日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

シリア問題に関して

2013-08-31 07:38:48 | 社会問題
また川口さんの現代ビジネスのコラム「シュッットガルト通信」8月30日(金)付の記事で、今喫緊の話題であるシリアのことが取り上げられています。
少々長めですが、よく理解できます。

-タイトル-

アメリカが主張する「動かぬ証拠」は当てにできるのか? ~シリア軍事介入を巡る各国の動き

オバマ大統領は、「国益を優先して判断する」「軍事介入の方向で検討している」とニュースからは伝わってきます。
気になるのは、「アメリカの要望に応じるのが日本の国益」という動きが出てくることです。Show me the frag. と言われれば、「ハイ」といの一番に応じるのをヨシとした過去があるから、困るんです。

戦争するのがアメリカの国益(軍需産業を守る)なのだろうか、とブラックですが、そうとさえ思えます。

それにしても、たとえアサド政権が崩壊しても、取って代わって民主的な政権が誕生するわけでもなく、混乱がさらに増すだけだという状況。シリアの一般市民の生活はさぞかし、と思うばかりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガーデニング 25.8.下旬

2013-08-28 10:46:39 | 庭 8月
朝晩が凌ぎやすくなったので、一階の和室で寝ていたのを、本来の二階に戻る。
自然と朝起きがけ(早朝の薄暗い時間に)、二階の窓から庭を眺めるという生活の癖に戻った。
眺めながら、構成メンバーひとり(苦笑)ですが、庭づくり作戦会議タイムなのです。
去年の今頃に比べるとすっかり、庭の風情になりました。なにも植わっていないハダカ地面が目立っていたころを懐かしく思います。
今朝は、風通し良くなるように、2、3か所の込み合っている茎や葉っぱの剪定をしました。
昨日は、ラベンダーの挿し芽10本。バラの挿し木3本。今朝バラの挿し木の追加2本。
やり始めるとつぎつぎ作業が生まれてきます。

現状、バラは40本を超えたけれど、庭の専有スペースとしては3分の1程度か。他の草花スペースの方がまだ多くて、夏シーズン上手くいっていない個所も気になるので、そっちもバラスペースにしようか、と私の意向は傾いています。
よって、せっせと挿し木して増やさなくっちゃ、といったところです。
成功率が必ずしも高くはないのですが、上手く根が出てほしいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ココロのなかで線香花火がパチパチ。

2013-08-26 12:28:06 | 絵画・マイギャラリー
日曜日、ランチを何度も訪れる山間のフランス料理のお店にいく。
紅葉の名所なのだけれど、今は一面の緑の木々を割って流れる川の音が和ましてくれる。
お店を入って、カウンター越しの3枚の絵(F0号の小品)に「ハッ」。
ワタシ好みの水彩。
見渡すと、同じ描き手の作品がほかの壁面にもかかっているではないですか。
うれしぃ!
食事メニューの選択よりも絵を見ることに気が言ってしまいました。苦笑
F0号だから、スケッチブックの一番小さい画面です。
その画面に、ヨーロッパの街の風景が納まって、異国情緒を充分に表現しています。
いいな、こんな風に描きたいのに。上手いな。
そんな単純な、描ける人にたいする、惚れ、というか、あこがれ、というか、敬意のような思いが、沸々と湧いてきます。
名画よりも、こんな描きての絵が好きなのです。


作者の自己紹介では、某大企業の執行役員で仕事現役中。
海外勤務時代の作品らしい。
食べ終わって、ぐるりの一帯を散策し、その間感動の尾を引きずっていたワタシ。
もう一度レストランに戻って、お名前をメモしてきました。
店主に尋ねたところ、ご本人から、絵を飾ってもらえますか、と申出があって…、とのことです。
うーーん、もっと沢山の絵を描き込んでいるのだろうな。観たい。見せてもらいたいものだ。
サラリーマンしながら、コツコツと若いころからずっと筆をとっていた同世代の絵描きさん。
振り返って、自分の絵の不足部分がワンサカ湧き上がって、ひとり恐縮。
がんばろう。
素敵な人がいるじゃないですか。
と、ひとり悦にいった日曜日、でした。

描き手にお会いしたわけでもないけれど、好きな絵との出会いだけで、こんなに舞い上がって(ふふふ)、線香花火、程度ですけどね。
エネルギー貰えます。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待望の雨。

2013-08-25 08:18:16 | 庭 8月
土曜に、ようやく土表面が濡れてくれた。でも、雨水タンクに溜まるほどでなく残念。
黒点病が蔓延気味。
花柄摘みをしながら、病んだ葉っぱを取り除く作業が日課だけれど、きりがない。
夫の農園にあるという散布器を持ってきてもらってイソジンの溶液を散布。
楽。
いままで、唐辛子液やら、スギナの煎じた液を霧吹きで散布していたけれど、手が痛くなること、最後まで上手く広がって出てくれなくなることで、満足できないでいた。
また、一雨くることを期待して、葉っぱの栄養になるという油粕をバラの根元にまく。雨でしみこんで欲しいから。

