よくニュースで見聞きする。
米軍海兵隊が駐留する沖縄の基地。
近くに小学校があり、住宅密集地に隣接する基地。
で、このままであってはいけないと「普天間移転問題」の話題が多い。
自民党政権時代に辺野古への移転の構想が整いつつあったのに、民主党への政権交替があって「出来れば国外移転、最低でも県外」というかっこいい幟を揚げた首相がでてきて、住宅街にある基地移転の実現可能性は、先延ばしになった感がある。
普天間基地の光景をニュースで見ると、「この状態であり続けるのはオカシイ」と100%思ってきた。早期実現可能性があるなら「辺野古への移転でもいいじゃないか」派です。
ワタシは犬公方タイプじゃないので、辺野古のさんご礁より、人間の生活優先させるべき派、なのです。
そして、鳩山氏と違って、今のアジア情勢からすると、日本から米軍がさっぱりいなくなることは得策ではない、とも思う派です。
沖縄にアメリカ海兵隊がいることが、防衛上の抑止力になっているということまでは、考えてはいなかった、とこの国のトップが仰ったのには、「!」でした。
だから、現状では、出来るだけ住民の不便を減じる政策として、人口密集地から離れたところに移転する、でどうだろうか。
さて、ちょっと思い巡らしました。
普天間は、那覇市の北方の宜野湾市にあります。昭和20年の6月に沖縄で地上戦が繰り広げられ、無残な街中になったのは何冊かの本などで読んだことがあります。戦車のキャタピラが死体を踏みつけて進んでいったという場面は、衝撃的でした(
「いくさ世(ゆう)を生きてー沖縄戦の女たち-」の文中にあり)。
その後、広島、長崎への原爆投下、全面降伏とつづき、当時の沖縄に米軍が駐留し始めるに当って、敗戦国として文句が言える立場ではなかったのは容易に推察できます。
で、戦後66年。
普天間のある宜野湾市も66年の年月が経ち今の街になっているわけです。
この数十年、地方の人口減少は進み、農村部の人口減少だけでなく、小都市でも、空き店舗がシャッターを下ろしていることから、シャッター通りの町並みが日本のあちこちに見受けられるようになりました。
宜野湾市の人口を見てみました。参考までに、私の生まれた北陸の町と比して見ます。
昭和15年 約1.7万人
昭和25年 約1.8万人 (北陸某町 約2.5万人)
昭和40年 約3.5万人 (北陸某町 約2.1万人)
今 9万人超え (北陸某町 約1.4万人)
戦後5年経った昭和25年では私の生まれた町が多かったのに、その後、人口の逆転が置き、その差が開いていくばかりです。
基地のある町は住みにくいのではなく、人を寄せ付ける町というか、過疎とは遠い町、だということではないでしょうか。
軍用機が日常茶飯飛び交うのに、人が離れない、過疎にはならない、のは何故だろうか。
騒音がひどい、治安が悪い、という声をマスコミは教えてくれる。だけれど、人口は増え続けているのです。
毎年、日本政府から膨大な「おもいやり予算」が基地の中に投入され(米軍基地の運営費は日本が出しているでょ?)、それが海兵隊員ら家族を通して、基地の町を潤しているからでしょう。
素人が第三者的に見ていうだけですが、普天間と基地の隣接は住民に気の毒です。だから、迷惑がかかる住民の少ない土地に移転する(迷惑ゼロはムリです)というのはどうでしょう。普天間地域の住民の負担で、自分たちの平安が担保されている、というままの状態はバランスを欠きます。だから、一旦住民密集地から移転するのです。その結果、普天間が錆びれ、新基地周辺に人口移動が起きても、それは各自がした選択ではないでしょうか。
「日本から出て行け」の前に、この策ではだめですか。
米軍の日本における軍事力減少を一番喜ぶのは、日本人ではないと思っている一人です。
細々と古代ローマ人ユリウス・カエサルのガリア人との戦いの物語を読んでいるもので、古代から、昨今の戦闘地のニュースを見聞きするに着け、国が存在することと軍の役割をつくづく思います。行使するということだけではなく、抑止力しいう威力を含めて、です。
「おもりやり予算」が過大なのか、軍隊を持たないためのコストなのか、解は容易に出る問題ではないけれど、防衛大臣に素人を抜擢するような、なまくら刀内閣では、必要経費なのでしょうか。