日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

その3

2010-04-30 12:36:23 | 健康
朝 トースト、蜂蜜ヨーグルト、千切りキャベツ、コーヒー、
昼 定番お弁当
晩 ご飯、納豆、味噌汁、揚げ物(カレイ、イカ、タラの芽)、セリの胡麻和え、きんぴら
夜食 トースト半枚、サンフルーツ

ウーン、摘んできたセリの胡麻和えは野趣豊かなのだけれど、苦味が口に残りすぎ。
サンフルーツは箱で買ってあるため、毎日続きます。
口さびしくて、トーストを食べたことは、×でしたね。翌朝の体重グラフに出てしまいました。我が家のトーストは自家製で市販のものより、私は好きです。特によく焼けている耳が美味しい。
カレイ、イカは一夜干したものを揚げました。本当は揚げ物にしたくなかったのですが、興味をもって、干物を作り始めた家人の是非との提案です。
そして、美味しかったのは確かです。


昨日のNHKの番組で
「様」と「さん」の使い方の是非を取り上げていました。

お医者さんまでが、「患者様」というようになってきて・・・。
なんだかなー、と常々思っていました。
様で呼ばれるのは、銀行とかホテルとか、そうだ旅行会社も…。
いずれにしても、こちらが消費者で相手にとってお客様、という関係。

確かに、病院にとっては、患者はお客様かも知れないけれど、
患者は、専門家であるあなたに、私の病(困っているところ)、を直して欲しい、と願っているという立場。
様付けで呼ばれるよりも、診療の中身で勝負して欲しいのだけれどなー。

あっ、思い出しました。
納入業者との電話でのやり取り中のこと。
業者が社内で、○○の納入何日?とか確認している声が聞こえて(笑)、それは、様、どころではなく、フルネームも4割カットされた、簡便呼び名になっていました。
そりゃー、忙しいから、そうなんだ、と、受話器を通して聞こえた、初めて聞く簡略呼び名に!でしたが、そんなものだと、理解できます。

なのに、高度な専門技術職のお医者さんにまで、経営の包装紙のような、「患者様」との呼び方を普及させている病院って、何?
そう思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その2

2010-04-29 14:10:53 | 健康
朝 トースト、目玉焼きと春菊のピーナツ和え、蜂蜜ヨーグルト、コーヒー
昼 キツネ蕎麦、イチゴ、サワーフルーツ
夜 ご飯、納豆、味噌汁、ハタハタの煮つけ、メザシ、きんぴら
間食 蜂蜜ヨーグルト

家人が痛風再発で、粗食にしようとの流れと、初めて作ったメザシ(干し鰯)を早めに食卓に載せたかったので、こんな具合。

久しぶりの図書館で「暮らしの手帳」を読む。
ぐっとタイミングでダイエット記事があって、読み通す。アハハ
いつになってもダイエット情報記事や雑誌が廃れがない、ということは、それほどまでに道のり遠し、ということか。

松本清張の「砂漠の塩」(昭和40年頃の本)を読了。
描写がうまいから、書かれている中東の光景が目に浮かぶようだった。
シリアのダマスカスからイラクのバクダットまで、バスで20時間の行程。
そういえば、娘が中国雲南省旅行をした際に、15時間汽車に乗り、そこから先10時間以上バスに乗ったと、話していたことを思い出した。
まだ海外旅行が特別なものだったころの、カイロ、ベイルート旅行で仕入れた当地の匂いを盛り込んだ作品です。
初掲載は「婦人公論」と分かって、いかにも、と納得するような、不倫がらみでの心中目的の砂漠行きの話でした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4ヶ月かけて

2010-04-28 07:36:29 | 健康
今まで、お訪ねくださった方々へ
キーを叩いて、駄文を書いても、つい草稿をクリックして、なんだか~の日々を送っています。
一隅から、そんなこと書いてみても始まらないじゃないか、と、自分への声が聞こえてきて。

で、しばらく、方向転換。

食事メモにします。
ダイエット目標4キロ減(本当は8キロ減希望なのだけれど)。

朝 トースト1枚、蜂蜜入りヨーグルト、コーヒー
昼 定番のお弁当(焼シャケ、人参入り卵焼き、菜花のお浸し鰹節まぶし、梅干)
晩 ご飯、筍とかき玉の味噌汁、味付け焼き魚、ベーコンと野菜のの炒め物、春菊のピーナツ和え
夜食 蜂蜜ヨーグルト

4ヵ月後に、うれしいイベントがあります。
なんだか、こんなことを目安にするなんて、
と、呆れられると思われるでしょうが、
そんなものです。
果たして、成功するか、どうか。

「お母さんは仕事だと一生懸命やるでしょう。ダイエットもひとつの仕事だと思ってやれば、お母さんには出来るはずだよ」
そういう、説得力満載の言葉をかけられても、私にとってのダイエットはなかなかの大事業なのです。

自分の体重管理も出来ないで、情けないのは承知です。
だから、つまらないブログになりますので、4ヶ月後に、またお訪ねください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また事業仕分けが始まっています。

2010-04-22 12:53:10 | 社会問題
独立行政法人や、その外郭団体の法人などに対しての事業仕分けが始まりました。
各省庁からの予算が流れてきて運営されている組織。
その天下り人事の多さと、その人たちに約束されている年収に驚きます。
そして、外注先、仕入れ先にまたまた再雇用されて行くという構図があると。
例えば、備品の仕入れ先、とか、JAICAだと、航空券の手配業者へ、とか。
なんだコレ!
そんな仕組みだったのですか。
全部、国のお金が流れていく先です。
公費は自分のお金でないから、われ関せず、で特等席が用意されている
そんな国だったのですね。

こんなことがようやく明らかになったわけ、です。
政権交代のおかげ。
自民党政権が続いていると、これからもずっと、温床は温床のままだった、と思うと、ぞっとします。

で、少しずつ、天下り、とか、渡り、とかが、役得だという流れが沸き起こっているけれど、自分から、その路線を降りる人は、いますか。

不利益!という声は挙がりやすいけれど、得してる!は密やか。

もし、仮に、天下りさん、渡りさんのお給料を、スリムにしたら、どれくらいになるのだろう。
仕事に見合った報酬、本庁で定年まで働いたから、あとは名実ともに公僕として、という流れになれば、すごいのにな!

今、名古屋の河村市長は年収800万円だそうで、議員にも同調して800万円を提案。現状は1600万円超らしく、この提案は議会から総スカン喰っているところです。
役得ではなく、仕事に見合った報酬であって欲しいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「二ールンベルグ裁判」を観る。

2010-04-18 09:10:00 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
3時間を越える長編。製作されたのは1961年。
ニールンベルグ裁判は、第2次大戦後、敗戦国ドイツの戦争犯罪を裁く裁判です。
映画は、その裁判が始まって2年余り過ぎた頃の1948年。
主だった軍人らの裁判はすでに終わって、ナチス政権下で、ナチスが制定した法律にしたがって裁きをしていた裁判官や司法関係者が被告人になって、裁判が繰り広げられる法廷シーンを丁寧に追います。
ユダヤ人との男女交際はご法度。人種法により、劣等とされた人間の生殖機能は医学的処理が施されます。
戦後であれば理不尽と声を上げることもできるけれど、ナチス政権下では、その法に異を唱えること=職を失うことになる、という時代が裁判されているのです。

裁くのは、戦勝国アメリカからドイツに赴任してきた老判事。
裁かれるのは、法学者として世界的評価を得ているヤニング裁判官。
勿論、犯した罪を追求する検察官も、戦勝国のアメリカ人。
元裁判官のヤニング被告人を弁護するのは、彼の教え子である若きドイツ人弁護士。
証人にたった、ヤニングが師事した元裁判官は、裁判官の法服の胸に、ナチスの紋章を付けることが強制されたとき、自分は裁判官の職を辞したと。
ヤニングはなぜそのとき、やめなかったのか。
一般市民ではなく、人を裁く立場にいて、裁かれた人のその後が、どうなるのか、本当に知らなかったのか。

