日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

バルト3国、ポーランド旅 その9

2024-10-25 06:56:23 | 歴史探訪・城巡り
クラクフのホテルを9時15分に出発。
2連泊したホテル。枕チップとして相場の金額と(この国でしか使い道がない)細かい金額のズルチを置いてきました。


ヴィエリチカの岩塩坑へ向かう。バスで45分

坑内の気温は14℃前後で一定している。
11世紀から岩塩堀が始まり、18世紀には現在の形になっていた、とのこと。
13世紀から20世紀の半ばまで、ここで岩塩を掘っていた。
14世紀ころにはポーランドの財政の3分の1は岩塩からの利益といわれるほど国を支える産業だった。
地下64m から372m まであり9層にわたり、距離にして300kmになる。
動力として馬も活用されており、地下に降りた馬は死ぬまで坑内で働いた、と。
行き交うたびに鉱夫たちの交わす挨拶言葉は、おはようでもこんにちはでもなく、「神の御加護を」だったと。命がけの熾烈な作業の毎日だったと想像できます。


お土産に岩塩(2種類)を購入。
そのひとつは岩塩の白い塊がゴロゴロと入ったもの。岩石、鉱物好きの孫が興味を示すかな、と思って。
今回巡った地方のお土産品の王道は「琥珀」なのですが、装飾品の琥珀はお値段が高いし、廉価なものは本物かどうか? だろうと、買いあぐねていました。地下165m のところで17ズルチだった同じものが、地上の路上店で同じものが10ズルチでした。この値段の差はなあに?ま、地下で購入した思い出入り、ということにしておきましょう。苦笑



昼食はレストランで

クラクフの空港へ向かう。
乗継地はフィンランドのヘルシンキです。飛行機で約2時間

ヘルシンキから中部国際空港まで約12時間。
細切れにしか眠れなくて映画鑑賞2作品。
機内食は2度出ました。ディスプレイにあるマークの操作にも慣れて(苦笑)、途中で飲み物とスナックも注文してみました。多種類のワインなども選べるのですが、なにしろ下戸なもので私には縁がありません。


行きは北上して真っ白な雪で覆われたグリーンランを窓の外に垣間見ましたが、帰りはカザフスタン、中国の上空を飛びました。


中部国際空港で荷物の受取を待っているときに、ビックリが起きました。
なんと7月旅の時の添乗員さん(去年の5月の初めての一人参加旅で初めて出会って、非常にお世話になった方)と目が合いました。ええっ!
彼女は仕事中。ほんの少し会話しました。
私の姿をヘルシンキの空港で見かけたそうです。
彼女も同じコースだったのかしら(別会社だし、わたし不義理した?)と、一瞬思ったのですが、彼女はヘルシンキ経由でオーロらを観る旅の添乗をして帰ってきたところでした。
感激屋の彼女は涙ぐみ、奇遇を喜んでくださいました。



長々と綴りましたが、元気に旅行できたことの足跡として記しました。






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バルト3国、ポーランド旅 その5

2024-10-20 08:02:02 | 歴史探訪・城巡り
ビィリュニスのホテルでは目抜き通りが見える窓辺でバイキングの朝食。大きな建物は昨日出かけたショッピングモールが入っている建物です。


9時にホテルを出発。
ビィリュニス歴史地区(世界遺産)観光。
聖ペテロ&パウロ教会  イタリアから職人を招いて建設された内装。漆喰彫刻が見事でした。


大聖堂


夜明けの門


人間の鎖
1989年8月23日にバルト3国の首都を結んだ200キロを人々が手をつないでソ連への抗議の意思表示をした、その証の地点




昼食はレストラン


昼食後はポーランドのワルシャワへ向かう。約430キロ、8時間! 途中トイレ休憩は複数回ありますが覚悟がいります。
あのロシアの飛び地カリーニンググラードとの狭間を通るのかと緊張もちょっとはありましたが、地図で見るよりも実際の土地は広い。緊張感はありませんでした。
でも、ポーランドの国境越えの時、バスのドライバーさんが何らかのチェックでストップがかかり、30分近くの時間がかかりました。私たちはただ乗っているだけでしたけれど、、、。
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南東北の旅に行ってきました。追加アリ

