日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

田立の滝、出会ったもの

2005-09-29 07:52:39 | 私の雑感あれこれ
先々週に木曾の田立の滝に出かけたときの話。
10年程前、木曾ヒノキの林の中を瀬音を聞きながら1~2時間昇るのが楽しかったので、もう一度と思っていたところです。
この日も右手に瀬音と、夏の名残のミンミン蝉の鳴声を耳にしながら、山肌に拵えられた道を滝へと向かいました。道の半分ほどは、長さ60センチほどの割り木をはしごのようにつないで、人一人が通れる道となっています。
(尾張藩の所有地で明治40年ごろまでは、一般人の立ち入りが許されていなかったとか、木曾の山は、枝一本、腕一本、木を勝手にきると命が飛ぶと言われていた規制の厳しい山だったとか)
300年を超えるヒノキの森を満喫しながら、いくつもの滝に出会えるのです。
そう、つり橋も4つ、5つ通るでしょうか。
そんな、山と滝を楽しんだ帰り道の半ば、ふと、足ものの先に象げ色のアーチ用のものが。小枝や葉っぱのなかに、地味な色でも粒が並んで…。
そう、歯だったのです。
「あっ」
気づきました。
確かに上あご、下あごも角度でアーチに見えなかったけれど、それらしく伺えてた。
度胸が無いから、振り返れない。
確かに、茶色い毛のようなものが目に入った。
連れを呼び止め伝えると、振り向き
「ああ、角もあるから、カモシカだね」と。
登り時には気づかなかったけれど、そのときもあったはずです。
すっかり、身らしきものはなくなっているのですけれど、もう数週間早くきた人は、横たわっている姿を目にしたのでしょうね。
昔から生き物はこんな風にして、土に還っていくことはわかっていても、日常では出会うことが無い出会いでした。
こんなことでびっくり、なんて軟弱といわれそうですが。
滝に行った話なのに、こっちの話になりました。
「天河の滝」という幅広で100メートル落下の見事な滝もあります。
木曽路にいかれる人は途中登る必要がありますが、その分秘境のようで、お勧めです。

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そして、こんな話。

2005-09-28 16:51:36 | 私の雑感あれこれ
昨日の話と中味は違うのですが。
テレビゲームに夢中だった息子が小学校6年のときです。
ちょうど近距離の引越しをした後でした。
新しいゲームソフトが発売になるといって、前の住まいの近所のお店まで出かけていきました。朝1番の始発バスで40分。その後の地下鉄一駅分は走ったということです。
そうしてお店に到着、早い人から順番に並んで、お店の開店を待ったそうです。
息子の順番がきて、買おうとしたら、ほかのゲームソフトと一緒でないと販売しないと言われたそうです。抱合わせ販売が違法だと常々父親から聞いていた息子は、目の前で次々に買っていく人を見ながら、手ぶらで帰えってきました。
「お母さん、『抱合わせ販売』はいけないのでしょ。お店の人が悪いことをしているのだから、警察に言って!」と訴えました。
息子はいけないことだからと、ブレーキをかけて戻ってきたその心を大切にしたいと、警察に電話をしました。
電話の向こうの警察の返事は「…それで、お宅の息子さんは被害にあわれたのですか」
です。
お店の名前も住所も伝えても、こちら側の当事者が被害にあっていないと、それから先には進まないのです。
その後だったか、そのお店の店主は摘発されましたが、電話ではむなしい思いをしたことが記憶にあります。
警察も忙しいのかもしれませんが、なかなか腰をあげてくれないというイメージです。
但し、落し物や盗難自転車発見の連絡では何度もお世話になってはいます。
これについては、感謝しているのですけれど。
でも、これって拾ったり、見つけてくださった市民の方の善意が大きいのかも。
ちなみに、警察に落し物を受け取りに行く話の電話で、
「警察は何時から何時までてすか」と尋ねたら、
「警察は24時間やっています」とのこと。
「なーるほど」とは思いました。
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昨日の話。

2005-09-28 07:08:10 | 私の雑感あれこれ
昨日の朝の話です。
地下鉄のトイレを使って出ようとしたら、出口に二人の20代と思われる男性が立っています。
茶髪で毛先を立てた髪形。シャツのボタンを2つか3つ開けて、ズボンのポケットに両手を突っ込んで、バーに寄りかかっているのです。
「隣に男子トイレもあるのに、何で女子トイレの前に二人揃って…」
「進路が鉤型になっているから、中は覗けないのに」
「連れの女性を待っているにしても、こんな入り口にへばりつくようには待たないのでは…」等など、思い巡らして
「若い女性を連行中なのかな」(私以外にもう一人利用者がいたような、顔をあわせていない)
「トイレを理由に、二人から離れたのに、そこから先逃げられなくて困っているのかしら」
「もう一度トイレに戻って、何事も無いことの様子を確かめようかな」とも考えました。
若い男二人の風貌と、女子トイレの入り口から離れない様子。変だなという気持ちがぬぐえず、2,3度振り返えると、一人はお尻を落とししゃがみました。
中の女性が出てくるまで、離れるつもりが無いのは確かなようです。
「二人は誰かにあてがわれた仕事として、やっているのではないだろうか」
「駅員さんに言おうかな」
「余計な仕事、と迷惑がられるだろうな」
「何にも事件が起こっていないから、警察沙汰でもないだろうし」
以上が私の頭の中に浮かんだこと。

転んだ人を助け起こすとか、気分の悪くなった人の世話をするのは、容易だけれど、今朝の一瞬に感じたことは、推測でしかないから、そのままでした。
売春などに利用される幼い外国女性のニュースに影響されすぎかな。
今日のブログはおせっかいおばさんの一幕でした。

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東山魁夷の伯林スケッチをみてきました。

2005-09-24 18:12:33 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
これは先の月曜(敬老の日)の話です。
木曽路馬篭の宿の近くにある田立の滝に行った帰り道、車の駅に寄りました。
若い頃木曽路をスケッチ旅行して、篤いもてなしを受けたことに感動したという縁から、「心の旅路館」という美術館が建てられたということらしいです。
「伯林留学の思い出」という企画展が開催されていたこともあり入館。
木曾の山襞を描いた鉛筆と水彩スケッチが、画伯の若い時代を想像されて楽しいものです。
そして、ベルリン留学は美術学校を出たあとの昭和8年とあります。
あの戦争の前…、その頃のドイツって…と、思いながら歩を進めて行くと、彼が留学時代に当時の日本の新聞(報知新聞だったかな?)に連載されていたという「伯林画信」の絵とコラムの文章も展示されていました。
その留学時代を語る文章の中に、
「学生の中にはナチの制服姿でくるものもいます。教授は皆ナチ党員です」とある。
だろうなとは、思うけれど、目の前の文章が当時リアルタイムで日本の新聞に掲載されていたのだという想いとあわせながら読み進む。
行進する軍隊に通りの両側で群れなす市民が、一様に右手を高く掲げているスケッチも並んでいる。叫んでいるのは「ハイル・ヒットラー」だろうか。
昭和8年(1933)頃のドイツ国民が、敗戦後の苦しい生活の中でヒットラー支持に回っていた頃なのだろう。その頃の日本はドイツとどういう距離間だったのだろうか。
このあと、あの悲惨な戦争がやってくるとはまだ知らない人たちの「ハイル・ヒットラー」の響き。
20代の若き画家の目は、その時代を描いて送ってきてくれて、日本の新聞が掲載していた。そのときその紙面を目にした人々はどういう心情であったものか。
などと、戦後生まれの、自分が居合わせていない時代のことを想像する時間でした。

同じ時代でも留学先がパリならば、第1次大戦の戦勝国フランスの陽気な気分でにぎやかだったモンマルトル界隈を満喫する画学生に加わったのかも…。感受性の豊かな若い時代の体験がどこであったかが、後の考え方に大きく影響を与えたりするのでしょうね。
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中秋の星たち

2005-09-24 17:55:03 | 私の雑感あれこれ
昨日は標高2600メートルの宿に泊まりました。
天気図に台風のマークがあるのでひやひやものでしたが、久しぶりの山行きで、何とか雨は免れたいものよ、と念じておりました。
一日目に駒ケ岳山頂まで行ってこられたので、千畳敷で満足の一夜。
星空までは無理かなとあきらめ気分だったのに、電気を消した窓の外は真っ暗。ひょっとして…と目を暗さになじませると、
満天の星屑、というか、目の前にそそり立つ山の稜線とホテルの庇の間だけですが(横着して部屋から出なかった)、数知れずの星、星、星。
明るい星から、あるかな無きかの小さなものまで、こんなにも幾通りもの輝きがあるのかと思いました。
普段目にするのは、大きいものだけ、だから北斗七星やオリオンなんて探しやすいけれど、こんなにいっぱいだと大変だと思った次第。
ON・OFFのデジタルではあらわせない、幾通りもの光り方。
きっと、子供の頃の星空はこうだったハズと、思って窓を閉めました。
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かつて外国は遠かったのに・・・

2005-09-21 07:27:47 | その他
「仏蘭西に行きたしと思えど、仏蘭西はあまりにも遠い」と詠んだのは萩原朔太郎。
横光利一がインド航路でマルセイユに向かった長旅を書いたのは「旅愁」だったか。
遠藤周作が、戦後まもなくフランス留学を体験している…とか。
私の10代、20代のころは海外は本の中の世界でしかなかった。
それが、「お母さん、ニューヨークのホテルはマジソンスクゥェアーガーデンの近くにとったからね」と電話。
そして、翌日昼頃「お母さん、無事ニューヨークに着いた。仕事先を回って、今ホテル。自分の携帯で電話しているけど、つながるね」
何という、まさに隔世の感です。
パソコンを駆使していらっしゃる方の多くは、娘世代に近いのかもしれないけれど。
60年代後半に青春だった私は、「MADISON SQARE GARDEN」実は知らないわけではないのです。
そのころ流行のスポーツバック。そのバックに大きく白いゴシック体でMADISON SQARE GARDENって、書いてあったから。
スポーツバックが普及し始めたころだったのか、種類も少なく、あちこちで目にしたものです。
その文字が何のことやら判らなかったのですが、ニューヨークの地名だったのですね。
そこは目印となる繁華な街角なのでしょうか。
娘の無事な声に「うん、うん」と、相槌を打ちながら、私は、学生服を着た高校生らが手にしていた、紺のスポーツバックをなぜか思い浮かべてしまうのです。
かつては外国が遠いところだったのに、ここまできたのですね。
自分にとっての外国は、本の世界からだったから、本当に飛行機でいけるんだよと自分を理解させるには、まだ一呼吸の間があるように思います。






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案山子の嗅覚だったのか・・・(民主党愛知7区立候補者逮捕)

2005-09-19 21:15:48 | 社会問題
私は9月11日付けのブログに「選挙区に投票したい人がいない」と書いている。
比例区は決めていたけれど、候補者名を記入する気分にからなかった。
個人名を書いて投票するということは、その人を支持するということ。
「○○は、どうしても(選挙に)通らなければならないのです…」と、選挙カー。
なんで通らないといけないのだろう。
通りたいのは本人ではないか。
だとすると名前を連呼するよりも、主張を伝えることが大事なのにと。
そんなあれこれで、なじめないままに白票を投じたのです。
大事な選挙なのに、白票を投じなくてはならないなんてと、実は各党の立候補者を選任した人たちをぼんやり思ったりしていました。
そして、今朝の新聞。
「○○前衆議院議員覚せい剤所持容疑で逮捕」とあるではありませんか。
夕方のテレビニュースでは、選挙期間中も覚せい剤を使用中だったとか。
「白票を投じたのは、嗅覚だね」と、朝は思ったけれど、今このブログを書いていて、こんな貧しい立候補者しかもてなかったこの地域が残念で悲しい。
各党の立候補者を決める役にある方々へ。
どなたかは存じませんが、「国会議員という職業にになりたい人」ではなく、「国のために骨折りしたい人」を候補者として選任してください。
あーあ、こんなこと叫んだって、案山子の声ってちっぽけなんだろうけれど。

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前原氏が民主党党首に 

2005-09-17 22:21:29 | 社会問題
前原氏が党首に選出された。43歳、松下政経塾出身。
地盤、看板、鞄がないと代議士にはなれないといわれた慣習に楔を打つように、政策を立てることを学んできた人たちが、政治家の世界に入り始め、そして民主党の党首に選ばれたことは、政治の世界のターニングポイントのような気がします。
2世、3世議員が目白押しの国会議員、議員というのは家業なのかと思うほど、引退するとその地盤を子供が受け継ぎ、ということが繰り返されてきたこの国。
選挙のノウハウを幼いころから空気のように察知して、当選すると所定の派閥に所属、当選回数によりポストが回ってくるのを待っている…らしい。マスコミがポスト小泉に名前をあげているのもその旧来の派閥と経験によっているような気がします(そう、2世、3世が並んでいる)。
民主党党首が43歳の政策通となれば、ポスト小泉も旧来どおりの発想では次の選挙が危ういのでは、先のことを考えてしまいます。
今日の前原氏民主党党首選出が次期自民党の党首選定にも影響が大きいのではと考えるのですが、いかがでしょうか。
無党派層なんていう言い方すると、浮動票のように聞こえるかもしれないけれど、組織票とはならずに、自分の判断で投票する層でもあるのですから。
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今朝 聞いた言葉

2005-09-16 13:46:07 | その他
「その教科書に成功例しか載っていないならば、それは悪い教科書だ」ビル・ゲイツの言葉だという。
先日の言葉「ピンチはチャンス」と、共通項を持っている。

ふぅーん。そうなのか。
そうなんだ!
こんなシンプルな言葉なのに、一日の元気の素がもらえたような気がする。
誠に作りが単純な案山子です。


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カネボウの粉飾決算、会計士逮捕

2005-09-14 07:31:22 | 社会問題
今日の新聞に大きく出ている。
常々思っていたこと。
会計士、税理士は企業(大企業であれ、町の小企業であれ)から、報酬を受け取っている。
だとすると、顧客である企業に不都合な書類の作成がどこまで可能だろうか。
会計士倫理というモラルに期待したいところだけれど、では顧客が別の会計士が自分の企業のマイナスを不問にしてくれるとしたら、そちらに変更するのではないだろうか。
見識のある企業主でないと会計士倫理遵守は顧客喪失につながる。
今回の逮捕が会計士倫理の覚醒の役割を果たしてくれることを期待したい。

関連してこんな現実もあります。
役所に税務申告書類の作成をする仕事として税理士という資格がある。
税理士資格は、税務署・国税局に勤続23年以上というキャリアがあると、税理士資格が容易に取得できるという(一般的には税理士の国家試験を受けて税理士となる)。
税理士の約半分がこの税務署出身者らしい。彼らは開業するときには、先輩から顧問先を何十件か紹介してもらい、有利な条件でスタートを切れるらしい。
なぜ顧客は税務署出身の税理士を好むのか。
書類提出先である税務署には、将来開業するかもしれないと考えている税務署員が書類チェック担当なのである。
妙だと思いませんか。やがて自分も同じ道を辿るかもしれない人が顧問税理士をしている人が作成した書類、つい甘いチェックという心裡。
実際にそういうことがないとしても、そう期待するところが企業主側に少しでもあるとすれば、勉強して国家試験を通過した一般税理士の開業と公平に遇されているとは思われません。
これも「天下りの一種か」と少し前に税理士さんの投稿が朝日新聞に掲載されていました。。
税理士不足の情況であれば、応急処置として専門家のお力を借りることもありでしょうが、資格試験を受けようとする人が多くいる昨今では、この制度は終焉してもいいのではないでしょうか。
公平に、公正に。
「瓜田に履を納れず李下に冠を正さず」
そう思っているのですが、いかがでしょうか。

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