日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

私は監査役。

2016-09-30 11:03:46 | 私の雑感あれこれ
昨今、領収書なしで使える公金というのが日本全国で認められているそうな。

政治活動費。飲食代でもOK。

飲むのが好きだから、ついその方面に使った、とテレビから議員さんの映像が流れたりして、なんということか。

きっと、全国いたるところで、似たり寄ったりのケースがあると思っている。領収書が求められないのだから。


で、うちの自治会。

支出に際しては領収書は必須です。その出金や入金があっているかどうかチェックするのが監査役。

ワタシ。

半期分の監査日が一度流れて、再度が今度の日曜。

「そんな、全部の領収書が揃っているわけじゃないですよ」というセリフも耳に残っている。

領収書なしがどれだけの件数が、金額が大きいか、さほどでもないか、

それについては、わからない。

でも、念のために、領収書なしのケースに対処しようと、書面を準備しました。・・・こんなことには熱心なんです。

出来れば、領収書なしの出金をした人に、その詳細(日付、金額、支払先、領収書がない理由など)を記載してもらい、署名、押印してもらうための書面です。

例えば、地下鉄料金、自動販売機からの購入、など領収書がもらえない場合はあるでしょう。でも、もらえなかったことについて、本人に説明責任を取ってもらう、ということです。

この書面があれば、第三者への説明もたやすくなります。

1点の曇りもなく、ということまではいかなくても、他人とのかかわりにおいて、ものごとをするには説得力というのは必要だと思うのです。

細かいって、あきれられるでしょうか。

もし、こんな面倒なもの、いまさらできない、と言われたら、残りの半期はこれでお願いします、と伝えようと思っています。

こんな面倒なものが必要なのだったら、領収書もらったほうが増し、と考えてくださるのだとしたら、なおさら結構ではないでしょうか。

某市の政務調査費の不正支出は、以前にもらっておいた白紙領収書に自分で空欄を書き込んだケースもあるそうです。
なんとまぁ、積極的に私文書偽造です。

こんな人を議員に選出していた市民の質の問題もあるかもしれません。
でも、今回、暴露されて全国的ニュースになって、全国の議員さんが襟を正す機会になれば、災い転じて福となるかも知れません。

さて、わが地域の場合は?

国会議員さんが、出張費の水増し支出で話題になりました。本人ではなく秘書がそういう扱いをして、使えるお金を作っていたのだったかな?

大きいお金が世間のあちこちでジャブジャブなのに、きちんと監査役やりたいワタシって、小者なのかしら。





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久しぶりのランチ

2016-09-29 06:54:22 | 私の雑感あれこれ
いつもの3人で。

6月に奈良旅行して以来だから、夏を通り越して秋になってようやくです。久しぶり。

友人の一人は、仕事先からの直行だったのだけれど、仕事が長引いて到着は14時。

まぁ、ゆっくりできるお店をチョイスしているので、16時30分までのおしゃべりタイムでした。

めまぐるしくいろいろの行事があって、その疲労感が尾を引いているのか、毎度の話題にも、ほんの少し距離感を感じてしまう。

ほんと、あわただしかった、というか、盛りだくさんだったからね~ → 自分


なんか、忙しくて、いっぱいをこなすの、ワタシ嫌いじゃないみたい。

時間があっても、腰が重くてぼんやり時間が過ぎていく、というのはもったいないから、

今の私の解決策は「お風呂に入ること」。

お風呂に入ると、エネルギーが持ち直したような気分になれるから、こんな時間にお風呂?贅沢?  
とは思わないで、つぎ動くためだから、と自分自身に言い聞かせている。→恵まれているんでしょうね。

そんなことを話題にしたりして、タラタラと。

有料老人ホーム見学の話題も出たけれど、私は、まだまだ、というか、「自立の状態で施設に入って楽したい」を選択したい気分からは遠い。

ひとそれぞれですからね。

今回は、お店でランチだったけれど、次回は我が家での映画鑑賞会の企画でもしたいと思います。
秋バラの見ごろなころに。

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母のこと

2016-09-28 07:47:17 | 母のことなど
母の体調は、弟夫婦の弁では去年の暮より快調でした。

夜中にSOSのチャイムがなって駆けつけると、ポータブルトイレに移動しようとして、脚が予定外のところに引っかかってうめいていたり、ということも数回あったらしいのです。

使い捨ての紙パンツを薦めるのは、もうやめた、と弟嫁さんは言っていました。お金ですむことだから、嫌だという気持ちを尊重してあげようと思って、と。衣料スーパーの毎度のLLサイズは買い占めるので、いくつものお店を回って、それはたくさんの量を買い回っているらしいです。
不自由な手を使っての上げ下ろしなので、ある程度の緩めが必要で、これ以外のサイズではダメらしい。

遠距離の私は聞くだけのひと、です。

耳もそうとう遠くなりました。
右耳は聞こえず、左が大きく話すとわかるようです。口の動きを見ながら理解しようとしているから、横からでなく、顔を合わせて離さないとダメなんです、と弟嫁さんの説明。

口唇術ができるように、、、といっても、単純なやり取りしか無理になりました。
わからなくても、ハイハイと返事をしていることもあるようです。

補聴器をつければ、とずいぶん以前から何度言っても応じません。
なんでだろう、不思議?

必ず、いうのです。

世の中の聞かなくてもいいことまで耳に入るより、これでいいんだ、と。世間には指さして人の悪口を言う人がいるけれど、自分はそんなことをしたくないから、補聴器までつけて余計なことまで聞きたくない、に終始します。

そんなことないのに。
ちゃんと、会話ができる人だったから、聞こえたほうが、細やかな話題もできるのに、と思うのだけれど、それはもうない。

母の口から出るのは、今の状態への感謝。
そりゃぁ、私も実感している。

弟が毎度のトイレに車いすで付き合っているのです。どこへ連れ出しても、車いす用のトイレ探しばかり。
95歳の母を引き取ってからの生活は一転したでしょう。

麻痺と筋肉の衰えで自立はできません。自分の腰を時間をかけて持ち上げるのがリハビリ。
週3日のデイサービスは助かっています。
あと4日間はそれを朝から晩まで見ているのです。

昼食後は自室のベットで昼寝タイムで、ベットではポータブルトイレを利用なので、短時間の外出も可能とのこと。
ああ、私の滞在中は、居間で私のそばにいたいので、昼寝タイムがありませんでした。
私が来ていることがうれしくて、毎朝のお経の唱え方も違う、と弟嫁さん。

ここまで介護が必要になった高齢者の世話は、大変です。
オムツ替えまでは自分には出来ん、と言っていました。了解です。
だから、弟は車いすから便座への移動する母に叱咤激励しています。

きっと時間の問題です。
介護施設の申し込みはまだしていないそうです。

私は、申込しておいてもいいのかな、と思う派なのですが、まだ、そこまではいっていない、と返答。

母はなんという息子を持ったのでしょう。

こんな息子(弟)はレアケースじゃないかな?

私にも、弟嫁さんにも、息子はいるけれど、そもそも期待していない(だろう)し。苦笑

自分は、ひとさまの迷惑にならないように、できることを精一杯やって生きてきた。だから、今、こんなに恵まれている、ありがたい、と母は言う。

その理屈で行くと、将来そんな環境を望めないであろう人たちは、行いが悪かったのか、ということになるから、ちっと~~、という気持ちになる私なのですが。

耳が遠く、デリケートな話は卒業しているから、うなずくしかない。













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ワタシって、厄介なヒトなんです。

2016-09-27 19:44:20 | 私の雑感あれこれ
おしゃべりな口かしら。

結構女同士の内輪話になると、みなさん元気におしゃべりなさるから、目立たないほうかもしれません。

そんなヒトです。こんな説明でわかれと言って、無理ですね。苦笑

ふと、思いました。
なんだか、人を探しているところがある、と。

少々かみ合わなくても、まぁほどほどで合わせるのが不得意でもないし、集団でいるのが不得意でもないけれど、
波長が合いそうな人に出会うと、うれしくなります。

もうこの歳ですから、若い人たちのように「求む、友達」って感じではないけれど、話の一端に「そう・・・」と思うところを感じると、また話したくなる、話し込みたくなるタイプなのだと思います。

で、今日、そんなひとりに出会いました。

勿論、以前から面識がある人です。

彼女、Kさんの考え方、今も繰り返し思い浮かべています。

「そう、同感よ、ワタシの考え方もそうよ」と。

こんなめぐりあわせがあるのは贅沢、と言われるかもしれないけれど、さびしいんだよね、ワタシ。

思考が受け入れられなくて(厄介な性分なのかしら?)、孤立しているんだよね、

キミは自分中心の考え方だから、って一蹴されて、

我慢しているところがあるんだよね、ワタシ。


自分の考えを押し付けすぎるって。

そんな、押し付けて楽しいはずじゃない、ワタシの考えのどこが違っているのか、

迷路に入ってしまう。


ま、いつかKさんとゆっくり話す機会も持てるだろう。


キミが悪い。キミの考え方が、、、とズタズタにされて、落ち込みまくるけれど、

自分の中のわだかまりを、自分なりに納得させながら、日々を送って終わりになるのだろう。

ふふ、自分の生き方は自分が作っていくものなのだから。









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これも日本の財産。

2016-09-27 14:11:44 | 私の雑感あれこれ
今、ボランティアから帰ってきました。

高齢者福祉大会の裏方役です。
私たちの担当は、休憩場所でお抹茶とお菓子のサービス。

昨日の準備をなさった方の手際の良さなのでしょうが、グループ分けして、ローテーションで4つの役割を7人一組で順次にこなしていく仕組みです。

その一覧表が張ってあるのですが、それぞれが自分のチームを確認して、4分割された時間ごとに交代していきます。
仕事の少ない時は、壁の花だったりもします。笑

みなさん50代~70代の家事ベテラン女性ばかり。気遣い、配慮100点満点です。

お抹茶をたてる「お点前」の分担もあるのですが、みなさん慣れた手つき!
さすが文化の尾張藩です。
お茶の先生もメンバーです。

「お茶席」の分担は、みなさん袱紗を持参されて!
ちいさな栗まんじゅうを添えての呈茶です。
そういえば、娘時代の袱紗は私も持っています。でもわが娘たちは、袱紗と言っても何のことやら知らないでしょう。
昭和の時代の習い事の威力強し、ですね。

3時間余り、わいわいガヤガヤ、楽しみながらのボランティアでした。

役割終了後に、おにぎりとお茶の昼食でしたが、そのテーブルセッティングも速やかなこと。
こういう層がどの地域にも存在するのだろうと思います。

大事な人材群なんだと実感した一日でした。

私、3年目にしての初体験でした。恥ずかし。

戦時中であれば、大政翼賛会の旗を振る役をしたのかもしれません。
きな臭い時代でなくて、本当に良かったです。

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またまた新企画が入りました。

2016-09-27 07:43:48 | 家族
「金土日の母に会いに」は介護の助っ人であるはずなのに、観光旅行そのものでした。

毎度の庄川峡にあるお店で鮎料理を満喫して、世界遺産の五箇山の合掌村を巡りました。
そもそも私が育ったころは自家用車というものがなく、県内でも反対に位置するので、五箇山はいったこともありませんでした。相倉地域、菅沼地域と二つのエリアがあるということも、なんにも知りません。

塩硝の館というのがあって、外様の加賀藩が幕府に知られずに火薬づくりをしていたという、ちょっと調べてみたいところです。

ちょうど秋祭りのシーズン。麦屋祭りの日に当たりました。こきりこ節、麦屋節、おわら節、どれも耳慣れたメロディーです。
神社の境内に、すげ傘(?)を手にした踊りの輪が垣間見えました。

しっかりとつづればいいものを、書き飛ばしています。

翌日は、新湊に海洋丸パークに、北アルプスを背景にした帆船とブリッジを見に行きました。アルプスは幾分雲がかかっていましたが、空は青空。連日の遠出ドライブにも100歳になる母は車いすで参加です。

帰りの車中で、100歳のお祝いの話が出ました。
めったにない、おめでたいことなので食事会はどうか、と。

勿論、了解です。
弟夫婦の負担にならないように。それだけが大前提です。

子供夫婦である私たちはともかくとして、うちの孫夫婦らは遠方ばかり。当然宿泊が必須です。
うちの子供ら夫婦の出欠は、こちらから連絡し、宿泊費はこちらで負担するので、食事+宿泊、でもいいし、宿泊は移動してでもOK。都合のいいように、と。
母は、自宅のベットに戻らないと無理ですから、食事会が済むと弟夫婦と帰宅になる、という前提です。

なんだか、こんな企画を提案してくれる弟の奥さん。ありがたいです。

月曜は仕事。昼休みに子供たちにメールしたら、2時間もたたないうちに、一人から、夫は未定だけれど母子はOKの返事。
新幹線オタクの3歳児、北陸新幹線かがやきに乗るというと舞い上がるでしょうね~。

日は未定ながら、スタートしたばかりの企画の話でした。
雪の心配がない11月中を予定しています。


今日は8時30分から、高齢者福祉大会のボランティアです。



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帰省を終える。

2016-09-26 07:22:13 | 私の雑感あれこれ
金土日と、母の顔を見に行ってきた。

幸いにも、これ以上は望めないと思える恵まれた環境にいる。

助かる。

片道、ドアツードアで5時間強かかる。

こっちのほうの体力(ねばり)が減少してきていることを感じる。トホホ

最終電車、最終バスにさえ乗れれば、と遠隔地にギリギリまで滞在していたいうころが懐かしい。

ターミナル駅前から地下鉄に乗り継ぐ。

一駅で乗り換えなので座らずに、次の駅ホーム側になる反対側ドアへ電車走行中にいどうしようとしたら、ドッターン。

キャリーバックとお土産入り紙袋と傘を持ったまま。

揺れで通路の若い女性に寄りかかってしまい、彼女は素早く身を引いたので、私は支えを失って荷物もろとも、、、の図になってしまった。

「みっともない」「無様」「情けない」が頭の中を充満する。

とっさに若い女性に謝り、にこやかな表情が帰ってきたことにほっとする。

すると、目の前のビジネスマン世代の男性がどうぞおかけください、自分の横の席を薦める。

ああ、高齢者に見えたのだろうな~、と親切にもうれしさ半分じゃなく、みじめさ満開でした。トホホ

イエ、つぎ降りますから、とお断りして、おもむろに立ち上がって、目的の反対側ドア付近に移動しました。

ほんの一瞬のことなのに、19時台の地下鉄では、長距離移動の疲れも顔に出てしまっているだろうし高齢者に見えるのだろうな~と、意気消沈です。

そんなことから、つぎの乗り換えた電車では30分の乗車となるので、シルバーシートに座りました。

途中、ドタドタと乗り込んできた風を感じ視線をやると、手押し車のおばあさんが乗ってきました。
立たなくては?と頭をよぎりましたが、私の横に座っている父子連れの若い方が立ってくださいました。
で、その方とシルバーシートに相席。

5つほど先の駅で降りるという。
歩くのもたどたどしい80代半ば。目の前に立っている若い男性に声をかけ、降車駅をたずねました。おばあさんと同じです。

出来たら、このおばあさんが電車から降りる介添えをしてくざさい、と頼みました。
勿論、快諾、です。

若い3人組は、乗った駅も同じで介助したらしいです。

おばあさんは、一人暮らしらしく、教会からの帰り?と言っていました。
わがままして生きてきたから、今はこんな風と現在の自分を愚痴り、界面活性剤で死ねるらしいから、、、と近頃のニュースもご存知です。

そして、しっかりと若者たちに、下車したホームのぼりエレベーターのボタンを押すところまでを頼んでいました。

座席から立ち上がるにも介助がいるほど(母の介助してきたばかりだから、勝手がわかる)なのに、まぁ、行動力のあること!

そして、どう支えたらいいのかわからないけれど、しずかな優しさをもった普通の青年たちに拍手したい気分でした。

かいがいしく助っ人するには、今の自分は適任ではないな~と、ちょっとがっかり。

で、私の降車駅でも荷物が重くて階段利用を避けて、エレベーターで。これまでは、階段でもうひと踏ん張り、だったのに、、、です。

自宅まではタクシーなのですが、最近はタクシーの数が減ったのか、「待ち」になることがたびたびです。

先頭の方が30分も待ったと?

疲れているときのタクシー待ちも、家が遠くなって感じるものです。歩けば20分なのに、、、とつい思ってしまうので。

でも、それからタクシーは次々と来て、「待ち」は10分もなく、無事到着、という顛末でした。


余談記事でした。おそまつ。

当年100歳の母のことは、また後日。








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土砂降りの中を美術館目指して

2016-09-22 16:24:06 | 私の雑感あれこれ
祝日。大雨注意報が出ている中を、豊田市美術館に行くことにした。
車で30分あれば大丈夫。開館は10時。念のため10分余裕を見て出発した。
土砂降り。
右折して美術館方面に向かう路線が渋滞している。
まさか、こんな雨の中、と思いつつ、わき道を通って美術館を目指す。

少し行くと、あれっ、ここも渋滞。
相変わらず土砂降り。

根気よく待って駐車場の前あたりで満車の看板。現在150分待ちとの表示。
ほかにも駐車場を開放しているところがあったような、と思いながら、美術館から遠ざかる。
途中で、交通整理の方に尋ねると、臨時駐車場を教えてくださった。
ちよっと歩く距離があるけれど、ひとまずそこへ向かう。
道すがらも、メイン駐車場に行くための車列がどこまでも続いている。
この人たちにも「満車、150分待ち」の標識を提示してあげたら助かるだろうに。情報届かず根気よく並んでいる。ま、車内だから雨にぬれる心配はないけれど。

メイン駐車場をあきらめた、おなじ考えの人が続々続いていたが、運よくセーフ。駐車できました。
土砂降りの歩道を歩くこと15分あまり。

美術館に到着。当然そこも満員。
チケット売り場は混んではいなかったけれど、幾重にも折り返している行列を目にして、チケットを買ってから並んで、入館まで長くかかりますか、と尋ねると、ハイと即座。

1時間以上はゆうにかかりそうだったので、退散を決めました。
コンビニなどでもチケット購入が可能で、買ってきたらよかったと思ったけれど、実際は買ってこなくてよかった。1400円×2 をフイにするところでした。
またまた、土砂降りの歩道を遠い駐車場まで歩きました。前行く少年たちはチケットを手にしながら(入館しないで)戻っています。
まだ開館して1時間も経ていないから、三々五々の帰路についている人は、本日の鑑賞をあきらめた人、なのでしょう。

美術館の催し物は

スタジオジブリの立体展示



以前、小金井公園だったかで、ジブリ作品の原画展を見たことがあり、圧倒された記憶があるもので、また、と期待してのことでした。残念。

美術館を目指す車の行列。美術館前の入館待ちの行列。
久しぶりに大勢の人の列を見ました。

60代が行く、歴史記念館などはどこも閑散としたところばかりでしたから。

ジブリ作品の人気ってすごいんですね。


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はたと困っている。実はわたしなりの結論はでているのだけれど、、、。

2016-09-21 07:00:59 | 私の雑感あれこれ
私は自治会の監査役です。監査役はふたりです。
この日曜は上半期の監査日でした。

予定の時間に行き、話を聴き始めると、半期の月末締めではなく、本日現在締めです、と説明を受ける。
なぜ半期ごと(8月末)ではないのですか、と尋ねると、できないわけではないけれど、すごく手間がかかる。この資料を用意するにも徹夜作業だったのに、またまたそれをしなくてはならなくなります。

えっ、通帳も今日の数字じゃなく、月末の数字にするとか、現金も月末現在の金額にすればいいわけで、可能じゃないですか、と尋ねると
(私には、この変更がそんなに負担とは思えず、半期毎の監査をするという役目上、自分の立場ではそうしてもらいたい、という意図を伝えました)

そんな指摘が出てくるとは想定しておられなかったのか、言葉が固くなってしまい、

やりますよ。やりゃあいいんですね。またまた徹夜ですよ。すごい面倒なんですよ。数字があってりゃぁいいんじゃないのですか。領収書なんて全部そろっているわけじゃないんですよ。と。

まだ、帳簿の1ページも見ていないので、月末締めの後、本日までの動きがどれほどあったかもわからない。

領収書がない場合って、そんなにたくさんあるんですか。

エビデンスなんて、そろっていませんよ。たとえば役所からの交付金入金額が正しいって、どう判断するんですか。僕が、例えば、二口に分けて、一部を僕のほうに送金してくれと言って、僕のポケットに入れることもできるんですよ、と。

この会計さん、なにを言っているのか?

半年間、一緒に自治会活動してきた仲間です。

思ってもいないことです。
多分、今日用意した会計作業に疲れて、またまたやり直し、というので気が滅入っているのだと思います。

監査役の相方に、イレギュラーだと思うけど、任期末の決算ではないし、本日付でもアリなんだろうか、と相談を持ちかける。
会計さんに迷惑をかけるつもりはない。
だけれど、監査の仕事でなぁなぁはしたくない、のです。

そんなに領収書がそろっていないことの指摘を受けるのが困るのでしょうか。

そんな、二人の監査役の「どうしようか」の思案中にも、

会計さんは、

やりますよ、月末締めにすればいいんでしょ。今日の(話合いの)時間が長引いても無駄です。終わりにしましょう。

と。

アレヨアレヨの10分ほどで解散しました。

数字を合わせるのがいかに大変か、ということは繰り返し聞かされました。

自治会費などのまとまったお金や公金は通帳入金になるのだし、出金は現金出納帳で管理すれば、何日締めでもすぐ把握できるのに、仮払いや入金の遅れは、そのことを私たち監査役に説明してくださればいいことだと思うのに。


でも、良かった、と思っています。
半期の今、半分をチェックしておけば、任期末のチェックが半分になるし、いかに領収書なしではいけないかを、会計さんが理解してくださると思うから。

まだ、領収書なしがどれだけあるのかも知りません。真っ正直な方で、1枚、2枚でパニクッておられるのかもしれません。領収書がない場合はそれなりの説得力ある理由があれば、監査役としても通すことも可かしら、と思っています。※

※その金額を支出した人のサイン入り理由書があればいいと思います。後半期はそうしてもらいたいです。


というわけで、監査作業は続行となりました。

ちょっと消化不良です。うっふふ

会計さんは大変なんだから、数字があっていれば、はんこ押していいんじゃないの。という、相方監査役。

な~んだか、です。

一番楽な仕事だから、監査役に立候補しなさいよ、と前年度組長さんに薦められて就任しました。
私たちの自治会総会は、決算書チェックにも意見百出する場です。その時に私なりに納得して押印できるものであってほしいから、今半分の段階で、なぁなぁはしたくないのです。

私みたいなのが監査役って、適任だったのでしょうか。














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司馬遼太郎著「菜の花の沖」 第5巻の中から

2016-09-20 14:46:09 | 
抜粋です。

5巻は高田屋嘉兵衛から離れて、江戸期の北方領土界隈、ロシア事情の話になっています。

ロシアの船による襲撃、略奪を甘んじて受けざるを得なかった頃の日本側の体制が、当時を記した記録に丁寧に当たりながらつづられています。
多くの古文書に当たった司馬さんのイメージ、総論的武士象と言えるでしょうか。

以下引用

 私は、三十代のころに『私残記』を読んで、江戸時代の武士というものの本質の一端を知らされたような記憶がある。
 当時、かれらの本質は、藩という収奪組織に寄生する偸安者(とうあんじゃ)にすぎないとおもった。先祖の武功による家禄を、代々継いで行って、大過がなければ生涯を過ごせるのである。その日常は吏員としてのそれであり、武士という文字の本来の内容のものではなかった。ひたすらに過不足なく分をまもり、分の範囲内で下に威張り、上にへつらい、決して無用の異をたてるべきではない。また自分のなかから独創的な要素を封殺し、さらには個人としての勇気や侠気はむしろ身の安穏をやぶる余計なものであると心得ねばならなかった。要するにうわべだけを飾って、悪臭も放たず香もたかなければ、身を破ることなく、ぶじに家をその嗣子に相続させることができるのである。
 この共通の処世上の姿勢は、その後、一種の文化になって日本人の精神性に翳濃く投影した。




引用おわり

途中です。
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