日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

日曜日、友人と3人で展覧会巡りをする。

2008-09-29 10:31:57 | 私の雑感あれこれ
最初は、隣町の画廊の個展。
3人展を何度か見た画家さん。南フランスの風景画を中心に展示。
建築家出身というか、建築家としての社会人やりながら、絵も、ということなのでしょう。日展入選作のプラハのカレル橋を描いた絵が圧巻。

地下鉄に乗って、県美術館で中部白日展を見る。
公募展は分量が多くて覚悟がいるのだけれど、中部限定なので、こじんまりとしていて助かる。
で、地元や近県の絵描きさんたちの作品。
好きとか、すごいけれど好みの絵ではない、とか、何故これが、とか、感想はそれぞれだけれど、いつも自分の鑑賞のペースで楽しむ。
そして、絵を描く人、上手い人の何と多いことかと、感心する。

この人は警察官、この人は市役所勤務、と知合いの人が、そばにきて情報を教えてくれたりする。友人たちは、何枚かの知合いの絵だと、いくつもを私に紹介してくれる。見に来るそれぞれの人が、知りあいだったりする人の絵を、人となりと重ねて、鑑賞したりしているのでしょうか。

豊かになったのでしょうね。
装飾品としての絵、技量発揮の場としての絵、
そんな作品が、押せよ押せよと産まれてきているのでしょう。
芸術なんだから、主義主張が…、なんていう風潮だった昔。
今は、なんか、やっぱり絵が好きだから、描いているし、
好きだから、この絵が欲しい
それで充分なのだと、思うのです。

すごいなー、と思える作品、まだ瞼に焼き付いています。
この感慨に浸れるって、
私、きっと得な性分ですね。

で、もう一つ、知り合いの小さなグループ展に立ち寄る。
ここでも、描き手、ご本人と居合わせて、リトアニアへのスケッチ旅行のエピソードをうかがう。
この方は定年までは自動車会社で車のデザインが専門。だからデッサンは得意だし、満更絵も畑違いではないのだろうけれど、退職10余年、今はお弟子さんも大勢いて、すっかり絵描きさんです。

二足の草鞋としての「絵描き」だったり、第2の人生の「絵描き」だったり、人様々。
うーん、日本は豊かになったものです。


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結局、麻生内閣誕生。

2008-09-27 06:57:28 | 社会問題
ますます旧来の自民党タイプに戻ったような感じです。
早速失言を重ねている方もいらっしゃるし、もらってはいけない献金を受取っていたとかで、いそいそと政治献金の返還をします、との記事も紙面に並んでいます。
やっぱり、旧来の自民党らしいですね。
「ああ、おじいさんを存じています」
「お父さんとは面識がありました」
交歓会ではそんなやり取りが、取り交わされていそうなメンバーが揃って、コレが私たちの選んだ代表であり、その代表の方の中から、選任されたと思うと、詮無しといわざるを得ないのでしょうか。
「解散までの短期政権だから、大臣順番待ちしていた人の在庫一掃」の趣と外野から聞こえます。
自民党が、次の総裁選を戦うメンバーとして、この布陣を弾いたとしたら、親から選挙基盤を引き継いだ、地盤、看板、鞄、が揃った、地元組織に根強いものが、勝ち、という判断を下されたのでしょうか。
うーん。
政治の後進性がまだまだ根強いように思います。
これが、今の選挙民を映しているものなのか。
民主党にチャンス到来らしら。

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茹でこぼしの青汁

2008-09-26 16:27:56 | 母のことなど
涼しくなって、青菜が育つ季節。
3種混合といえば赤ちゃんの予防注射だけれど、夫は5種混合、いやそれ以上の混合で、野菜の種を蒔いたそうだ(混合栽培の実験をしているそうです)。
小松菜、ほうれん草、こかぶ、からし菜、大根、人参。
で、早朝、台所に間引きした摘み菜が届く。
今朝は、夕飯まで待たずして、一番新しい所を湯がく。
そして茹でこぼす。
アチチの茹で汁を眺めると、毎度母を思い出す。

「この茹で汁、ビタミンたっぷりだから、きっと顔を洗うといいだろうと思うんだけれど…」という台詞。

何十回も思い出している。
だけれど、まだ一度も顔を洗ったことはない(笑)。
だって、いつもそれは台所仕事の真っ最中、なのだから。
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新聞記事に見つけたフレーズ

2008-09-23 08:47:15 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
ふふふ、古新聞の山から、引っ張り出して書き写しておきます。
朝日新聞9月6日、土曜日「Be」の女優で精神カウンセラー、石井苗子さんの「逆風満帆」のなかから。

「例えば、パンがあるとします。1枚目のパンは自分が食べていく体力をつけ、2枚目は他者に与えるもの。私が今、いろんな仕事をしているのは2枚目のパンを確保するため。留学中のアメリカで、まず自分が強くならなければ、他人に優しくなれないことを学んだの」

この歳(今日まで58歳、笑)だから、上記の意味のフレーズ、もちろん初見ではない。
まだぼんやりと思っていたころは、「強い」が「優しさ」に繋がるとは思っていなかった。
「我が強い」「自我が強い」と、自分に投げかけられる言葉は、「優しくないこと」に結び付けられているようで、いやな思いで聞いていた。
そのうちに、「まず自分が強くならないと、他人に優しくなれない」という、フレーズに出会い、ひとり合点し、それからずっと、座右に置いて生きてきたように思う。
女性であったからもあるでしょうけれど、
ーおとなしいー、ーひかえめー、ー遠慮がちー、ー意見を言わずに我慢するー
そんなことが、良いとされる雰囲気に対する、コンプレックスの裏返しだったのでしょうか、
上記のフレーズで、自分を励ましてきたように思うのです。
新聞記事から2週間以上経っているのに、引っ張り出してくるなんて、我ながら、しつこい!。
でも、私の人生という旅の、相棒的フレーズだったから、でしょうね。


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もうひとつ、続けますね、母の暮らし。

2008-09-23 07:35:14 | 母のことなど
帰省するのは、年に一度二度。
先回は5月に一泊。
その時は、自宅から100メートル近くの距離があるだろうか、その実家のもうひとつの敷地の建物脇の畳3畳か4畳分ぐらいのスペースが芝桜で見事だった。
一面のピンク!

綺麗だった、というと、母は喜ぶ。
もう100メートルの距離を歩くのも体調と相談しなくてはならないのが実際。
けれども、その体調が良い日に、手入れに出かけるらしい。
手押し車を押して。
その車の小物入れには、草取りの七つ道具がいつも入っているの、と笑う。
お尻に敷いて、横に移動できる戸車付きのアイテムも入っているに違いない。
以前、膝が痛いので作ってもらったと聞いたことあるから。

草を引き抜くときに、草に語りかけるのだという。
「悪いね。お前がここに生えていてもらっては困るので、抜かせてもらうよ」と。
ご近所の同世代が次々に旅たち、お茶のみ仲間だれかいないのー、と電話口で言う私だけれど、庭で、木蓮やこぶしを眺め、桜草の世話をし、苔の按配を気にかけながら、いつでも相手と語っているから、結構母は饒舌なのかも知れない。

でも、コレは声帯を使わない形の饒舌。
で、母は声帯の衰えを防ぐためにも、毎朝30分の一挙両得の自主トレやっています(笑い)。






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真夜中のトレーニング

2008-09-22 20:57:59 | 母のことなど
昨日、母に電話した。
一週間ほど前に、話をしたそうだったのに、出勤するからと、短く電話を切ったままだったので、気にかかっていた。
母91歳。
まだ、自室は二階。
気になるのは、夜半のトイレ。
戦前に建てられた古い町屋なので、トイレは一階の一番奥。母の部屋からは遠い。
夜中に必ずトイレに起きる、と聞いているので、階段を下りて、細長い廊下を膝の痛みを堪えて歩いていく姿を想像する。

で、二階にトイレを増築したら、と提案してみたが、意に介せず。
一階で寝るようにしても…、といわれるけれど、
できる限り自室の2階で寝たいと、母はそう言う。

毎日、腹ばいになって、踵で臀部を叩くトレーニングをしているからか、オシッコの問題は大丈夫、とも言う。

夜中、痛い膝をかばって、一足一足前進していると、すっかり目が覚めてしまうのでは?
と、問うと、
答える。
やー、階段は手をつけるから大丈夫。
細長い廊下は、細いおかげで、つかまるところを心得ているから、不便じゃない。
ひと寝入りして、12時前後に起きる、毎日同じで、それで不都合なくできているから、なんとも思わない。
階段を上り下りするのも、トレーニングだよ。
日野原さんも、階段を昇っているって、あったでしょう(2年ほど前にプレゼントした日野原重明さんの本のことをいっている)。

ふふふ、そうだね。
真夜中のトレーニング。
眠たくなれば、昼にお昼ねすればいいんだもんね。

そうか、今の仕事は、自分の身体のトレーニング。
自分で自分の身体の介護をしているようなものだね。
そうだね。
それしかしょうがないモンね。
歳をとることから逃げられないことを理解して、工夫して暮らしていることに相槌を打つ。

90歳を超えて実感する、筋肉の衰えを、ひとつひとつ解説して(「高齢者の身体の不思議」みたいなことを、高齢者本人が解説するのだから、本当は介護の専門職の人に伝えてあげたいくらい(笑い))、それに対して実践している対処法を語ってくれる。

35歳後輩(わたし)に、伝えようとしているのか。
・・・でしょうね。

母が語って置きたかったという、私の幼時の昔語りをもうひとつし、わたしは「うん、うん」と聞く。
母が、語ってくれた昔語りは、実は、初めでではないのだけれど…。

そして、
電話ありがとう。
またね、電話してね。
で、受話器を置く。

明日のために、熟睡しなくては、なんて思い込みは、90歳代には不要なんだ、と思った。
暮らしやすく改善することも大事なのだけれど、母にとっては「昨日と同じ生活ができる」と思えることが、その日一日の達成感、そんな90歳代もいるのだと教えてもらった。



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三連休の月曜日、図書館に行く。

2008-09-18 07:50:43 | 私の雑感あれこれ
木曜になって、こんな古いことを書くのもなんですが…。
空模様も今ひとつで、図書館に行く。
ぶらりと行くときの図書館での行動パターンは同じ。
週間○○をざっと読んで、○○の手帳をめくって、さらに○○公論に手を伸ばしたり、伸ばさなかったり。
小文が、どの雑誌にも盛りだくさん。
文末には、「○○○○、エッセイスト」とあるのが多い。
こんなに世の中にエッセイストが多いのだ、と。
雑誌社の社員ではなく、フリーのライターとして、注文で書いている人たちなのだ、そんなことをぼんやり想う。

今、読んでいる、米原万理さんの「私の心臓に毛が生えている理由」というエッセイも、どこかの雑誌かに連載されていた文章を集めたもの。

米原さんの「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「オリカ・モリソヴナの反語法」は、私の好きな本のひとつだし、能力がありスケールの大きい魅力的な女性だというイメージなのだけれど、上記エッセイ集は今ひとつ。
勿論、文章が立ち上がってくるエッセイも、いくつもありますけれど。
でも、求められた雑誌の締め切りにあわせて、内容を調達したように見受けられる、なんて、勝手に思い巡らしたり。
ああ、体調が優れなかったころなのでしょうか。

そんなこんなで、エッセイ読み中なので、図書館で読んだ雑誌のエッセイストという文末表記が気になりました。
大変ですよね。
食べていくということは。
ブログのスペースで、遊んでいる立場とは、違うのでしょうね。


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月曜日の「鶴瓶に乾杯」という番組で・・・

2008-09-10 08:03:10 | 私の雑感あれこれ
沖縄の石垣島が訪問先でした。
沖縄がテレビで話題になることも多く、石垣島も旅行会社のツアーに入ったりもしているのでしょう。
でも、私は行ったことはありません。
いつもと同じように、画面に何となく目をやっていたら、
「大浜小学校の子供たち」と出るではありませんか。
あっ、大浜小学校!なんだ!
と、しっかりと確認しました。
私、大浜小学校と関係あるんです。(笑い)

もう半世紀も昔です。
まだ、そこは沖縄県八重山郡石垣島でした。
小学生だった私は、そこの小学校に通っている、小浜芳枝さんという女の子から、手紙をもらいました。
確か、小学校宛に届いたと思います。
切手は○セント。○円ではありません。
当然船便だから、1週間もかかったのです。
テレビも各家庭に普及してはいません。
だから、遠いオキナワというところから、初めて目にする切手を貼った手紙が、「文通しませんか」と、私のところに届き、それがきっかけとなって、教室ぐるみの手紙を通しての交流となりました。
私の友達の文通相手は「波照間さん」というオキナワらしい名前の人だったことも覚えています。
テレビもない時代、パスポートがないといけなかった沖縄。勿論、物見遊山でオキナワ旅行なんていう時代ではありません。
雪国の私は、いかに沢山雪が積もるかということ、北陸の方言などなど、たわいもないやり取りでした。
そういう思い出を持っているので、
テレビ画面の、「大浜小学校」印象的でした。
でも、50年前とは様変わりなのでしょうね。
テレビの中の子供たちは、それが関東のどこかの地域といっても、納得してしまうほど、訛りなんてないのですもの。
まして、先生などは、鶴瓶さんの大ファンとかで、しきりに握手を求めて…。
テレビが、全国の距離感をすっかり縮めてしまったのですね。
50年前の小浜さんは、いま苗字も変わっているだろうけれど、小学校の名前と連動して覚えているものだから、ふふ、まだ覚えています。
お会いすることもないし、ブログで目に留まることの可能性も、万分の一もないのだけれど、あの頃を思い浮かべながら記します。
皆さん、お元気ですか。
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総裁選が思わぬ展開に・・・

2008-09-05 08:04:32 | 社会問題
月曜日の9時半の福田総理の辞任会見は、日本の政治家への失望感に連なるものがあった。
それから数日、様相は一変して、総裁選は俄然賑やかになってきました。

元総理の孫から元総理の息子に替わり、今度はもと総理の外孫になる路線になるのかと、党員でもないし、ただの一国民だから、外野席から眺めるだけでした。
そして、就任のあかつきには、またまた、いかに育ちがいいか、幼少時から、政界の大物が身近にいたかなどと、プロフィールを流すのだろうと、冷めた目でした。

でも、ほんの数日で、あれよ、アレヨと
財政出動路線や、財政改革増税やむなし路線、行政改革続行上げ潮派など、名乗りを挙げる候補者が出てきて、
自民党の中の勢いの渦があふれ出したかの感があります。

現実には、自分の選挙区がらみもあって、派閥を離れて主義主張だけで、誰を応援するとはいえないところもあるらしいのでしょうが、大所高所を押さえておかないと、近い将来の総選挙で勝てないってこともあります。
--ここで、各政党は国民にいかに支持される政策指針を掲げている党首、国民に人気のある党首にしたい、という流れになってくるのでしょう。

マスコミのアンケートも、無視したいところだけれど、気になってしまう。

で、私的には、折角、財政再建でここまで、改革を進めてきたのだから、A候補の財政出動に戻すのはどうかな?派です。

10日には立候補が締め切られて、22日選挙。
どういう結果になるのでしょう。
自民党劇場を外野席から眺めています。
興味深くつい引きずりこまれるのは、力量ある方たちの、真剣な政局論争、主義主張が繰り広げられるときたいするから、でしょうか。

以前、小泉劇場って言い方もありましたね。
思わぬところで、老舗の劇団自民党が緞帳を上げてみたら、派閥のトップの指示待ちではなくて、やる気満々の人材が揃っていた、そう思いませんか。

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