ボチボチと遅読そのものです。
図書館から借りたハードカバーだから、重いのですが通勤の生き返りに、100円均一で買った老眼鏡を掛けて(笑)。
徳富蘆花は兄弟徳富蘇峰がいるし、若くして父を失ったわけでもないから、そっくり彼の自伝というわけではないのだろうけれど、向学心溢れる若者の育ち方を、文字を通して味わえるから、遅読だけれど心地よい。
主人公は明治元年九州の山村の素封家に生まれる。
父亡き後、家は没落。母の妹の嫁ぎ先に母子で世話になる。
叔父から養子縁組を持ちかけられ、僅かな金子を懐に母にも黙って家を出る。
用心していたにも関わらず、同宿者に金子を持ち逃げされ、行き倒れになっているところを助けられて・・・。
出会いがあって、縁あって、関西学院大学に入学。
勉強で刻苦は勿論だけれど、生活費稼ぎに大学の掃除係を引き受けての苦学。
明治黎明期の大学進学者の一面、さもありなん、とそう思いながら読み勧めている。
「格差が開いた」と、昨今耳にするけれど、物差しをもう少し長く取れば、誰でも、学び長ければ学べる環境、は充分用意されているのだ、とつくづくそう思う。
かつては、学ぶということ、学ぶ人たち、には、誇りがあった。
多分、今も学ぼうとする世界には、共通する志はあると思う。
そんな気がする。
やー、自分以外のひとに、こう考えろ、なんていえるはずがない。
けれど、こんな風に、書物で違った時代を知ることで、今の時代をもう一度眺め直して見る、そういうやり方ができると、世界が広がる記がするのだけれど・・・。
私などは、先人の残した宝の山のひと齧りしかしていないけれど、本を読んだり、映画を見たり、はそういうことだと思っている。
そう、温故知新、というのでしょうね。
仲間に勧められて初めて知った書名でしたが、出会ってよかったと思える本です。
追記:読後感想
明治と同じ年月を背負って生きた菊池慎太郎と彼を取り巻く人々の話。
30代頃までの物語。
自伝風だけれど、そのままではないらしい。
立身出世を期待され、親の思いを背負い、まったくの前向き、努力一直線。
目の前の苦難を身体を張って乗り越えていくところ、彼をそうさせるもの、は何なのだろう。
新渡戸稲造が欧米に紹介した「武士道」の精神に通じるものかしら、とも。
教育の機会の格差と、昨今言われるけれど、徳富蘆花の世代に言わせると、?、でしょうね。
だから、今の時代は、この物語に出てくるような勤勉な青年がいないのかというと、そんなことはない、と思う。
時代が100年、200年違うからと言って、構成する人の質にそう変化があるとは思わない。
傑出した青年って、今の時代も真剣に取り組んでいるだろうから。
たしかに、話運びは、立身出世物語っぽいけれど、明治の時代の書きものに接することができて、それなりによかった。
図書館から借りたハードカバーだから、重いのですが通勤の生き返りに、100円均一で買った老眼鏡を掛けて(笑)。
徳富蘆花は兄弟徳富蘇峰がいるし、若くして父を失ったわけでもないから、そっくり彼の自伝というわけではないのだろうけれど、向学心溢れる若者の育ち方を、文字を通して味わえるから、遅読だけれど心地よい。
主人公は明治元年九州の山村の素封家に生まれる。
父亡き後、家は没落。母の妹の嫁ぎ先に母子で世話になる。
叔父から養子縁組を持ちかけられ、僅かな金子を懐に母にも黙って家を出る。
用心していたにも関わらず、同宿者に金子を持ち逃げされ、行き倒れになっているところを助けられて・・・。
出会いがあって、縁あって、関西学院大学に入学。
勉強で刻苦は勿論だけれど、生活費稼ぎに大学の掃除係を引き受けての苦学。
明治黎明期の大学進学者の一面、さもありなん、とそう思いながら読み勧めている。
「格差が開いた」と、昨今耳にするけれど、物差しをもう少し長く取れば、誰でも、学び長ければ学べる環境、は充分用意されているのだ、とつくづくそう思う。
かつては、学ぶということ、学ぶ人たち、には、誇りがあった。
多分、今も学ぼうとする世界には、共通する志はあると思う。
そんな気がする。
やー、自分以外のひとに、こう考えろ、なんていえるはずがない。
けれど、こんな風に、書物で違った時代を知ることで、今の時代をもう一度眺め直して見る、そういうやり方ができると、世界が広がる記がするのだけれど・・・。
私などは、先人の残した宝の山のひと齧りしかしていないけれど、本を読んだり、映画を見たり、はそういうことだと思っている。
そう、温故知新、というのでしょうね。
仲間に勧められて初めて知った書名でしたが、出会ってよかったと思える本です。
追記:読後感想
明治と同じ年月を背負って生きた菊池慎太郎と彼を取り巻く人々の話。
30代頃までの物語。
自伝風だけれど、そのままではないらしい。
立身出世を期待され、親の思いを背負い、まったくの前向き、努力一直線。
目の前の苦難を身体を張って乗り越えていくところ、彼をそうさせるもの、は何なのだろう。
新渡戸稲造が欧米に紹介した「武士道」の精神に通じるものかしら、とも。
教育の機会の格差と、昨今言われるけれど、徳富蘆花の世代に言わせると、?、でしょうね。
だから、今の時代は、この物語に出てくるような勤勉な青年がいないのかというと、そんなことはない、と思う。
時代が100年、200年違うからと言って、構成する人の質にそう変化があるとは思わない。
傑出した青年って、今の時代も真剣に取り組んでいるだろうから。
たしかに、話運びは、立身出世物語っぽいけれど、明治の時代の書きものに接することができて、それなりによかった。