アメリカから来た老判事は、彼を知るために、彼の法学者としての著作を読破する。

判決言い渡し。
終身刑。

映画は1961年製作。
ナレーションが流れる。
-この時点で、この裁判で裁かれた人で、刑務所に入っていることはいません-

被災したベルリンなのか、瓦礫と化した街の映像が印象に残りました。
よく、日本の被災地の写真は目にするのですが、ヨーロッパ、爆撃を受けたドイツも同じく、ここまで廃墟となっていたのかという思いで眺めました。
10年ほど前に、ベルリンのブランデンブルグ門の辺りで絵葉書を数枚買ったことを思い出しました。どれもセピア色の敗戦後のドイツの街、人々の絵葉書でした。
この映画より後に書かれたものですが、ワイツゼッカーさんの本を読んだことを思い浮かべながらドイツを駆け足訪問したことを、思いだしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鞄の中に。

2010-04-17 09:17:12 | 私の雑感あれこれ
二つの話を書きます。
自分にとっての、踏み絵、わが娘との溝のように思えたシーンです。

娘が大学2年の8月の終わり、1年間の中国留学に出発する二日程前だったでしょうか。
留学が決まってから、課外に語学の特訓をしてもらっていた、中国からの交換留学生を一晩我が家に招待しました。
彼女は1ヶ月後に帰国する人でした。
大型のラジカセの入ったダンボールを持ってきました。娘の荷物として持っていって欲しい、との話です。
えっ、何で?と思いました。
みんなが帰国するときは、短期旅行する日本人学生と一緒だったりして、荷物を分散して頼めるけれど、一人遅めの帰国になった自分は、頼む人がいないから、と。
でも、母親としては、これから1年間はじめて留学する娘に、中国では入手できないだろうと、日用品も買い揃えていました。トランクはいっぱいです。
お母さんも見送りに行くでしょう、だからお母さんがこの荷物をもって行って、カートに乗せれば大丈夫、向こうでは、私の父親が荷物を受取りに来ているから、と。
不慣れな体験で、ミスのないように一生懸命なのに、飛び入りで、こんな申し出。
「自分の荷物は自分でもって帰ればいいのに、なんで?あつかましい」と、思いました。
娘は、「いいじゃない。持って行ってあげる」です。
おまけに、膨らんだ布製バックをだして、これもネ、と。

その日の中国人の彼女は、我が家のお客さん、です。
嫌な空気を何とか納めなくてはならない、こともあって、拒まないまま、話は終わりました。
こんなとき、私は一晩眠れなくなるのです。
なんで、あんなに大きなダンボールと、バックを留学荷物に追加しなくてはならないのか、と、悩んで。
そして、「いいよ」と、言ってしまうわが娘。

翌朝、私が渋っているのを察して、手荷物のバックだけは、持ち帰ってくれました。
で、出発当日、空港まで、見送りに行きました。
勿論重い荷物だから、カートを使いました。
「手荷物検査で、重量オーバー7000Oか9000円プラス」と娘。

あっ!これだったのだ。
しきりに、中国では物が安いから、何も日本から持っていかなくても、向こうで買えばいい、…だから、自分の荷物は持っていって、ということをしきりに口にしていたのは。

勿論、財布から出すのは、私です。
中国人にはその金額は相当負担でしょう。
だからといって、出費が予想されることが分かっていて、押し付けるのはどうなのだろう、私は、こんなとき、門扉を閉めたくなる気分になるのです。

これが、私の踏み絵。
器が小さいのでしょう。

いいじゃない、お母さん、そんなことでガタガタいうお母さんって、ケチね、
そういわれるから、ここで生まれるのが、娘との溝。

人助け、はお節介な性格もあって、イヤじゃないし、寄付をしたこともないわけじゃないのに、こんなシーンでは、イエロー信号をがともるのです。

ま、一回こっきりの話ですから、いいんですけどね。
因みに、着陸した空港で、もう一度関税が9000円ほどかかったそうです。
それは、先方のお父さんが支払ったから、と、娘はケロッとしているのですが…。


娘の海外行きを空港までの送迎は2、3度でしょうか。
その後は、最寄の地下鉄までの送迎になりました。
だから、そのラオス行きのときも、目にすることはなかったのですが、たまたまこちらの空港発とのことで,我が家に前泊しました。
結婚を決めてからの二人でのラオス行きでした。
一晩早めに帰省した娘は、トランクを開けて、家族用に準備したお土産の品を見せてくれました。贅沢品なんてありません。ジャケットやスニーカーや、赤ちゃんの粉ミルク。クレヨンにお絵かき帳。廉価で揃えた必需品ばかりです。
コレは誰に、アレは誰用、と、説明しながら見せてくれました。
彼の家族へのお土産を二人で手分けして持っていく、の図です。
1週間ほどの滞在ですから、自分用の荷物も勿論あります(普通は自分用だけでいっぱいになるでしょう)。
あー、物資が不足しているから、日本のこんな品物が喜ばれるのだ、と眺めていました。
二人揃って、空港へ向かうために、地下鉄駅まで送ったところで、娘が、こそっと、言うのです。
「家に私の洋服を置いてきたけれど、忘れ物じゃないからね。彼が持ってきたお土産で、入りきらなかったものを入れるために、私の着替えを減らしたの」と。
「分かった」とは、勿論返事はしますが、あんまり愉快じゃないのです。

彼は、自分の故郷の家族に、目いっぱいのお土産を持って行きたいのでしょう。その心根は分かります。でもサ、…と、思ってしまうのです。

ラオスの粉ミルク、輸入品だって。賞味期限なんかいい加減で、良くないから、お兄さんの赤ちゃん用に送っているの。送料高いから、出来るだけ持って行きたいってわけ。
ハイハイ分かります。

でも、なんだか、娘は荷物運搬人なんだ、そんな気分にも。
娘は、ちっとも苦にしていなくて、豪快なのでしょうか。

娘のトランクの中身を知ることがなかったら、気にすることもなかっただろうに、なんて、心が狭いのだろう。

家族に贈り物をするのは、誇らしいことです。
息子から、弟から、兄から、従兄弟から贈り物を貰う人たちは、うれしいでしょう。
そして、夫が懸命に家族に尽くしている姿を見る娘も、満足しているのでしょう。

こんな場面も、私の中の母性の踏み絵です。







コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キター―!振込め詐欺か?

2010-04-14 10:33:49 | 私の雑感あれこれ
多分、その類の電話だと思うのですが・・・。

昨夜10時頃、家の電話が鳴り、
受話器から
「○○、○○」
「えっ?○○ちゃん」と、問いなおしながら、声がちょっと。。。という思い。
「○○」
「えっ?○○ちゃん」
「メモして・・・」
「えっ?○○ちゃんなの?」
で、電話は切れました。

確かに、滅多に電話してこない息子だから、振込め詐欺に狙われてもしょうがないよ!
と、ツレナイ息子を想像して、プン、です(笑)。

でも、念のため、息子の携帯に確認電話。
通じない。
メッセージを入れておく。
メールも追加して送信。

念のため、枕元に携帯を置いて寝る。
朝、携帯に返信も、着信のマークもない。

なにさ、という気持ちと、
でも、本当に疲れて、声も変わったのかしら、と。

朝の何度目かの電話で、ようやく息子本人の声が返ってきた。
何で返信メールもないの?
と、聞くと、

昨夜のオペが今朝の2時までかかって、寝たのが3時。
今も寝ていて、これから起きて今日は学会で新潟へ行く。
先日送った、お寿司がおいしかった話を少し付け加えたり、

息子の声は、変わってはいませんでした。

健康に恵まれているから、手術などしたことがありませんが、
夜中の2時まで手術していたとは、
する人も大変、患者さんも大変、
そんな世界もあるのかと、
振込め詐欺まがい電話から、思わず大変な息子の日常の話題に接しました。

振込め詐欺被害者の候補世代だということですね~。





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想像のゆりかごにいます。 

2010-04-13 12:20:44 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
ゆっくりと。
愛蘭土(アイルランド)紀行という司馬遼太郎さんの手になるゆりかごに。

以前、スペインのオリーブ畑を何時間もバスに揺られたとき、
この国の大航海時代、沢山の木造船が製造され、気候が変更するほど、国中の多くの森が失われました。殆ど砂漠化したようになったのですが、今はこうして、オリーブ畑になっています。
オリーブの木は、作業しやすいように、まばらに植えられているから、目の前一面に広がる光景に森の面影はない。

そうなんだ、と思いつつ幾歳月(笑)。

今度は、イギリスの森のことが、愛蘭土紀行に。
かの国では、他国に先駆けて、鉄鉱石を溶かして鉄を精製する技術が開発され、その溶かすための燃料として、次々に森が姿を消していった、との記載。
石炭からコークスを取り出して燃料として利用されるようになるまで、木が燃料だったのです。
そして、石炭から、石油と、時代は燃料を変えていったということ。
自分一代では、その変化を体感できないけれど、こうして本を通して理解できることが、またとなく楽しい。
で、輸送手段。
私たちは、車、または、鉄道、そして飛行機を思い浮かべます。
でも、それらより先に発達したのは、「運河」。
そう水運、船です。
工業が勃興せんとしているイングランドに、次々と人力で運河が掘られ、物資輸送で活躍したのだそうです。
で、あの蒸気機関の発明により、鉄道へとつながり、運河は廃れる。
その後、自動車と道路網の時代になっていく。

うーん、ゆっくりのようで、大きな変化が見られます。
今、日本では自動車会社はその系列子会社、関連会社を含めると、沢山の人を養っています。
これまでも、その時代、時代のメーン産業が、多くの人々を養ってきたのでしょう。
とすると、今の時点の勝ち組会社は、いつまでも勝ち組産業であり続けることはない、という流れになります。

その流れを変えるキーになるものは、時代によって様々でしょう。
あと、20年もしたら、
「あんな排気ガスを出すガソリン車によくも乗っていたものだ」と
そんなようになっているかもしれません。

ここ数年、新聞、テレビがインターネット社会の定着化で、情報発信の地位を脅かされている、と耳にします。
変わる潮流が速いような気がします。

かつてのヨーロッパも、目先の必要に迫られて、森を燃やしてきたのです。
その歴史を持っているからこそ、地球環境にも熱心なのでしょう。
古代、中世、そして、ビートルズまで、司馬さんの筆による、時空を超えての案内は、読書のゆりかごのようです。


追加
読み進めるほどに、教えられることが多くて、自問自答。

底知れない知識を縦横に語ることのできた、司馬さんも、なくなると知識もきえるのだ!
あー、もったいない。
だから、こうして書物を通して出会えるじゃないか。
私、司馬さんの1000番目の教え子になりたかった!

