日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

初 新装なったプラネタリウム体験

2012-05-29 07:03:31 | 私の雑感あれこれ
近くても遠いの典型で、街中にいるのに、仕事場と自宅の往復ばかりで、商業施設にも、名所旧跡にも、文化施設にも滅多に行かない。
そんなワタシだけれど、ホント久しぶりで、科学館のプラネタリウムへ行って来た。
夫婦で天文クラブに加入したのです。だから、これからも定期的に科学館に足を運ぶことになります。
新しい科学館は快適!今回はプラネタリウムが目的ですから、他のフロアは素通りですが、きっと創意工夫した展示がされているのでしょうねー。

そして、世界一というプラネタリウムは技術の粋を集めた賜物らしく、凄くて快適。
足元にも音響装置がついていて、虫の音が・・・、なんて贅沢な宇宙疑似体験装置です。
科学館の学芸員の含蓄溢れた柔らかいアナウンスと、迫力ある星空、音響も満点、至福の時間でした。
並ぶのがイヤで遅めに着いたため、補助イスだったことが残念。
次回は正規のリクライニングシートに座れますように。

今月6日にあるという、太陽を金星が素通りするシュミレーションがありましたが、私には見えませんでした。見えたと挙手をしている方もチラホラおられましたが、コレは視力のせいなのか、年季のせいなのか。

仕事帰りに定例会に通うことになるので、美味しい食事場所を見つけなくては、と思っています。
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この週末

2012-05-28 07:16:31 | 私の雑感あれこれ
介護と同窓会。
母は入院中だから、正確には介護ではなく見舞い。
リハビリ病棟の最高齢だそうだ。
介護士さんの仕事はキツイ、ときくものだから、少しでも、ボタンを押して介護してもらうより、例え1回でも2回でも、家族の自分がすればと介添えしたら、「ブー」だそうで、ひとつ学習。
きちんとした仕組みに感心させられる。
いずれは退院だろうから、よい選択をしたいものだ。

さて、同窓会。
賞味2時間。山間の温泉が会場なので、帰りの足が心配。2次会に出席しないで帰る。
オリンピックのある年に中学校の同窓会がある。
今回は第5回だそうで、1回目に出席して以来だから、20年ぶり。
同窓会にはつきものの「実は、好きだった」という話が降ってきて、楽しかった~。
私じゃないですよ。豆屋のマーちゃん。
告白した男の子を小学校1年の頃より知っているから、ウフフ。
でも、よかったねー、告白できて。
私の初恋の人は勿論欠席。
アレは小学校3年頃のことだったのだけれど、その後彼はスポーツマンとして学校のヒーローになっていったから、私なぞ河原の石ころみたいなもの。だから、告白することはないだろう。苦笑

物故者が多いのに驚く。
20年前の時、フサフサとしたひげを蓄えながら、ハゲてた竹○クン。アタマと反対だったらいいのになんて、笑いとばしてゴメン。小学校登校途中の肉屋の仕事を見てから鶏肉を絶対食べられない話を聞いて、「仲間がいた」と嬉しかったんだよ。ホームで倒れてそのままなくなったんだって。まったく長寿社会なのに、アンラッキーだったね。
人懐っこい目をした、にこやかな笑い顔しか浮かばないのに、片道切符で逝っちゃった。
電話できるものなら、まだ人生途中でしょ、戻ってきて残りをやりなさい!って、言いたい気分です。


中学時代に比較的しゃべった友人は片手に満たず。
私と同じ高校へ進学した出席者は、ひとりだけ。
みんなどうしているのだろう。
離れたテーブルに、中1のとき、隣の席でテスト勉強の話をしたぐらいのダンシ見つけた!
各自の近況報告で、「今一番嫌われている役所に勤めている」と挨拶していた。
そっか、理系でまっしぐらだったのか・・・も。

高校の同窓会の方が、もっとおもしろかったり、微妙だったり、複雑なのかも知れない。

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ペンだこならぬ、シャベルだこができるかも。

2012-05-23 13:19:14 | 庭 5月
情けない話なのです。
皿洗いしていたら、右手親指に水がしみる。
なんで?
ケガもしていないのに~~。
ははぁ~ん、シャベルで硬い土を掘り起こしているから、です。
電気製品のおかげで、肉体労働から遠ざかっていたので、この程度で皮膚がビックリしている。
情けなや、です。苦笑

硬い土をほじくって、培養土を入れて・・・、なんとかガンバレ!と一声かけることも忘れずに、連日移植しています。
培養土20袋なんて、どこに消えたかのように、まだまだ硬い土がいっぱい。

若いころのペンだこの残骸がひっそりと中指にまだありますが、今度はシャベルだこと交替かも。笑
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映画「愛は終わりぬ」を見る。

2012-05-23 07:16:37 | 映画・テレビドラマ・音楽
録画で。疲れるから字幕じゃないのをチョイス、したといったら、監督からお小言だろうな。(市井の小市民にはそんなこともないか。笑)
終戦後の旗手的存在というか、いい映画でした。
昭和24年(!)制作の溝口健二監督作品です。
しかも、映画の時代は明治17年から22年の時代(!)。
映像に残っているから、私などでも出会えるのだと思うと、映画文化に感謝、です。

ネタばれあり、注意。
・・・こんな古い映画これから観られる方は少ないと思いますが・・・

帝国議会が開かれるのは明治22年。
借金に苦しむ貧家の娘(富家のお嬢さん田中絹代の子守女だったか?)は人買いに売られ、社会は「しかたがない」と受入れている時代。
女性にもひとりの人間として幸せを求められるはずだ、と田中絹代。
自由主義者の同郷人を頼って、都会に出奔。頼った知人は体制派の犬になっていて、そこで知合った自由主義者に賛同し、惹かれてもいく。
彼は討論会でも人望を得て、渦中の人となっていく。
前述の貧家の娘は女郎屋で働かされ、なんとか苦界から救おうと奔走、(自由主義者の取り巻きで体制派にとっては煙ったい存在の)絹代も捕らえられてしまう。
議会開催の恩赦で出獄が適う。
人望氏の妻となっていた絹代なのだか、彼は貧者の娘を妾として囲おうとする。
「キミはボクにとって大事な女性であり、彼女はハシタメじゃないか。キミを不幸にはしない」とのたまう。
貧者の娘も「私はやっと掴んだ幸せです。お嬢さんに迷惑はかけません」と絹代に懇願する。
絹代にとって「オカシイ」のです。
苦界から救おうと、監獄にまで入って助けようとした女性が願うのは、お妾さんで充分満足、という。
彼女には納得いかない。
で、東京にいるより田舎ですべきことがあると考えて、郷里での女子教育を目指そうと列車のひとになる。
思いにふけっているところに、
貧者の娘も、お嬢さんと、声をかけてくる、ところで幕。
(主人公の名前失念で、俳優の名前で書いたりして荒っぽくてすみません)

先日、「新平家物語」を見ました。
たまたまテレビをつけたら流れていたのと、今の大河ドラマ「平清盛」は見ていないので、映画で1度に観られたら便利、程度の鑑賞だった。
なかなか良かった、
ので、監督は?と注視していたら、吉川英治原作で、溝口健二監督作品でした。
清盛は市川雷蔵。生母は白拍子の小暮美千代。久我美子なども出演、の古い映画です。
人間組織の不条理など描かれていて面白かったので、溝口健二監督というひとについて、webでちょっと調べたりしていたのです。
その同じ監督の作品と言うことも、あって、タイトルの安直さをガマンして、見ました。

NHKの大河ドラマのほうは、まったく見ていませんが、視聴率が落ちたから、出演者に○○を起用しようか検討、などの話題を目にしたりすると、製作者の意図ってなんなのだろう、と距離を感じます。
そりゃー、かつての映画は文化だったり、啓蒙的役割があったのでしょう。昨今は映画はいろいろあるとして、テレビは似て非なるものなのでしょうね。
スゴイ媒体だと思うのに、惜しい!

くだくだの雑文になってしまいました。
お粗末、でした。


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移植している

2012-05-22 12:04:18 | 庭 5月
松葉ボタンの緋色の花がひとつ咲いた。次々咲いて、これから先の炎天のガーデンを元気づけてくれたらいったら嬉しい。

二日前にヒマワリの移植をした。強い花だから大丈夫だと思うけれど、さてどうか。
今日は朝顔を移殖。去年同様グリーンカーテンとして頑張ってもらいたいものだ。
マリーゴールドは、ひとつ淋しく走りなのか、単衣の花をつけているが、よく見ると蕾を持ったものがイッパイ。さて、今年は去年より早く賑やかになってくれるだろうか。

用壁と駐車場の工事も今週で終わると聞いた。
ガーデンへのエントランスが、思いのほか素敵な石を敷きつめてらって満足。
リフォーム工事のこともあって、ガス管、水道管などが埋設していて、素人には申し訳ないほど難工事に見える。上手いものです。頑張ってもらったので、工事の方に今日ケース入り麦酒を奮発(笑)。
さすがプロの仕事!とおもうことしきりです。
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投稿記事を読んで

2012-05-22 07:32:00 | 
時間つぶしに図書館に行くと、さしあたって読む雑誌は「暮らしの手帳」。
購入したことはないけれど、長年の付き合いで、雑誌の構成も周知している。
で、パラパラとめくって、投稿欄「家庭学校」は好きなコーナーです。

先日の投稿記事から

投稿主は多分同世代の女性です。
2年間同棲していた娘が結婚することになり、当事者二人プラス双方の親が会食したときの話題。
男性のお母様が、会食の中で「ウチの息子はいい子なんですよ」と紹介。話の流れで、またまた「ウチの息子はいい子なんですよ」がでてくる。
当の息子は母親にこそっと言う「こんなときは、そんな言い方をしないで、謙遜するものだよ」と。
母親は、息子の言葉が耳に入るのだけれど、
「でも・・・、いい子なのです」と。
その場で、娘の母親である筆者は、「そうですね、いい息子さんだと思います」と思うし、そう応えた、と文章には続く。

で、投稿主は、その場で私も言えばよかった、と、投稿しているのです。
「ウチの娘もいい子です」と。
それを言いそびれたことが、心残りに引きずっていると。

多分、同世代。
結婚式も披露宴もしなくて入籍しただけの結婚をよしとする二人。
それを理解する双方の親。
多分、模範カップルなのだろうな、と想像する。
「いい子なんです」という息子の母親の気持ちもわかるし、それを受入れながらも、「ウチの娘だって、自慢の娘なんです」といいたかったー、と引っかかって、「暮らしの手帳」なんかにボヤキ投稿している母親。苦笑。
投稿主さん、きっとあなたも素敵な方だろうなと思います。




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こんな言い回し

2012-05-21 21:31:49 | 私の雑感あれこれ
朝のリビングにBGMでFMが流れている。

音楽評論家の男性と音楽家の女性が案内役として、クラッシック音楽を紹介する番組のひとコマ。

男性のしゃべりから

作曲家って、(例えると)高層建物から降りてくる感じなんだよね。
降りてきた作曲家に出会うわけだけれど、彼はさて、何階から降りてきたか、(聞き手の)ワレワレにはわからない。
――演奏家は、積み上げて上手くなっていくから、階段を登っていくのに似ている、というイメージと対比しての表現なのでしょうか。作曲家の高みは計り知れない、という表現なのでしょう。

今朝の番組だったから、勿論イントロは金冠日食だったけれど。
で、彼曰く、僕らが知ったふうにこの話題をするとヤケドするから、やめておこうね、と。
――しゃれている。

名前も知らない話者だけれど、カッコいい人だな、と思った。




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金冠日食を見た。

2012-05-21 12:26:03 | 私の雑感あれこれ
今日はこの手の話題でいっぱいでしょうね。
見ました!

6時台は厚い雲がかかっていたのですが、7時を回ると雲も薄くなり、雲間から薄日が見えてきました。
見えるかも…、という気分になり待機。

日食グラスをかざしてみると、部分日食が見えるではありませんか。
心中、ワァーという気分。
もう少し、もう少しと思っている間に、雲は晴れて行きました。
ラッキーです。
きちんと「金冠日食」を観察できました。
グラスでは、雲がかかるとまったく見えませんでした。
見えなくなってグラスを置くと、薄雲状態の中をリングが確認できました。
あっ!裸眼は危ない、というニュースを思い出しました。
目をつむると、残像がしばらく残りました。

太陽の輪郭は思いのほか小さかったです。
ニュースで事前に知った時間帯の太陽の位置は、この2月からお隣が空き地状態なので、リビングの窓からOKでした。
先月科学館の天文クラブに加入したオマケとして、日食グラスをもらいました。

こんな、偶然が重なって、労せずして、超珍しい金冠日食をリビングから見たわけです。
そう、ぎりぎりまで曇り空だったのに、雲間から太陽が出てくる、という超「幸い」のおかげでもあります。

いいことって、重なるものですね~。

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「利休にたずねよ」(山本兼一著)を読む

2012-05-19 07:05:25 | 
直木賞受賞作。
秀吉に切腹を命じられた千利休という人間を、時間を遡りながら短編で綴ってある。
秀吉とのかかわり方、茶の湯に侘びさびの美を表現し、茶道具の美がこんなに一世を風靡していたのかと、その時代を感じられる作品でした。

文章が読みやすく、学校の日本史で知った程度の知識しかなかった私には、よい本でした。
君主には絶対服従の世界がまざまざと展開する。無茶であっても通る。気に喰わないと無理難題や、ちょっとのミソで首をはねることが出来る。現代でよかった!と思うし、きっと、人々の「生きている」ことの捉え方そのものが、私たちと違うのだろうな、と思いながら読みすすめた。

利休の賢さは、秀吉を感服させる賢さでもあったのだけれど、70になって、秀吉の意に即輪なくて切腹を命じられたとき、謝れば命は免れるのでは、という周りの説得に応ずることなく、命を落とす。
長らく秀吉に使え、何が最善か行動してきたのだけれど、「もういい」だったのかも知れない。

余談
きっと、その年齢だから、病気をわずらっており余命いくばくと自分でも判っていて、この死に方を受入れたのかも。
藪の中。
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映画「善き人のためのソナタ」を見る。

2012-05-17 09:05:35 | 映画・テレビドラマ・音楽
2006年のドイツ映画「善き人のためのソナタ」。
ベルリンの壁崩壊の前の東ドイツを描いている。
1980年代のことなのに、壁の向こう側の生活がこんなにも閉塞感で満ち満ちていたかとという、ひとつの刻印のような映画です。

以下、ネタバレあり。

シーンのひとつに、自殺率1位はハンガリーで東ドイツは2位、そして来年からは、自国の自殺者数を公表しないことにしたという場面があるけれど、絶対権力者(組織)の意のままにある国民の絶望感が滲んでくる。
何とか、この東側人たちの置かれている実態を西側に伝えようという人(知識人)と、それを絶対阻止すべく動く組織とのせめぎあい。

阻止する側の男が、ある時期をもって、劇作家(知識人)情報を上に上げることをやめた。その数年後に壁が崩壊し、次々と命を落としていった仲間がいるのに、なぜ自分は難を逃れたか、と疑問を持つ。

そして、誰かが自分の情報の通知を止めていてくれたおかげで今がある、と言うことを知った、という話。

その男は、密告をしないことに決めた代償として、自分の今後の将来を諦めた。
良心を保ち続けるために、地下室での作業員に明け暮れることを受入れたのです。
その作業中に、西側のニュースを傍受していた仲間から、壁が崩れたことを聞かされる、という流れ。

自分が生き延びた顛末を知った劇作家が、この話を出版し、その本の広告を目に留めて、男は本屋に入l買い求める。
店員「(贈り物のための)包装しましょうか」
男 「イヤ、自分のための本だから、包装の必要はない」と。

独裁体制国家は多かれ少なかれ、このような状況下にあると想像できます。壁が崩れなかったら知ることがなかった物語です。
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