日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

エッセイなどを読む。

2008-03-31 07:32:59 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
重い本(大岡昇平著「ながい旅」)の後に、読みやすいエッセーを読む。

宮尾登美子著
『もう一つの出会い』★★☆☆☆
「篤姫」は、ビデオをとって見ている。その原作者である宮尾登美子さんの本、随分以前に数冊読んだ記憶。作家宮尾さんに出会えることを楽しみに随筆1冊を図書館で借りる。
昭和57年平成15年に新装愛蔵本として発行されたもの。70年代に続けさまに文学賞を受賞して有名作家となった彼女の4冊目の随筆とか。流行作家になった彼女があちから文章を求められて書いた文章。あとがきに、「母のたもと」「女のあしおと」という先行出版したあとの、まだ未掲載の文章を集めたとあり、そうかなと納得する思いあり。
彼女は婦人会等の集まりでよく講演したとも書いているけれど、この本は、そんな婦人会の集まりに来た方に話しているような話題。結構内容も重なっていたりしており、読むには楽だけれど、つき合わされているという思いもする一冊でした。

城山三郎著 ★★☆☆☆
『そうか、もう君はいないのか』
2008年1月の初版の本。
去年なくなった城山三郎が、先に亡くなった妻のことを思い出して書き溜めてあったものを、ご家族(二女)の方のお力添えもあって、出版となったもの。
3月に城山三郎展をみて、この本のタイトルを目にして、70代の男性がみせる優しさの真骨頂のように思われた。
「50億の中で、ただ一人「おい」妻へ」という心憎いキャッチフレーズが帯を飾っている。
編集者からかねがね、奥さんとのことを書きませんかと提案されていたこともきっかけになって綴られていた遺稿とのことだけれど、城山ファンというほどでもない私にとっては、つき合わされている、という感覚をこの本でも感じました。
こんな本を出さないほうが、出さない城山三郎の方がカッコいいな、と思うのは私だけでしょうか。
で、この本の半年前の2007年8月に出版の『嬉しゅうて、そして・・・』を読んでいるのですが、出版社の営業努力を感じてしまいます。
知名度の高い作家を振り返っての本を、死亡のニュースが残っているときに出すと売れるのではないかと・・・。

樋口哲子著 ★★★★☆
『父 ボース』
2008年1月初版。中村屋のインドカリーで知られているボースの話。
インド独立運動に加わり、イギリス人の総督殺害を狙ったとして追われる身となる。ノーベル文学賞を受賞したタゴールが来日するときに、タゴールの身内と偽って1915年日本に亡命。日英同盟下の日本でも潜伏生活をせざるを得ないときに、頭山満や孫文らと親交をもち、新宿の中村屋にかくまってもらった人。
独り者では潜伏生活も困難だからと、中村屋の相馬愛蔵・黒光の娘俊子と結婚。
著者樋口哲子はボース、俊子の長女です。
ボース自身は、その後母国の土を踏むことなく、またインド独立を見ないで死亡している。
子供である哲子さんの目、育った環境を通して、ボースの姿が描かれている。
アジアが植民地であった時代の熱き活動家の生活の片鱗。ボースを受け入れた相馬家のスタンスを考えたり。
哲子さんの語る祖母黒光(母俊子さんは、2歳のときに死亡している)さんは、格段の強い意志の持ち主。求めるところが高すぎて哲子さんが辛く感じる所も多かったことが伺える。
子供を育てる母親役としては、不適格な面も往々にしてあるひとだけれど、転覆の容疑者とて追われている人を匿う、受け入れるという人は、確固たる意思、強さ、の持ち主だったのだろうと、そんなことを思いながら読み進めました。
黒光さんの器量は稀有なところがあったのではないでしょうか。
哲子さんには、潜伏中に産まれたお兄さんもいるのですが、沖縄戦で戦死なさっています。
写真はその家の裕福さを物語っているのですが、奢りを感じさせずに語るように書かれている文章は、私には興味深い一冊でした。
写真が多いこともあり、1時間ほどで読了した感じです。




コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陽気な春の朝 「ながい旅」の界隈

2008-03-28 09:17:36 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
大岡昇平の文庫本「ながい旅」(映画「明日への遺言」原作)を通勤バックに入れたままの日々。
昭和20年の空襲、爆撃を受けた現場が、私の職場界隈なので、官庁街を自転車のペダルを漕ぎながら、ふと空を見上げたりする。
青空。春の陽気です。
B29が焼夷弾を落とし始めたのも3月の12日から、それから爆撃は続き、名古屋の街の8割が焼け落ちたという。
東海北陸地域の司令本部が今の県庁。そう思って眺めると、爆撃機の轟音が聞こえそうな気もしてくる。
ああ、月日は流れ、生き残った人たちによって語られ、私達は知ることができる。
外堀どおりに架かっている石橋に、明治44年と銘が入っているの目にしても、
ああ、お前は、あの爆撃、惨状を目撃してしいるだね、と心中語りかけている。

