日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

お風呂場のスズメ

2010-02-24 22:53:33 | 私の雑感あれこれ
私はお風呂から上がるとき、湯気を出すためにも、お風呂場の小さなガラス窓(横長の板ガラスの傾斜度を変えて開け閉めするタイプ)を開ける。
そして、お風呂を沸かすときには、ハンドルを回して小窓を閉める。
このハンドルを回して閉めようとすると、暗闇にパタパタと音。
あっ、何かが挟まった!
と、逆回転。

挟まったように見えたのは、
たしか、尻尾の形、尾羽の形。
そう、スズメの尾羽に違いない。
どきっ!

でも、一瞬で飛び立ってしまうので、
一時のびっくりも、やれやれ、で済む。

そして、うっかり者の私は、
また、翌日のお風呂沸かしのときも、
バサバサ、でびっくり、ハンドルのてをとめる!

何度も続いて、
きっと、同じスズメだろう。
あー、このスズメはこの狭い窓辺をネグラにしているのだ、と判じる。
私がお風呂に入るたびに、寝込みを襲われるそうな事態が発生するわけで、たまったものではないだろう。
ところが、私もそれでは困る。
よって、ガラス面の角度を変え、スペースがないように工夫してみた。
と、今度は、尻尾じゃなくて、こっちを見ている!
はっきりと、ぽっぺにホクロをつけたスズメそのもの。

どちらかというと、私は、トリ、は得意じゃない。
意地悪しないから、そんなところをネグラにしないでー、という気分だけれど
夫曰く「そんなところをネグラにしなくてはならないほどの、仲間はずれか、力のないスズメなんだから・・・」と、言われると、困ってしまう。
でも、でも、寝ている途中で明かりがついて、尻尾が挟まりそうになりたくないでしょ、
どこかいってよ、プンプン、の気分でした。

そして、それからは、
挟まないように、内側の網戸をトントンとたたいて,追い払ってハンドルを回します。
そして、今晩のお風呂。
あー、いなかった、よかった!

そう思って、湯船に浸かっていると、
湯気だしの高い窓辺、ではなく、はめ込みのガラス戸の下枠のところにいます!
明るくなって、やっぱりびっくりしたのか、ちょっと寝返りを打つかのように体を動かしたりして。
おー、お前よ。
一緒に寝る仲間はいないのか!
防犯用の鉄枠とガラス板の隙間に挟まって,身を危険から守りながら、
おー、お前よ、我が家のお風呂場のその場所が、そんなにお前に心地よいのか、
そこしか安らぐところがないのか

そう、あれこれ思い巡らしながら、湯船につかる
大怪獣(スズメから見た私)であった。


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ゆきがとけると 何になるか

2010-02-23 15:37:04 | 私の雑感あれこれ
朝日新聞天声人語氏が「春になる」と答えて×をもらった話を話題にしたら、母親が残しておいてくれた「つちが見えるようになり、はるになります」と書かれていたいう答案のコピーが、届いたとのこと。
私たちの街には雪はないけれど、今日の日差しは雪解けを急がすように降り注いでいるみたいです。

で、話を引っ張って、かつての子供の答案の話ひとつ。
帰宅した息子が、「これってダメなの?変だよねー」といって見せてくれたことがありました。
問題は
「日の出、日の入りはどうして調べるか」
息子の手の中にあるテスト用紙には「太陽が少しでも見えた時が日の出時間で、ぜんぶ沈んでしまったときが日の入り時間」

と、書かれていて、× でした。

どうして?
だったら正解は?

と、息子に尋ねると
「新聞を見る」なんだってさ、と不貞腐れていました。

今はどうか知りませんが、その頃の新聞には「日の出、日の入りの時間」が表記されていたのです。
なーんだ、
そりゃー、そうかもしれないけれど
×をつけてしまう先生って、芸がないなー
と、思ったものです。

小学校の3か4年生だったでしょうか。
ま、それだけの話です。
答案を残しておけばよかったかしら(笑)。


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選択的夫婦別姓法案

2010-02-20 12:16:17 | 私の雑感あれこれ
今日の新聞紙面に、法案の今国会提出に向けてこれから閣議に入るとある。
今、法務大臣は弁護士出身の千葉氏、そして閣僚として、同じ弁護士出身の福島瑞穂さんもいらっしゃる。
期が熟したか、と思われる、のだけれど、
亀井大臣ほか、閣内に反対派、慎重派もいるとか。
うーん、どうして受け入れられないのだろうか。
「選択的」と、断り書きをつけているから、なにも自分の奥さんも別姓になるのではないのに。以前、上記大臣だったかが、別姓にすると、親の面倒を誰が見るのか、という言動をなさったことがあった。
老いた親の面倒(扶養義務)は、子供がみなくてはなりません。(昨今は子供に面倒をかけては申し訳ない、と、行政に頼る親も見受けられますが)
子供が仕事などで適任でなければ、連れ合い(その妻)が見るのもいいのではないでしょうか。
それだけのことです。妻を自分の苗字にすることで、自分の親の面倒を見る係りができた、とするのは、安直です。
同じように学んで、同じように仕事をしている人たちの中に、夫に属するのではなく、自分の生き方を貫きたい、その手立てのひとつとして、別姓で社会人として生きていく、という選択をしたい、と願っている人がいたとしても、それはまかりならん、というのが現在です。
それほど、強い意志があるのであれば、戸籍上の夫婦という選択を放棄しなければ実行できないのです。(現に福島さんは、そうらしいですね)
「選択的」とついているじゃないですか。
自分の姓になって欲しい男性は、別姓を選択したいという女性と結婚しなければいいじゃありませんか。
なぜ、自立的に行きたいという女性を、こんな形式的なところで、踏みにじらなくてはならないのでしょう。体力が有無をいう戦国時代ではないのですから。

先日、ご紹介した、親ばか挨拶状(笑)にも、娘さんは別姓で仕事をします、と書かれていました。
最高学府に進学できるのは男性のみ、という時代からはるか時間が経過しています。
別姓をすべての女性に強制しているのではないのです。
この考え方、「選択的」であっても、受け入れられない、という人の見解、その理由はどうなのでしょうね~。

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いくつになっても・・・

2010-02-17 12:40:54 | 私の雑感あれこれ
新しい気分を味わえる。
当たり前、といえば、それまでだけれど、
その緊張感が加わった新しい気分が、
気持ちを若返らせ、
結果、
元気をもらっている。
私たちにとって、よい60代の始まりでした。

神様が、
なんて言うと、胡散臭く思われるけれど
ちゃんと、元気が湧いてくる、拵えもの
というか、シチュエーションを私たちに与えてくださるものだ、と思ったり…。

不思議だな。
少し痛んだ子がいて、
こころがいつもそちらに向かっていたけれど、
私になすすべがなく、
こころ萎える思いだった昨今。

前向きに進もう。
自分のことに、自分たちのことに専念して、
新しい緊張感が、
ちょっとよい方向に展開し…。
さらに、明るい芽が出てきて…。
なんだか、じんわりと快い気持ちをかみしめている。

おいしいものを食べる、とか、
贅沢な買物をする、とか、
ゆったりと旅をする、とか

その手のものではない、
この自分たちの道のりを辿って来たからこそ、
今、それに気付き、嬉しいことだ、といえる、

こんな風に感じるものだと思いもしなかった、
小さな喜びをかみしめている。





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昨日届いた挨拶状。

2010-02-15 13:16:13 | 私の雑感あれこれ
喪中により年賀の欠礼を兼ねた、寒中お見舞いを兼ねた、封書の挨拶状が届いた。

地方某県在住の夫の大学時代の勉強仲間から。
この職業は、もの凄い勉強が必要な世界なので、かつての労苦は、したことがあるものでないと判らない、ところがあるのでしょう。

で、スゴイ。
子供3人が父親と同じ大学で、このたび娘二人が、同じ仕事を始めることになった、と。
長女の連合いも同業で、トツクニの資格を得るため夫婦でトツクニに行っていたことから、娘二人は同じ時期にスタートすることになった、と。
因みに、長男も東京で同業です、と。

よくもまあ、同じ職業が並んだものよ、とも思う。
才能があるのなら、別の分野もあるだろうに、こぞって同じ業界に。
本当に、似通った気質の才能だったのだろうか、こんなこともあるのですね~。

読み返してみても、お父さんの親ばか振りが見え隠れして、ふふふ、です。
文頭の挨拶状のハズが、息子娘の学歴紹介と、職業紹介、なんですものね。

で、なんでこんな話題を書いたかというと、
地方であっても、公立高校、国立大学進学という道があり、
なにも中学受験しなくても、能力があって、希望すれば、その道が開けている、という事実を伝えることがらのような気がしたものですから。

学問の道を選ばなくてもいいのです。
でも、地方だから不利、ではない、ということ、
他国と比べたら、可能性が閉ざされているわけではない。私たちは、そんな国にいるのだということを、伝えることができたら
と、思ったものですから。

それにしてもすごいですよね。
揃いも揃って、全員が膨大な努力が必要といわれている試験を目指し、現実にクリアしたのですから。

お父さん、ブレーキが外れてしまったのですね。
親ばかって、ちょっと気恥ずかしいものだということの。
そんな幸せオーラ溢れる書簡、我が家の状さしに入れておきました。
文章は無論印刷文字だったけれど、いったい何通出したのでしょう(笑)。

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貨幣の始まりの頃

2010-02-14 10:50:01 | 私の雑感あれこれ
先日「大ローマ展」へ行ってきた。
オクタビアヌスがローマを制した頃を中心の展示であり、丁寧な解説で、2000年前の時間を楽しむことができた。
「すべての道はローマへ通じる」という言葉があるほど、ヨーロッパ各地に領土拡大を図り、征服した先々、イングランドにまでローマ遺跡が残っている程、ローマの文化を伝えることになる公共事業を行っている。
当時鋳造された貨幣の展示もあった。
貨幣の発行は、兵士の働きに対する俸給を貨幣で支払った、と。
そうか、兵士は命を懸けて命令に従う、のだから、それに対応する褒章が、戦果の小分けであり、わかりやすく貨幣という形をとったのだ。
公共工事に携わったのは、占領先の被征服者たち(奴隷)だったのだろうか。それにしても、食べ物を与えないと、いくら奴隷でも働くことはできないから、食べ物を生産するものから、食料を調達する術としても、貨幣が行き来したのであろう。

農耕の民であれば自給自足で成り立つけれど、領地拡大や、侵略されることを防ぐという
仕組みを整える必要が出てきて貨幣が必要となり、かつ貨幣の占める役割がどんどん拡大して現代に至っている。

考えてみれば、それでも戦前頃までは、日本の農耕従事者の割合が高かったわけだから、貨幣が少なくても、人は生きていけた。
それが、これまで経験したことがないほどの、あっという間に、自給自足から離別して、何でもお金でまかなう貨幣経済になったのが今。

貨幣経済の究極に来ているのかも知れない。
赤ちゃんが生まれて、紙おむつの消費者になり。
から始まって、延々とお金がないと生きていけない社会になっている。

現物の貨幣じゃなくて、クレジットとか、信用取引とか、貨幣の抽象化もどんどん進んでいるのが、今、なのです。

ずっと、後々の世になって、私たちの子孫が、
あー、あの時代は、・・・と。
・・・はなんだろうか。



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司馬遼太郎「夏草の賦」を読んでいます。追加あり。

2010-02-02 07:24:04 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
文庫本で上下2冊の1冊目を読み終わったところ。
ブログつながりさんのご紹介で読み始めた。
考えてみれば、司馬遼太郎氏の歴史もの、時代小説は読んでいない。竜馬がゆくを途中まで読んだぐらいかな?
で、それ以来の司馬遼太郎の歴史小説。
感想。うーん、これは司馬さんの想像力で人物に血肉を与えているのだという印象が強い。だから、彼はその時代の資料として、軽四トラックいっぱい程の古文書を収集して、執筆に入ると聞いたことがあるが、さもありなん、と思った。
四国土佐の長曽我部元親が近隣を征服せんと戦に明け暮れている模様を、目に浮かぶように描いている。
あの時代の武士の弁え。あの時代の武将の腹黒さ。あの時代の結婚するということ。あの時代の武将の妻であること。
司馬さんの文章に説得させられながら、16世紀の戦国時代に入り込んでしまう。

でも、実際の元親や菜々の人となりが、本に書かれているようだとの保証はない。
これは、司馬さんが書いたもの、であり、司馬さん流の人物解釈なのでしょう。
それが「司馬史観」といわれる訳なのであり、司馬さん流解釈が結構人を納得させるから、読者も多いのでしょう。

いつの間にか、戦国の武将長曽我部元親、さもあらん、その妻菜々も、そうか、そんな女性だったのか、と納得されている私。
豪族から領地を広げていって、四国の覇者たらんとする元親の考える策略のなんと底知れず黒く、かつ安らぎから遠いこと。
武将の妻の、いや、戦国のよにあっての、(武家の)女の人の置かれている立場の、役回りに、隔世の感を覚える。
下々は口を糊塗するのがやっとの時代、餓死や疫病に倒れるのも珍しくもない時代でしょうから、だから、人権も生存権もあるわけはないのだけれど、戦国、制覇、下克上の時代の策略…。
今の時代に生きて、読者として500年ほど前を鳥瞰させてもらいながら、人が歩んできた歴史を思った次第です。

以下、追記。
下巻まで読んで。
時間の旅人になったようでした。
当時の都市見物は、奈良に京都、そして商都堺。
まだ、大阪はこれから。勿論木造しかないだろうし。
秀吉が威を誇示するかのように、日本一の大阪城の築城。
配下となった土佐に材木を用命。
その他、各藩に材料調達やら人材派遣を用命すればOK。
勿論、問答無用、異を唱えるなどあり得ない。
農民をかき集めるように戦士に仕立て、四国の領土統一を企てたものの、天下をとる勢いで敵わない秀吉の配下となった元親。
村しか知らなかった農民が、隣村を侵略することにより、少し世界を広げ、隣藩を攻略することにより、また世界を広げ。
海を渡って、もっと広い世界があることを知り…。
司馬遼太郎氏の中世日本、四国高知と堺、大坂、京都あたりですが、案内で、ひととき時間旅を体験しました。
秀吉の黄金の茶室や聚落第の絢爛さ、田舎武将の度肝を抜くための策略でもあったかと、説明されると、今にも通じる人間臭さに頷かされる。
武将の結婚は、子孫を残すため。自家の安泰のため。女に感情をかけるものではない、と。
殺さねば殺される時代の、生き延びるための手段。
そして、田舎人たちは、行きずりの旅人の種を貰うことに大らかだった、と。
そうして外部の血がはいるという知恵を使っていた、と。

人権も正義もなく、強くないと生き残れない時代。
一番強くないと、心を隠して、おもねることをしないと、血がつながらない。
どれほど沢山の人が、理不尽に命を落としていったか。
今、私たちが持っている思考回路との差、相当なものだろうな、と思う。
ああ、今の時代でよかった!




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