日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

師走もバラ。

2018-11-30 12:06:53 | 庭 12月
暖地のこともあって、まだ庭を楽しめます。

鑑賞者はひとり。せっせと見て回らなくては、観るのに費用は掛かりません。苦笑

炎暑での夏バテが半端じゃなかった。ようやく復調したのでしょうか。
暖かめの晩秋が、思いのほかにぎやかです。

切り花に。


イザベラルネッサンスのビロード調のシンクに感動します。春季よりも小ぶりです。
キャノンIXYでアップにすると、どうしてもライトが点灯して夜間バージョンの画像になるので、この近さで。




リビングは切り花のバラの花瓶が、あっちにもこっちにも。
水替えさぼって、しんなりして、アララ、状態だったり、です。

  ↑ の状況に、ああ毎年こうだったな~と、バラ育てを始めてからの我が家の風物詩になりました。

寒さの冬も、暑さの夏も、せっせと庭に出てきた私への、バラからのご褒美、なのかしら。

まっさらな土地からスタートしたから、あっちの片隅の花も、こっちの花も、植え付けた時の記憶ってあるものなのです。

きっと昨日の夕食は忘れるようになっても。ふっふふ








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日差しは良好。

2018-11-30 11:20:54 | 私の雑感あれこれ
でも、気温は低め。
11月も最後だから、そんなもの、と言えばそうだけれど。
日の当たらない、玄関先で外壁塗装の営業の方の話を聞いたのは寒かった~。

で、南側の私の干し芋つくりは快調。笑




今年の安納芋は不作だそうで、干しイモつくりは1回だけです。
もう、1つふたつは試食済み。笑

昨日、ホームセンターの帰りに、図書館によって、北原亜以子さんの小説を2冊借りてきました。
1冊『深川澪通り木戸番小屋』はキンドルで読んだのですが、なんだか冊数多く読んでも再読はしないだろうし、という気分になったもので。夏に来た読書好きの5歳の孫のおかげで、私の図書カードを再発行し、10年以上ぶりで利用するようになりました。

「春遠からじ」は、北原さんの唯一の戦国時代を題材にした小説だそうです。
1570年代。そういえば1567~1576年まで信長は岐阜城にいたんだな、とか、その岐阜城に蒲生氏郷は13(15?)歳で信長の人質としてとらわれていた時に、才覚が秀でていたと周りを驚かせた、とか。家康は5歳で今川氏の人質になったとか、私の頭の中に、いろんなことが去来する。そして、私には5歳になる男の子の孫が二人いるけれど、あの年頃で他家の人質になって成長するって、、、と時々思ったりする。

勇猛果敢な武将の名前の時代というイメージの戦国時代を、江戸の町暮らしを沢山描いた作家北原さんの本では、どんな人たちが描かれているのか興味津々。







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介護の毎日が続いているのです。

2018-11-30 08:43:14 | 母のことなど
弟宅では。
先日訪問した時は、こんな状態なんだ、あんなこともあった、と聞き役でした。
聞くだけ、なんてなんて楽な立場なんでしょう。
自分でもそう思います。
途切れることなく、弟宅では毎日介護あり、の日々なのですから。

ベットの横に夜間使用のためにポータブルトイレを置いている。
母にとっては、そのポータブルトイレへの移動が、ままならないのです。
自分で自分が情けないだろうと思います。
できるだけ自分でしたい。迷惑をかけたくない、そんな人であるのは十二分にわかっている。その母が人としてのギリギリのところができないというか、失敗の連続だったりするから、やりきれないのは本人なんだろうと、思う。

先日、たまたまその失敗に出くわした。聞くだけでなく実際目にして、よかったと思う。
「ホラ、ここにも」
「ここも汚れている」
そう言われて、私は、アチコチの汚物をティシュでつまんで処理した。シーツはいくらぬぐっても臭いが残るから、洗わなくっちゃ、と慣れたものです。
弟は手袋(軍手や、ビニール製)を使うんだ、という。そりゃそうだろう、ともうなづく。
でも、私は、大いにビックリはしたものの、ささっと処理していた(女の慣れだろうか、手袋なんて思わずに、苦笑)。

何度も思い出すシーンがある。
もう今は40才を過ぎた私の第1子が生まれるとき、実家の近くの産婦人科の個室に入院した。ちなみに私は一人娘です。
母は、病室の手の届くところは拭いておいたほうが気持ちがいいからね、とさっさか拭き掃除をしていた。
病室は見た限りでは汚れてもいないのに、何で拭き掃除まで、と思ったものでした。
今思い出すと、その時の母は、娘が実家に帰ってきて出産を迎えることがうれしくってしょうがなく、精一杯のことがしたくて、そんなことまでしてくれたのだと、そう思う。
自分のできることで、私のためになることなら、精一杯してくれた、そんなスタンスの人です。
勿論、私だけでなく、他の兄や弟に対しても、ですけどね。