キミが1000番目なんて、彼はファンが多いから、100万番目ぐらいじゃないかと、横槍。笑

もう、ご本人にお目にかかれる機会はないけれど、彼の書物を通して、自称、末席の教え子になろう。
神様は、こんな力を司馬さんという人を通して、人にお与えになるのですね。
知らないことを知り、分かりやすく解説してくれる司馬さんの目線で、これから、ゆっくり彼の紀行文を傍らにおいて、読んでいこう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの時代のエピソード、という宝物

2010-04-13 11:29:35 | 私の雑感あれこれ
そんな父親ですが、小学校低学年の頃まで、子供たちとお風呂に入っていました。
物語を聞かせてくけるので、お父さんと一緒のお風呂が大好きでした。
ところが、読書家の娘は、お父さんの話す物語(大抵はとんち話でしたが)の出だしを聞いて、「知ってる!その話、こうでしょ」というようになりました。

で、お父さん、新しく本を調達してきて、子供に見つからないように、隠していました。

きっと、「そんな時代もあったよね」(笑、中島みゆきっぽい)、と親は覚えているのですが、子供たち当人は、思い出すこともないでしょうね~。

どこの家にもあるでしょう。
我が家の、そんな時代の、親子蜜月のエピソードの一つです。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相談されて・・・

2010-04-12 12:34:15 | 私の雑感あれこれ
あのさ、話は変わるのだけれど、と。
「この秋に結婚式する予定」と。

お父さん、どうだろう?
と、心細げ。

多分、結婚式はするのではないか、と、漠然と伝えてあるから、
そんなに、絶対イヤ、とは言わないと思う。

但し、結婚式も当人二人が主催で、家と家が主催ってのは、ダメだからね。
判っている。私たちでする予定だから、そこのところは大丈夫。

で、出席してくれるだろうか。
そりゃー、出席はしてくれると思う。だけど、こんなことで、母娘で、こんなに気を使わないとならないって、稀なケースだろうね。

育ててもらった感謝の気持ちがあるから、私としてはお父さんには出席してもらいたい。
でも、そこまで嫌なのに迷惑をかけるのも…、とも思うし。
どれくらい嫌なのだろう、そこのところが判らない。

3年前、姪の結婚式が平安神宮であったとき、外国人観光客がパチパチ写真を撮る中、親戚一同が新郎新婦の後ろに連なって、玉砂利を行列で歩いたことがあってね、
お母さんは、「見世物じゃない!」とか「こんなことをさせやがって!」と、剣幕になるのではないかと、ずっとヒヤヒヤだった。でもね、「あんなのも面白いね」がお父さんの感想だった気がする。
お父さん、それがOKなら、明治神宮の挙式大丈夫?
「ボクはキミの親せきだから、我慢した」という抗弁を投げかけてくるかもしれない。
ウーム、難しい。

結婚は、当人のものです。
そして、相手方のご両親は、多分楽しみにしていらっしゃるのでしょう。
で、我が家には、こんな難問。
結婚資金が大変で、親の負担が…、とかではないのです。

娘たちの結婚を祝福したくて、出席したいという友人も大勢いる、らしいのです。
友人代表の祝福の辞、私に任せて、という友達もいる、そんな仲間に恵まれた二人です。
相手方のご両親は、多分、息子の友達らの姿に接して、息子がこんな仲間の中で育ってきたのか、と感慨ももたれるでしょう。
それって、至極ふつうの思いのように、理解できます。

それなのに、何故、我が家の場合、ここで、ひっかかるのか。
例えば、音痴の私が、「人前で歌を歌え」といわれたら、断ります。
それは、断っても迷惑にならないと思うのです。
夫の、こだわりって、私のその類と同じなのだろうか。
そこまでしてまで、自分を通さなくては、生き方を阻害されるのだろうか。
人前で歌いたくない心情は理解されても、娘の結婚式を渋るのは…、いくら恥ずかしがりでも、そこは、付き合ってやれないものだろうか。
判らない。

娘は、いつも、周りを気遣うタイプです。
小さいときから、ワガママをいうことができない子、甘えるのが下手な子、です。
こんな時にも、どうしたらいいか、と、角が立たないように、いくつかのパターンを考え、考えして、相談、なのです。

どうぞ、彼女の思いが、伝わりますように。


よその家庭はどのようなのかは知りません。
こんなハードルは、レアケース、じゃないですか。

私が、今抱えている課題の一つです。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする