という気がしてしまうのです。
月日が随分経っているので、レセプトのカウントの仕方が変わっているかもしれませんが・・・。

私の点滴体験1度目。
子供が6歳の夏。自家中毒なのか、嘔吐が激しくて水分も受けなくなったとき。1回で回復。助かりました。
2度目。
10歳の子供が下校途中、腹痛と吐き気で倒れたらしく、子供の友達のお母さんに病院へ送ってもらったことがありました。私は仕事で留守。緊急連絡を受けて夕刻に病院へ駆けつけたときは、点滴の効果がでたのか、子供の気分は回復していました。念のためにと1日入院になりました。早朝病院へ出かけてみると、まだ点滴中。
昨日、睡眠前にすっかり良くなって、念のための入院だったし、その後もなんの悪い予兆もないのに、まだ点滴?とは、思ったけれど、任せるしかありません。
8時過ぎに点滴の壜が空になったので、退院するしコレで点滴も終わり、と思っていたら、あと手続きまで1時間もないのに、看護婦さんはまだ、新しい壜に針を刺し、また設置。
えっ!これって、患者の様子などお構い無しで、点滴溶液を使用するための治療になっているのでは? ・・・そう思ったものです。
医療費の7割が国から出るから、患者はそう目くじら立てることはない、そういう思いが底流にあるのではないでしょうか。
幸い、家族は健康なので、それ以後その病院には行っていません。
3度目。
私、夜半から明け方に目眩。ベットの飢えで首を動かすたびに部屋中がグルグル廻る、吐き気がしてトイレに行こうとしても、目が廻って歩行困難。
コレは大変、と、土曜の9時前だったけれど、個人病院へ電話すると、すぐ来ていいといわれ、私始めての点滴体験。
液体が腕の静脈を通して身体に入り始めてしばらくすると、もう目眩や吐き気を堪える気分がなくなりました。勿論1袋分で終わり、歩いて帰れました。

以上、我が家5人家族の30年間の点滴体験です。
内、私自身は1度だけ。

なのに、三重県のその街辺りでは、300人の患者さんがいれば100人に点滴らしいですね。
本来、細菌感染のない点滴であれば、患者の身体を損ねることはない、だから、患者さんが快適になって、医療者側にもメリットがあるから、多用なのでしょうか?
そうも、思ったりするのですが、
下種の勘ぐりかしら。

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とぼけたことを考えて・・・(笑い)

2008-06-12 07:39:58 | 私の雑感あれこれ
競泳の選手の水着の話題が連日のニュースで、逐一報道されている。
英国スピード社の水着を着て泳いで見たところ、オリンピック代表選手たち、連日記録更新とのこと。
で、日本水泳連盟も、水着について、規制をしない、と発表した。

なんだか、仰々しく会見が連日行なわれているようで、門外漢は、想像して、推測してみるだけの世界。

で、スピード社の水着、着るのに一人で着れないらしい。
何人かの助っ人に着せてもらい、且つ時間もかかる、という。
え!
0.0○秒の速さを競う競技、なのに、そのユニフォームを着るのに、何十分もかかるなんて滑稽、と思ってしまうのですが、変ですか?

もし、障害物競走のように、水着に着替えるところも含めて競技時間にすれば、スピード社の水着を採用した選手はビリになるでしょうね。

なんて、荒唐無稽なことを考えておかしい。
だって、選手に水着を着せるための要員がいないと、スタート台に立てない、なんて・・・。


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「超・格差社会アメリカの真実」小林由美 著 を読んでいる。

2008-06-09 07:38:16 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
著者は26年間アメリカ生活でしてきた日本人。
「26年暮らしてようやく見えてきた、アメリカ社会の構造とその生成過程について、自らの経験と知見をもとにして記した」とあります。

アメリカという外国は、メディアにもよく登場するし、海外に疎い人たちには、外国の代表=アメリカという風に思ったりする国です。

私達は、伝えられる情報をその言葉で理解するとき、自分の体験で知っている概念と結びつけて理解しようとします。
この本を読んで、今までイメージしていたいくつかが、目から鱗、というのでしょうか、いくつか瓦解し、組み立てなおされた、そんな思いを抱きました。
(私にとって)アメリカを理解する教科書のような本です。