そんなにしてくれた母が、年老いて自分のこともできなくなり、世話になっている。好きで負担をかけているわけではないのだけれど。もう、ベットからポータブルトイレへの移動で間に合わなかったり、脚がバーに引っかかり、異常体勢で身動きが取れなくなったり、ギリギリのレベル。

「それでも、お母さんはまだ死にたくはないみたいよ、生きていたいという気持ちが伝わってくるわ」と弟夫婦の会話。

自分の情けなさや失敗をいつも考えていたら、やっていられないから、「申し訳ない」と謝ってしまうと、あとは振り返らないで、次のことを考えるようにしているのがわかる、と。

12月で102歳になる。
102歳が目標と言っていたけれど、それは達成しそうです。
ちなみに母は認知症ではないと思うし、弟夫婦も「そう、認知症ではない」と。
年相応の記憶力の劣化は大いにあり、ですけどね。










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再度ホームセンターへ。

2018-11-30 07:43:42 | 家政・料理
外壁塗装工事の営業担当者と話をしながら、我が家を見上げたら、
アラッラ、2階のレースのカーテンが経年劣化で破れているではありませんか!
なんと、みすぼらしい!

室内からは気がつかず(窓際に行ってまじまじと見ることもないし)、でした。
その後、即、レースの襞を重ねて、破れが見えないように応急処置はしましたが、ウン十年の経年劣化ですから、新調することにしました。

先日のホームセンターのカーテン売り場の充実具合を知っているので、窓の縦横を計測してから、再度そちらへ。
既成のレースカーテンには、我が家の窓に合うサイズはありません。現在の2階の厚手カーテンは気に入っているので、レースだけです。
既成カーテンのサイズ補正もしてもらえるらしいですが、発想を変えて、カフェカーテン(呼び名?)風をチョイスしました。
出窓の張り出したカーブにそったレール幅に合うサイズがあれば、丈が少し短くても、華やかな裾レースで不自然ではありません。
同じタイプの小窓分もありました。それらを購入して、昨日は、窓の拭き掃除をしてから、付け替えも完了。
フックを取り付けるのもすごく便利に工夫されていて、ウン十年前にカーテン生地を買ってきて自分でシコシコ縫っていた頃と隔世の感です。
買い物はもう一つ。先日リビングのカーテンをオーダーした時、同じ柄でクッションも2つ縫ってもらっていました。そのクッションの中身2つも購入です。フロアを変えて、クッションの中身(45㎝×45㎝)の売り場を探しました。枕や座布団はあってもクッションの中身は、、、どこだろう?
と、思っていたら、目の前!
なんと、クッションの中身(45㎝×45㎝)が大量にあるのです。ビックリしたのは、圧縮されて4分の1ぐらいの厚さになって、段ボールにびっしり。このサイズは汎用品なので輸送コスト、在庫コストの節約なんですね。プロの知恵に感動しました。
そのクッションの中身、ビニールパックの端を切ると、すすっと膨らんでいくんですから。


これらの模様替えについて、いつもついて回る感情があります。
もう、これでお終いだろうな、と。
これらが草臥れた時は、私も草臥れていて、「自分でてきる」ことではないだろうと。

我が家はどの部屋も窓が二つずつあります。風が通り抜けるようにふたつにしたかったのです。だから、和室以外はカーテンです。
新築のころ、せっせとカーテン生地を縫っていたころは、まだまだこれからで、小学生の子供を抱えたお母さんだったな~と、自分を振り返ります。私には、あのころはもうないのです。





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アジサイの移植。

2018-11-29 09:10:02 | 庭 11月
この時期の移植が適切なのかは知らないけれど、南側のフェンスに面したアジサイ(ダンスパーティ)が、沢山の実をつけたハッサクの枝がしなってきて、すっかり日当たりが悪くなっていた。
南側隣地の雑草も伸び放題だから、日当たり最悪。

私的には、母の日にやってきて花時の3シーズンを過ごしたアジサイだから、今後も大事にしたいという気持ちです。

で、土が乾燥していると根を掘り起こすのも大変だろうと、雨を待っていました。
夜半に雨が降った気配に、よ~し、と移植を実行しました。深くは湿っていなさそうだったので、脇に穴を掘って、さらに水をだっぶり吸い込ませました。
バラが4本植わっていたエリアの1本が枯れたので、そこへ引越ししました。
株を掘り上げてみると、2株に分かれそうだったので、大きい株をそこに、もう一つを西側エリアに定植。

来年のシーズンに花を見せてくれるでしょうか。日当たりは、これまでより数段アップのはずなんですけどね。

昨年に株分けしたシャクヤクは、移植1年目の今年は葉っぱは元気に茂れど花芽はつきませんでした。来シーズンに期待しています。

観に行く庭園と自分で育てている庭、は、別物ですね。

自分の庭は、花は咲いていなくても、きっと咲くだろう、なんて、期待といつも一緒なんですから。笑

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11月下旬の秋バラ

2018-11-28 16:06:40 | 庭 11月
晩秋にもかかわらず、穏やかな日和。

少し雲が低くなってきました。庭を一巡り。
あっカメラ持って来よう、
毎度見慣れたバラたちですが、

今の我が家の庭で、取り立てです。

シャンテロサミサト


マリリンモンロー


パレード(逆光です)

横向きのパレード


庭の中景




デリラ


スーブニールドアンネフランク


ゴールドバニー


プリンセスモナコ


ファーストプライズ


フラウカールドルシェキ


優香


アブラハムダービー


ロイヤルサンセット


バラ以外で

パンジー


ガザニア


自分の育てたものは、かわいいものです。うっふふ
イマイチだと思っていた今年の秋バラですが、それなりに頑張って咲いてくれています。









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急遽、外壁塗装の話が持ち上がって、、、。

2018-11-28 07:02:33 | 私の雑感あれこれ
訪問販売ではなく、訪問営業の方の話をたまたま聞くことになって、ざっと見積もりを取ってもらった。
いつもは、この手の訪問者には玄関に出ることもなく、すげなく断っているのだけれど。

夫がイメージしているリフォームは、次回は、車いすでも自宅で過ごせるように、バリアフリーにして、お風呂もトイレも、和室も大々的に変更する、というものでした。
いくつかの施設を見ていますが、極力自宅で過ごすのがいい、私もそう思っています。

だけれど、夫婦とも70歳になっていない今は、まだ車椅子バージョンの家にするには早いだろう、そんな気持ちでした。
でも、外壁がいやに疲れた感じがするな、そう思うようにはなっていました。

これまでは、2度のリフォームで外壁も室内も同時にやっていましたが、同時である必要はないはずです。
屋外工事だけを今やって、室内のバリアフリーは体力の様子を見ながら、10年後でもいいかもしれません。
先回のリフォームの時室内階段に手すりをつけました。
なんだか、年寄り臭くって、そんなことしなくても、と心中思っていたのに、今は、手すり、無意識に使っています。苦笑

私たち世代(団塊)が、要バリアフリーの年頃に向かっていく頃には、いろいろ工夫されたもの(企画)が出てくることでしょう。
友人はすでに、ドアを取り払って、全部、引き戸、それも釣り戸にしたとのこと。
ドアは車椅子生活には不向きなのです。引き戸1か所以外はドアばかりの我が家、どうリフォームできることか。

ま、将来のことはさておき、外壁塗装の件。
先の業者さんには、「相見積を取ります」と断ってあるので、今日、別の業者さんに見積もりをお願いしています。
急遽の話なのですが、ま、こんなこともあるか、です。

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ギョ! わたし?

2018-11-27 09:08:09 | 健康
昨日、月曜の朝に洗面所で鏡に写った自分の顔を見た時の感想。
目の下のクマがひどい!
こんな印象を受けたのは初めて。
前日の疲れが残っていて、目の下のむくみが微妙にひどかったのでしょう。
それが洗面台の照明に反映されて、えっ! でした。

顔のタイプがあるのか、私は今まで、目の下のクマというものを気にしたことはありませんでした。
微妙な陰影がこんなにも疲れ切った印象を与えるのかと、ビックリ。

昨日の午後はぐったりしてすごし、お風呂に浸かってから寝たのに、まだ残っているなんて!
そのことがショックでした。
これからは、こんなことが多くなるのでしょうね。

実は、今朝も微妙に目の下のクマが気にならないでもありません。
クマが回復するのが早いか、クマのある顔に不自然を感じなくなるのが先か、微妙です。苦笑

今日はこれから、ホットヨガのリラックスコース(レベル1.5)です。
無理をしないで、疲れを流して、保湿してこようと思います。


事務的なこと、あれとコレをしてといくつか懸案事項があります。

身体はすぐにイエローカードを出しますが、諸作業はサクサクとこなしたいものです。

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連休3日目。避難訓練行事に参加。

2018-11-25 20:55:32 | 私の雑感あれこれ
朝の8時30分から、某委員会のメンバーとして、災害時の避難訓練の炊き出しブースに参加しました。

終わったのは12時だったのですが、結構疲れて、午後はぐたっとして過ごしました。
時間があっても、体が重くて、なんにもする気になれない自分に、イヤダな~の気持ちでいっぱい。

出かける前は、庭に出て、ワスレナグサの移植などの庭仕事ができたのに、、、、。

大鍋2つで、非常用のご飯を作りました。

日本赤十字社仕様のビニール袋に0.5合の無洗米と適量のお水を入れたものを350個作り、熱湯で40分。
炊飯器がなくても、ビニール袋でご飯が炊ける、という非常食の作り方の訓練です。

小さな口(直径7センチぐらい)の袋に、お米を入れるのは手間が掛かります。
何とか手際よくできないかと、考えました。
お隣の豚汁を作るブースで、まな板用に洗って開いた牛乳パックがあるのが見えたので、1枚いただいて、簡便な漏斗状にして、ガムテープで固定した。
これだとさっさかとお米を注入できます。

袋にお米を入れた後、お水を指定の分量入れないといけません。
誰かが、当日配布されたお茶のペットボトルを半分に切って、漏斗状にしていました(お米を袋に入れるために工夫したのですが、濡れているのでうまくいかなかった)。
それの半分に切ったペットボトル容器2つにメモリ(しるし)をつけて、蛇口から必要分のお水を計り置くということをしました。
協力者は他人数で、皆さん協力的です。

みんなでの流れ作業。速やかに350個のビニール袋ができました。

大なべの湯が沸き、小さな米袋の投入です。

炊き上がるまでの時間は40分!と責任者はおっしゃいますが、じっとそばで待っているわけではありません。
何分に投入して、40分後が何分なのか、紙にメモして表示しておいたほうが、共通理解になると思いました。
で、手元にあった紙の裏紙に、それぞれの鍋の、投入時間、出来上がり時間、入れた数を書き込めるような表を即時に書いて、鍋の近くの長机にガムテープで張り付けました。

実際は、まだ入る、まだ入る、と追加したりして、理想通りとはいきませんでしたが、メモを見たら、40分後がわかる、ということは便利だったと、自分的には思っています。

このメモがないと、40分後がいつなのからからず、イライラと何度も試しに袋を開いてみることになったと思います。

大勢の参加者に配布して、余ったのを1つお持ち帰りになったのですが、自宅に帰ってから、どどっと疲れが出で、そこが我ながら嫌になっているところです。
このすぐに疲れてしまう体力のなさ、何とかしないといけません。
昨日の山頂のお城行きでもロープウエーを下りてからの7,8分の石段で心臓パクパクでした。
先週、特定健診の結果で、「心臓付近の動脈が動脈硬化を起こしていて、すでに石灰化しています」と言われたことを思い出しながら、倒れないように、心臓を思いながら、石段をのぼり、天守閣の階段を昇ったのでした。


今の気にかかっていること。

お医者さんが「心臓付近の動脈が動脈硬化を起こしていて、すでに石灰化しています」とサラサラ口にされたので、私はびっくり。
えっ!と、驚いた私は、もう少し詳しく聞きたくもなります。
「これは、検診の結果をお知らせしているので、、、」「検診の報告をしているだけですから」と2回ほど同じ返答。内容への深入りはなし。というかやんわり拒絶。これって、どうしたらいいのだろう。町の検診だから、お医者さんへの収入は低額だろうし、治療を求められているのではない、に徹しているのでしょう。
所見としては「要注意」のところにチェックがあったから、このまま様子見でいいのだろうか。
私の脳裏には、レントゲンに写った細くて白い弧状の筋が去来する。








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連休2日目。岐阜城に向かう。

2018-11-25 20:45:37 | 旅行・休養
グーグルアプリで検索すると、自宅から目的地まで1時間10分ほど。
さくっと行ける、と思ったのですが、カーナビのルートがいつもと違う高速道路をナビしたこともあり、ちょっと余計目に時間がかかりました。
でも、やはり自家用車はラク。

車からも金華山の頂上のお城が見えてくる。
眺望抜群だろうけれど、天守閣までの道筋は大変だったろうな~と思う。
岐阜公園のそばにロープウェーの乗り場がある。ロープウェー利用して天守閣に向かった。

ロープウェーを降りてからさらに、8分ほどの石段の登りがある。


天守閣からの眺め。
川は長良川です。


織田信長(1567から1576年まで居城としていた)らの住居はふもとにあって、今は岐阜公園となっている、とのこと。

岐阜公園の一隅にある資料館にも立ち寄る。

信長が楽市楽座の御触れを出したのは、この岐阜の町だったのだという思いを新たに、展示物を見て回る。

明治政府となった時の太政官のお触れ「定」の高札の展示もしてあったけれど、全国一斉に行き渡ったのではなく、岐阜の町に高札が立ったのは明治4年になってからだったと。

情報伝達は隔世の感、ですね。

今は、即手元のスマホにニュースが届く時代になっているのですから。









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