日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

土曜日の体験

2006-10-30 16:34:30 | 私の雑感あれこれ
ある理事会・評議会に陪席として参加。メンバー20人程度の集まり。
関連テーマで1時間の講演のあと、質疑に入る。
質疑しやすいようになされた工夫が、ほほえましい。
「納得」「わからない」と書かれた団扇と、B4の厚紙が各テーブルに置かれており、厚紙に質問事項を書いて示すというやり方。
みんなが、同じ質問を考え、質疑にかかわりやすくする、ことを慮ってのことなのでしょう。
初めての体験。ふーん、と感心しました。

年齢も多分20代から70代の多岐に亙っているし、もちろん男女も取り混ぜて。
アジアへのかかわり方の専門家たちの集まりだから、殆ど本でしかアジアや発展途上国を知らない私は傍観者。

メンバーの7割方は初対面の方々だったこと、その方たちのひとりひとりが思いを持って参集していらっしゃることを、ビンビンとココロに感じて、その場にいること、今そんな方たちと、つながりがもてたことを嬉しく思った一日でした。

長年関わっていらっしゃる方々は、苦労や失望もあったことを語られながらも、でも続けていらっしゃること、それぞれのワイフワークなのだと、勝手にそう思ったりしました。

自分がこれから、どう関わっていくかは、保留の部分もあるのですが、一歩前進して、覗いてみないと、物事はわからない、そんな風に考えるタイプだから、秋真っ最中のその土曜日の体験よかったです。
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引き続き、公立高校の件

2006-10-30 13:31:27 | 社会問題
地方の進学に熱心な公立高校に、この問題が多いといいます。
熱心な先生の苦肉の策が謗りを受け、高校教育の本末転倒と言われれば、それまでだけれど、そもそも本末転倒しているのが、昨今の教育の現状ではありませんか。
テレビのコメンティターのどなたかが言っていましたが、文部科学省の人たち、行政府の人たちは、自分の子供や孫の学習環境として公立学校を選択しているのでしょうか。私もかねがね、アンケート調査などできたらいいなと、思っていたものの一人です。
教育内容を簡易にしたり、再変更したり、現場は右往左往していても、私立学校で教育を受けている生徒には、緩慢にしか影響はでないのでしょう。
公教育を管理する教育行政に携わる人は、当然としてというのは無理だとしても、率先して公立を選んでいます。という報告を聞きたいものです。
文部科学省の人が、自分の子供を私立進学校に通わせているというのが現実だとしたら、地方の公立高校の教育熱心な先生の勇み足をいまさらとやかく言える立場なのかな、と思います。
大学入試では、同じ試験を受けるのですから。
だから、世界史を学ばなくてもいいというわけではないのだけれど、今期のこの時期の高校3年生を捕まえて、「ホラ今年は世界史の補習を」なんていうのは、変です。大人気ないです。仮に、膨大な時間の補習と試験をして、単位を与えたとしたら、そうして「つじつまあわせをするのが大人社会」だと学習させるだけではないですか。

でも、そう考えそうなのが、現行の文部科学省、教育委員会なのでしょうか。
せめて、今年に始まったわけではないから、軟着陸的な判断をすべきだとは思います。

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「赤信号 みんなで渡れば怖くない」のハズが・・・

2006-10-27 22:12:04 | 社会問題
文部科学省で指定された教科が未履修のために卒業できなくなりそうな高校生の問題が取りざたされています。
大学進学時に提出する成績評価書に手が加えられていたとのコメントも流れました。

「寝耳に水」のように報道されていますが、そうですか。
今の高校生だけでなく、相当以前から、親世代の時代にも黙認されていたことではないでしょうか。

先生の立場 : 自校の生徒をできるだけ受験に効率が良い勉強をさせたい。
生徒の立場 : 受験に不必要な科目に時間を割く必要がないから、別に不服もない
父母の立場 : 当然、先生にお任せ。受験に熱心なので歓迎。

大学受験というハードルがあることが判っているのは確かだから、寄り道や遠回りをしないで、最短コースを…、とそんな思いが前に出て、それが暗黙のうちに支持されたから、多くの学校で採用されてきたというのが実態なのではないでしょうか。

父母として参加した入学式で、心に残っているフレーズから

この高校は宝の山です。でも宝は自分で探さないと見つかりません。
勉強ばかりでなく、部活動も大切です。両立することは大変です。社会のリーダーにならんとする君たちならば、やればできます。
受験のための勉強をやりません。3年生になっても、自分の受験に関係ない科目も当然学びます。

そんな校長の入学式のメッセージで、母娘ともに、校長が大好きになりました。
果たして、娘は宝を探し当てたかどうか(笑い)

入学式早々、大学受験を話題にする入学式もありました。多分、父母の関心もそちらに向いているからでしょう。学校側も関心に対応した話題になるのでしょう。
多分、こっちの学校方が多数派なのかもしれません。
今回の話題になっている高校は、この多数派のケースだと思うから、調査すればするほど、履修科目不足が発覚すると思います。

「寝耳に水」なのは、そんな実態だったことではなく、その実態が卒業にブレーキとなるほどのことだったということではないですか。
問題もなく受け入れていた、受験科目重視の実態が、ルール違反だったと声が上がり驚いているというのが現状という気がしています。



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老人介護施設巡り ②

2006-10-26 14:56:47 | 私の雑感あれこれ
週末は老人保健施設巡り、インターネットで情報集め、の日々が続いています。
我が家の近隣で5箇所、夫の母の近隣で4箇所。
呼び名も幾段階に分かれていて、ホテル並のデラックス版から、認知症、寝たきりOKの病院仕様まで、いろいろです。
老人同居体験がなく、介護からも縁遠かったものだから、急に多くの高齢者の生活の場の実態がワンサカ頭の中に入ってきて、うーん、と考え込んでいます。

夫の母は、「物忘れが…」としきりに口にしますが、俳句作りをする人です。
股関節骨折の手術は無事済んだものの、リハビリは本人次第です。
①補助具での歩行が可能になるのか、
②車椅子になるのか、
③車椅子でトイレができるようになるのか
そこのところ、自立がどの程度できるかで、今後の生活環境が決まってくるわけです。

A 介護認定が、軽度、もしくは自活可能な人対象の施設。
B 介護認定が、重度の人を対象にした施設。

一人暮らしのエネルギーはないようで、Aに申し込む。
退院後は、高齢者の施設で暮らすことになる。

夫のというか、夫婦の話題の中心になっている。
私の周りには、介護経験有りの人も多く、素人っぽかった私ですが、介護認定の申し込みをしたり、施設巡りには同行しているので、沢山の情報が入ってきました。

どちらかというと「体裁や」の母親が、高齢者住宅の共同生活に馴染めるかどうか。
「ソーシャルワーカーが『おばあちゃん…』なんて、ゆっくり語りかけて、おふくろ、我慢していたようだったな」
実は私も、そこのところは、「素振り」で感じました。
80歳を超えてはいるけれど、目の前で、他人が自分の母親を年寄り扱いされる場面、ギクッと引っかかった気持ちは、夫にもあったのでしょう。
元気だった頃の姿が記憶の中で往来しているから。

自立はできないけれど、補助を必要とする人がもつ心情。そこのところは厄介なところです。
うーーん。
自分から「物忘れがヒドイ」といえても、他人から「忘れたでしょ」と言われると、ムッとくる。
うーーん。
難しい。











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金・土曜と帰省。

2006-10-24 17:43:08 | 母のことなど
但し、金曜の夜7時頃に着いて、翌朝9時には母と別れる。
遠路はるばるだったけれど、ほかの用件があったため短時間の滞在。

早朝、寝床で、頼みたいことがあるという。
「かつて、気に入った言葉を自分でメモしたのだけれど、今、その手帳の鉛筆文字が小さすぎて、自分でも読めない」
「大きい文字に書き写して欲しい」

お安い御用と引き受ける。
昭和62年9月の日付の、そのメモの文章は次のように始まる。

『他人の邪ま(よこしま)を観るなかれ、彼が何をなし、何をなさざるかを云うなかれ。我は何をなし、何をなさざるかを思うべし』
                      - お釈迦様の説法の言葉 -

文字をノートに書き写しながら、何で母はこれを、私に頼んだのだろうか。
私に、本当は何か言いたいことがあるのだろうか。
ドキッとする。

その朝の寝床に起き上がって、書き写している私に、
「これで助かった、好きな言葉なんだけれど、小さくて読めなくて困っていた」
言ったのは、それだけ。




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下駄箱の中のものたち

2006-10-20 07:20:07 | 私の雑感あれこれ
下駄箱、という言い方は今はしないのだろうか。先日玄関にある靴入れを整理した。
我が家のそれは、大型の備え付け、たっぷり入るのだけれど、入っていたものは、笑っちゃうほど、かつての代物のあったりして…。

ゴミ袋2つ分を処分した。
処分したもののひとつ、編み上げブーツ。
かねてから欲しかったブーツを、奮発して買ったものの、履いたのは1度だけ。
編み上げブーツが流行していた頃、私のお腹には、初めての赤ちゃんがいたから。
彼女が生まれてしばらくした冬の日、団地の玄関先で、赤ちゃんをおんぶして、ママコート。そして編み上げのブーツの紐をセッセ、セッセと。あーあ、なんと若かったのです!ママコート着てブーツ履くなんて、トンチンカン(笑い)。
結局、子連れで暮らすあわただしい日々の連続で、流行は何度か繰り返したけれど、買った時の箱に大切に収まったままでした。
そして、先日開けてみたら…。
松任谷由美が「♪ママに貰ったブーツ♪」と、歌っていたけれど、私のブーツは靴底の糊がはがれたのか、箱の中でボロボロに崩れて無残な姿になっていました。娘には上げられない(笑い)。
ゴミ袋行きでした。

残したもの、下駄1足。
一度も履いていないのだから、捨ててもいいのだけれど。
スペースもあるから今回は残しました。
まだなりたての教師だった頃、校区の商店街を歩いていると、紙に包んだものをどうぞと手渡されました。
そして立ち話。
○○寛(ヒロシ)の母親です。
Y先生には、本当に感謝しているんです。
うちの息子、小学校の時のあだ名は、○○カンといわれて、カンはドンカンのカンの意味に受け取れて、本人も私も、本当にいやだったのです。
そりゃ、勉強ができないのだからしょうがないかも知れないけれど、そのことを中学で、担任のY先生にお話したら、先生は、息子に「コエンユウ」と、いうあだ名をつけてくださって、今は本人も喜んでいます。
そういえは、彼の顔は落語家に似ている。似ているから自然についたあだ名だと、なんとも思っていなかったのだけれど、Y先生の思いやりの賜物だったと、教えてもらったときの下駄なのです。
何で下駄かというと、そのコエンユウは下駄屋の息子なのでした。

※ 私は初任で担任がなく、Y先生の教室の副担任的存在でした。
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昨日電話で・・・

2006-10-19 07:58:37 | 私の雑感あれこれ
久しぶりに電話を架けた。
自分も電話しようかと思っていたと電話口の声。
さしあたっての話題もないのだけれど電話できるのが母娘です。

あれこれ話をしていて、一瞬「あっ!」と思いました。
この言葉聞いたことある…と。

『人は、相手の気持ちを、どうこうして欲しいと、自分の思うように変えることはできない。
だだできるのは、自分がその状況を受け入れ、自分が変わることだよ。
自分が変われば、そのことによって相手が変わることもある。
そんなものだよ。』

「ウン、ウン」と相槌を打ちながら、1、2ヶ月前に、同じ台詞を聞いた…、と不思議な気持ちになる。

私に不足しているところを見抜いているのか。
ご本人たちが、そうして日々を送っている体験から出た言葉か。

どちらにも該当するのでしょう。
これは、長らくポケットに入れておかなくてはならない、常備の漢方薬のようなもの。
私を挟んで、母の口と娘のメールから、同じ台詞が届くとは!
祖母と孫は同居したことがないのだけれど不思議なものです。
私を経由して、確かに血はつながっています(笑い)。
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老人保健施設を巡りながら・・・。

2006-10-18 10:41:04 | 私の雑感あれこれ
突然、介護の話題が行き交うことになりました。
一人暮らしだった夫の母親が股関節骨折・手術で入院中。
「突然」と、書くことは変ですよね。
50代になれば、友人たちからも介護の話は耳にしていましたから。
遠く離れていること、3人兄弟の次男坊だったことから、順番が後だろうという気持ちと、「自分の親のことには口を挟んで欲しくない」路線できていましたから、今まで無問題だったのです。
私の母親も、さらに高齢ですが長男夫婦と同居という形を取っているので、迷惑をかけない立場であればというスタンスです。

そうとはいえなくなるかもしれないということで、共働き夫婦の私たちは日曜日に近隣の老人保健施設を数件見て回りました。
車で、5分10分のところに幾つもあるのですね。こんなに施設があるとは目から鱗。でも、そのどれもが「100名以上の待機者あり」なのですから、今最も需要の厚い業界なのですね。
毎月7万円~15万円程度(これだったら年金で賄えます)で、食・住の心配がなくなる。要介護の人は、国の介護保険の対象者だから、その施設に所属しているヘルパーさんの働きに対する支払いは、国から施設へ支払われる。施設は本人と国の双方から収入を得ることができる仕組みです。
だから、言葉は悪いけれど、雨後のたけのこのように、あちこちに立派な施設ができて、それでも老人もドンドン増えるものだから、経営も成り立つのでしょう。
豊かな国が長寿国になったということは、こういうところにあわられているのですね。
施設を完備することで、問題がなくなったわけではないけれど、「施設を利用することができる」と、選択肢に入れることができるだけで、気持ちが軽くなるパターンも多いことだとは思います。

夫の母親は、今後は歩行についてリハビリが必要になった程度であり(これがどれほどのものかは私には不知)、施設入所が適当かどうかは、別問題です。本人の意思が第一でしょうし、私たちが俄かに仕入れた情報よりも、もっと真剣に高齢者仲間の情報を持っているでしょうから。



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おゃ!と思うことが・・・。

2006-10-14 21:25:53 | 私の雑感あれこれ
図書館で「暮らしの手帳」のページをパラパラとめくっていると、おゃ!見覚えのある顔。写真のキャプションに書かれている名前も、私の頭に浮かんだものと同じ。母の得意の編み物を紹介している記事の中に、お婿さんとして何枚もセーター姿が…。
家族で写っている写真もあって、あったかい家庭を築いているのだな、と想像できます。
どうして目に留まったのか、われながら不思議です。10年ほど前の同窓会で会った程度の記憶なのに、人間の頭ってすごいですね。
同じ中学、そして汽車で同じ高校に通ったというそれだけの間柄、中学の時に学年トップの成績だったけれど、第1志望の目的かなわず、大学進学せず仕事に就いた○君、として心に引っかかっていました。
学生時代の帰省の列車の中で偶然めぐり合わせたきの近況報告で、彼の言葉が耳に残っています。「大学では、第2外国語も学べるのだよね…」と。
働きながら学べる環境らしかったけれど、どんなにまじめに勉強しても、大学と違って第2外国語がないことに、微妙な思いがあったのでしょう。
第2外国語どころか、第1外国語も、単位をとるため程度で済ませていた私は、肩身が狭かったものです。
同じクラスになったこともなく、漠然と真面目だという印象しか記憶にないけれど、手編みセーター姿の数枚の写真で出会うなんて不思議です。
「田舎で育った青年が、都会で家庭を築く」、東京はそうして大きくなったのでしょうね。それぞれの田舎が、それは海辺だったり、山村だったり、雪深かったり。
次の世代は、初めから東京育ちだろうけれど、冬、暗いうちから始発列車で高校に通った記憶は、彼の中にもあるはずです。
紙面の彼には聞こえないだろうけれど、「フフ、お互い年取ったよね」と、つぶやいていました。
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そのうちに書けるようになるでしょう。

2006-10-12 22:18:05 | その他
加賀乙彦氏(1929生まれ)の長編小説「永遠の都」「雲の都」を読んでいます。
「永遠の都」は文庫本で7冊あります。雲の都もそれに続く長編、加賀氏のライフワークとの評があります。
私は、本を読むスピードが早いほうではありません。しばらくは、この大作の活字の海にたゆたう気分ですごします。
昨今は「知」を急ぐ思いで書かれた書物が多い中、誠実に長年にわたって「知」を生きてきた方の書物だから、良い出会いがあるかも知れません。ゆっくりと読み進めます。
そうこうするうちに、ココロの消化不良も治まるかもしれません。
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