日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

留守にする前に。

2017-04-26 08:07:57 | 庭 4月
庭の写真をパチパチと収めました。

時間がないのでランダムに。

フリージァ。


あっちにもこっちにもアシュガ。控えめな彼女の晴れ舞台って感じです。


この角度からも一枚。


水遣りをお願いしなくてはならないのを寄せ集めて。天気予報を調べて、この日にとお願いしてあります。でも挿し芽はもっとデリケートなので、、、。ま、失敗しても大したことはありませんけれど。笑


クレマチス。


私の好きな隠れスポット。苦笑  といいながら、お庭に来てくださった人を案内しています。木のスツールの向こうにカキツバタの葉っぱが伸びてきました。右手前にシャクヤクがあります。


ワスレナグサ。一面のワスレナグサです。苦笑




このアングルからも見てください。


今年最後のボタンの画像です。奥のほうに移動しました。


変わって道路際に登場したのは、マーガレットです。去年と花弁の発色が違います。土壌の影響なのでしょうね。


ああ、間に合った。

では、しばらく留守にします。









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チューリップの季節

2017-04-25 05:38:03 | 私の雑感あれこれ
今の季節はずいぶん昔から砺波のチューリップフェアがあります。
砺波、そして富山県の東部、入善でもはチューリップ生産が盛んです。
高校時代、通学の汽車の窓から畑一面に植えられたチューリップの花をあっちこっちに楽しめたものです。
そして、花の最盛期に花首を刈り取って畑の一隅に捨て置かれているのも、最初はびっくりでした。
それは球根育てのためにはお花を最後まで楽しんではいけないらしいのです。

富山滞在中のテレビニュースにもチューリップが登場します。
チューリップ栽培の最初は大正7年。米作の裏作、冬季作物として栽培を始めたそうです。北陸は雪解け水を利用しての稲作ですから、田植えのスタートも5月になります。稲刈りをした後の田んぼにチューリップを植えて、田植え前に球根を、というのでしょうか(今はどうなのか知らない)、収益を上げようと考えた篤農家の人を思います。
チューリップ栽培は戦後もいち早く輸出産業品として、昭和22年ころから外貨を稼いだそうです。田舎の富山県に洋花のチューリップ?と思ったこともありましたが、大正期の知恵者の提案が発展して今につながっているのです。

40年ほど昔に行ったチューリップフェアの超満員というイメージに懲りていますので、近くまで行って素通り。外野からでもチューリップを拝めるかなと思ったのですが、浅はかでした。苦笑

で、帰り道に何枚かのチューリップ畑の横を通ったので、スマホに収めてきました。スマホからブログ画像に取り入れるのは、ちっと手間取るので、気分が向いたらします。ゴメン。

チューリップの新種ができるまでに20年かかるそうです。なんとはや!!!です。
バラの新種には7年かかり、こんな花と目指していても、流行が変わってしまって人気が出なかったりとか、いろいろ大変なのだと聞いたことがあります。→ → だから、新種の苗は値段が高い。当然です。

チューリップが20年とは、さらにすごい。
我が家の今年のチューリップは白と紫ですが、訪ねてきた友人の弁では、白のチューリップは新種ね、とのこと。
花弁の先っぽが普通は丸いのに、これはつんととんがっている、珍しいのよ、と。

そうか、そんな違いは、言われてみないとわからない。その後は「この花姿には苦労の跡があるのだな」と、ちょっとまじまじと眺めたりして、、、。苦笑

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子供って得な存在。

2017-04-24 20:18:18 | 家族
100歳の母を見舞っても、とくに何の役にも立たないのに、ただ私が来た、というそれだけで喜んでくれる。
母がいつもより張り切っている、と周りは言う。
食卓の母のそばに置いてあるカレンダーには私の滞在する日に「 → 」と私の名前が書いてある。
待っていたのだな~とわかる。
ほんと、子供って、ただ子供であるだけで、こんなに喜んでもらえる得な存在です。

耳の遠い母とはそんなに話し込むこともなくなりました。
母が語る言葉に、相槌をうっても、私から細かい話は語らない。
元気だよ。孫たちも大きくなったよ。お花が見事だね。そんな程度のやりとり。

母が1冊の詩集を取り出して、この本はあんたにもらったのだったかね~と2度ほど念を押す。

柴田トヨさんの「くじけないで」という詩集です。

99歳のおばあちゃんの書いた詩、100歳になったおばあちゃんが大切に読んでいます。

詩のアレコレを語るのは避けたかったので、

私は「うん、そうだよ」とだけ応える。



そういえば、日野原重明さんの本とかも読んで、自分も「『延命治療はしない』と書面にした」と言っていた。

本屋に行くこともない90歳過ぎの母親に、どうかなと思って持っていくと、丁寧に読んでくれている。







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母という人。

2017-04-24 07:13:49 | 家族
ちっこいエピソードです。
それも昨日の。

昨日はいいお天気で、テレビでもオープンの話題が流れていた、できたばかりの美術館へ行きました。
いってみたら、美術館の建物の入場可能でレストランなどは開業、行列ができていましたが、展示はまだ先ということで、木の香りがいっぱいの新装の建物の中を満喫してきました。
母はもちろん車いすです。

ふと気が付くと、車いすの母が誰かと話しているではありませんか。
はるかに若い、母から見ると孫ほどの年頃の女性と。
それも親しげに。
なんだか会話が成り立っているのです。

えっ、知り合い?

と、私も弟夫婦もとっさに思いました。

デイサービスでお世話になっている介護士さん、とのこと。

えっ、こんな、いろんな人が行き交う中で、車いすに乗った100歳のおばあちゃんが、家族も知らない知り合いにあうなんて、驚きです。

耳が遠い母なのに、めんどくさがらないで、ちゃんと声をかけてくださったのです。

ありがたいです。きっと施設に通っていても、快適な人間関係を作っているのだろうと、母の人柄を思いました。

5年前、脳梗塞で倒れ、ひきつづきリハビリで1か月余り入院していました。

看護師さんらと親しく交友(?)するタイプなのか、退院時にもらったアルバムにも、母ならばこその一枚がありました。

花壇の花の写真。写真には、「○○さんと一緒に植えた花です」と。
車いすの母が植えることはできないのですが、母に言わせると、根っこがむき出しで枯れそうだったので、土をかぶせてやってと若い看護師さんに言った花なのだそうです。

その花が元気に復活。写真を撮っておいて、母の退院時のアルバムに加えてくださっていたのです。

95歳の交友関係、100歳の交友関係。

母なりのワールドです。





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3日ぶりの朝の庭。

2017-04-24 06:45:15 | 庭 4月
一泊だと、そんなに変化は感じない。2泊3日で遅帰りで、戻った日の翌朝に見る庭は、知らぬ間の変化(成長)を気づかせてくれる。

ボタン。満開。ピークに間に合いました。ほっ。







ボタンの鉢を道路側に持ってきたので、両脇にあった寄せ植えを片方に寄せました。


バラの一番花です。ゴールドバニー。


ヘンリーフォンダももうすぐです。


予定通りの配色になったメイン通路両サイド。あとどれだけこの状態が続くのかしら。


ミヤマオダマキ。お花が少な目と嘆いていましたが、これだけ数も増えました。




アシュガの群れ。こんなスペースが3、4か所あります。グランドカバーの優等生です。


クレマチスもトップバッターが開花していました。手元に残っているラベル6枚からすると、「黒姫?」のようです。



このほうから見ると、アーチの向こうに1輪見えます。


フリージァも満開です。








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山吹の春

2017-04-23 20:49:46 | 私の雑感あれこれ
母の顔を見に久しぶりに北陸へ行ってきた。

飛騨路を長距離バスで行く。

まだ山桜が残っていたり、新緑の中の山吹の黄色が鮮やかだったり、そのうちに山肌の残雪が珍しくなくなり、木々は落葉のふゆと変わらずのところもあったり、そしてまだ下っていくと、水をためた春の田んぼ風景の散居村に出くわす。

車窓から見える風景は目の保養です。

たま~に顔を見せる、お気楽な娘です。

お寿司食べたり、川の上流のアユ料理屋さんに行ったり、なんだか介護どころではないのです。

その鮎料理屋さんでのこと。

入口に白く鮎の文字が書かれた藍染暖簾がかかった鮎料理専門店です。
通路脇には庭石で作ったせせらぎがあり水が流れています。
入口には、たっぷりと大きなカメに芽吹き始めの枝と数本の長尺の山吹の花が粋な挿し花(生け花)で飾られていました。
お花屋さんでなくても山吹は手に入るのでしょう。
あらっ、周りの風情にぴったり。お商売やっていらっしゃるから、気配りも素敵ね、と眺めながら入店しました。

アユ料理は3回目ぐらいで、今回は小ぶりの鮎でした。(お料理の話題は省略)

手洗い場にも、おわら盆踊りの編み笠の形をした花器に、ヒメシャガと山吹のつぼみが、茶花のように静かに活けて有りました。

レジのテーブルにもあったかしら。

適材適所というのか、奥ゆかしく和花を生ける人が、お店の人の中にいらっしゃる。日本って、そういう文化が浸透しているんだよね~と、しみじみ(美的センス、すごいな)と思うタイプなんです。…言葉にはしませんけどね。

美味しく、母たちと食事を済ませて、出口に来た時に、

同年輩ぐらいの数人の人が入ってきました。すれ違ったのです。

その時、最初の女性が、入り口の山吹の花に気付もせずに、押しのけて入ってきました。

あらっ!!!

と、思いました。

次の女性も、前の人に話しかけながら、同じように山吹の花にぶつかっても平気というか、そんな花が活けてあるということに気が付いていないのです。

あららっ!!!

ステキな店構え!!!と思っていた私は、びっくり。

改めて聞くと、その会話は日本語じゃありませんでした。

そうなんですね。

日本という外国に旅行に来て、山間の地まで訪ねて日本料理の鮎懐石を食べることには熱心なのでしょうが、庭石に水が流れる風情や山吹を生けて客を迎えようとしているお店の心づくしには、気が付かない。

素敵な山吹の生け花が形崩れになったので、ちょっと手直し、なんて思ってみたけれど、生け花の覚えがないもので、うまくは修正できませんでした。

ショボーン。

日本人の持っている美意識というか、美意識を持っている日本人の層が厚い、ちょっとしたところで目にする生け花をみると、そう思います。

食事中、前面の窓から見える山裾に帯のように山吹の花が咲きそろっていました。

■ 七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき

山吹といえば、この歌のこと、話題になります。

私は、山吹の実のないことと、雨具の「みの」がなくて貸してあげられないことをかけてうたったというのは知っていても、
なかなかすらすらと口に出てこないのが悲しいですけれど。トホホ





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風が強いと、、、。

2017-04-20 06:46:41 | 庭 4月
桶屋が儲かる、の話ではなく、、、苦笑。

今頃の私程度のガーディナーは、ヒヤヒヤしていらっしゃるのではないかしら。

バラの葉っぱがふさふさになるのと同時に、バラの病気も発生してきます。もちろん葉っぱも大いに揺られて傷みます。

うどんこ病、黒点病。

それらの病原菌が風で舞い散るのではないかと、ヒヤヒヤなんです。

元気な葉っぱでないと、よい花を咲かせることはできないし、、、農薬はできるだけ避けたいし、、、悩むところです。

■ 画像

強風に壁際避難していたボタン。開花開始。




ボタンの周りの寄せ植えたち。

1株でこんなに活躍してくれているラナンキュラス、アリッサムは2株だったかな。


ビオラと白い花は桜草。


パンジー(紫)と、アリッサムとイベリス(いずれも白)桜草


桜草とイベリスとビオラ


つる日日草もあちこちで咲いています。


そしてバラ。ゴールドバニーの一番花がふたつ。




トーマスエイベケットのつぼみも花弁をのぞかせています。


「宴」のつぼみもビックになりました。お花に期待。




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その時私は虫の居所が悪かった?

2017-04-19 20:19:43 | 私の雑感あれこれ
2か月ほど前だろうか。
ご近所さんとの立ち話の時、言ってしまった。思っていることを。

えっ、なんで通り一遍の会話しかしていないのに、そんなこと言うの? → ワタシ

と、少し後悔した。

で、その後顔を合わせると、消極的挨拶で難なく済まる、に徹していた。

その内容とは。

70代半ば過ぎの彼女、娘夫婦と同居なのだけれど、夫の海外出張に娘さんが帯同しているので、今は一人暮らし。大企業なこともあって、健康診断とかなんかあると帰国という経済的にはリッチ(多分)。
帝国ホテルの会合云々とか、海外工場でどれほどのポストなんだとかの婿さん自慢と、娘がね~との愚痴がほとんど。
その時は、なんで立ち話で人様の娘さんの愚痴を聞かなくっちゃならないの的な気分になって、
「子供を育てていないと、いくつになっても娘気分が抜けないのでしょうから、そういうこともあるのでしょう」
と言ってしまった。一人娘さんは50歳近くですがお孫さんはゼロなんです。

一般論としては、さもありなん、と思っていったのだけれど、当事者には失礼だったな、自分を大人げなく思い、後悔もした。

で、その後は帰国して、犬の散歩をしている娘さんとにこやかにあいさつを交わしても、

きっと母娘で、「近所の○さんったら、こんなこと言うのよ」と話題にされていても仕方がない、と覚悟していた。

まぁ、墓穴を掘ったのはワタシだし、、、。

で、今朝。

年末におすそ分けした草花のその後お花はどうですか、と声をかけ、我が家の同じ花を見てもらった。ついでに雑談。
またまた、娘さんの愚痴。
で、驚いたことに、
「うちの娘は子供を育てていないから、いくつになっても私との関係は、子供のころ娘と母親の関係で、口を開けば△△△。もううんざり」と。

アレレ、私が言ったことを彼女が先取りではありませんか!!!

私の懸案事項は解消しました。ほっ。

で、一人暮らし高齢者対象のイベントを紹介しましたが、興味なしとのこと。

了解。

「75歳過ぎてからは、健康診断をしないことにしたの」

ワタシ「・・・・・・」

そういう考え方もあるんですね。

でも、うちの庭のふえすぎた多肉植物もらっってもらいました。
植物と遊ぶのも楽しいのだけれどな。← ワタシ

ま、近所のよしみ、手間いらずの生活を選択しているタイプらしいのですが、我が家の手間いらず植物が少しずつ分家していったらいいなと、余計なことを考えています。





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植物ぐんぐん育ちざかり。

2017-04-19 09:16:51 | 庭 4月
どうなったかな? の気分で一日が始まる。
昨日のさし芽したペチュニアは元気だろうか。
ボタンの大きなつぼみのついた茎は風で傷んでいないだろうか。
など、植物のマザー気分なのです。保母さんかな?苦笑

今朝は地植えにしていた黒真珠というバラを鉢上げしました。一昨年は早咲きで見事な花を楽しめたのに、その後は沈黙。
去年は南隣でのっぽに育った菊に陽射しを遮られたのが理由かなと思い、今年は12月頃には菊をやめました。
それなのに樹勢は期待外れ。葉っぱはつけているので枯れるコースではないと思うのですが、このままでは期待できません。最近気づきました。隣接してスズランが生えてきました。もう5年目だから地中では株もバラエリアに侵入している可能性アリ、です。
ということで、10号鉢に鉢上げ。
鉢が大きすぎるかなと気になるところ(根っこに対して土が多すぎると土の渇きが悪くて、根にはよくないらしい)。水遣り注意して様子を見ようと思う。

■ 画像

ペチュニアのさし芽したもの。あと1か月もすれば、超バーゲンで売られているだろうに、、、。


ブラキカムも一斉開花。年数は経っているのですが、なかなか増えません。


対して、ヒメシャガは大群となって乱舞しています。









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ドラマに夢中。「メンタリスト」にどっぷりつかっています。

2017-04-19 06:23:02 | 映画・テレビドラマ・音楽
アメリカで大ヒットしたドラマだそうで、あの『24』(トエンティーフォー)を視聴者数が上回ったとか。
ということで、私がのめりこむのも別に不思議ではないのだろうけれど、(週1回の連ドラではなく)見放題状態なもので、昨日などはやらなくてはならないこと時間、以外の時間をドラマ視聴に充てている、といったところ。

メンタリスト』は第7シーズンまである。そのうちの今は第5シーズンの20話まで見たところ。
警察捜査のドラマ。日本でいうと「相棒」的な。でも、今の私には、「相棒」より2ランクアップで面白い。「相棒」にもずいぶん熱中して、どの脚本家の話が面白いかなんて検索していたこともあったけれど。

杉下右京さんよりも、断然スィートフェース。エンターティメント性を増すために、詐欺師出身という設定。マジっシャンとして舞台を踏んでいるから大勢を前にしての話術が得意。説得力抜群。ほとんどの場合相手より数段上手だから、人の行動がよく見える、そういう人物なのです。
そういえば、シャーロックホームズのセリフに、相手のレベルに合わせて(程度を下げて)彼ならばどう考えるか、と発想するけれど、○の場合は、(自分と差がないから)そうする必要がない。
あっ、この手のドラマが好きなんだワタシ。タイトルは忘れてしまって書きならべることはできないけれど、あの主人公も、このドラマもと、わんさか見ている。

キミは、高視聴率のドラマに興味をもつというのは、思考が平均的なんだね。

と家人。

そんなのは、どうでもいい。私が、面白いと思うだけ。

そんなに平均的といわれても、例えば、だれが同じドラマを見ているだろう?
今日、20人ほどの集まりに行くけれど、彼女らでこのドラマを見ているという人、ゼロだと思う。
コロンボさんを知っている人はいてもモンクさんは知らないだろうし、、、。

あ~、マイワールド!!

どうせ見てしまうのだから、ゆっくり見るのも、早く見るのもおんなじじゃない → → ワタシ
そういう言い訳をして、今日も、空いた時間を作ってせっせと視聴する一日になりそうです。






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