日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

マニュフェストに、アレ?

2009-07-31 07:27:29 | 社会問題
小耳に挟んだ程度なのだけれど・・・。
自民党マニュフェストに、「就学前3年間の教育費の無料化」があるという。
小学校入学前の教育費を国が負担するということ?
ということは、
今6歳が就学年齢なのに、教育開始年齢を3歳にするということ?

ゆとり教育を撤回してまもないというのに、3歳から教育?
自民党のおじいさん達、3歳の幼児に関心がないのだと思う。
お母さん達が何を求めているか、にも関心が薄く、
教育=いいこと
それが、無料になれば、喜んで、
わが党に1票を入れてくれる、
そういう思考回路のマニュフェストなのでしょう。

3歳で必要なのは、安心の保育環境、じゃないでしょうか。
働く、若いお母さんたちが、出産から就学まで、安心して子育てができる環境。
保育所を生活圏の近くに設置し、「待機児童ゼロ」の環境の実現じゃないでしょうか。
先ず保育があって、その後が教育、と言う順じゃないでしょうか。
ああ、保育と教育は、厚生労働省と文部科学省という、縦割り行政を体現している案件でした。
ということは、そのための予算を文部科学省が分捕ったっということ。
働きながら出産しようとする女性たちや若い夫婦の願いは置き去りにされています。
老人介護で職場を増やしたように、ゼロ歳児からの保育所増設も、働く場を増やすことになるのだけれど…。
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乗合バスの問題

2009-07-28 11:52:46 | 社会問題
私の居住区では、地下鉄ターミナル行きの私鉄バスが1時間に1本通っている。
1時間に1本! 朝夕は2本。
なんと不便な、と思われるでしょう。

最寄りのバス停から駅まで約15分。
料金270円です。
それなりに高い。

だから、殆どの人は、バスを当てにしない。
で、バス会社から見ると、乗車数が伸びず「赤字路線」というわけです。

で、2年ほど前に、町が赤字分相当分を補てんするということで、
バス路線は一命を保ったのですが、
ここにきて、またまた、来年の3月で廃止の方向とききました。
今まで年600万円の補助金だったのが、それ以上が入用になり、赤字財政の町が路線存続を諦めた、というわけです。

先日、町長との懇談会がありました。
予定時間満了瀬戸際、
この案件を話題にし、出席者に路線存続希望の賛成者挙手で、いかに希望者が多いかを町長に示して、散会になりました。

町長は、バス路線確保を思っても、赤字町政では、ままならぬ、ということでしょう。
なにかいい方法はないか。
要するに、バス利用者を増やすこと。
地下鉄駅までは車で、のケースをバス利用に切り替えられないか。
現状からバス利用に切り替えようと住民の変化を促すには、どうしたらよいだろうか。
①高校生向けに、バス通学定期券の補助
②希望家庭が利用するよう、バス回数券、とかプリペイドカードの割安提供。
③高齢化社会に向けて、公共交通機関の廃止が、将来の不便につながることを理解してもらい、送迎よりも「バス利用」という形で住民の協力を求める。

①を現実化するためには、通学時間帯の運行回数を増やさないといけない。
 どれだけの高校生の利用が見込まれるか、データを取る必要がある。

①、②には、コストが発生するけれど、それを600万円の枠内でやりくりできないだろうか。
うーん、その600万円も重荷になっているのだろうなー。

良い町なのだけれど、足の便がいまいち、それが特徴なのです。
よい解決策はないものでしょうか。
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一灯を灯し続けて

2009-07-28 07:21:42 | 私の雑感あれこれ
なーんて、風情を込めたタイトル(笑)。

今年一月の夫の母のお葬式の時にお寺さんから頂いた箱入りのお土産(?)を、喪主氏から、一箱貰い、帰宅して、開けてみたら、中味は、お饅頭ではなく、想定外の和ロウソクだったのです。
考えてみれば、これもあり、なことでしょう。
しかしながら、現実的には、仏壇も神棚も無く、ロウソクといったら、花火かクリスマス、という程度の我が家には不釣り合い。
で、ふと、思いついたのは。
毎朝の神社までのウォーキング。
縁あれば目に留まるものです。
ロウソク台あるじゃないですか。
で、それから毎日1本ずつ、灯を灯し続けてきました。
土日はなし、雨の日もなし。
だから、一箱分のロウソクは結構長持ちして、
今日で最後。
箱が空になりました。

自分で点けたり、お隣のロウソクの火をもらったり。
ほおずき色の赤い火は、大げさに云えば、太古からのつながりを思う一瞬でもあります。
お寺さんからもらったロウソクを神社に、節操も無いとも、いえなくは無いのですが、
ま、こうすることで、ロウソクの本数分を手を合わせたわけですから、いいかな、と思っています。
日本って、一つ家に神棚と仏壇があるんですものね(我が家にはどれも無いけれど、育った家はそうでした)。

チリも積もれば山となる、という諺があります。
山にはならず、灯は尽きて、毎日それでオシマイ、になるのだけれど、
こうして冬から夏に向かう今日まで、灯しつづけた、ささやかな行為も、これで良し、そんな気分です。

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時代は変革期

2009-07-26 07:17:08 | 社会問題
昨日のNHKでは、日本に一つのDRAM製造半導体メーカーが、このままは危ない。本来得意産業である半導体先端技術産業が消えるかも・・・。
そんな内容でした。
先端技術部門も不景気とは聞いていましたが、視覚から入ってきた情報は説得力あるものでした。

これ程までに、世の中が急展開しているのを目の当たりにすると、
こんなこともできるのでは、と思う。

それは、耕作放棄地の有効利用、路線。
農業の外側にいる人が、何をほざく、と言われるだろうけれど、
勝手な構想です。

日本は食料品の自給率が極端に低い、といわれています。
-ー40年以上前の子供時代も、「日本は国土が狭いから、食料は輸入しなくてはならない。その代わり工業製品の輸出で頑張っている」そのように教えられてきたように記憶しています。
でも、現実は、耕作地が少なくて食料の自給率低下、じゃないのです。
昭和30年代、40年代に耕地整理してできた、耕作地が今耕作放棄地になっているのではありませんか。
公共事業として箱物を作って、有効利用されていない、
とよく言われるけれど、
多額の資本投下をして、優良耕作地を作ってきて、今放棄している。
これも、同類です。
作物が不要なら、それも分かります。
・・・輸入しているのです。
これを活用する手は無いのでしょうか。

今の不況。
企業が解雇できなくて抱えている従業員は600万人いる、そうです。
給料は払わなくてはならないのに、見合った仕事が無い、ということでしょうか。
この人たちに、農業生産部門にまわってもらえないだろうか。
法人の農業への参入ができるようになって、
食品を扱う会社が、農産物の生産に参入、というニュースも耳にします。
農家の方には、どう受け止められているのかは分かりませんが、
従来、世襲でないと農業者になれなかった仕組みに、大きな風穴が開いた、
そう思うのです。

農業者の方は、「親からもらった土地」という気持ちがおありでしょう。
それは、特別なことなのです。
農家の息子以外は、親からもらった農地はないのです。
その親にしても、多くの場合、60年ほど前に自作農が生まれたわけであり、それ以前から、小作農として農業をやっていたとしても、それは、食べていく職業が限られていた時代の話です。
職業選択の自由が謳われてから60年以上経っています。

農業の法人化が進むと、幾つかの大企業が独占状態になって、安かろう、悪かろう、のものを食べさせられる、と懸念される方もあるかも知れません。
そこは、製造物責任と同じように、地場物とか、国内産、低農薬、有機野菜、とか、あるいは、低価格とか、その表示を明らかにして、国産物を選択したくなるような知恵を絞ってもらうのです。
直ちには、ひとり立ちが困難かも知れません。
でも、これまでにも農業者保護として、休耕田支援金を出したりしてきたわけで、自給率向上に向けて、多少の保護もありかな、と思っています。
・・・輸入農産物に負けないように、購買者が国産農産物にこだわる、という方向にならないだろうか。

こう書いたからって、自作自給したい人を拒むのではありません。

すべての人が、自給用作物つくりに関わることは無いのだから、食料を買う立場の人への供給の方法として、
耕作地の有効利用促進を進め
余剰人員の仕事創生にものなることだし
合理的、だと思うのですがね。

今、盛んに農業への人的移動が話題になっています。
いろんな人がいて、突然収入の道が途絶えて、農業、といわれても、勝手が違う、と思うのではないでしょうか。
数ヶ月経たないと、あるいは一年に1度しか、収益がない農業への参入は、戸惑うことの一つでもあるでしょう。
そこの所も、企業形態であれば、クリアできるのではないでしょうか。
企業であるからには、採算が問題、だから、おのずと高い給料を支払うことにはならないかも知れない。
けれども、働ける世代が、仕事が無くて、生活保護を求める、世相です。
働く場、として、給料を支払う、という形で、法人化された農業も、でてくる方向が、これから先あるのだろう、とそう思っています。







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ようやくここまで・・・。配偶者控除が無くなる。

2009-07-22 06:36:53 | 社会問題
民主党のマニュフェストでは、手厚い児童手当の財源を配偶者控除のカットで対応する、とか。
ずっと、不自然で、何で?
と思っていたことが、ようやく俎上にのぼり、合理的な前進が見られたように思うひとりです。
税金を計算する際に、所得から控除になる金額が多ければ、課税所得が減り、おのずと税金が少なくなる。
だから、これまでの政権与党は、「配偶者控除」加えて「配偶者特別控除」という、働いていない主婦、パート主婦の家庭に特典を与え続けてきました。
103万円(?)以上収入があると、この控除から外れることになり、夫の収入に対する課税の特典が減る仕組み。
だから、「働くとしても、その特典が減らない程度に働く」という主婦層を生み出し、パート時間給の固定傾向を支えてきた。
「民主党のマニフェストでは、その配偶者控除が無くなる」という。
損する?
即、そんなことを考えないで欲しい。
子育てしている家庭では、子供手当ての支給という形でのサポートがあるのだから。
大人は、男も女も基本的には同一。
だって、同じように、ご飯も食べるし、病気にもなる。そして、やがて高齢者にもなる。
大食漢と小食、健康、病気がちの違いはあっても、人としては同じでしょ。
勿論、累進課税制度をとっているので、収入の多寡で低所得で課税負担は考慮すればいいのです。
最低課税所得も考慮する必要があるでしょう。

今までより、考え方がすっきりする、そう思います。
「女性は結婚して、男性に養ってもらうもの」という、旧来の考え方から、更に一歩、女性を個人として考える、という分水嶺を超えたという思いすらします。

誤解しないでください。
女性だからの、固有の特性、「子育て」には、手厚く対応すべき、これは当然です。
手当てだけでなく、「待機児童ゼロ」とか、女性が不都合で困っていることで、改善できることは、積極的に対応すべきです。

人口が減る日本。
子育て中や介護中でもなく、「配偶者」というスタンスだけで、特典を与える不合理がなくなる、それって、いいことじゃん。
そう思う一人です。

ああ、働きながら、てんてこ舞いして子育てして、配偶者控除という特典にありつけなかったものの僻みでしょうか。アハハ。
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区切りが付きました。

2009-07-17 07:41:13 | 家族
おかしなもので、今年1月に亡くなった夫の母の遺産の事務処理を一手に引き受けていました。
勿論、遺産分割を話し合うのは、相続人たちです。よその家は知りませんが、我が家では、(当然の事ながら)口出し無用、ワタシは関係のない人です。
分割の内容判断以外のこと、詳しい財産の調査から、分割協議で決まった内容を整理し、書面作成。これは夫が引き受けた役割なのですが、私はその事務作業をしてきました。
遠方に離れて住む兄弟や、5つほどの役所とのやり取り、7つの金融機関とのやり取り。
どちらかというと、ないがしろにされてきた、二男の嫁、なのに、こんな役割をしている自分を我ながら可笑しく思ったりもしたりして・・・。
兄弟へのメールで内容説明は、夫名で、私は黒子(笑)。

これまで、20年余り、仕事としてやってきたことの類、だから、私が一番適任なのは、自分ながら判るし、作業としてはイヤなことでもない。

昨日、夫の兄弟あての書面送付が終り、一段落した。
彼らのために、少しでもわかりやすく説明を加え、自分で不動産登記申請もできるように、手配し・・・。

法事には出席しないで欲しい、といわれ、もう会うことも無い夫の兄弟なのに。
少しでも、彼らの役に立てるように、申請関係書類に何枚もの付箋を貼って、判りやすくわかりやすく説明を加えた。
いいじゃん、自分にできることの精一杯の助力をしよう。
そう思っている、私。
なんだ!コレ、バカだなー。
司法書士に頼むから、必要ない、と言われてしまえば、徒労となるだけなのに・・・。
そう思わなくも無いのですが、
「本人申請できるハズだから、その書類も準備してやってくれ」と夫の一言で、手抜きはできなくなる、それが、ワタシなのです。
夫の兄弟からは、感謝されることも無いのに、アハハです。

言ってみれば、夫の家族への、最後のご奉公が終わったように思えます(笑)。
この作業以外は、ワタシは必要のない人でしょうから。

いえ、腹を立てているのではないのです。
むしろ、役に立てるスキルを持っていられることを、役得と思う、そんな心境です。


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自民党の醜態

2009-07-15 16:05:10 | 社会問題
以下、今朝、テレビ出演して、武部氏ガ発言したと、ネットのニュース記事から。

   ※※※

自民党の武部勤元幹事長は15日朝、TBSの番組に出演し、「次期衆院選前に新しい党総裁を選ぶべきだ。新総裁のもとで政策を発表し、国民に信を問うべきだ」と述べ、麻生太郎首相は退陣し、ただちに新総裁を選ぶべきだとの考えを強調した。

 そのうえで、武部氏は「失礼な言い方になるが、麻生首相が一番問われているのは徳がないということだ。人を愛する心、謙虚な心、恥を知る心、それから、正しい判断をする心(が問われている)」と強い調子で批判。“ポスト麻生”について「徳性の高い方を選びたい」と語った。


   ※※※

麻生氏を総裁に選んだのだぁれ?
と、問いたい。
直接選挙で選べない国民は、自民党の体たらく劇場を観劇しているしかないのだけれど、出演者が次々と出て来ては、ハ?と、その品格を疑いたくなるような、発言をなさる。
「徳の高い方」で任にふさわしい方がいらっしゃるのだったら、なぜ先の総裁選で選出しなかったのかしら?
なぜ、麻生さんでやってきた、これまでが不思議でならなかった。
今になって、選挙で不利だとなって、必死にもがいている。
大人であるはずの政党、自民党を見ていて、日本の第一党の構成メンバーって、こんなのだったのか、と、頭の中の政治家情報の更新登録しています。
ほとほと、なーんだか。
ですね。

でも、「いよいよの大政奉還の時来る」の夏なのでしょうか。
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近頃しばしば母から電話がある

2009-07-12 07:34:08 | 母のことなど
田舎で長男夫婦と3人暮らし。
兄夫婦が日帰りとか一泊旅行で家を空けたときには必ず。

そっちも一人か。と
私のほうに家族がいて迷惑にならないことを確認する。

一人だよ、と答えると、
定期的に病院で見てもらうほか、元気にしているし、なんにも、特に話は無いのだけれどね。

こっちから、電話掛けなおそうか、と私。遠距離電話料金の負担は、母を肩身が狭くしないかと思って。

そんな、阿吽の中で、とりとめも無い話の聞き手になる。
90歳を超えて、近所に話し相手も殆どいなくなった。
珍しく茶菓子を買いに出て、知り合いに出会って、お菓子屋さんの縁台で、2時間ほど昔話をしたよ、と。
それは良かった。毎日ではなくとも、話し込める機会が時々あるといいんだけどね。みんな時間たっぷりある人たちだろうから。

で、デイケアセンターはどう。と提案するのだけれど、
まだ、そこまで自分は介護を受けるほどじゃない、といいはる。
例えば、足腰が弱って介護を受けている人でも、認知症でない人たちも、いると思うのだけれど、
介護施設というと、認知症の進んだケースばかり耳にしているらしい。

うーん。
時間がたっぷりあって、体力的には歳相応で、認知症で無い人、募集!
といきたいところ。
昔話よし、苦労話よし、自分の人生を振り返って、お茶を飲む、リタイアした人たちの、そんな場があればいいのに。
そう、リタイアステージ1、リタイアステージ2、とか、アバウトながら区分けできるとしたら、
60代、70代は、まだまだ社会と能動的に関われる。
80代、90代になっても、介護されるだけの存在ではなく、一日の時間に抑揚がある毎日を過ごしたいという意欲の持ち主はいるでしょう。
気兼ねなくおしゃべりできる場、見つからないかな。

遠隔地から、そう思ったりしている。

8月の法事、待ってるからね、
そういって、母は電話を切った。


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うーん、お国柄の違い。

2009-07-11 07:04:07 | 社会問題
昨日は、仲間で開催している絵画展の会場当番だった。
絵を見てくださった方と、たまたまの雑談。

出品者のKさんの奥様をご存知ということから、話が広がって、町の活動をしていらっしゃる共通の知り合い(私には、発想に似通ったところのある知り合いというだけなのだけれど、彼女は協働していると)の話から、町で行なっている国際交流に関わったという話題になった。

あの愛知万博の時に、町として、協力(サポート)国を決めて、応援しようという企画にかかわり、国を決めるところから関わった、と。
できたら、支援しがいのある国、ということでインドネシアとして、いろんな形で交流を持ちました、と。
貧しい生活をしている人への支援にと寄付金も送りました。
日本の子供の絵を送り、かの国の子供の絵も受け取りました。

でも、後でわかったのだけれど、その絵は、その国の在日の高官(日本でリッチな生活をしている)の子供たちが書いた絵であって、村々で生活している子供のものではなかった。
支援金を送っても、ありがとうの返事がない、と。

「支援は、支援したいからするのでしょ」

なのでしょうね、勝手にしておいて、「ありがとう」がないと不満心が芽生えるのは、お門違い、という、こういうことでしょうか。
そして、果たして、支援はどこにどういう形で反映されたか、これも不明。

難しいねー。
空回りになることを知って、空しさが残るものですね。

-ー日本中で、似通った気分を味わっている人が多いのだろうな、と思う。

実は、私もね。
と、自分の話を持ち出す。
小学生がもう着なくなった体操服を提供してもらって、R国に送ったらどうだろう、という構想の話。
多分よく似た気質なんだろう、彼女も、それはいいですね、と相槌を打ってくれる。
船便の送料10キロで、5600円。これがコストでひとつの問題、と話す。
それぐらいだと、提供者に話せば、ひとり500円ぐらいの寄付は大丈夫よ、と。
実績のある彼女ならではの心強い返事。

私、「そうかしら」と、この問題はクリアできそうだと私なりに好感。
でも、もうひとつ、引っかかったことを打ち明けた。
R国の窓口になる、R国人に、相手国の小学校の様子を聞いた。
その小学校の規模や距離を聞いて、自分ながら想像しようとした。
「車で5分の距離です」
私「え!車で5分って、車で通学しているの?」
「はい、父親が車で」
私「どこの家も、自家用車があるわけじゃないでしょ」
「はい、でも父親の仕事も無いから、車で送っています」
私「近所の子供たちもいるでしょうに、みんなが歩いていくのに、自分の子を車で送り迎えするの」
「はい、そうだと思います」

なんだか、自分の中の、勢い、がとまったような気分がした。
相手には、この、「勢いがとまる」心境が通じないだろうな、とも思った。

子供の世界に、堂々と大人がアンフェアを持ち込んでいるのに、違和感を持たないのだろうか。
超貧しかった生活から、たまたまラッキーな支援で自分の家だけ豊か、なのは受け入れよう。
だからといって、歩いていく子がいる中で、自動車通学とは。
思ってもいなかったことなので、何度も聞き返した。
「それって、普通の学校?
日本にある裕福な家の子供が行く学校のようなもの?
その学校へは、歩いてはいけないの?
車の無い近所の子はどうしているの?」

「少しでも役立つなら、処分するものもったいないから、使ってもらえたら」
という発想が沸いてくる心根と繋がらないのです。

あっ、違うんだ。少し挫折。
食うや食わずの生活から、身内の恩恵で車や電気製品のある生活に鼻高々のひとに、きっと、私の理屈は伝わらないだろう。

うーん。
自己満足だったのか…。

前出の彼女は、地元で長らく教員をしていた人で、教え子達も現在沢山地元で教師をしていて、校長になっている人も何人もいる、とのこと。

こちら側の窓口は大きく広がったのだけれど、
うーん、生活の質といえばいいのだろうか、文化の違いだろうか、
かの国の人たちの発想、想像できなくは無い。
それを、外の国の人がアレコレ言っても始まらない。
それが、実態。

国債交流という言葉は、もう耳慣れた言葉。
きっと、そこに携わった人たちは、ひとつひとつ固有で、かつ、よくも似た、ような体験を味わっているのだろうな、と思う。

うーん。
ボランティアって、自己満足。
そこを合点していないと、空しさが残るものだよね。

この点で、元教師二人はお互い一致(笑)。

愛知万博で、多くの国との国際交流の話題がニュースで流れたけれど、水面下で、多くの人が、よく似た感情をもっているのだろう、心の中にそんな思いが沸いた一時でした。





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郷愁の光景

2009-07-09 09:50:02 | 子育ての周辺
6月に、愛知万博記念公園に保存されている「サツキとメイの家」に行ってきた。
宮崎駿監督のアニメ「となりのトトロ」の主人公の住まい、とのこと。
アニメなのに、現存建物保存の風なのか、なんか変。
そもそも作者が考えた家。それをなぞって、昭和30年代風に拵えて、大層に保存し、入場料を取って観覧させているのだから。⇒企画の幼さというか、まったく平和ですねー。

さて、入館してみて、かつて暮らしたことのある一軒家を思い出した。
良く似ている。
ガラガラとガラスの格子戸をあけるところ。
入って右手に洋室があること。
畳の続き間があること。
日の当たらないところにある、台所の狭さ、使い勝手の悪さ。
支部長宅用の官舎だったから、敷地100坪で、縁側も広くてなのですが、築年から相当経っている旧式でした。

そして、そこに住んでいた頃には、我が家にもサツキとメイ世代の子供たちがいました。
彼女らのお父さんは大学の先生だけれど、我が家の子供たちのお父さんは裁判官。
帰宅は5時過ぎと早いのですが、子供たちが寝た後、毎日夜9時から12まで書斎で仕事という生活。

旧式の和式トイレはハイハイの子供が落ちたら大変と、外鍵を付けたり、幼い息子にはトイレが届かず、ブロックを並べて置いたり。
父子でお風呂に入っていたのもこのころです。お父さんに子供たちがおねだりする定番の物語もありました。
サツキとメイの家は、そんなかつてを思い起こさせてくれました。

以前に書いたことがあるけれど、
父の日を前にしての作文を書くことになって、お父さんの仕事を娘が訊ねたので「『悪いことをした人に、これはいけません』っていう仕事」と返事したら、
「なーんだ、そんなの当たり前じゃない。簡単なのー」と答えたりしていたのも、この頃。

おもえば面白い娘でした。
ある日、子供3人に留守番させて、1,2時間ほどの外出から帰った時のことです。
といっても、留守番という概念が判るのは6歳の娘ぐらいで、小さな弟妹は、お姉ちゃんがいるから安心、というぐらいでしょうか。
いや、1歳の末娘にはそのことすら理解できなかったかもしれません。

子供たちは確かに3人元気に玄関に出迎えてくれたのですが、
8畳の和室の様子が変です。
食卓の椅子が3つ、4つと何かを囲むように置かれています。
えっ!一瞬何事!
そうは思いました。
理由があったのです。
整理ダンスの上に置いてあった、電気スタンドのコードが垂れていて、ヨチヨチ歩きの末っ子が、興味でコードを引っ張ったらしいのです。
ガチャン!!です。
蛍光灯のガラスは飛び散ります。
ヨチヨチ歩きに、危ないから近寄るな、と言っても、どこまで理解するかわかりません。
で、彼女がしたこと。
隣室の食卓用の椅子でぐるりとガラスの破片が落ちたあたりを囲んで、ヨチヨチでも、ハイハイでも近づけないようにしよう、そう考えたわけです。

文字で書くと、説明が長くなりますね。
私の目に入ってきた光景は一瞬です。
あっ!彼女の知恵!
です。

「あなたは子供のときは、キラッと光る行動をしたり、言ったりする子だったよね」と、いったことがあります。
彼女、なんと返すと思いますか。
「今でも、私は同じだよ。お母さんの耳にそう聞こえないだけのはずなんだけれどなー」

本当でしょうか。
うーん。
煙に巻くのも上手いようです。

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