以下目次から

第1章 超・階層社会アメリカの現実
――「特権階級」「プロフェッショナル階級」「貧困層」「落ちこぼれ」

第2章 アメリカの富の偏在はなぜ起きたのか
――ウォール街を代理人とする特権階級が政権をコントロールする国

第3章 レーガン、クリントン、ブッシュ・ジュニア政権下の富の移動
  ①レーガノミックスのトリック
  ②クリントン政権
  ③ブッシュ政権とイラク侵攻

第4章 アメリカン・ドリームと金権体質の歴史
――自由の国アメリカはいかにして階級社会となったのか?
  ①アメリカ植民地の特権階級
  ②独立戦争とアメリカ建国
  ③南北戦争
  ④戦後の復興と好況時代
  ⑤゛進歩派゛の台頭と第1次大戦
  ⑥大恐慌とニューディール
  ⑦第2次大戦とアメリカ経済の繁栄
  ⑧まとめ


第5章 アメリカの教育が抱える問題
――なぜアメリカの基礎教育は先進国で最低水準となったのか?

第6章 アメリカの政策目標作成のメカニズムとグローバリゼーションの関係
――シンクタンクのエリートたちがつくり、政治家たちが国民に説明するカラクリについて

第7章 それでもなぜアメリカ社会は「心地よい」のか?
――クリエィティピティが次々と事業化されてくる秘密

第8章 アメリカ社会の本質とその行方
――アメリカ型資本主義市場経済が広がると、世界はどうなるのか?

抜粋
 自由と平等は車の両輪で、片方が欠けたらどちらも成り立たない。だから時代環境に応じて具体的な形は変わっても、自由と平等は維持しなければならない。
 しかし、自由と平等は単純に並立するものではないし、同時進行するものでもない。
―中略―
平等を目指すスローガンは高尚な響きを持つが、平等に対する願望の心底には自尊心が欠如している。自由を求めるスローガンは体裁が悪い。しかし自由に対する願望の底には、自尊心がある。






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接待タクシー!!ああ、深夜残業から生まれた世界

2008-06-07 08:15:34 | 社会問題
お客さんをキャッチするための営業活動の一環、と考えれば、
長距離をしばしば利用してくれるお客様へサービスを、と考えるのは、自然の思いつき。
支払う方が、自分の懐からの出費であれば、野放しで地用距離を利用することも限られてくるだろうし、値引きに当たるかどうかの問題に限られるだろうけれど、公務員は、国費でタクシーチケット代が支払われている、というから贈収賄もからんできます。

新聞には、各省庁の調査結果がでていたけれど、公費は省庁だけではない。
外郭団体においてもしかり、ではないでしょうか。
だから、新聞が取り上げている官公庁は、ほんの一握り、そう思います。

官庁街の一角に勤めていた娘の話では、深夜になると、出入り口に客待ちタクシーがならんでいる、そうです。
新卒などの若手は、そう遠くない独身寮に住んでいるので、建物から出てきて「○○区」というだけで、「○○マンションですね」って、運転手さんが知っている、と。
終電に間に合わないほど遅くまで仕事を、というのも歪だし、そんなにタクシー利用して、公費支出して大丈夫?無尽蔵と思っているのでは?という思いも抱きました。

テレビでは、町村官房長官はじめとして、これは問題だと、糾弾しておられます。
公務員が、民間タクシーの運転手から金品を受取ったのだから、贈収賄の問題となるのでしょう。
それとは別に、深夜タクシーをビシバシ利用している、その経費の使い放題ぶりも、本当に必要なのかどうか、チェックしてもらいたいですね。

今、政府要人の幾人かは、公務員を糾弾しています。
でも、赤坂の料亭前に、年末などは、黒塗りの車が列を成して、主を待っているそうです。
この車も、運転手の給料も、元を辿れば、歳費、議員手当て、の類。

霞ヶ関の人々は、熱心に仕事に邁進していらっしゃるのだろうけれど、生まれたとたんに、500から600万円の借金を背負うという、赤字財政のわが国。
仕事を合理化して、深夜タクシーにのる分量の減、を試みてください。

ああ、娘は、自分の意見が通ったのか、たまたまそういう風潮のときだったのか、判らないけれど、月に一日、6時に室内の電気を消して帰宅すべき、と決めたと、聞きました。
仕事が残っていても、必ず室内の電気が6時に消灯になる。
ダラダラ残業が減っていいことだと、思ったのですが・・・、その後も続いているでしょうか。
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