クラクフのホテルを9時15分に出発。
2連泊したホテル。枕チップとして相場の金額と(この国でしか使い道がない)細かい金額のズルチを置いてきました。
ヴィエリチカの岩塩坑へ向かう。バスで45分
坑内の気温は14℃前後で一定している。
11世紀から岩塩堀が始まり、18世紀には現在の形になっていた、とのこと。
13世紀から20世紀の半ばまで、ここで岩塩を掘っていた。
14世紀ころにはポーランドの財政の3分の1は岩塩からの利益といわれるほど国を支える産業だった。
地下64m から372m まであり9層にわたり、距離にして300kmになる。
動力として馬も活用されており、地下に降りた馬は死ぬまで坑内で働いた、と。
行き交うたびに鉱夫たちの交わす挨拶言葉は、おはようでもこんにちはでもなく、「神の御加護を」だったと。命がけの熾烈な作業の毎日だったと想像できます。
お土産に岩塩(2種類)を購入。
そのひとつは岩塩の白い塊がゴロゴロと入ったもの。岩石、鉱物好きの孫が興味を示すかな、と思って。
今回巡った地方のお土産品の王道は「琥珀」なのですが、装飾品の琥珀はお値段が高いし、廉価なものは本物かどうか? だろうと、買いあぐねていました。地下165m のところで17ズルチだった同じものが、地上の路上店で同じものが10ズルチでした。この値段の差はなあに?ま、地下で購入した思い出入り、ということにしておきましょう。苦笑
昼食はレストランで
クラクフの空港へ向かう。
乗継地はフィンランドのヘルシンキです。飛行機で約2時間
ヘルシンキから中部国際空港まで約12時間。
細切れにしか眠れなくて映画鑑賞2作品。
機内食は2度出ました。ディスプレイにあるマークの操作にも慣れて(苦笑)、途中で飲み物とスナックも注文してみました。多種類のワインなども選べるのですが、なにしろ下戸なもので私には縁がありません。
行きは北上して真っ白な雪で覆われたグリーンランを窓の外に垣間見ましたが、帰りはカザフスタン、中国の上空を飛びました。
中部国際空港で荷物の受取を待っているときに、ビックリが起きました。
なんと7月旅の時の添乗員さん(去年の5月の初めての一人参加旅で初めて出会って、非常にお世話になった方)と目が合いました。ええっ!
彼女は仕事中。ほんの少し会話しました。
私の姿をヘルシンキの空港で見かけたそうです。
彼女も同じコースだったのかしら(別会社だし、わたし不義理した?)と、一瞬思ったのですが、彼女はヘルシンキ経由でオーロらを観る旅の添乗をして帰ってきたところでした。
感激屋の彼女は涙ぐみ、奇遇を喜んでくださいました。
長々と綴りましたが、元気に旅行できたことの足跡として記しました。
2連泊したホテル。枕チップとして相場の金額と(この国でしか使い道がない)細かい金額のズルチを置いてきました。
ヴィエリチカの岩塩坑へ向かう。バスで45分
坑内の気温は14℃前後で一定している。
11世紀から岩塩堀が始まり、18世紀には現在の形になっていた、とのこと。
13世紀から20世紀の半ばまで、ここで岩塩を掘っていた。
14世紀ころにはポーランドの財政の3分の1は岩塩からの利益といわれるほど国を支える産業だった。
地下64m から372m まであり9層にわたり、距離にして300kmになる。
動力として馬も活用されており、地下に降りた馬は死ぬまで坑内で働いた、と。
行き交うたびに鉱夫たちの交わす挨拶言葉は、おはようでもこんにちはでもなく、「神の御加護を」だったと。命がけの熾烈な作業の毎日だったと想像できます。
お土産に岩塩(2種類)を購入。
そのひとつは岩塩の白い塊がゴロゴロと入ったもの。岩石、鉱物好きの孫が興味を示すかな、と思って。
今回巡った地方のお土産品の王道は「琥珀」なのですが、装飾品の琥珀はお値段が高いし、廉価なものは本物かどうか? だろうと、買いあぐねていました。地下165m のところで17ズルチだった同じものが、地上の路上店で同じものが10ズルチでした。この値段の差はなあに?ま、地下で購入した思い出入り、ということにしておきましょう。苦笑
昼食はレストランで
クラクフの空港へ向かう。
乗継地はフィンランドのヘルシンキです。飛行機で約2時間
ヘルシンキから中部国際空港まで約12時間。
細切れにしか眠れなくて映画鑑賞2作品。
機内食は2度出ました。ディスプレイにあるマークの操作にも慣れて(苦笑)、途中で飲み物とスナックも注文してみました。多種類のワインなども選べるのですが、なにしろ下戸なもので私には縁がありません。
行きは北上して真っ白な雪で覆われたグリーンランを窓の外に垣間見ましたが、帰りはカザフスタン、中国の上空を飛びました。
中部国際空港で荷物の受取を待っているときに、ビックリが起きました。
なんと7月旅の時の添乗員さん(去年の5月の初めての一人参加旅で初めて出会って、非常にお世話になった方)と目が合いました。ええっ!
彼女は仕事中。ほんの少し会話しました。
私の姿をヘルシンキの空港で見かけたそうです。
彼女も同じコースだったのかしら(別会社だし、わたし不義理した?)と、一瞬思ったのですが、彼女はヘルシンキ経由でオーロらを観る旅の添乗をして帰ってきたところでした。
感激屋の彼女は涙ぐみ、奇遇を喜んでくださいました。
長々と綴りましたが、元気に旅行できたことの足跡として記しました。