日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

陽が射すまえに。

2017-08-27 07:07:16 | 庭 8月
*住宅街にある庭なので、隣地の陰になって陽射しが当たるのが遅い。

蚊取り線香をぶら下げて庭に出る。
小ぶりながら開花したばかりのバラは美しい。
夏場は夕方になると陽射しに耐えた証で、花弁が生気を失うのです。

そんな何種類かのバラが咲く朝6時台から、いそいそと庭仕事。

まず、バラの株もとチェックして、木くずが出ていると、テッボウムシの仕業です。即、虫穴らしきもの探して駆除。


今日はその後、シンビジュウムの鉢を移動して、固形肥料をやってしっかりと水やりしました。

一昨年に株分けしたりして、6鉢もあるのです。

でも、昨年は2鉢しか花芽をつけず、栽培主としては、待ちぼうけ状態です。
今年こそは、と思うのですが、気遣い不足なので、はてさてどうなることやら。


その後、鉢で何とか炎暑を生き延びた草花(アリッサム)わ地植えに移植しました。

ネット検索って、なんとも便利です。
春明2回開花とあるので、秋にも期待、というところです。

グランドカバーのエリゲロンやヒメツルソバの伸びすぎ分を剪定ばさみでパチパチ刈り込んでスッキリ。床屋さん感覚です。

こんなふうに庭仕事をやり始めて、もう6年目になりました。


今朝のコーヒータイムの家人との話題。
「他人と過去は自分では変えることはできない、変えられるのは自分自身とこれから(未来)だけだ」と、テレビで耳にしたことばを話題に。
そのフレーズは、いつごろからか、自分の引き出しにもはいっていて、時に引っ張り出し、自分自身に言い聞かせる文句でもあります。
反省したい過去はどうにもなりません。これからの日々を質の良いものにしていくしかないのです。
そういう点で、ひとり園芸に費やした日々は結構気に入っています。
思えば、皆目知らないところからスタートでした。
失敗を重ねて、そしてこれからも全部うまくいくというわけではないけれど、手をかけてやると応えてくれるのがいいのでしょうね。

以上、まったく、雑文です。

次に読む本に出会いました。

杉本荘子著『孤愁の岸』です。今年亡くなったそうですね。NHKのアーカイブスで取り上げていました。
彼女の作品、まったく一冊も読んでいません。
この作品は、直木賞受賞作だとか。
幕府から薩摩藩が尾張の河川工事を命じられる実話がテーマです。木曽三川はそう遠くはありません。ずいぶん前に、当時の困難な工事の経緯を木曽三川公園の建物の中でビデオで見たことはあります。

わたしは遅読タイプだったので、10代20代は長編歴史ものを避けていました。
細胞が何度も新陳代謝して私という人間も若いころと変わっているのだと、そんな気がします。





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「かくかくしかじか」を読もうと思ったのは、

2017-08-26 14:58:49 | 私の雑感あれこれ
我が家にも、東村さんと同世代で、漫画家になりたい~、と思っていた子がいたから。

漫画家用のペンやインクをそろえたのが小学生時代。
高校に入ったころは、漫画家志望も沈静化していたのだけれど、一浪して大学進学してから、漫画熱が再燃。

親に反対されるのを嫌って、自室で夜通し描いたようです。
日中は両親は仕事に行っているので、彼女が大学に行っているのかさぼっているのだか、とんとわからない状態でした。

案の定、留年。

どうするのかと詰問した夜のことがよみがえってきます。

東村さんの漫画では美大時代は遊びほうけ、との描写でも留年はなかったようですが(東村さんは大学時代には漫画は描いていない)、娘は理科系の最終的には国家試験が待っている大学だったので、単位取得は厳しかったのでしょう。

ワタシ、くさりました。

わたしから見て、小さい時からおりこうさんのハズだったのに、なんで?なんで?の疑問符の洪水でした。
まったく余裕のない親の典型でした。

「漫画家になる」と言い張る娘。

「食べていけないでしょう」と親は詰問。

すると、彼女、ほら、原稿料も振り込まれている、と自分の通帳を出して見せました。

東村さんの漫画の中でも、通帳に原稿料が入金されている画面が何度かありました。

ああ、あのとき、我が家でも、とつい思い出します。

「食べていけるのなら、家をでて自立しなさいよ」と、いったような気もします。

なんだか、自分の嫌な面丸出しで、娘にあたっていました。

彼女の言い分では、2足のわらじをはこうとしても、どうしても漫画のほうは今じゃないとダメ、19歳の今しか描けなことがある、というのです。

そんなに描きたのならと、大学を休学して、進路を考えてみることにしました。

おかしなもので、そのころは新聞や雑誌の筆者らの若いころに大学中退した経歴が気になったものです。

浪人、留学、休学なんて自分に関係ない世界だと思っていたのに、降りかかってみると、世の中にはいろんな経験をしている人がいるんだ、と見えてきたりもしました。

休学後に娘が選択したのは復学でした。

無駄に結構な費用をかけることになります。幸いというのでしょうが、漫画で得た収入をきちんとプールしている子だったので、学費は自分で払うから、とのことになりました。

その数年後に、3年間の大学院進学もしたのですが、その費用も漫画時代の収入で賄ってやり遂げました。

今はもう遠い昔の話です。
うちの娘が夢中になっていたころの後(大学卒業後)から、羽ばたいた人が、もうこんなヒットメーカーになっているのだと、ちょっと懐かしくもあり、というエピソードを思い出してくれました。

ファンレターがどっさり届いていた(郵便局留めにしていて、自宅には届かない)なんて経験もしたのですから不思議。

そんな特殊状況だったので、最近まで最寄り郵便局の局長さんが、「娘さんはどうしている?」とあいさつ代わりに一声あったりします。苦笑

どこの家にも、それぞれのエピソードがあると思うのですが、すんなりいかなかったことも、今は懐かし、です。











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変化のスピードが速い。

2017-08-25 09:26:53 | 私の雑感あれこれ
60代。
なんとかついていこうと、ヒーコラ。苦笑

今までは、Rポイントが貯ったら、Rのネットショッピングで使っていた。

で、実はわたしの財布の中にR社のポイントカードも入っている。
お店で支払いをするときに、Rカードのマークがあるところではポイントカードを提示するとポイント加算してくれる。
でも、ポイント入力はできてもカードで使用するには別途手続きがいるし、使わないで一定期間が過ぎると消滅するらしい。放置すること1~2年。

それが、先日のホテルでのまとまった支払時にポイントゲットしたものだから、重い腰を上げてトライしてみました。
どうにか成功。支払額の1パーセントだから、ポイントは知れたものでしたが。

さらに時代は進んで、カードを提示しなくてもスマホ画面の操作だけでOKの時代になっているらしい。

で、それにもチャレンジ。
Rポイントのアプリをスマホ画面にインストールできた。
で、Rポイントで買い物をしてみたい。
昨日立ち寄ったコンビニのFでは、Tポイントはつかえても、Rポイントはダメとのこと。

実は、スマホにTポイントのアプリもインストールはしてみたものの、それをどう提示していいものかは、ハラハラなんです。60代。

スマホって、すごい世界ですね。
常にインターネットの世界につながっている、わけですから。

コンビニのレジで、「Tポイントお持ちですか」と聞かれることがしばしばになってきた。お得感を提供することでの、お客の囲い込み作戦なのだろうが、同じ品物を人によって価格に差が出てくる時代になってきている。
以前は、値切り上手のひとがお値打ちに買えたのでしょうが、昨今は知恵を使っている人が恩恵にあずかれる仕組みのようだ。

なかなか、お店でポイントを行使して買い物する機会がないので、従来のやり方で、ネットでT-falのフライパンをポイントで購入。

まったく頭の体操です。





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庭の朝仕事。

2017-08-23 08:22:19 | 庭 8月
早朝の庭めぐりは毎日。
蚊が気になり、長そでを着て、できるだけ露出を少なくし、ひざ下に虫除けスプレーをかけてから庭に出ていた。今季スプレー缶2つ使い切る。
数日前から、長そで上着を着るのも蒸し暑くて嫌になって、蚊取り線香を腰にぶら下げるパターンにした。

夜半に雨が降った翌朝は、草抜きにベスト。
で、今朝したのは、うっそうと腰の高さを超えるほどにまで茂ったチェリーリップの株を引っこ抜いた。6年前、更地で庭を始めるときに、とにかく雑草ぼうぼうにならないように、が第一だったので、スペースを埋めるのに必死だった。友人から数本の茎をもらって挿し木して育てたチェリーリップなのです。それが1株が抱えきれないほどの大きな茂み!!2か所に植わっています。バラの株もとに覆いかぶさるようになってしまうので、1か所は退場してもらうことにしました。香草ですからバチバチ鋏を入れていてもよい香り。5年間ありがとう、でした。

できたスペースに何を移植しようかと、先ほどから考えています。
鉢植えのバラたちから地植えに移動するとしたら、と候補を列記して、色、大きさなどの特性調査してみたり。

ラベンダーでもいいかなと思ったけれど、挿し木で何とかなりそうなのは2本しかなく、

などなど、

庭を巡りながら、次の作業、考えることが出てくることが、面白さ、

ですね。

今日の画像
挿し芽で育てたサフィニアがようやくこんもりしました。


花壇のサフィニアたち。




ベコニア。陽射しの当たっている奥はコリウス。


コリウス。


挿し芽で育てたマツバボタン。




サフィニアかペチュニアなのか、白は見分けがつきません。


室内の切り花(シャンテロサミサトなど)。散りかけですみません。


今日、チェリーセージの株を引き抜いて、鉢植えから地植えに植え替えたコティヨン。













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「かくかくしかじか」を読了して、、、。自分の絵の先生を思う。

2017-08-22 10:23:20 | 私の雑感あれこれ
「かくかくしかじか」の主人公は20年ほど前の金沢美大卆です。
そういえば、その金沢美大を55年前(うわぁ~古い!!)に出たばかりの美術教師が開いた絵画教室の最初の生徒たちのひとりでした。小学校6年生の時です。
中学1年の時の担任のT先生は美術教師で、自画像の時間に生徒が書いていた絵に先生がちっと手を入れると、途端にそっくりサンになるので13歳の私には驚きでした。その先生に薦められて、クラスの5名ほどが油絵一式を購入して、放課後にその先生に描き方のイロハから教えてもらいました。キャンバスはベニヤ板を6号や8号サイズに切り、ファウンデーションを塗ることによって作っていました。昭和37年ころです。
2年になってその先生が転勤すると、別の美術教師に教わっていましたが、何を描いていたのか記憶にありません。「あなたたちは、こんな早くから油絵を描けるなんて、恵まれているネェ~」と言われてことが記憶に残っています。きっとその先生も、同じ金沢美大だったのかも。当時は確か国立の美大は3つしかなく、わたしの住んでいたのは北陸地方だったので。
ティーンエイジゃーになったばかりの私にとっては、40代はオジサン先生でした。

高校の美術の先生は定年退職後の非常勤講師のU先生でした。
70代ぐらいのおじいちゃん先生に見えましたが、きっと60代、今の私より、同じ?若い? でした。
芸術科目の、美術、音楽、書道から1科目選択するのですが、私は3年間美術選択でした。
*書道は日展で特選を取るような名物先生でした。

ほかに特技がないもので、なにか、となると常に「絵画」をチョイスしてきたので、その後も何人もの先生についていますが、基本はこの時のU先生から聞いた(教えられた)アドバイスに戻ります。

屋外で写生をしていると、先生が回ってきます。

(1)今日の陽射しは暖かいだろう。暖かい日差しが当たっているのだから、黒い瓦でも、ただ黒くぬればいいってものじゃなく、暖かく描かなくてはならない。

(2)自然界には、画用紙の余白の白というものはないはずだ、だからとにかく白い部分をそのままにしておくのはおかしい。

(3)目の高さが大事。自分の目線がどこにあるか、画板の上辺をあてがって確認してご覧。プールの長方形の角でも目線が、その上辺と同じであれば、直線になるはずだ!!(すみません。プールサイドで写生していた時に叱責された口調がよみがえってくるのです)

(4)木陰ができている土の道の陰の部分、よ~く見て。よ~く見るんだよ。そんなふうになっていない、などと印象派の作品などを見せてくれたりした。

「かくかくしかじか」のように、竹刀を持って脅すことはないし、カマキリのようにガリガリの老人に見えたけれど、ケッ、そんなんじゃない、と見下げたようなセリフを投げかける先生でした。

生徒は何十人もいます。夫も同じ美術選択でした。

わたしがU先生に教わったことが、、、、と話題にすると、

そんなこと言われたことはない。キミがひいきされていたのじゃない?

と返ってきます。

ひいきもなにも、風景を描くときの基本、イロハなのです。きっとみんなに同じことを言っている筈なのに、残る人とそうでない人がいるんでしょうね。

その後の絵画教室の先生たちは、巡回してきてはチョコッとのアドバイスはあっても、あんまり残っていません。トホホ
わたしは伸びない生徒でした。

描きたいけれど、不自然になってしまうという方、上記(3)ができているかどうか、自分の絵を見てくださいね。

美術の時間に静物画を書いているとき、U先生は卒業生の優秀な作品を参考として見せてくれます。
Kという名前の卒業生の理科準備室を描いた絵が記憶に残っています。モチーフが色彩豊かとはいえないのに、美術の時間にこういう作品を描く人がいるのだと感心を覚え、名前も記憶に残りました。
で、わたしの進学したのは大学はその美大の近くの国立大でした。で、やっぱり所属するのは、美術部。ほかに取り柄がないのです。トホホ
1年目だったか、2年目だったか記憶にありませんが、近くのその金沢美大の学祭に行きました。当然美術作品のオンパレードです。
油絵の大作の中に、そのK君の名前を見つけました。労働争議の群像画でした。時は70年安保、学生運動の真っ最中。
「……」そうなんだ、とおもいながら、見ていた記憶があります。「……」にはいる文字は、みつけられません。
漫画家の東村アキコさんは、美大時代は油絵を描いていないようですが、K君の絵は、あのU先生の時代から着実に描き続けられた美術専攻の人の絵でした。
総合大学の美術部とは、、、です。こういうとほかの部員の人には申し訳ないのですが、私たちの美術部では、いわゆるアートとは?とか、売り物になる絵をかくのはくだらない、いう風潮に傾いていて、描かない部員が多かったような気がします。

また、高校時代に戻ります。
高校の美術の成績、なぜか100点満点で採点されていました。
芸術3科目のうちの美術選択した人だけでの成績評価です。
で、ワタシ、学年で2番でした。
一番のYさんは、美大進学希望です。いつも石膏デッサンがんばっていました。その次がワタシ。でも、一度も美大進学を考えていません。自分が石膏デッサンのへたくそなのも、わかっています。だから、羨望とかもないのだけれど、ちょっとだけ、彼女、どうなったかな、と思うことがあります。

そういえば、今月末、高校時代の数人とのミニ同窓会が企画されています。
数年前に一度会って、高校時代の姿かたちから、それぞれ上書きされているので、驚きは大きくもないでしょう。
もう定年退職後の人たち。元気な顔が財産ですね。








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東村アキコさんの「かくかくしかじか」を読む

2017-08-21 07:55:56 | 
漫画雑誌に連載されていたそうです。

先日、テレビで、浦澤直樹氏とのインタビー番組を見て、知った漫画家さんであり、彼女の若き頃(高校、大学時代)を取り上げているということで、読んでみた。

漫画には疎いので初めて知ったのですが、その世界ではカリスマ的になっているらしいですね。

「かくかくしかじか」

長女と同じ生まれ年で、娘も漫画家を、と思っていた時期があったことを思い起こさせてくれました。

みんなひとつの物語を抱えているのだと、こっそりと思ったりしながら、読み進めています。



5巻まであるうちの3巻まで読了。

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メナード美術館の「田渕俊夫展」に行く。

2017-08-20 09:10:11 | 絵画・マイギャラリー
少し前、夕食の準備をしながら、テレビのニュース画面が目に入って、あらっ、この絵好き!!
と思って、手をとめてみると、田渕俊夫さんの展覧会のお知らせでした。

わたし、この手の作品がお気に入りなのです。
新聞店のガラス戸に張りってあったポスターにひきつけられて、初めて、市の美術館で見て、次はデパートを会場にした展覧会にも足を運び、で、また、メナード美術館に昨日行ってきました。

一度見た作品も当然あった(結構ある)のですが、やっぱり好きな絵はいいですね。

若いころは近くの美大の先生だったこともあり、近隣、身の回りの風景を題材に描かれたものもあり、モチーフの取り上げ方も好きです。

この人と宮迫正明さんという日本画家の絵、お気に入りです。


美術館収蔵品として、別室に展示してあったマチス、セザンヌ、モネ、ピカソ、ブラック、レジェなど美術の教科書で教わった画家の作品もありましたが、今の私には、ヨーロッパの有名どころよりも、何をどういう風に画面に載せるか、どこを描きたいのだよ~という思いが伝わってくるのは、こちらのほうです。






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明日は映画鑑賞会。 追加で 鑑賞後の書き留めたいメモあり

2017-08-17 21:08:16 | 私の雑感あれこれ
もう何度目になるのかしら。
我が家で3人で録画した映画をみます。
最近はNetflixからチョイスします。

今回は、ジェーン・オースチンの『マンスリー・パーク』です。
有料テレビでは、60代が気に入りそうな文芸大作やアカデミー賞作品の名画がいくつもあるのですが、
これに決めました。

『エマ』や『プライドと偏見』などもあるのですが、私としては、これがおすすめ。

その差というか違いは、自分なりにあるのですが、あえて彼女らに解説するつもりはありません。

19世紀前半のイギリス社会です。

上流社会でいかに良い生活を保ち続けるか、の模様が描かれています。

主の仕事は現地人や黒人を使った植民地経営。描かれている社会階層は労働はしなくてもお金が入ってくる階層、貴族とまではいかなくて、ブルジョアだったかな。

黒人女性の奴隷は性の面でも遊ばれる存在。時に混血児も生まれるが、混血時には子孫が残せない(なんという非文明的な!!)というセリフまで入っています。さらりとですから、聞き逃す(見落とす)かも。まったく白人男性が過去にしてきたむごさです。

200年前、19世紀の始まりはまだまだ未開です。

ほんのヒトコマだけれど、物語に織り込もうとしたジェーン・オースチンという女性が気になったきっかけでした。

きちんと違和感を感じる知的女性が主人公です。

彼女の他の作品には、そこまでの啓蒙の目は感じられませんでした。

鑑賞後はランチです。

ピザとパスタのイタリアンに行こうと思います。その手のお店は女性客がほとんどで、一人で行くのもためらわれ、連れが欲しかったので、ここも私の提案です。

で、先ほど、雰囲気違いますが、天草からトコロテンを作りました。明日までには固まっているでしょう。
明日来る友人が、どこかで買ってきたお土産を置いていきました。私のほうが作り慣れているから、と。

2時間ほどの映画鑑賞の時間以外は、おしゃべりの花が咲くことでしょう。

■ つけたし

こんな極東に暮らす凡人の私にまで届く情報。払しょくし、人種差別のない国に向かっているのだというのが誇りの新生アメリカだったのだから、先日のトランプさんの、あいまいな対応に、イエローカードが上がるのでしょうね。レッドカードに向かうのでしょうか。

■ 2回目鑑賞後の感想

1回の鑑賞では見逃していた、と感じたことがあったので、再綴。

冒頭のシーンで、貧しい家庭で育った主人公コニーが、裕福な叔母の家(准男爵の館、マンスリーパーク)に引き取られていく途中、海に浮かんでいる帆船から音が聞こえて、

なに?

と尋ねる。

御者は「黒い荷物でさぁ。船長や船つきのお医者が奥さんたちにお土産に連れてくるんですよ。黒人の奴隷でさぁ」と応える。

コニーは知的好奇心が旺盛で、本を読んだりお話を作ったりする少女。

成長するにしたがって、イギリスの残酷な歴史(エリザベス1世の治世)や、奴隷制度についても読書のレパートリーとしている女性に成長していく。

准男爵である館の主(コニーの伯父)が、植民地の様子を語り、混血児は美人が多くて賢い娘もいるから、今度ひとり(お土産として)召使にすると便利だから連れて来よう、とコニーに話しかける。

コニー。
イギリスに上陸したら奴隷は解放しなくてはいけないのじゃないの?と、さっぱりとこたえるのがコニー。

伯父は、コニーの聡明さは承知しているのだけれど、苦々しくやり過ごす。


将来の相続人である長男のトムに、植民地の仕事を体験させようと連れて行ったけれど、トムは早々に引き揚げてきて、酒まみれ、遊興三昧に散在し、周りは眉をひそめる。
そんなトムが体を悪くして倒れる。
看病の途中で、トムのスケッチ帳をめくると、植民地での白人が黒人奴隷を虐待している様子が描かれていた。何枚かめくっていると、父親(コニーの伯父)のスケッチも、、、。スケッチ帳を見ているコニーに気づいた伯父はスケッチ帳を暖炉に放り込んでしまう。

意識不明で寝ているトムを案じながら、コニーの伯父(准男爵)は語る。
トムは小さい時から、「御用を命じてくださいお父様」とよく言ったものだ。
そうして、かいがいしく命じられた役割をはたして、喜ぶ子供だった。
そのうちに、「ほこりある仕事を命じてください、お父様」というようになった。

そう昔語りをしながら、病人の回復を待つのです。

青年になった長男に命じた仕事は、ほこりある役割から縁遠いものだった、と重々承知しながらの時間なのでしょう。

前後しますが、文学青年でもある次男(引き取られて最初の、冷たくあしらわれていたころから、誠実に接してくれていた)とのやりとりで、こういうのもありました。

奴隷制度は廃止すべきだというコニーに対して、「僕たち、コニーの生活も奴隷制度があるから成り立っているのだよ」と。

生活の転覆は期待しないけれど、奴隷制度、植民地からの搾取で成り立っていることを、ポロリ、ポロリと吐露している映画でした。

トムは回復し、准男爵である館の主(コニーの伯父)は、植民地から撤退して、たばこ産業へと事業内容を変えました、という終わり方でした。

1回目で飛ばし理解だったところを、改めて書とめました。
上記の内容が映画のテーマのメインではないので、意識しないとこんな描写が底流に流れているということに気づかないかもしれません。

もし、見ている人がいるとすると、どうでしたか?と問いたいし、これから見る人には、感想を聞かせてもらいたいものです。



















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振り返れば、交通事故。

2017-08-17 07:09:39 | 家族
旅行からの帰り、このお盆には夫の実家九州に行った娘からメールが入った。

横から飛び出してきた車と娘の夫が運転の車がぶつかった、と。自分も同乗していたけれど、人身事故ではなかったとあるので、ほっ。

交通事故は怖い。

思えば、

わたしは24歳の時に、停車していたバスの前を横断しようとして、バスを追い越してきた乗用車とぶつかった。
ひいていた自転車がクッションになってくれて、修理しようもないほどぺしゃんこになってくれたおかげで、わたしは大難を逃れた。救急車に乗ったのはその時だけ。頭を打ったので(耳の後ろから出血)、24時間以内になにもなければ大丈夫です、という診断されたことは覚えている。そして、何事もなく24時間は経過。ほっ。

子育て中は幸いにも自動車事故も入院するほどの病気もなかった。

遠方に住む息子から、交通事故にあった、と電話を受けたことがあった。自転車で車にはねられ、車のボンネットに転がりフロントガラスが割れ、、、と。でも、出勤途中で、出勤先の病院で傷口縫合の治療を受けて、そのまま自分の仕事を予定通りこなした、とも。
短い電話だったので、聞いたのはそこまで。後日、彼の腕に5、6センチほどの見慣れぬ傷跡があったので、聞いたら、交通事故の時のけが、とのこと。きっと近ければ駆けつけたりもしただろうに、ま、大したことがなかったのでよし、です。
別の機会に、フロントガラスが割れるほどの勢いというのは、大変なことだったんだね~というと、そうなんだ、たまたま、打ち所がよかったんだよ、らしい。

で、次の交通事故は、大惨事。事故としては車にぶつかって自転車ごと転がった、というもの。娘の自転車は特に傷んでいなかった。
自転車の籠の中のバックには、母子手帳には妊娠8週目の初めて撮影した胎児の画像写真が挟まっていた。
8月16日リゾートホテルからの帰宅後、夕方でした。「東京の○○警察です」と電話がありました。どんな具合ですか、と尋ねたら、
救急車で○○病院に送りました。その時に娘をみましたか、見たのなら、その時の娘の様子を教えてください、というと、お医者さんに聞いてください、との返事。重ねて問いただすと、意識ないままで救急車に運ばれた、ということまではわかりました。
病院についたのは夜の10時過ぎ。分厚く数センチもの厚さに折りたたまれたガーゼが真っ赤に染まって、口元、首周りはおう吐物で汚れていました。
テレビの事件ものだと、数日で入院患者に事情聴取したりするけれど、そんなものじゃない、意識が戻るまで時間がかかりました。
以下略。

ヤレヤレ、と思って、はや7年がたちました。

で、また、九州で娘婿の交通事故。
多分、物損だけで終わるのでしょう。

ちょっとした事故でも、大変なことが起きる、たまたま今回はラッキーだったと、教訓にしてもらいたいものです。
ほんとうに、どれも、ちょっとしたこと、です。

ぶつからない車が普及すれば、こんなことはなくなるんですね。
今度はぶつからない車に買い替えるといっている夫だけが、思えば交通事故体験なし、の人でした。








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お盆はリゾートホテルで一泊。

2017-08-16 08:21:44 | 旅行・休養
予報では宿泊翌日は雨、ということだったけれど、早々にやんで、ホテルのプールは子供たちでにぎやか。

窓の外の光景に、いつか孫たちと一緒に来たいものだと、エアギターならぬ、エア孫同行を思い浮かべたりする。苦笑

帰りに、再度田原市博物館による。

渡辺崋山がこの地で蟄居を余儀なくされたといういきさつが展示されている、というのは前回の訪問時に、平常展示物で知っていた。

で、特別展として「近世能装束の世界 用の美~武家貴族の美意識」というテーマで、たくさんの18世紀以降の能装束が展示されていた。

絢爛豪華。

能の衣装という決められた枠の中に、これでもかと贅が凝らされている。
多くの熟練工の存在を思う。

彼らが、色彩、形に対する美意識とその技の上達にしのぎを削ったのだろうと、想像する。

生活必需品の反対の世界。武家貴族というほんの一握りの人の満足を得ようと競ったことを思う。そこに、対応する報酬の世界があったのですね。

文化は権力のもとで育つということの証の一つでしょう。

整理整頓が不得手で、「何にもない美しさ」なんて言っているワタシとはかけ離れた世界。うっふふ

こんな能舞台を愛でる姫君たちだって、着物を着るのも人の手を着せてもらい、自分の脱いだものをたたんだりもしないのだとか。

能衣装の美は確かに素晴らしいと感銘を受けるけれど、今とかけ離れた特異な状況で成り立っていたのだと、かっての時代(身分社会)に理屈をつけながら見ているワタシ。

ま、それでも、こんな極みまで行き着くところが私たち日本人だと思うと、その文化の高さに誇らしくも思う。




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