日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

言葉を拾って

2009-12-29 08:36:05 | 私の雑感あれこれ
1週間ほど前だったろうか。
「ひとは自立なんてしなくてもいいんだよ」
というフレーズが耳に入った。

そのフレーズが、妙に自分にストンと来て、湖水に投げた石が水紋を広げていくかのように、私の臓腑に広がっていった。

そうなのよね。
自立しない生き方もあり、なんだし、どんな生き方でも、受け入れられるのが、世の中なのよね。
と、もう一人の私と反芻しあっている。

「馬を水場に連れて行っても、水を飲みたくない馬には水を飲ますことはできない」という、言い方がある。
きっと、私にも、この路線というものが出来上がっていて、自分に必要としない、というか、そうありたくない光景を、見ようとしなかった、という傾向があzqkだろう。
だから、読む本にしても、ドラマや映画でココロ引かれる台詞にしても、私バージョンが出来上がっていた。
現実の人間関係で求められないシチュエーションを、自分が本や、映画、ドラマからチョイスしてきた理屈で拵えて、こうあるべき自分を想定していた。
そして、その目指す形になっていない自分に、イライラして不満足を抱えながら、暮らしてきた。

誰かに、ではなく、自分自身に片意地張って、自分を責めて、不満足。
ああ、なんと、下手くそな生き方。

「自立なんてしなくていいんだよ」という紙切れが、どこかから舞い降りてきて、
その紙切れの文字に目を遣りながら、
今、自分の歩んできた道のりを振り返っている。

あはは。お笑い種だよね。
自分の櫂は自分で持ち続ける人でありたい。
とか、
諸々の影響を受けながら、
沢山の教師達の、教え子たらんと、ここまできたのに。
「自立なんてしなくていいんだよ」が、涼風に感じられたりもするなんて。

だからといって、自分が変わるものではない。
千差万別の生き方があって、自分は自分の一筋を歩むだけ。
余所様の行き方に拘泥することなく、
生きます。




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年末の掃除に向けて

2009-12-23 21:28:49 | 私の雑感あれこれ
今日、二階の本棚の掃除をした。
本棚の埃は気にはなっていても、つい後回しになっているのです。
そして、本棚掃除をすると、つい何かを手にとって、読みふけってしまうのも癖です。
今日は、下段のすみっこに処分しそびれていたファイルに手が伸びました。
長女の中学校名が背表紙に書かれています。
3人の子供が小学校、中学校に通っていたとき、私はそれぞれのファイルを作って、学校からの通信その他を綴じていました。
仕事を持ちながらの子育てなので、書類が散逸しないように、ひとまずファイルへというやり方、私はそうしていたのです。
その中学校からのその通信は昭和63年の4月。
中学に入学した生徒向けの文章でした。
彼女の中学の先生が、別の中学の文章をまるまる引用されて、新中学一年生に伝えようとされていました。
「君たちは勉強、勉強とあちこちから言われて、イヤになっているかもしれないけれど、勉強は何故しなければならないのか」
そういう、中学一年生が抱くであろう疑問への回答でした。
掃除機の手を休めて、ついつい読み込んでしまいました。(私、同感、同感の内容でしたから)
先生達が、目の前の子供たちに、言葉で説明し、伝えようとなさっている姿勢に、日本の公立学校って、日本の教育って、いいじゃないか!(今は知りませんが、多分今も大差ないと思うけど)
改めて、そう思った次第です。
子育て中のお母さんがこのブログを読んでいらしたとしたら、お勧めしたい一文です。
そして、その文章のいいところが、生徒本人へ伝えようとしている文、であること。
世のお母さん方が、今の学校は酷い、先生がよくない、とか耳にすると、思うのです。勉強=成績、塾にやらないと勉強ができなくなる、これって違うと。
中学3年間、学校で学ぶべきことをきちんとマスターすれば、相当な中味を習得できるのに、と。
その学校をないがしろにして,塾へ行かないと成績が伸びない、という路線、発想、何とか抑止できないものかしら。

塾に頼らないで、学校の勉強だけで充分という子供たちを応援したいものです。
アハハ、応援なんかいらないよね、勉強なんて自分のためにするものだもの。


※文章の内容抜粋を書くべきですね。
 時間があるときに、書きます。

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テレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」が終了。

2009-12-22 07:29:01 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
シーズン7まであった、アメリカのテレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」が終わった。
民主党のバートレット大統領の2期目の4年間が終り、非白人のサントス大統領の就任式で終幕。
大統領執務室とその周りで仕事をするメンバーらの活躍ぶりを描いたドラマだったから、バートレット大統領と共に彼らの仕事も終りとなる。
サントス大統領の選挙運動参謀として活躍したジョシュと、ドナ・モスは、当選した大統領から新たなポストを与えられ、次の4年間が始まる。
CJクレッグも、引き続きホワイトハウスでの仕事をと請われたけれど、私生活を優先することを選び、ロス行きを決める。
トビー・ジーグラー・レオ・マクギャリー、それぞれに有能な一人一人に、なるほどと納得させる台詞を、役回りを与えて、このシナリオは最後まで、見る人(私)をひきつけた。
この日が最終と知ってみているので、なんだか、ひとりお別れ会みたいなものでした。アハハ。
思えばシーズン1からよく見たものです。
DVD録画がなかったので、初めの頃はビデオテープに録画保存しています。とにかく大好きになって、一度見だけではもったいない、そう思ったものです。…ビデオラックでかさばっている!・・・もう一度見ることってあるかなー。
毎年のようにエミー賞を受賞していた作品というから、アメリカでもよく見られていたのでしょうか。
このドラマを語り合う仲間がいない…夫だけ、というのは、ちと寂しい。
おしゃべりな私は、井戸端会議みたいに、共感を語り合いたい!のにね~

よく、韓国ドラマに熱中している人たちがいると聞くけれど、このザ・ホワイトハウスについては、・・・。

そして、一足早く、もう一つ見ていたアメリカドラマ「エバーウッド、遥かなるコロラド」も終わりました。こっちは、ほのぼのとして温かいドラマでした。
最後は、エンゼルが幸せの粉を振りまきにやってきたかのように、みんなハッピーエンド、で終わりました。


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テレビドラマ「坂の上の雲」を見ている。

2009-12-13 15:36:48 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
坂の上の雲
NHKが長期ロケを行なうなど、充分な費用をかけて製作された作品です。
で、2回が終わりました。

ナレーションは、原作の司馬遼太郎の文章を語るのだけれど、彼の文の特徴は、読み手に語りかけるような筆致が特徴なものだから、司馬さんに招かれて明治時代を鳥瞰しているような気分になる。

秋山好古、真之、正岡子規の3人を軸とした展開なのだけれど、第2回目では、正岡子規の妹律の結婚にココロが痛む。
大学予備門に通う子規の3つ年下だとすると、二十歳前でしょう。
縁あって軍人と結婚して、夫の両親の世話をする。
夫は東京。嫁は始めから舅姑の面倒を見るのが第一の目的。
先日読んでいた「日本婦道記」に出てくる嫁のパターンと同じ。
「かつての女性は酷い扱いされていたのだね」
というと、
「食べていくのがやっとの国では、それしか食いつないでいく方法がなかったからだろう」
そんなやり取りをした。
結婚したものの夫ではなく、舅姑に仕えるばかりで、一度夫に会おうと東京に出向いた律は、夫から、東京に来たことをなじられ、まもなく離縁となる。
遊び仲間の真之が帰郷していることを聞き、帰り際の幼友達に向かって口にする。
女の私であっても「自主自立、一身独立」(福沢諭吉の学問のススメ、からきているとか、秋山好古の座右と)ことを、律は別れ際に真之と言い合う。
真之が、勉強はスカン、喧嘩が好きだ、どうせ喧嘩をするなら、大きい喧嘩、外国との喧嘩が面白い、と野生児だから出てくる台詞を言わせ、大国=軍事大国の時代の一つの立身出世の道を書く一方で、律という女性を通して、松山という田舎町に萌芽を置いている。
これって、まったく司馬さんだなー、と。司馬さんがこの時代にこういう女性もいたはずだ、と拵えたんだろうな、と、そう思いながら観た。

そして、俳優さんたちの演技が観ていて気持ちいい。
こんな風に、真剣な役への取り組みを通して、役者さんは成長なさるのだろうなー、と、余計な事まで考えている。アハハ。

今とは時代が違うし、司馬遼太郎さんの物語部分も入っているだろうし、テレビ画面から流れてくる物語で、本当を知ることにはならないのだけれど、でも、こんな時代を通って、今の日本があるのだと、そういうことを考える機会になるから、いい。



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「はじめの猿」

2009-12-11 15:32:27 | 私の雑感あれこれ
皆さんは、?? でしょう。
我が家では「『はじめの猿』ってことかもしれないし…」そういうふうに言ったりする。

通じないでしょうね~。

以前、中学生の国語のサブノートというか、問題集の中の文章でこんなのがありました。

文明の進歩について書いた文章でした。
進歩は日々の着実な努力や試行錯誤から、少しずつ進歩してきている。けれども、意外と進歩は、着実ではなく、思いがけないことが起きて、それがきっかけとなって、新しい道がひらかれることもあるのた、という論調の文でした。
その話に、猿の群れの話がありました。
本来水に入ることを避けていた猿たちだったけれど、そそっかしいというか、無鉄砲な猿が、思わず川に飛び込んで(落ちて)しまった。
水の中の猿は慌てふためき、必死に岸辺に這い上がった。
で、それを見ていた他の猿たちも、水に入っても意外に大丈夫と理解する。
泳ぐことができると、向こう岸に渡ることができる。世界が広がる。
世の中は、こうして堅実派だけではなく、思わぬことを試みる猿がいることによって、開けてきたのだ、と。

ーーー読んだときは、即「いい文章だね」と、口に出たのに、記そうと思うと、下手くそ→私。

読んで、まだ年数も経ていない頃、夫に話したので、それからは、『はじめの猿』で意味が通じるようになっている、というわけです。

横道を遠く進んでいってしまいましたね。
で、何を言いたかったか、というと、
子供たちが幼いときは、彼ら彼女らは、母親の庭で遊ぶことが日課でした。
それから、子供社会に出て行き、仲間の中で学び、社会人として巣立っていきました。

すっかり、子の世話をする役割は終えていますが、心配が尽きないのも本当です。
そんなときに、時々、引っ張りだすのです。
あの子のしていること『はじめの猿』かもしれないと。

水つながりで、話題を広げます。
先日の娘との電話で。
昨今、独立行政法人がやり玉にあがっているね~と、話しました。(彼女の以前の勤務先も、その独法人でした。退職を伝えてきた頃の文章)。
そう、いいことよ。あのときから、□□□□は沈みかけた船のようだったから。

そう、上位官庁から出向の人が来ていて、威張っていると、いっていたよね~

だから同期はドンドンやめて行ったけれど、
沈みかけた船から、次に乗る船をちゃんと見極めて、船から降りる人もあれば、何にも考えないで、ボチャンと海に落ちる私みたいなのもいる、と。
デモね、今は何とか筏(いかだ)ぐらいには乗れているからね。
タイタニック(の映画)、知っているでしょ。あの映画のように、沈没する船に最後までしがみついている人もいるわけだし、ね。

うーーん。
私は、臆病者だからしがみつくタイプかも知れない。
乗り移る船もなく、海原にボチャン、と自分のことを行っていた娘。
漂流する筏かも知れないけれど、
今は自分の筏の船長さんなのだから、
航海に晴れの日もやってくることを願う。

どの企業も、起業したばかりの頃は小さかった!
だよね、『はじめての猿』

そして、
起業後一年近く、苦境をしいられた彼女。
ボツボツ取引が始まっている今。
泣き言も言わず、よく頑張ったと、思っています。

苦境があるから、ひとつの取引があること、のありがたさが判る。
初めからスムーズに行ったら、この喜びを味わう、という体験ができなかった。
よく頑張ったね。
このはじめの大変だったことが、あなたの人生の財産だよ。
あなたは堪える体験という財産を持ったのよ。

そう電話口でいったら、

そんな風に思ってくれるのは、親だからだね、と。

そんなものです。


話は、戻って、
私が「はじめの猿」の文章に出会ったのは、友人(ピアノ教師)のお子さんの家庭教師をしていたとき(ウチの子供のピアノのレッスン中、私は友人宅で彼女の息子の国語の家庭教師をしていた)。
「へー、いい文章だね」と言ったら、その中3の息子さんは、
「ボクはこの文章、知っている」というのです。
そして、隣室へいって、紙片を持ってきて、
「ホラ」と、差し出しました。

新聞の切り抜きです。
まったく、その文章なのです。
どうして?
と聞くと、
「お父さんが新聞記事を切り抜いて・・・」と。

不思議なものです。
見つけた場所が、新聞だったり、勉強用問題集なのですが、
気に入った、ココロにストンと来るものは来るのです。

へー、お父さんもこの文章をあなたに読ませたかったのだね。
なんだか、子育てする親の心遣いに共通したものがあるように感じました。
因みに、そのお父様は理系ですが大学教授。
子を思う気持ち、生育する子供を見守る親というスタンス。

まあね。
「はじめの猿」の話題には、こんな偶然もあったというエピソードのオマケの話です。
不思議でしょう。
というか、この話がいいから、こんな偶然が起きたのでしょうけれど、ネ。










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携帯にメールが届く。

2009-12-10 22:01:47 | 子育ての周辺
「今日 無事入籍しました」と。
10月頃から同居していたから、これで苗字がひとつになったっわけ。
二度ほど荷物を送るとき、あなたの苗字で届く?
と聞かねばならなかったし、
娘の返信メールは「うん、届く」
だったから、ふたつの苗字を並べていたのかもしれないけど、
細かいことは聞いていなかった。

「本人達が企画する結婚式だったら、お父さん出席OKだと思うからね」と、伝えてあるから、時期を見て結婚式の案内が届くかもしれない。
娘、今、受験勉強中。

思考のスパンが違うのか、小さいときから、周りとしっくりこない体験をいっぱいしている子供だった。
本に夢中なって、一緒にいた友達が外遊びに行ってしまっても気づかない子。
工作が大好きで、なぞなぞが大好きで、物語作りが大得意で、
いつも自室でもくもく何かをやっているから、家守(ヤモリ)だね、と私たちは言っていました。
20代後半で大学院へいって、新たな仲間に出会ったことが、彼女に衝撃だったようです。

彼女の立っている足元が見えない、なんか、彼女の小さいときから、そんな思いをさせる子でした。・・・思考の組み立て方が、いつも低迷している私とは違うのです。

これから先、どう進路をとっていくのか。

結婚しない若者が多いと聞くけれど、二度もしちゃうのだから、我が娘ながら、彼女、魅力的なのだろうか。
うーん。
ともあれ、二人三脚していく相棒がいることは、めでたい。

娘のパートナーは、人望の厚いひと、らしいです。
よかった、よかった。
晴れて今日、入籍した二人に幸あれ。











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お歳暮の季節

2009-12-08 12:27:46 | 私の雑感あれこれ
追加分を前掲します。

私と同じ記事を読んだひとなのか、今日の朝日新聞の投稿川柳欄に

―デパートに売るほどの福はあったっけ―

そう、お正月恒例の福袋を早めに売りだしているという話も載っていましたから。
川柳って、なかなかの優れもの文化ですね。

ああ、ついでにこれも先日の同じ欄にありました

―億万の子供手当を総理受け―

追加、ここまで。

一昨日だったか、新聞にデパートのお歳暮の商戦が伸び悩んでいるとかの記事がありました。
経費節約、デフレの時候。デパートまで買いに行く人も減っているのでしょう。
私もほんの少しの送付先数なのですが、近くのスーパーで済ませようと思っています。
送付先は、肩肘張らないところだし(勝手にそう解釈しています。笑)、
デパートに行っても、選ぶ品物は似たりよったり、だし、
メーカー品もスーパーに十分揃っているし、
送料割引とかも、手厚いし、
そして、出かけてく手間がかからないのが、断然いい!

で、今年はデパートも「全国送料無料」だそうです。
ネットで全国どこからでもおいしいものを取り寄せられる時代になって、
「一流品はデパート」の意識もなくなってしまった。
包装紙が大事、という日本人特有の常識も、簡易包装が普及して、すっかり姿を消してしまった。
今日届いた某デパートのお歳暮は、箱の真ん中部分を胴巻きにしただけ。
きっと、丁寧な接客を心掛けていらっしゃるでしょうが・・・。
老舗デパートの悲鳴が聞こえてきそうです。
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