2024-04-24 09:07:03 | 歴史探訪・城巡り
記録として綴っておきます。
画像は後日添付予定。

新幹線のぞみとやまびこを利用しての2泊3日のパック旅行でした。
銀山温泉と(戊辰戦争の攻防戦があった)鶴ヶ城がコースに組み込まれていたので申込したのですが、宿泊ホテルはビジネスホテルで夕食は付き付きませんと説明アリ。立石寺は1000段の階段がありますので歩きやすい靴で、、、と。
アララ、想定外! でいったんは申込保留にしたものの、今回申込をやめると次はいつ行くことになるかわからない、という判断で、再度申し込みの電話をかけた、という経緯があります。2人分で費用149,800円なのに、昼食も1回ついているだけ。あとは各自でという内容です。コロナ後の値上がりを感じます。

早朝集合。参加者は41名。久しぶりの大人数のパック旅行です。東京で乗り継いで仙台へ(新幹線の中で各自昼食済み)。観光バスで松島へ向かう。実質貸切りの遊覧船で松島湾をひとめぐり(約40分)。東北の震災時は松島湾の入り口にある桂島が防波堤の役割となったのか、松島の沿岸には津波は2mだった、と。遊覧船の船長さん宅は桂島に家があったので津波で倒壊したそうです。ちなみに塩釜は10mを超える津波が襲ったそうです。
話術の面白い船長さんのガイドであっという間の40分でした。
その後バスで一路宮城県から山形へ向かう。この手の旅行で夕食も大浴場もなしは初経験。
夕刻早めの到着で添乗員さんご自身は霞城(山形城跡)公園まで(片道徒歩20分)散策します、と。遅咲きの桜花が見れるかも、という期待と山形城跡と聞いて、私はスルーはしたくない。一緒についていくことにしました。広い城跡からホテルに戻る間に夕食に立ち寄るつもりで歩き出す。次第に日は落ちて街頭が灯る。地図を片手には歩いているのだけれど、ちょっと混乱。脚も痛くなる。おっお~、困った~(明日は1000段超の階段があるのに)の心境。居酒屋さんは見かけるけれど、なんだか入りたいとは思わない。ウロウロ。覚悟して入ろうとしたら満席で拍子抜け。思えばコンビニも少ないのです。ようやく目に留まったコンビニのお弁当コーナーでアレコレ買い求めて、Googleマップを頼りに戻りつきました。東北の美味しいものを食べる予定だったのに~~。翌朝耳にした話では、いくつかのお店は貸切りで入れず状態だったそうです。コンビニ弁当で済ませた、とかパンを買ったいう人も我が家以外にもいらしたりして、それはそれで笑い話になりました。
そのビジネスホテルは結婚式や宴会客はOKの規模の大きいホテルで、ビッフェ形式の朝食のメニューは充実していました。厨房設備が整っているのに、宿泊客への夕食提供がないのは、コロナの際の人材削減が今に影響しているのかしら、と想像したりもしました。

二日目は朝8時30分出発し銀山温泉に向かう。旅行のパンフレットでよく見にする大正時代の温泉街の光景が目の前に。歩いて10分ほどのエリアでした。温泉街の入り口あたりの普通のお宅風のお豆腐屋さんで湯豆腐と揚げ豆腐を味わう。
銀山温泉の名前から、鉱山に集まった労働者らの癒しの温泉だったのだろうと想像するけれど、その手の説明はほぼナシ。観光客用の写真スポットで有名になっている街という感じでした。
その後一路山寺(立石寺)へ。12時過ぎに到着。ツアーに入っている「芋煮定食」のランチ。一人用の鍋にはゴロンと丸い形の芋が3つ入っていた。熱々でお汁もおいしかった。
さて、1070段あるという立石寺の奥の院へレッツゴー。膝には湿布を貼ってサポーターをして更に杖も準備。なんせ数年前の金毘羅山は途中挫折。清水寺の坂道もヒーコラ言っていたのですから。
黙々と登る。最初の一息ついたところであと380段との表示。これなら大丈夫、と自信が出ました。ふぅ~。少し下って絶景が望めるという五大堂へも寄り道できました。

早めのホテル(郡山市のビジネスホテル)着。但し、このホテルは大浴場があって助かりました。夕食はなし、なので入浴前にお店を探して外食。天ぷらありの手打ちうどんを食べました。

3日目はホテル発8時15分。福島県会津若松市の鶴ヶ城へ向かいます。あの戊辰戦争で徳川側の会津藩は官軍との攻防で多くの犠牲者を出した藩であり、そのお城です。現在のお城はもちろん昭和の時代に再建されたものですが、5層になる城の各階には会津藩の歴史が語られていました。蒲生氏郷が築城し若松城と名付けたと記されていました。そう、先月に訪問した松坂城(現在は城址だけ)も蒲生氏郷の築城しています。氏郷は松坂には2年ほどしかいなくて、その後会津に転封を命じられたと解説されてあり、松坂の後で作ったことから若松と名付けたと記してあった(会津ではその記載見受けなかったけれど)。
その後、領主が変わり、保科正之(家光の異母弟)が会津松平の藩祖となっています。なんだか読んだことある人物の資料に出会うと興味もさらに増すものです。楽しい時間でした。

その後、大内宿へ。
ここも旅行のパンフレットで見ることがある観光地です。街おこしで多くの観光客が訪れるエリアとなっています。
お昼に入ったお店で、ネギ蕎麦を食べました。
街の歴史の冊子によると、かつては冬場は出稼ぎという地方だったけれど、古くからの宿場町の光景を復活させることで街に活気を出そうというアイデアが受け入れられて現在に至っている、とのこと。

その後、郡山駅から新幹線で東京経由で帰路につきました。







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木曽三川公園再訪。

2023-10-23 08:49:47 | 歴史探訪・城巡り
スポーツジムの無い土曜日のお出かけ。
先週は日帰り温泉に行ったけれど、今回は「国営木曽三川公園」に行ってきました。
20年以上前だったか、チューリップの季節に行った記憶がある。その時に、この地を流れている3本の川の治水との格闘する資料映像(再現映像)を見た記憶が残っている。
3本の川とは木曽川、長良川、揖斐川です。子供の頃、教科書で輪中地域と習った記憶があったけれど、その地を訪問しているのだ、と改め思い、江戸期(宝暦4年~5年)に、薩摩藩が幕府の命により難工事に当たったという歴史を知った。
その後、たまたま薩摩藩が幕命で木曽三川の工事に取り組んだことを書いた杉本苑子著『孤愁の岸』(昭和37年)を読む機会があった。★★★★ 
薩摩藩家老平田鞆負がその責任者。難工事が終わった後に、藩に人的にも経済的にも多大な損害を与えたと自害している。
木曽三川公園はそう遠くないから再訪したいと思いながらなかなか機会がなかった。
この本を読んでからも随分経っているけれど、私の中では忘れがたい1冊になっています。

  

👆展望台からの眺め。
水・水・水です。時に洪水があることで肥沃な土地を作ってくれるのだけれど、たくさんの難儀ももたらしてきた大河です。
最初の写真の真ん中の土手は、水流を分かつ土手に植えられた千本松原です。



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アテネ市内観光。パルテノン神殿へ ⑥

2023-06-18 18:05:10 | 歴史探訪・城巡り
5月30日。アテネ観光。
ホテルからバスでアクロポリスの丘に向かう。ガイドは日本留学経験ありのギリシャ人男性。


古代オリンピック競技場でもあり、クーベルタンの近代オリンピック競技場となった地も訪ねた。写真追加します。
アテネの街中にあるハドリアヌス門の写真(門越しにアクロポリスの丘が見える)も追加予定。






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昨日2月になった。

2023-02-02 08:28:33 | 歴史探訪・城巡り
今日から2月だね。
と目覚めに言われて、
やだなー、また歳取るだけ~(2月生まれではないけれど)。
月日が進むのを避けたい気分がついて回る。無理なのは承知だけれど💦

「歳をとれるのは生きているってことだよ」

そういわれて妙に納得。
一昨年に亡くなった友人はもう歳をとらない。彼女はロシアがウクライナに侵攻したことも知らない。
そういえば、彼女は新型コロナの始まった年の5月にロシア旅行を申し込んでいたけれど、新型コロナ流行でキャンセルしたのだった。
生きているからこそ出来るんだね、と自分に語る。
だから、大事に過ごさなくっちゃ、です。

昨日は気温が少し上がると報道されていたので、庭仕事をし始めたのだけれど、午後にはそれほど暖かくもなく、1日に2度通うジムの合間には庭に出なくて、朝の庭仕事だけに終わった。
マーマレードの消費過多だろうか、ダイエットはブレーキ中。苦笑
あんなにお砂糖を投入して作るマーマレードなのだから、さもありなん。
友人が、我が家のハッサクで作ったといって、ピールとオランジェットなるものを作ったといって手渡してくれた。
オランジェットなるものを初めて知ったこともあり、まぁなんと我が家から行ったハッサクがこんなに高級品風に❕と感動。苦笑
ハッサクの提供をこんなにも喜んでいただけるのなら、そして薄皮を剥くのが面倒なサイズもOKとのことで、また追加で貰っていただくことになりました。

さぁ、まだまだ庭で仕事が待っています。
ジムでのプログラムもあるし、この日々は充実しているといえねのでしょうか?






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アマゾンで読書。

2022-07-31 10:48:09 | 歴史探訪・城巡り
稲垣えみ子著『魂の退社』
桂望実著『総選挙ホテル』
お二人の著作を読んだのは今回が初めて。軽快に(面白いから)ハイスペースで読める。
社会科学系や歴史分野の本とは違う。
稲垣さんの著作は自分史だけれど、桂さんの本は、たくさんの登場人物をさもありなんと思わせる描き方をしていながら、思わぬ展開へと読者を誘っていく。面白い。9月にもリゾートホテルを予約しているけれど、ホテルのスタッフのイロイロって、この本の中身とどうなんだろう、なんて思ったりするかも。苦笑

夫が少し前からアマゾンに一定額支払うこと(サブスクリプションというのだろうか)で20冊まで無料読書ができる仕組みに入っているらしいので、その恩恵に浴している。
でも、次々と気に入りそうな候補本が出てくるので、時間泥棒になりそうだけれど、このサブスクを利用しているからこそ出会う本なので、これらの本と出合えてよかった、とは思っている。

世の中にはなんとたくさんの本が出回っているものか!
本棚ばかりが沢山ある我が家だけれど、電子書籍の時代になってからは紙の本を購入する頻度が激減。


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ざざっと旅のスケジュールを立てようかと。追加文あり。

2021-07-19 11:59:35 | 歴史探訪・城巡り
追加
昨日(出発の前日)、確認の電話がありました。シングル2部屋が和室に変更可能、とのことで2日とも鴨川が見える部屋になりました。ただし1泊目は素泊まりは変わらず、です。食事の用意ができないという理由。団体客で満員なのですか、と聞くとそうではないらしい。コロナの関係でとのこと。そういえば4人テーブルに斜めに2席というテーブルセッティングです。3人グループだと、4人掛けテーブルを2つ使うことになるのです。ということがあると、定員がすぐに満ちてしまうのでしょう。

宿泊先は京都。
観光バスも外国人観光客もゼロなので、暑いのはガマンです。
鴨川べりに建つホテルなのですが、今のところ1泊目は鴨川が見えない側のシングル部屋。かつ、満室なのでお料理の提供はできないといわれています。二日目は鱧懐石料理に期待しています。

まず宇治平等院に行きたい、と口にすると、「?」といった風。ほら、藤原の頼道のお寺、といっても、知らない、と。
うっそ~、です。教科書に出ている定番のお寺だし、10円玉の絵柄にもなっているのに。道長や頼道のことは当然知っているけれど、寺までは知らなかった、と。
キミは行ったことあるだろう、というけれど、中学の修学旅行以来だから、先般の奈良旅の帰路にでも立ち寄りたかつたのに、またの機会になっていたのです。

ホテル企画の宇治界隈の歴史ウォークのパンフレットが手元にあるので、そちらあたりを回ろうかと。いつもながら安直です。
さて、ホテルに向かうにしても、夕食がない。
京都錦市場に立ち寄ろうかしら、と思案中。駐車場を探したりするのが面倒なら、ホテルの駐車場に車を停めてから、バス移動の方が気が楽かしら。どんなお店があるかと検索すると、スィーツのお店が並んでいます。ワタシには「おいしそう」なのですが、辛党氏には興味なしなので、いつも微妙です。さて、どういう食事になるものやら。


大原の三千院・寂光院方面にも足を延ばしたいとの提案。市内を離れるので、最終日に車で向かい、そのまま帰路にした方がよさそうです。

で、真ん中の1日は1日乗車券利用を考えています。
平安京創生館というのが平成30年にできたと知りました。まずそこへ行って、平安京の成り立ちをなぞってみるのもいいかと思っています。平安京の時代の大極殿跡がすぐそばにあり、かつての都の朱雀大通りをイメージもできるかしら。
歴史館というテレビ番組で平安京をテーマに取り上げていましたが、都の人口は10万~12万人だったとか。
外には、あとふたつみつのお寺など回るかしら。何か所も回ると記憶は飛んでしまうから意味がない、が口癖です。苦笑

猛暑でしょうけれど、急遽の旅企画、楽しみです。




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毎日が体育科目あり の生活。

2021-07-17 19:36:08 | 歴史探訪・城巡り
ふぅ~、運動疲れかしら。
月、水、木、金、土、とアクアビクスをしました。(火曜は仕事日)
そして、明日はアクアビクスはないのですが、アクアのインストラクターさんの別枠メニュー(費用別途)2時間コースを申込んでます。
いくら近距離とはいえ、ちょっと疲れが出ています。
小中学校時代だったら週2日ぐらいだったような。学生時代は運動部には入ったこともないのです。

明日の別枠のコースが終わったら、ちょっと一息を入れる日も作りたいな、と思います。

■ 話は変わりますが、来週の木金が休日ということに気づき、急遽、2泊3日の旅行に行くことにしました。
先月行ってきたばかりですが、今の方が人混みゼロだろうし、チャンスだと思うので、ホテルに電話。なんとか予約が取れました。
2日目は和室しかなくて、我が家としては珍しく和室になりました。
で、1日目はシングルの部屋しか空いていない、ということで、シングルの部屋を2室予約、という形になりました。
キャンセルかあったらツインにしてください、とは申し添えましたけどね。
まぁ、ギリギリ1週間前で予約が取れるというのは、この状況だからあり得ることなのでしょう。
自家用車利用です。
二人ともワクチン2回目終了しています。

政府担当者は「人流を止める」と盛んに言われるけれど、コロナ対策もバッチリしているホテルもダメなんて言っていたら、従業員の生活がダウンするのじゃないでしょうか。観光客相手の経営者は大変。パート従業員や派遣社員さんにしわ寄せがいっているのではないでしょうか。

「ワクチンパスポート」が今月下旬には検討されるようですが、海外に出る方向け、が主目的のようですね。
たまたまワクチン接種ができない立場の方との差別になるから、安気にワクチンパスポートの発行には慎重にならざるを得ない、とか言われていますが、多勢のワクチン接種済みの人たちが国内の経済を回す側になって、沈滞している業界が活気づくのはいいことのように思うのですけど。

■ ニュース報道でオヤッと思ったこと。
先ほど、「オリンピック関係者でひとり陽性者が出ました」と報道していました。
陽性者=PCR検査で陽性になった人、のことですよね。これまではPCR検査陽性者数=感染者数として発表しているのじゃなかったのでしょうか。
場合によっての表現の使い分けのように思いました。ひとり感染者が出た、と言いたくなかったのでしょうね。
これに倣って、これからは他の発表も本日の新たな陽性者〇〇人という言い方をした方がいいと思います。









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話し相手がいないから、かしら、PCの前でまたまたひとりおしゃべり。

2021-06-26 17:33:22 | 歴史探訪・城巡り
駄文書きですね~、ワタシ。

昨日は仕事で、疲れが抜けきらず、朝風呂に入って、自分自身に「活」を入れて出勤しました。
で、今日はジムのプールでアクアビクス。
45分と30分の2枠をこなしました。

水の中は浮力のお陰で痛みを感じない。陸上だったらとてもとても、という動きの連続。
競馬馬も足の疲れを癒すために、温水プールの中を歩く、という話題をテレビで見たことを思い出す。
今日の私は、それに似ている。

5月から入ったのでまだ気分は新人。
できたら、プールの中ほど(幾分深くなっている)で動きを行いたいのだけれど、と思っていたら、「あなた、こっちに来たら。背が高い人は深いところの方がいいでしょ」と手招きしてくださる。
会話もしたことないワタシのことを気遣ってくださるって、優しいな、と。
ありがたく応じる。

先日は、シャワー待ちのときに、肌寒いからと言って、サウナの扉をオープンにして温度をあげようとした人がいて、とっさに、「サウナの扉の開けっ放しはよくないと思いますよ。施設に迷惑でしょ」と発言しときは、残念な気持ちがあふれたのだけれど(即、忠告に応じてくださったけどね)、今日の親切は((こんな人たちの集まりなんだとも思えて)嬉しかった。

いろんなひとが集まれば、様々な体験が生まれる。
コロナ禍でのスポーツジム運営は私たちには見えない苦労があるだろうけれど、身体を動かせる貴重な場です。





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