一回りほど年上の友人は、燃える名古屋城を疎開した近隣から見ていた記憶があると語っていた。

25年以上も暮らしているけれど、城内に入ったのは1度か2度。
近くにいてもめったに出向くことはない。

で、陽気の候。
戦後の再建されたその名古屋城の正門を描いてみました。

平城で、尾張徳川様のお城。
入り口は、やはり小さいのですね。
いくら平城であっても、敵からの防衛・警備をしっかり、は鉄則でしょうから。
裁判所、名城病院、県警本部、辺りが、2大ご家老のお屋敷があった辺りだとか。

年をとると、瞑想が得意になるのでしょうか。
いろんなことを想いながら、30分あまり、筆を走らせました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残念なニュースをつたえるとき

2008-03-25 07:11:17 | 社会問題
朝日テレビの報道ステーション、キャスターの古館さんの弁舌に波長が合わず、あまり見ることもないのですが、たまたまココロに引っかかった、ワンフレーズから、一言。

茨城県土浦市の24歳の若者が起こした事件。
既に殺人容疑者として指名手配されていたのに、次の殺人を防げなかったことも話題になっている。

古館さん:子供が育つって大変なことなんですね。
(子供を育てる?大人になる?だったかも知れません)
今24歳の若者が高校を卒業したのは6年前。
卒業後は就職しないでアルバイト、そしてゲームに明け暮れた生活だったとか。
彼の高校の教師らしき人の弁:成績は中の上。高校3年の夏まで弓道部で活躍。県大会で優勝し、全国大会にも出場した。

何のことはない、立派な若者だった。
優勝するからには、集中力もあるだろうし、努力家でもあったはず。
でも、就職はしなかった。
・・・6年前。あの時代。
就職は氷河期。いや超氷河期で、大学生は100社受けても就職はできない、とか人気企業は数百倍。そんな話題が行き交っていた。

不真面目なところがあったわけではないけれど、
たまたま、高卒生が就職する場が極端に少なく、そこであぶれてしまったことが、彼を孤独にさせ、やがては刃物まで持たせてしまった。
そう思える。

ひとは真面目にやって評価されることでプラスエネルギーを蓄えることができる。
残念なことに、社会が若者を受け入れようとしなかった時代、18歳で真面目にやってきたことが評価されなかったとしたら…。
ニュースの伝え手は、いつもどおり、殺人事件はさも殺人事件っぽく、自分とはかけ離れたものとして伝えている。

ああ、社会にでる時期に門戸が開かなかっただけなのに…。
そう思えて仕方がない。
古館さんのコメントは、すこしそこら辺を思ったふうであり、だから、いつもは聞き流す音声が、ココロに引っかかりました。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックの役割

2008-03-24 22:50:35 | 社会問題
ギリシャのオリンピアで聖火の採火式典でのこと。
中国代表が演題でメッセージを発しているとき、旗を持った抗議行動が画面に映るという騒動があったという。
中国も、実況放送と銘打って、自国にテレビ中継をしていたけれど、こんなこともあろうかと、まったくの実況ではなく、撮影から放映までの間に1分間のズレがあり、このアクシデントの画像は中国国内には放送されなかった、という。
国家代表が演説しているその時間中は、無音声のギリシャ、オリンピアの別の画像が流されていたらしい。
オリンピック開催は8月。
中国政府には冷や汗もの、でしょうし、今後の聖歌リレーも波乱含み、というか、波乱が起こらないように、見えない圧力、が加わるのでしょうか。

自国内ではどうしようもない思いを、世界に発信される画像を通じで世界の人々に知ってもらいたいという思いがあるとしたら、北京オリンピック開催という機会は、意味の深い役割を担っています。
思えば天安門事件から20年近く経ちました。
民衆に銃口を向けるべく軍隊に指示を出した政府。
そのころ来日まもない知り合いの中国の医学部卒の留学生を裁判の傍聴に誘ったことがあります。
国情が違うから、思うところがどれだけ伝わったか分からないけれど、裁判所からの帰り道、中日新聞本社の前を歩きながら、
「この国は、国が間違っていると思うと、個人が国を訴えることもできるし、新聞も国の失政があれば、記事にすることもできるのです」
などと、話したことを覚えています。

中国東北部の大学でで天安門事件の情報に接している彼は、
中国は、国力の向上を優先で、人権はあとです。
そう語っていたことを覚えています。

それから20年近くたち、情報は国境を容易に飛び越えていきます。
オリッピックよ!
今こそ、あなたの役割が輝くときです。
理不尽に蹂躙されているひとがいるのだとしたら、蹂躙の鎖を解き放つ機会になってくれることを願います。

ちなみに、日本の大学院で博士号を取得した彼は、しばらく日本の企業で研究職をしていましたが、30代の終わりに、今の年齢では最後のチャンスですから、といってカナダへ渡っていきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チベット自治区の映像

2008-03-21 07:49:31 | 社会問題
チベットで暴動が起きたと、ニュースは伝え、観光客が写した写真やビデオがテレビ画面に流れている。
棒切れを持った人たちが商店や車を壊す。
装甲車が街中を走り、銃声が聞こえる。
建物の向こうに黒煙が上がってる。
盾を持った制服を着た軍人らの姿も映る。

映像だけを単純に見ると、
普通の商店や駐車している車を棒切れで叩き毀す、というのは毀す方が悪い。
拘束された場合は厳罰が待っているだろうことを覚悟で、この蜂起に出たということは、よほどの不満、不合理が蔓延しているのでしょう。
こんなブログから傍観者的発言は身が竦みますが、健全な方向へ向かって欲しい、そんな世界の中の目の役割のひとりです。

現状に対する不満をもった若者の実力行使。
このような発端が、革命や独立へと向かったり、強力な弾圧で情報が遮断避けたり、情報が行きかう時代だから、これまでにもいくつも見てきました。

かつて北京を旅したときのガイドさんの話を思い出しました。
清朝の時代の首都は北京。
「その頃、北京の貴族は皆満州人でした。etc.」
漢民族が多数派の国で、満州民族が統治し、満州人の辮髪という風俗が中国のイメージを作っていたのだと、そう思い巡らしながら、ガイドさんの話を聞いていました。

時の政府が属する民族が他民族に圧政をしいる傾向。
世界史をみても、いや、今の時代のあちこちに、見受けられます。
上手くいかないのが世の中、なのでしょうか。

欧州においては、知恵が使われて統合の方向へ向かっています。
知恵を最大限に使って、和睦の方向へ向かって欲しいものです。
インドに亡命中のチベットの教祖ダライ・ラマも、求められればいつでも北京へ出向くというメッセージを出しています。

チベットの地で、高官はすべて漢民族、店舗を経営するのも漢民族が有利、といういびつさがないように、
知恵を使って平穏を取り戻す方向に向かって欲しいものです。

オリンピックは大きい役割をしているとつくづく思います。
オリンピック開催で世界中から注目を浴びる、ということは、世界標準のルールに叶っていることも求められる、という意味も付随してくるのだと、近頃の中国報道を見ながら、思っています。

食の安全、
空気汚染の基準強化、
そして少数民族に対する対応
今オリンピックが目前にせまり、開催国として、これらの実態が民主化された世界中の目に晒される、ということは、オリンピック開催は無形の効果をもたらすものだと、つくづく思います。

かつて、娘が中国留学していたとき、中国はWTO(世界貿易機関) に加入しました。
「お母さん、WTO加入を中国では『世界に入る』と書くんだよ」と言っていたことを思い出します(実際は文字をどう並べるのでしょうか)※。
あれから6年程経ちます。

中国は「世界に入って」、開かれた中国は随分経済発展を遂げました。
WTO加入後に社会にでた人たちもドンドン増えており、閉鎖経済時代と同様の統制の仕方も叶わなくなってくるでしょう。
一足飛びには叶わなくても、開かれることによって、弾圧がそのままの状態はありえない、そう信じたいものです。

※ ネットで調べたところ、2001年11月、WTO加入。中国では、「入世」という表現を使ったとあとあります。

日本語のチベット情報を得られるページです。時々お訪ねするかたのページにあったものですが、こちらでも貼らせていただきます。
     ↓
http://www.tibethouse.jp/home.html


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

味わい深い名フレーズ。

2008-03-17 07:27:17 | 私の雑感あれこれ
-ゆく河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず
 淀みに浮かぶうたかたは かつ消え かつ浮かびて 久しくとどまりたる例なし-

                         鴨長明 方丈記 1212年

800年も前の文章。自分の中の頷き加減が年月を経るごとに、深くなるような思いです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たくさんのジャガイモを

2008-03-13 19:41:47 | 私の雑感あれこれ
コロッケにしました。

少し早めに帰れたこと、秋ジャガイモがたくさん残っていること、
で、コロッケをまとめて作りました。
冷凍保存すれば重宝するかな、と考えてのことです。
作った数35個。
二人家族です。
一度に食べれるのは、一人2個。
うーん、食べきるのはいつのことやら。
そのうちに春ジャガイモの収穫時期になりそうです。
私達の地域では、ジャガイモは春秋、2度収穫できるのです。

ちなみに、インドネシアでは、お米が年に4度収穫できるそうです。
そして、ラオスにはジャガイモはないそうです。
日本では暖地で栽培されるサツマイモは、ラオスでは北の地方でとれるそうです。
処変わればいろいろ、なんですね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福田首相って、ドラえもんにでてくる「のび太」みたい・・・

2008-03-13 12:57:43 | 社会問題
って、就任当時マスコミかどこかで聞いたことあるけれど、

この度の日銀総裁選びがスムーズにいかずに

「困ったものだ」と、思案している(というより、ぼやいている)様がテレビに流れるところ、
ウン、のび太くんだ、と納得。

イージス艦の事故のときは、亡くなった方のご家族をお見舞いに訪問し、
「困ったことがあったら、なんでもいってください」
と、これもテレビで報道されていた。

きっと、「困った人は助けなくっちゃ」という発想が、普通に浮かんでくる人なのだろうな、とニュースを聞いていた(ほんとうに、身辺で困ったら首相に頼めば解決してもらえるのだろうか。笑)。

で、今度は、「自分が困った」というわけ?
きっと、そういうときは、のび太、だから、ドラえもんを呼びたい心境なのだろうか。

リーダーなのだから、どうして困るのかを説明したらいいのに、
「困った」「困った」・・・だものね。
もっと、きな臭く、困ったときがあっても、こんな風なのかしら。

候補となっている、現武藤日銀副総裁は財務省出身。
日銀は政府の機関である財務省から一線を画して、独立した見解で金融政策を進めてもらうべき組織。
その組織のトップに、国の台所出身者が就くと、国の台所事情を優先してしまいがちになるのではないか。
武藤氏は、自分はそんなことはしない、と述べられたそうだけれど、旧知のものがたくさんいる財務省の煙たがることを果たしてできるだろうか。

例え、できる格別優秀なのご仁だとしたら、
そんな、理に深い人であれば、
「李下に冠を正さず」
で、大蔵省、財務省の経験者を避けるべきだという、理をご理解なさるハズ、なのに。
それを出来ないのは、
財務省の天下りポストの確保、という使命を負わされているからでしょうか。

ああ、案山子の独り言、です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美味 タクアン食べています。

2008-03-12 08:26:52 | 私の雑感あれこれ
つくづく思います。
漬物って、保存食なんだなって。
この晩秋から2月にかけて、沢山のダイコンが収穫できました。
畑が次々と借りれたこともあって、夫が、本当に沢山植えたので、実は食べきれないほど取れました。
振り返れば、収穫の半分ほどは、ご近所、知人、友人にもらっていただいただろうか。
で、タクアンを漬けたのは、2回。
30本と40本。
植え時が遅かったこともあり、その一本一本は、スーパーに並んでいるものよりは細かったり、小さかったり。
でも、とにかく洗って、干して、漬け込んだものが、食べごろを迎えました。
おいしい!
ふふっ。
カリカリと歯ごたえ。
くちなしの色も、ちょうどいい加減。
味?
ちょっと塩味、濃い目?
とも思わぬではないが、
日持ちのことを思うと、まぁ、安心の要素ではあります。

漬物の発酵作用が微妙な味に・・・。
・・・なってる、なってる。
と、ポリポリ音をさせながら、
ヨシッ。
と頷いている私です。

おすそ分けしないくせに、自慢してゴメン。
日本人の知恵、ではなく味覚って、深いですね。
北向きの納戸にには置いていますが、季節が暖かくなると、いつまでこのままでいいか。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故郷からやってきたフキノトウ

2008-03-08 21:19:24 | 私の雑感あれこれ
去年の夏、夫が育った家の庭木の整理などをしていたときに見つけて持ち帰った蕗3株。
我が家の菜園に根をおろし、今年フキノトウが芽を出しました。
で、1枚、2枚、葉書に書いて、春を届けようと思います。

絵葉書? 絵手紙?
愛嬌がない描き方ですが、春の菜園で筆を走らせられること、私は幸せ者だな、と思います。
住所の分からない皆さんのところには、このブログを通して。
畑の「春」、届きますか(笑い)。

追記
昨日、名古屋市の文化のこみち、旧川上貞奴邸で開かれている城山三郎展を見てきました。
ご家族の方の協力で、思ったより豊富な展示品がありました。

-自分は、いつも自分で考えて判断していると思っていたけれど、振り返ってみると判断させられていたということもあるのだと気づいた-(これは私の解釈入り表記です)
友人から、城山三郎氏の紙面で読んだという、そのようなフレーズを聞いたのは、この案内を知った頃。彼女から聞いたフレーズをココロに含みながら、陳列を見て廻りました。
茶のみ話の雑談で、キラッとそんなフレーズを口にする友達がいて、私はそんなとき、嬉しい気分になるのです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする