最初は、隣町の画廊の個展。
3人展を何度か見た画家さん。南フランスの風景画を中心に展示。
建築家出身というか、建築家としての社会人やりながら、絵も、ということなのでしょう。日展入選作のプラハのカレル橋を描いた絵が圧巻。
地下鉄に乗って、県美術館で中部白日展を見る。
公募展は分量が多くて覚悟がいるのだけれど、中部限定なので、こじんまりとしていて助かる。
で、地元や近県の絵描きさんたちの作品。
好きとか、すごいけれど好みの絵ではない、とか、何故これが、とか、感想はそれぞれだけれど、いつも自分の鑑賞のペースで楽しむ。
そして、絵を描く人、上手い人の何と多いことかと、感心する。
この人は警察官、この人は市役所勤務、と知合いの人が、そばにきて情報を教えてくれたりする。友人たちは、何枚かの知合いの絵だと、いくつもを私に紹介してくれる。見に来るそれぞれの人が、知りあいだったりする人の絵を、人となりと重ねて、鑑賞したりしているのでしょうか。
豊かになったのでしょうね。
装飾品としての絵、技量発揮の場としての絵、
そんな作品が、押せよ押せよと産まれてきているのでしょう。
芸術なんだから、主義主張が…、なんていう風潮だった昔。
今は、なんか、やっぱり絵が好きだから、描いているし、
好きだから、この絵が欲しい
それで充分なのだと、思うのです。
すごいなー、と思える作品、まだ瞼に焼き付いています。
この感慨に浸れるって、
私、きっと得な性分ですね。
で、もう一つ、知り合いの小さなグループ展に立ち寄る。
ここでも、描き手、ご本人と居合わせて、リトアニアへのスケッチ旅行のエピソードをうかがう。
この方は定年までは自動車会社で車のデザインが専門。だからデッサンは得意だし、満更絵も畑違いではないのだろうけれど、退職10余年、今はお弟子さんも大勢いて、すっかり絵描きさんです。
二足の草鞋としての「絵描き」だったり、第2の人生の「絵描き」だったり、人様々。
うーん、日本は豊かになったものです。
3人展を何度か見た画家さん。南フランスの風景画を中心に展示。
建築家出身というか、建築家としての社会人やりながら、絵も、ということなのでしょう。日展入選作のプラハのカレル橋を描いた絵が圧巻。
地下鉄に乗って、県美術館で中部白日展を見る。
公募展は分量が多くて覚悟がいるのだけれど、中部限定なので、こじんまりとしていて助かる。
で、地元や近県の絵描きさんたちの作品。
好きとか、すごいけれど好みの絵ではない、とか、何故これが、とか、感想はそれぞれだけれど、いつも自分の鑑賞のペースで楽しむ。
そして、絵を描く人、上手い人の何と多いことかと、感心する。
この人は警察官、この人は市役所勤務、と知合いの人が、そばにきて情報を教えてくれたりする。友人たちは、何枚かの知合いの絵だと、いくつもを私に紹介してくれる。見に来るそれぞれの人が、知りあいだったりする人の絵を、人となりと重ねて、鑑賞したりしているのでしょうか。
豊かになったのでしょうね。
装飾品としての絵、技量発揮の場としての絵、
そんな作品が、押せよ押せよと産まれてきているのでしょう。
芸術なんだから、主義主張が…、なんていう風潮だった昔。
今は、なんか、やっぱり絵が好きだから、描いているし、
好きだから、この絵が欲しい
それで充分なのだと、思うのです。
すごいなー、と思える作品、まだ瞼に焼き付いています。
この感慨に浸れるって、
私、きっと得な性分ですね。
で、もう一つ、知り合いの小さなグループ展に立ち寄る。
ここでも、描き手、ご本人と居合わせて、リトアニアへのスケッチ旅行のエピソードをうかがう。
この方は定年までは自動車会社で車のデザインが専門。だからデッサンは得意だし、満更絵も畑違いではないのだろうけれど、退職10余年、今はお弟子さんも大勢いて、すっかり絵描きさんです。
二足の草鞋としての「絵描き」だったり、第2の人生の「絵描き」だったり、人様々。
うーん、日本は豊かになったものです。