日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

この1週間は散々だった。

2012-02-26 08:21:03 | 私の雑感あれこれ
体調不良!
胃腸の絶不調状態なのです。
火曜日の夕方からは洗面器片手に、トイレとリビングのソファーを何度往復したことか。
吐き気は治まったものの、胃の具合は戻っていないので、ご飯作りの気力が起きない。
途中、加減をみながら拵えてはいるものの、最小限をこなしている状態。

元来胃腸は丈夫な性質なので、こんなに長引いているのは初めてです。
これも加齢のせいでしょうか。
体重は余るほどあるので、減量にはチャンスかも知れませんが、なにしろ体力、気力も失せていくようで、本来のダイエットではないですね。苦笑

今日の新聞コラムで、多分同世代の方の文章でしょうか、「体のメンテナンスに心がけて」・・・という書き振りがありました。これからは、自分自身とメンテナンスしながら、生きていくことになるのでしょう。
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民族衣装を着て

2012-02-25 09:45:03 | 私の雑感あれこれ
ラオスのモン族の民族衣装です。前コメントに書きましたが、娘とお嫁さん用に手仕事で8人分拵えたとのこと。買えば揃う時代とは対極の品です。
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民族衣装を着て

2012-02-25 09:42:17 | 私の雑感あれこれ
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「カーネーション」を見ている  その3

2012-02-23 08:29:48 | 映画・テレビドラマ・音楽
実在のモデルがあってのドラマということもあるのだろうが、説得力がある。
渡辺あや作と画面にでるけれど、渡辺さんの人間理解に引き込まれてしまう。
常に「やりたいことを抱えて頑張ってきた」糸子は、今引き際を決断するときに来たと考える。
お店を開いたときのことを回想して涙する。長女にお店を引き継いで、自分は一歩さがるという理想的な形だと思うのだけれど、渡辺さんは、「涙を流す糸子」にしている。個なのだ。20代の始めから家族を養ってきた糸子を描きながら、糸子個人の芯があってこその「洋装店」だったのだ。
私の育った田舎町の昭和30年代~40年代の町の洋装店の記憶がある。あの田舎町の人たちも、スタイルブックを見せながら、お店においてある布地でお客の注文に応えていた。3人の子供たちは、これから羽ばたいていくのだろうけれど、その華やかさの素が糸子であり、華やかの原点がこんな岸和田の生活から育ったというのも、ドラマにひきつけられる理由です。
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この土日、伊豆への旅

2012-02-21 09:41:14 | 旅行・休養
川津桜を訪ねてのツアーに参加。
今年は立春をすぎているのにこの寒気!
で、桜は残念!でした。修善寺の梅林もコースでしたが、こちらも同じく残念!
気象が相手ですから文句も言えません。おかげで渋滞なく、早めに帰宅できました。

圧巻は初日の富士山。
くっきりと絵葉書のようでした。・・・凡庸な形容詞、褒め言葉になるのかしら(笑)。
去年の11月に富士山を眺めながらのウォーキングをしたのですが、雪のない地肌が赤みがかっていた印象が残っています。
今回は、典型的富士山!
でも、翌日の帰路ではお目にかかれませんでした。雲の張り出し加減で、富士山が姿を現さないってことも多々あるのですね。
北陸育ちには、富士山の見える地域ではいつでも、あのお風呂場のタイル絵のような富士山が見えているような錯覚をしてしまいがちです。

今までにも、時期が早くて、または時期が遅くて「桜見物はアウト」という経験もしているわけで、この旅行も、そんなケースの一つに加わったということです。
でも、宿泊ホテルはgood!でした。
室内からも打ち寄せる波が満喫できて~~~、でも、津波がきたら大変だろうなー、という思いも頭をよぎりましたけどね。
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小津安二郎監督の「東京物語」を見る。

2012-02-21 08:02:44 | 映画・テレビドラマ・音楽
録画で。以前にも名監督といわれる人の有名な作品、と聞いてみた映画。今回は二度目。
家庭をもった子供たちを訪ねて東京に行ったときのアレコレが綴られている。
目に付くのはウチワのゆらゆら。団扇という漢字が日常に残っていた時代って感じがします。
座って話しているシーンでは、みんながウチワを使っている。勿論戸は開け放たれて、外気が通り抜けている。わが家にウチワは必ず1つある。但し、どんな電力不足を叫ばれた去年の夏であっても、涼むためのウチワの出番はない。使うのは、「寿し飯を冷ますとき」ということ(笑)。
もし、小津安二郎監督が現代に現れたら、「ウチワのない日本の夏」に驚かれるでしょうね~。
出だしから横道にそれました。でも、映画の主題である、親世代、子世代の「思いのズレ」、これについてはなんにも変わっていない、そんな思いで見終わりました。
年とった親の目に見える、家庭を持った子であっても、幼いときの映像がチラツいたりして、思いは、往時と今を行き来してしまいます(じゃないかしら)。子にとっては、生活している今が現実そのもので、そこに、年老いた親を迎え入れているのです。
この微妙感。きっと、どの時代においても、双方が味会う感覚なのでしょうね。
かつて自分が若い世代に属するとき、夫や私の両親が遠路訪ねてきたけれど、この映画に出てくる笠知衆夫婦のような思いを味わったのだろう。多分。
今、映画のシーンを思いながら、ちょっと想像する。
そして、今、私が笠知衆夫婦の立場にいるということも、学習(復習)させられる映画だった。

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映画「トゥヤーの結婚」を観る

2012-02-16 07:02:15 | 映画・テレビドラマ・音楽
実は、ブログに足跡を残すのも手間と思えるほど、連日のようにサクサクと映画三昧なのだけれど、この作品は書いておきたくなった。
中国映画「トゥヤーの結婚」。いつものように事前の内容も知らないでの行き当たりばったりの映画鑑賞。
今のワタシは、もっと娯楽作品、「目を楽しませてくれるもの求む」の状態なのだけれど、これはいささか、ココロをわしづかみにされた。

-以下ネタバレあり-

モンゴル草原のパオに事故で働けなくなった夫と二人のこどもと暮らすトゥヤーの話。
10歳にも満たない息子に羊飼いを手伝わせながら、生活するのに精一杯。車の下敷きになった隣人を救おうとして、トゥヤーも腰を痛める。
さて、夫と子供を養っていけない。どうするか。働けない夫と子供連れ、という条件で結婚相手を探し始める、のである。
トゥヤーは多くは語らない。だけれど、「まだ若い彼女のこれから」には、働けない夫(元夫になる)を当然のように、自分のそばで養っていくことが組み込まれている。彼女はなにも疑わない。元夫も多くを語らず、彼女の選択を受入れている。生きていく術、なのだろう。
求婚者の中に、石油財閥になった幼馴染がやってきた。介護付き施設に元夫を入所させ、物質的にも満ち足りた結婚生活を語る幼馴染み。施設においてきた元夫を思うのかトゥヤーは笑顔を見せない。その夜、元夫は自殺を図る。事態を知って駆けつけたトゥヤーが元夫に言った台詞がいい。
シビアである。
そして、またもや、「元夫と子供二人付きの結婚相手募集」となる。
結婚にこぎつけるのは、浮気性の妻に逃げられた隣人の男。
結婚式の酒席で、元夫と花婿(隣人の男)が取っ組み合いの光景で幕となる。お互い気心は知れたなか。
それでも男二人は、この場で取っ組み合いをしないと、取っ組み合いをしないと、そうしないと、あまりにも切ないではないか。外では「二人の父ちゃんっておかしいじゃないか!」と喚かれて、息子もケンカしている。
主役の花嫁は酒席を離れて一人涙する。

「生きる」という副題をつけたくなった。
有名な黒澤明監督の「生きる」という志村喬主演の映画を観たことがある。内容は朧だ。この映画のエンディングの文字を眺めながら、私は、「生きる」というタイトルを勝手につけていた。
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寄付金控除による税金還付~~

2012-02-15 16:34:36 | 私の雑感あれこれ
ええぃ面倒!とは思ったけれど、寄付金控除の還付申告。手続きすれば還付があることは承知なのだけれど、面倒だな、という気分もあった。
で、ネットで書類のダウンロードが出来ないかと覗いてみた。
国税庁のホームページは、東北大震災の義援金についての説明で大賑わい。
窓口が混乱するのを避けたいのか、ネット申告やネットでダウンロードして書類送付の手続きを大いに薦めている。
ネット申告のためには、事前に税務署との手続きが必要(らしい)、こともあり、直ぐにできる書面ダウンロードを選択。
「源泉徴収票」と「寄付金の領収書」(本来は証明書が必要なのだけれど、日本赤十字宛などは領収書でOK)を手元に揃えて画面に向かえば、スルスルと作成可能でした。
印字をクリックすると提出書面と控え、送付書類メモがプリントされます。
ニクイことに、送付書類メモの一角に、送付先税務署の宛名まで記されていて、切り取って封筒のあて先として貼付すればOKの仕組み。⇒この配慮って、すごい。
確定申告(還付申請も含めて)しやすいような配慮が徹底していて、まさしくルールの国なのだと、思いました。

私? 夫婦二人で外食何回分かが確保できました。笑
所得税の課税金額が下がったということは、住民税にも影響がありますから、お得感が増しますよ。
みなさん、是非、ネットで挑戦してみてください。
あっ!私のほうが遅まきなのかしら。苦笑
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社会保障と税の一体化

2012-02-14 06:40:49 | 社会問題
これも、昨今の流行語。年末の流行語大賞にノミネートされないかしら。
あっちでも、コッチでも「社会保障と税の一体化」である。
一番槍玉にあがっているのは、少子高齢化が進むなかでの、年金財政のアンバランスです。
団塊の世代が年金受給世代となり、いよいよ尻についた。歳は急に増えるものじゃないから、随分前から判っていたことなのに、先送りしてきたのです。
①足りないから、支出を削る。
②足りないから、徴収する。

多分、現状は、①か②の選択の段階ではないところまできているのだと思う。
①も②も取り入れてやっと、回っていくのではないか。

で、メスをいれられるとしたら、年金分割の考え方の徹底です。
現在は、離婚の際に、年金分割制度が出来ました。
結婚している間の年金については、夫婦双方が折半で受取る権利がある、という考え方です。まだ年金受給年齢に達していないケースであっても、手続きをしておくと、将来、そのとき取り決めた期間の年金が、自分のものとして受給できるのです。
合理的です。
若くして結婚し、長らく専業主婦として、働く夫を支えてきたのであれば、それが反映されます。
結婚期間と就労年齢期間の重なり具合で、変わってくるのです。でも、それは貢献度にもつりあうわけですから、合理的ではないでしょうか。

卑近な例を挙げるとすると、高給取りであった(高年金受給者)のおじいちゃんの妻になっても、財産は別として、年金の恩恵にはあずかれない(遺族年金も発生しない)、ということ。
若い奥さんには、たっぷりと財産を残せばいいのであって、赤字で困っているお国からまで、受け取り続けようという仕組みを終了にしませんか、という提案です。
上記のケースはそんなに多くはないでしょうが、受給者本人が死亡したあとの遺族年金は、せめて半分、というのはどうでしょう。
「増額」というのは受入れやすい。「減額」には非難のつぶてが飛ぶでしょう。
でも、全体の世代を見またすと、専業主婦の遺族年金ののほうが現役で日夜働いている人より多かったりして~、コレって!!モラルハザードじゃない?
ま、そんな有閑お年寄りには、たっぷりお金を使ってもらって~、という社会の趨勢ではありますけれど。

 大阪の橋下市長は、高所得者の年金の掛け捨て制度まで提案してきましたね。それほどしないと、もたないほど、逼迫しているのではないでしょうか。「年金掛け捨てしているよ」というのは栄誉なことだ、という風潮ができたら面白いですね~。私? 勿論近い将来においては、年金しっかり受給しての生活設計ではあります。
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普天間基地、普天間基地、普天間基地・・・

2012-02-12 08:50:53 | 社会問題
よくニュースで見聞きする。
米軍海兵隊が駐留する沖縄の基地。
近くに小学校があり、住宅密集地に隣接する基地。
で、このままであってはいけないと「普天間移転問題」の話題が多い。
自民党政権時代に辺野古への移転の構想が整いつつあったのに、民主党への政権交替があって「出来れば国外移転、最低でも県外」というかっこいい幟を揚げた首相がでてきて、住宅街にある基地移転の実現可能性は、先延ばしになった感がある。

普天間基地の光景をニュースで見ると、「この状態であり続けるのはオカシイ」と100%思ってきた。早期実現可能性があるなら「辺野古への移転でもいいじゃないか」派です。
ワタシは犬公方タイプじゃないので、辺野古のさんご礁より、人間の生活優先させるべき派、なのです。
そして、鳩山氏と違って、今のアジア情勢からすると、日本から米軍がさっぱりいなくなることは得策ではない、とも思う派です。
沖縄にアメリカ海兵隊がいることが、防衛上の抑止力になっているということまでは、考えてはいなかった、とこの国のトップが仰ったのには、「!」でした。
だから、現状では、出来るだけ住民の不便を減じる政策として、人口密集地から離れたところに移転する、でどうだろうか。

さて、ちょっと思い巡らしました。
普天間は、那覇市の北方の宜野湾市にあります。昭和20年の6月に沖縄で地上戦が繰り広げられ、無残な街中になったのは何冊かの本などで読んだことがあります。戦車のキャタピラが死体を踏みつけて進んでいったという場面は、衝撃的でした(「いくさ世(ゆう)を生きてー沖縄戦の女たち-」の文中にあり)。
その後、広島、長崎への原爆投下、全面降伏とつづき、当時の沖縄に米軍が駐留し始めるに当って、敗戦国として文句が言える立場ではなかったのは容易に推察できます。
で、戦後66年。
普天間のある宜野湾市も66年の年月が経ち今の街になっているわけです。
この数十年、地方の人口減少は進み、農村部の人口減少だけでなく、小都市でも、空き店舗がシャッターを下ろしていることから、シャッター通りの町並みが日本のあちこちに見受けられるようになりました。
宜野湾市の人口を見てみました。参考までに、私の生まれた北陸の町と比して見ます。
昭和15年 約1.7万人 
昭和25年 約1.8万人 (北陸某町 約2.5万人)
昭和40年 約3.5万人 (北陸某町 約2.1万人)
今    9万人超え (北陸某町 約1.4万人)

戦後5年経った昭和25年では私の生まれた町が多かったのに、その後、人口の逆転が置き、その差が開いていくばかりです。
基地のある町は住みにくいのではなく、人を寄せ付ける町というか、過疎とは遠い町、だということではないでしょうか。
軍用機が日常茶飯飛び交うのに、人が離れない、過疎にはならない、のは何故だろうか。
騒音がひどい、治安が悪い、という声をマスコミは教えてくれる。だけれど、人口は増え続けているのです。
毎年、日本政府から膨大な「おもいやり予算」が基地の中に投入され(米軍基地の運営費は日本が出しているでょ?)、それが海兵隊員ら家族を通して、基地の町を潤しているからでしょう。
素人が第三者的に見ていうだけですが、普天間と基地の隣接は住民に気の毒です。だから、迷惑がかかる住民の少ない土地に移転する(迷惑ゼロはムリです)というのはどうでしょう。普天間地域の住民の負担で、自分たちの平安が担保されている、というままの状態はバランスを欠きます。だから、一旦住民密集地から移転するのです。その結果、普天間が錆びれ、新基地周辺に人口移動が起きても、それは各自がした選択ではないでしょうか。
「日本から出て行け」の前に、この策ではだめですか。
米軍の日本における軍事力減少を一番喜ぶのは、日本人ではないと思っている一人です。

細々と古代ローマ人ユリウス・カエサルのガリア人との戦いの物語を読んでいるもので、古代から、昨今の戦闘地のニュースを見聞きするに着け、国が存在することと軍の役割をつくづく思います。行使するということだけではなく、抑止力しいう威力を含めて、です。
「おもりやり予算」が過大なのか、軍隊を持たないためのコストなのか、解は容易に出る問題ではないけれど、防衛大臣に素人を抜擢するような、なまくら刀内閣では、必要経費なのでしょうか。

 
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