翌日曜日の今朝。
雨がひとふり。雨水タンクが満杯になった。
ほっ。

傘を差して、庭を一巡り。葉っぱに雨が染み渡たり助かった。
(豪雨で被害の出ている地域の方を思うと、心苦しいですょ

土が濡れて軟らかくなったところで、つるバラの支柱を立てたい。
草の根っこが柔らかくなっているので、雑草抜きをしたい。
バラの夏剪定して、挿し木もしたい。

いろいろ仕事も生まれます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨乞いしたい!気分です。

2013-08-20 20:31:10 | 庭 8月
毎日、まいにち、水遣りでクタクタ。
そして、粘土質気味なこともあり、土が固くなって、水もスルスルと表面を滑っていくようで気になる。
ピートモスを買ってきて、43本のバラの根っこの回りに敷く。
そして、久しぶりに液肥を遣る。
液肥を遣ったから、水遣りパスしたいな、とは思ったけれど、そうは行かないだろう、と、夕食後に水遣りもする。
バラ以外の草花もあり、水を遣り始めるとなかなかノルマ完了まで行き着かなくて、なんとも広い!と感じる。
ここらで、夕立でも欲しいのだけれど、、、。

バラのテラコッタが朱色のつぼみを膨らまし始めていた!
初めてのつぼみです。
本来は褐色、レンガ色の花だというけれど、他のバラたちも春のバラシーズンとは微妙に異なった花色だったりするから、来年の春も楽しみです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の夏季休暇。

2013-08-18 09:20:16 | 私の雑感あれこれ
この1週間は、2泊3日で北長野方面に行ったほかは、自宅でゆっくりした。
その間パソコンをONにすることもなかった(ipadで閲覧はしているのですが、入力作業はしなかったということ)。
で、久しぶりのパソコン。
その間去来していた記事を貼り付けておきたい。
以前にもご紹介した、川口マーン恵美さんの「現代ビジネス」のコラムです。

「娘たちの甘い理想主義に反論しつつ「世界平和」について考えてみた


私の中に、「困っている人の役に立ちたい」という思いは、結構早くから棲みついていました。この記事で言えば、娘さんの気持ち、でした。でも、それはどちらかというと
自分の生活を変えない範囲で、というものであり、川口さんの理想主義に対する返答は、正面から問題を考えるよい文章だと思いました。
川口さんは、娘への返答として、アフリカ人全部がドイツにやってきたいということになっても受け入れるか。今の豊かさを手放し、社会保障制度の劣化することになっても、難民を受け入れることを指示すべきか、と正面から問題提起しています。
貧しい国の現実は、実は国政の形が、民主主義国とは別形態というか、一部の特権階級に富が集中している(外国からのODAなども、特定の人たちを富ます結果になっていたりする)、という欠陥を抱えている場合が多いといわれています。
極めて困難だけれど、貧しい国の中の優れた人たちが、優れた代表を選ぶことの大切さが大事だと書かれているけれど、その実現への道のりはさまざまなのでしょう。


-エピソード-
途上国であるR国人が、日本で1ヶ月暮らして感じたことのひとつを思い出します。
日本は街を歩いていても、誰が金持だか貧乏人だか判らない。⇒服装などの見かけで貧富の差が如実に現れていない。社会保障制度の整っていない国では、自助しかなく、飢えとの隣り合わせなのでしょう。
そういえば、文化大革命の翌年に日本に来た中国人からも聞きました。
日本って言う国は、きれいですね。乞食がいっぱいいると思っていました。⇒多分、60年代生まれ世代は、日本は資本主義(帝国主義)の国で、その弊害として、貧富の差がひどくて、貧しい人が街路で乞食をしているというイメージを植えつけられていたのでしょう。



誠実な若者に育ったものから突きつけられる課題は、掲げたい旗ではあるけれど、船が沈没しては、助けることもできなくなる、そう思う私は、やはり川口マーン恵美さんに近い。


-付け足し-
昨日、テレビで国連高等弁務官だった緒方貞子さんの振り返り番組をみました。
かつて耳にした彼女の言葉で、ずっと私の心に残っているものがあります。

「難民って、みんなかわいそうな人、気の毒な人、と考えて、よい人たちばかりに勘違いしては間違いです。平気で嘘をつく人も要るし、悪いことをする人も混じっている、それが実際であることを知っていないと勤まりませんよ。」

こんな意味合いの言葉を彼女の口から聞いて、現場で難民救済している人たちの人間理解の深さを思ったものです。

私は、言葉フェチなのでしょう。
「あっ!」と思った言葉の山を宝箱にしまっていて、ときどきひとりで眺めています。

とりとめもない駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑い。ダラダラと過ごす。ま、いいか。

2013-08-11 11:16:54 | 私の雑感あれこれ
家の中は片付いてはいない。のに、何もする気が起こらなくて、昨日はダラダラと休日を過ごした。
クーラーも珍しく一日中スイッチオン。
働いた後の休日なんだから、快適な休日居住空間もあり、だろうと。テレビでは甲子園の中継をやっている。
全国で4箇所で最高気温40度超えを記録したとニュースは報じていた。
消費電力がピークなんだろうな、と気になったけれど、その絡みの話題は流れてこない。・・・いいのかな?


