いつもの友人との3人旅。2月ぐらいに予約したのですが、この60代にとっては6、7、8で覚えやすい日程でした。
7日の朝9時発の近鉄特急で飛鳥を目指す。
下調べによると、飛鳥も法隆寺界隈も足の便が悪いのか、旅行ガイドにはレンタサイクルの案内が多い。
我ら60代。大丈夫かしらと思いつつ、小回りが利くし、、、とレンタサイクルバージョンを想定して、車内で自転車で回るコース説明などをしていた。
特急は途中一駅の停車があっただけでサッサと進む。大和八木で乗り換えて、飛鳥で下車した途端に、雲行きが怪しくなってきた。
雨。
レンタサイクルは急遽取りやめ。ウン十年前以来だった石舞台めぐりなどはおじゃんかと覚悟もしたけれど、コースの総距離が遠くもないし、タクシーで回ろうか、誰となく提案がでて、駅前の観光案内に相談。1~2時間の観光タクシーもあり、とのこと。Kさんがちょうど駅前に留まっていたタクシーと1時間5250円でとの交渉してくれた。
雨がざぁざぁ降る中を手始めに高松塚古墳、高松塚壁画館を見る。この60代がのろまそうに見えたのか、駐車場待機の運転手さんが入ってきて、見どころ(見落とさないようにと)ポイントを示してかつ説明してくれる。なんと便利。あぜ道に毛の生えたような細い道を踏み外さないようにタクシーに戻る。
天武・持統陵はタクシーの中で運転手さんの説明を聴いて通り過ぎる。
聖徳太子の生まれた(お産まれになった)橘寺を見学。見たかったら二面石はこちらです、と運転手さんがサクサクと案内。
飛鳥寺を見る。建物は何度も火災にあっているけれど、本尊様は一寸たりとも動いていません。よって、聖徳太子も曽我入鹿も皆様が座っていらっしゃるその場所にお座りになられたと思います、との解説に、ありがたみ大いに上がる。私は仏像そのものよりも、その時代を率いて生きた人々に関心があるタイプです。
例えば聖徳太子の2歳の像と16歳の像があり、2歳でお経の一部を口にし、合わせた手から良い香りがして、指の間からお釈迦様の骨が零れ落ちたとかの説明があった。その言い伝えをそのまま受け入れる熱心さはないけれど、さぞかし聡明なお子さんで双葉のころから英知が垣間見られたのだろう、と想像する。
そこでの仏様だったか、大きな仏像をまじまじと見上げると、異様に手が長い。デフォルメした彫刻というのもあるけれど、これっておかしくない? な~んて疑問を持ってしまう不届きものです。仏像通の友人に話すと、衆生に広く手を差し伸べるために仏像の手はどれも長いのよ、と。そんな理由なのか、と聞いたのだけれど、いくつもの仏像を見てどれもに異様さを感じたわけではないその仏像の手はあまりにも長かった。施主さんの意向?仏師の力量?どっちだろうとひそやかに思ったりしていた。
それから石舞台。石舞台は巨大な石でできた石棺だけれど、本来は土で覆われていたものが、年月を経て巨石がむき出しになったものです。本来の古墳の姿の参考にと曽我稲目(入鹿の父親)の古墳を先にタクシーで案内してもらう。観光案内ベテランの運転手さんの配慮です。ありがたや~。
運転手さんによると、考古学の学者さんらもお客さんとして乗せておられるそうで、まだまだあちこちに古墳があるだろうと思われるけれど、費用のねん出ができないので、もうこれ以上発掘はしないのだそうです。キトラ古墳も管理に費用の問題で、そっとふさいでおくことになった、とか。飛鳥の里にはまだまだ古代が眠っています。
飛鳥資料館前でタクシーおしまい。ここまでで1時間。ワタシ「おつりはいりません」って初めて言った。勿論1万円札で、ではありませんよ。苦笑
資料館前におしゃれなお土産屋兼レストランがあったので、資料館に入る前に食事することに。
何食べたかな~。もうウル覚え。確かなんとかカツ定食だった(※)。お上品な(お肉3キレほど)かつ丼で胃に重くはなかった。デザートの葛餅はお店で作った感じがして、さすが葛の名所と思った。(※)メニューはヒレかつめしセット。レシートで判明。苦笑
飛鳥資料館。名前から思うに、ここでひとまとめに飛鳥を味わえると思っていたけれど、総論的な資料館ではなかった。1982年に発掘された山田寺東回廊の展示がありました。ちょっと私の興味、イマイチで貴重な資料には申し訳ないです。いままであわただしく見学、移動を繰り返してきたので一休み。
資料館から橿原神宮前までバスを利用。宿泊ホテルは駅前なのでウルトラ便利。…こんなこともあって、名所めぐりにはレンタサイクルを使い、駅前で乗り捨てを考えていたのです。
ホテルのお風呂は温泉。お肌がツルツルに感じる泉質で満足。食事はフランス料理の基本コースだったのですが、思ったよりGOODでした。翌朝のバイキングはこの系列のリゾートホテルの中では一番満足と言っていいほどでした。
さて翌朝は晴れました。斑鳩の里行きです。
法隆寺はJR法隆寺から歩いて20分です。近鉄郡山からJR郡山へと歩いて15分の負担は覚悟していたのですが、ふと見たホテルフロントのガイドによると、近鉄「筒井」から法隆寺前までのバスがあることがわかりました。JR法隆寺~法隆寺間20分も、二つの郡山駅間の15分も歩かなくてもいいことになります。法隆寺駅前でレンタサイクルを借りて巡る案もボツになりました。ほっ。
路線はスマホでサクサク検索できる世の中です。なんと便利。パソコンを持ち歩いているのと同じなんですね。近鉄電車で30分足らずで「筒井」到着。15分間があってバスで法起寺まで行く。
①法隆寺、②中宮寺、③法起寺、④法輪寺の4つを見るとの計画でした。奈良の某女子大卒で、仏像通の人がメンバーなので、私にとってマイナーなお寺も教えてもらいました。結構近距離にあるので、③の入り口という名前の付いたバス停で下車して、③、④、②、①という順に見て回りました。
法起寺の三重の塔
事前検索で④のお寺の仏像写真が素敵だったので、その期待が田舎道歩きも背中を押してくれました。結構バス停から④そして③へは距離がありました。暑かったし。こんな程度で「距離があると感じる(遠い)」なんて、飛鳥時代の人とは感覚が違うでしょうね。
②はあの弥勒菩薩の中宮寺です。拝観料無料とあります。これまであっちでもこっちでも拝観料ばかりでしたのに、なんで?と思ったら、弥勒菩薩さんは今韓国へ出張中で、私が拝観したのはレプリカだったのです。精緻だからちっとも素人の私には区別がつかないのですけれどね。
①では、たくさんの修学旅行生に出会いました。私が先回夢殿にきたのも中学3年の修学旅行でしたもの。まさしくあれからウン十年、、、です。私の百済観音のイメージも中3の時のものです。今も昔もまことにスレンダー。
法隆寺夢殿
今回の斑鳩の里めぐりは、仏像よりも五重塔よりも、夢殿よりも、学び舎としての講堂にこころが惹かれました。伽藍の中で講堂だけは焼失して時代が新しかったりでした。世界遺産の価値としては古いものがいいのでしょうが、なんだか、学ぶためにお寺にやってきた当時の学僧をどのお寺に行ってもしのびました。塔があって、金堂があって、そこを行き交って講堂で学ぶ若き学問の徒。きっと優秀な人材だったのだろうな~とか、思いめぐらしました。当然学問が嫌いなのに身分格式で入れられていた人もいたのは、今も昔も通じるところあり、でしょうけれど。
法隆寺のエリアは堂々としています。逆コースから廻ったらしく、最後は正門通りを出て、「筒井」を通るバスに乗りました。
近鉄筒井から大和八木で乗り換えて、7日にスタートした駅に戻りました。
60代のになってふたたびの飛鳥、斑鳩の里めぐりは、遠い先人たちの知恵の具現として感じることができました。病や飢饉、災害から救われ、平安な暮らしをと願うところは、いにしえも今も通じるところです。
■ 読んでいただいてありがとうございました。どちらかというと骨格だけの文章になりました。近日中に加筆予定あり。