炎暑の中でも、バラは咲いている。ご苦労さん。
夕方、たっぷりと水遣りだけはした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏風邪から回復。サクサクと映画のことなど

2013-08-07 15:45:27 | 映画・テレビドラマ・音楽
夏風邪がまだ直りきらない頃、ま、家事をしたくもないし、と昼間にビデオ鑑賞。
マクベス」を見る。監督は「戦場のピアニスト」と同じ、ロマン・ポランスキー。
原作はかのシェークスピアの4大悲劇、です。
未読。映画だと数時間で内容が判る。真に便利。オンナは何食わぬ顔をしていながら怖い、ということを言いたかったのか。ハァ~。
森が動いてマクベス自滅。

サルトルとボーボワール」コレも録画で。
一昨年、友人が誘ったときは時間が合わなくてスルーしたもの。
お互いの自立を認めた契約結婚だった、とか私たち団塊世代にとっては、高校、大学時代の時代の旗手だった。ボーボワールの「娘時代」(活字も細かく分厚い本だった!)を読んでいた高校時代が懐かしい。旅行でパリに行く、とっいたら、ボーボワールやマリー・キュリーが歩いたであろうソルボンヌ大学界隈を散策したい、そんなミーハーな私でした。
シモーヌ・ド・ボーボワールと「ド」がついているから、貴族階級だとは了解していたけれど、映画序盤で没落貴族の家庭の発想が、「自立しなくてはならない」ボーボワールを誕生させたのだと思った。日本で盛んに話題になった60年代、70年代から随分時は過ぎて、今の目で見ると、彼女の掲げた旗はたなびいていたけれど、彼女の送った人生は本当に充実していたのだろうか、そう問いかけたくなった。
サルトルのエゴに付き合わされたのではないだろうか。ま、2人とも時代の寵児になったのだから、ヨシ、なのかもしれないけれど。

終戦のエンペラー」を映画館でみる。
エンペラーは昭和天皇のこと。マッカーサーが敗戦処理で厚木基地に降り立ってから、戦争責任は天皇にありやなしや、を丁寧に描いた作品でした。
マッカーサーとの会見(よく目にする、ふたり並んだあの写真の場面)のとき、天皇のとったといわれている行動と、それを聞いた当事者のマッカーサーの施策がテーマなのでしょう。

「中国激流  -13億のゆくえ-」岩波新書 興梠 一郎 著を読んでいる。
中国現代史の専門家。NHKの日曜討論で、中国との外交問題がテーマのときの事情通らしい発言に、つい著書を読んでみたい、という思いで読み始めた。
なかなかウンザリの話題で、手に余る(トホホ。苦笑)
お金の流れの余りの汚さ、のためである。集まるところにお金は積みあがっていく。不正の行列。高い地位にあり、正しい政治をするという誇り、は見えてこない仕組み。
「党の書記」の権限が絶対であり、裁判の判決にも、党の書記の意向に副わざるをえないという「中国!」コレでは、庶民が正しく生きようとしても、報われる日は来ないのです。
天安門事件の翌年、中国人留学生の世話をしたことがあります。頭でっかちな私は(苦笑)、日本のことを紹介しようと、連れ立って裁判所の傍聴に行きました。
裁判は公開されており、民間人であっても、おかしいと思えば国を相手に訴訟できるのです、とか、帰り道、新聞社の前を通りながら、新聞は政府の不正を記事にすることもあるのですよ、と話したものです。
彼は、ほぉ~と、聞いていました。そして、中国はまだ人権よりも、国を豊にすることが優先なのです、と語っていました。天安門事件の余韻が大な私たち日本人でしたが、中国北部の大学の医師だつた彼には、北京の事件が遠いことなのだろうか、とそこで話を終わりにしたことを覚えています。
不正の列挙でもてあまし気味ではありますが、一般人の権利意識も着実に生まれてきています。この本は2005年発行。時の流れは止まりません。情報が世界を飛び回る時代、不公正がまかり通り続けられるものではありません。利権にフトコロを肥やしてきた幹部の人たちも、自分の財産を米国などの国外で保管しようとしているという流れ。為政者層が自国を信じなくなっているということですから、このままの状態は続かないのでしょう。
「中国=キライ」の大合唱ではなく、こんなきちんと実態を踏まえた本を出す専門家がいるってことは、心強いです。でも、もてあまして、つまみ食い読書です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガーデン雑記 27

2013-08-05 19:57:11 | 庭 8月
夏のバラ。
ちょっと小ぶりに咲いています。
早朝、庭に出て摘み取ったものを花瓶に挿しました。
何度かブログでも話題にしたけれど、店ざらしの見切り処分品だったのですよ。
もうこんなステキな花を付けてくれました。
地植えにして1ヶ月。
ステキでしょ。
株に負担がないようにと早々に摘み取りました。

ウチのバラは炎暑でも咲いてくれています。
花弁の真ん中にコガネムシが陣取っていて、無残に虫食い、というのも多々ありなのですが、でも夏でもバラ園はがんばっています。

-余談-
思い出しました。
かつて、新聞の読者コラムで見つけた俳句を。

「十三の夏を迎えしバラの棘」

まったくだ。
バラのトゲ。
美しいのに(可愛いのに)突き刺さるとチクリと痛い。
十三というのは、そういうものなのだ、とかみ締めていたことがあった。

なんだか、今、十三が三十となっても、私にとっては、バラの棘っぽい。
美しいのに(可愛いのに)。
苦笑。


写真のバラ:ローズゴジャール(上)とプリンセスアイコ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そんなこともあったとさ、になったけれど・・・。

2013-08-02 15:38:03 | 家族
学生時代に多分話題作だったのだろう、大江健三郎の「個人的体験」を読んだことがある。大江作品としては数冊目の読書。ハードカバーの本を抱えていた私に、友人が「その本を境として、大江健三郎は作品ががらりと変わったんだってね」と言った言葉を覚えている。親友に進められて読み始めた何作目かの小説。私にはどこまで中身がわかって読んでいたものか。ただ、生まれた子が普通ではなくて、「水頭症」という奇形だったということは記憶に残っていた(その後、何冊か読んだけれど、大江健三郎は、その時の子供がテーマの小説家になっていった)。
それがハタチの頃。それから随分たち、出産時のアクシデントで障害児となった子供さんもご近所にいた。先年の同窓会で、教員生活の殆どを養護学校で教えて定年退職になった女性の元校長からも、障害児の実情を耳にしていた。
私、ウン十年も生きているのだもの、いろんなことを見聞きしている。
で、今年の2月。
生まれてすぐに救急車でNICUのある病院に入院した孫。新生児重症仮死。なによりも緊急。脳細胞の劣化を抑えるために、即時に脳低温療法がはじまった。
出生体重を計るどころではないのです。3日間の脳低温療法が一段落した頃だったでしょうか。嬰児のベットサイドで小児科の担当医が症状の説明をなさいました。
その説明のなかに「少し水頭症もみうけられる」と聞こえてきました。
聞きたくはない言葉であり、聞き返したり、念を押す気概も生まれず、受身で耳が聞いている、という状態、本心は「聞いていないことにしたい」言葉でした。
その後、多臓器に異変はなく、順調に回復していきました。
退院の日が決まりかけたころには、ああ無問題だったんだ、と思っていたのに、退院がキャンセルになり、「水頭症」の烙印が。
あの頃の写真はどれもオデコに黒い点がついています。頭囲を毎日計ってどれだけ大きくなったか調べられていたのです。
脳室に髄液が溢れて脳を圧迫し、頭囲が大きくなる。
放置しておくと、脳にダメージが出るのです。
髄液は毎日生産されているのですが、その流路が内出血により遮断されているのが原因だろう、と推測されました。
で、出血した血液を洗浄する手術と髄液が溢れたときに頭蓋表層で抽出できるようにタンクを埋める手術をしました。

既述ですが、先日娘家族の引越しの手伝いに行きました。
私は子守がメインの役割です。それでも何か手伝おうか、ということで、娘婿の文庫本の整理をしました。大分処分済みとかで、ダンボール1箱。本棚にはアカサタナと行別に入れようということで、作家別に床で仕分けしました。
ア行の本に大江健三郎も数冊。そしてあの「個人的体験」もありました。
「あっ、コレ読んだの!」
と声をかけると、「随分昔、高校の頃かな」と返事。
私「……」。

すっかりベィビーは健康体になったから、こんなダラダラ話を綴っていられるけれど、いろんなケースが私の頭の中を走馬灯のように巡っていたころ、彼もこの本を思い浮かべたりしたのだろうか、そんなことを、ふと思っりした。

現在はすっかり元気で、遠い昔のようになったけれど、「脳へのダメージを防げ」をいの一番で治療していただけた医療環境にあったこと、何よりの感謝に尽きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする