日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

退院して1か月

2010-10-28 12:29:43 | 家族
この10月は、東京に行かないで過ぎた。
何度か電話して、ヒヤヒヤだったり安堵したり。

夫婦でいるのだから、親が口出しするのは良くない、
と言われて、ブレーキ、ブレーキ。

○○は大丈夫?△△はなぁい?そして、めまいは?、耳が聞こえるようになった?
どんな具合?

と、電話を控えているものだから、電話したときには同じことを、つい聞いてしまう。

思えば、聞かれる方は、イヤダナー、と思っているに違いない。

でも、ぐるぐるめまいがして、起きられず、会社を早退してくる夫を待っているところーーー
なんて、聞くと、不安がいや増す。
通院も、ひとりでタクシーで、がちょっと心配で、夫が付き添っているようだ。


こんなものだと思うよ。あわてちゃだめ、と思っている。
耳も慣れるように、我慢できるから…

なんて聞くと、せつない。

昨日の電話の声は、軽くて、明るかった!

よいときもあるし、悪くなる時もある、こんなものだと思う・・・と。

(そんなー、回復しなくっちゃ・・・とは、私の心中。)
電話の声だけで、面前にいるわけではないから、プレッシャーにならないように、
こう聞いた。

そうだね~。
二歩進んで、一歩戻るって感じ?

いやー、そうではなくて~
三、四歩進んで、一歩下がるって感じ。

そっか、そうなのー。

良かった!差引すると、前に進度合いが、回復が上り調子だってことよね。
受話器を置いてから、その、
三、四歩進んで、一歩下がるって感じ。
と、彼女は確かに言った、そのことをかみしめている。

年内にもう一度、顔を見に行こう、と思う。
奇特な友人が、東京まで往復の新幹線回数券を、「お見舞いに、一回多く行けるように」とプレゼントしてくれた。

若いんだから、ガンバレー(と、祈る)。

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なにを寝ぼけた、と、思われるかも知れないけれど

2010-10-26 10:35:37 | 社会問題
裁判員裁判制度になって初めて、死刑求刑されるかもしれない重大事件、という報道がなされていた。
殺害されたのは、21歳の女性「耳かき店 店員」と、その祖母。
ずっと、昨日まで、
東京って、すごいなー、耳かきをうる専門店が、店員を雇えるほど耳かきが売れるのだ!
そう思っていた。

売るのは耳かきだけなのだろうか、他の小物も売るのだとしたら、小間物店とかいう言い方の方が適切なのでは・・・。

なーんて、寝ぼけた理解、だった。

昨日の公判を伝えるニュースで、若い被害者がにこやかに浴衣姿でお辞儀をしている映像をみて、
あっ!勘違い、と思った。

江戸小間物の職人技をみせる「耳かき」を扱うのではなく、
浴衣で膝枕して、男衆の耳かきをするのか!

なんという職業。
映像の彼女はにこやかだったけれど、他の仕事があれば、就かなかったのじゃないだろうか。

遠くからみている人には、分らない事情があるのだろうけれど、
そんな職業が成り立っていることが、せつない。
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回答者:上野千鶴子さんの相談室を読んで。つれづれ駄文

2010-10-22 07:14:49 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
土曜日の朝日新聞、掲題のコラムを、読むくせになっている。
回答者が交替なので、上野さんと○さんと、△さんの時は読む(笑)。

で、先週の分。・・・紙面が手元になく、記憶で書いています。

40代の主婦が、結婚相手と上手くいかず、離婚を考えていたときに妊娠がわかり踏みとどまり出産。娘が幼いとき虐待した時期があり、その娘が思春期を迎えた今、幼児期の虐待を取り上げて母親に敵愾心を持つ。娘とも上手くいかず、夫とも上手くいかず…、どうしたらいいでしょう、という相談。

相談内容には、上野先生、ぶれることなく、情に流されず回答。
回答があったからといって、相談者の問題がそうすんなり解決するわけでもない。



回答文章の後段で、こんな文章があった。・・・上野先生の表現を抜粋すべきなのに、手元に新聞がない!

-早い時期から、母親の苦労を聞きながら育った子供は、大人になるのが早い、と。

-回答者に、(嫌な夫と、子供のために我慢して生きてきたと生き方ではなく)あなたは、自分が幸せだという生き方を考えなさい(と説きながら)、私も自分の母親にいいたかったのは、そのことだ。

という文で締めくくられていたのが、ココロに引っかかった。

上野先生は、同県出身で、学年は二つ上。
あの世代(というか、私たちの世代)、母親から「我慢してきた」「苦労した」を怒涛の如く聞かされ、聞かされ、育ったものだ、と、ふと自分のことを振り返った。…そんなことも人格形成に影響、……するのか、…するのだろうな、とも、考えたりした。



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しばらく間が空いて・・・。

2010-10-21 06:36:56 | 母のことなど
先日、
「自分は元気だから、大丈夫(事故に遭った孫のところを見舞ってやってくれ、自分の顔を見に来ることには、気にしないで)」と、母は電話口で言っていたけれど、
ひと段落して、先日1年ぶりの里帰り。

耳が遠いから、茶の間の会話には加われなくなっている。
だから、夕食とお風呂を済ませてから、自分の部屋で、娘の私が寝にくるのを、自分の隣に私の布団を敷いて待っている。
せかさず、黙って。

私と母は、寝しなに語り、明け方に語る。
何十篇も聞いた話もあるけれど、私、聞き役。
あれも語ろう、コレを伝えておこう、と準備している母。
今回は、よかったらアルバムも持ち帰ってくれ、と準備していた。
私が幼い子供たちを育てていた頃、母に送った、我が家の若い顔ぶれが並んでいる写真たち。
弟家族の分、お前から送られた分、そんな風に、あの重たいアルバム帳に整理されてあった。
「ここに置いておいても、自分が死んだら、処分されるだけだから」と。
そして、母の、そして父の、若い頃の写真も、昔の写真帳から、新しいアルバム帳に整理されていて、コレもお前のところに、と。

勿論、親の若い頃の写真、何回かは見て知っている。
で、その写真群をつれて、帰って来た。

写真の母は、いいなー、美人(笑)。牧瀬里穂に似ているかな。
かつての仲代達也か,高橋幸治に似ている若き青年が父親なんだって、ウフフ

騎馬姿の一枚があるけれど、きっと、従軍中に元気である証拠写真として、仲間と交代で写した代物に違いない。

「昭和9年から、シベリアから帰ってきた23年まで、ずっと兵隊に捕られて(採られて?)いて、一年間捕られなかったのは、昭和15年の一年だけ」

そういう風に、母は言う。
その一年に、自分たちは結婚して、戻ってきた翌年の24年に私が生まれた。

20代まるっと戦争で、自分の人生を自分が決められない、そんな人生だったのだ。
幼い頃から、話を聞かされて育っているから、「頭では」わかっているけれど、当事者にしてみれば、なかなか、「子世代には伝わらない」そんなものだろう。

出征を前に写した一人息子の若き父と祖母の写真などは、胸中を察せられる、そう思って眺めたりする。

この母から委ねられた写真帳は、知った顔(故人が多い)や知らない係累の顔が並んでいて、重い。
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漫画「ブラックジャックによろしく」を読んでいる。

2010-10-14 12:27:09 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
ストーリーの掘り下げ方に感服。
漫画って、すごいね~。

小説や映画であってもピンキリなのと同じで、いい漫画は人を充分感動させるものなんだよ、と、むか~し、娘が言っていた。
なんだよね、Y子ちゃん。…こう書いても、彼女が拙ブログを読むことはないけど…

・・・私は、長らく、漫画(描くほうです)に夢中になる娘を受け入れられない、頭の固い母親やっていました・・・

で、この本でお医者さんがよくする「当直」についての話

先日、娘婿(R国人)と話していて、うーーん、めんどくさい!と、思っていたことの「解」を得たようで、雑記です。

その時、私は、病院勤務の息子が当直が多いらしい、といったら、夜勤のことですか?と聞き返された。
私たちは微妙に「夜勤」と「当直」を使い分けている。
なぜ、深夜労働について「夜勤」という言葉があるのに、「当直」という言葉もあるのか?
「当直」は「日直」に対応する言葉であり…(小学校の黒板の隅に、日付と日直○○と、書かれていたなー、と思いながら、でも、目の前の人は、その共通体験がない、トホホ)
夜にも仕事をしなくてはいけない…よ。
だったら、「夜勤」じゃない?
「徹夜」のこと?
そう言われてもね~。

夜勤は、昼の勤務とのローテーションで働くことで、
当直は、昼働くのが本来なのに、当番で夜も働くこと。だから、昼働いた続きで、夜通し働く、ということ、かな。

だから、看護婦さんの夜勤は、よる働くという割り当てで働いているので、当直とは言わない。

って、勝手に理解した気になった。
今度会ったときは、この微妙な違いを伝えられるかしら。

タイトルに比して、余禄・雑記の文章でお粗末だけれど、本当に「ブラックジャックによろしく」の人間理解に感心する。

―患者と親しくなってはいけない。
―今は距離をおくのも大事。

どの場面でもってわけではないけれど、適所にちりばめられている含蓄のある医師たちの言葉、抱えている不条理に頷いています。
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中国人劉暁波氏へノーベル平和賞

2010-10-09 02:31:49 | 社会問題
ノーベル平和賞が天安門事件で政府に抗議活動をし、その後も中国の民主化を発信し続けている劉暁波氏に決まった。
去年の平和賞はオバマさんだったことを思い出し、1年の早いのに驚くとともに、このグローバルな賞の持つパワーが、一滴の水が岩をも穿つような効果に繋がっていって欲しいものです。
中国国内では、このニュースは一切報道されておらず、いつも流されている海外ニュースも、この場面では放送が遮断され黒い画面になる、という。
何の説明もなく報道が黒い画面になるということを、中国の人たちはどう思っているのだろうか。
天安門事件からもう21年が過ぎているのだ。あのころは丁度、中国残留孤児家族に日本語を教えるボランティアをしていたこともあって、中国の方々とも交流があった。
日本に来ている中国人留学生たちが、民主化運動を支持し、政府の鎮圧を抗議するデモが日本のテレビ報道に乗り、帰国後が心配になった、という話も、近いところから耳に入ってきたものだ。
その10年後に北京へ旅行に行ったとき、中国人ガイドさんは、北京大学国際政治学科出身で、天安門事件のときに丁度大学4年、卒論も書き終わっていたので、毎日天安門に通った、と。で、そのことから、決まっていた日本の大学院への留学が反古になってしまった、と聞いたこともあった。
この20年で、中国経済は驚異的な右肩上がりをみせ、今や世界第2位の経済力、とか。
そんな国での黒い画面。
ネット社会で、こんな報道規制が通用するのも、時間の問題、でしょう。
最近は、制限されていた海外旅行のハードルも低くなったのですから。

ーー北京へ行ったころ、日本語の上手なガイドさんに、気軽に、日本へいらっしゃい、なんて声をかけていた日本人旅行者もいたけれど、「中国人は特段のケース以外は海外旅行が許されていない」のが現実だった。
そして、私たちは、今、ノーベル賞の話題で喝采しているけれど、「ノーベル賞」そのものを知らない人たちがイッパイ居るのも現実。--娘の夫のR国も、歴史はレーニンの時代から教えられる、という国だから、ノーベルのことは知らなかった。勿論西洋音楽家も知らず、文学作品を読むという文化を知らない。…発行された本は、政府の息がかかったものだけ、というイメージで、関心を示すということがなかったようだ。

話はそれた。
さて、中国民主化!への大きな一歩になってほしい。
国は為政者のためのものではなく、国民のもの。
中国からノルウェーに対しての圧力もあったようだけれど、
ノーベル委員会の見識と、このたびの受賞。
コレまでにもソルジェニーツィン氏やアウン・サン・スー・チー氏を始め、反体制を貫いてきている人たちの受賞も見てきたけれど、今回も興味深く見守りたい。
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退院して一週間。

2010-10-06 21:52:58 | 家族
体調に何事もありませんように、と願いながら、今日で1週間が経った。ほっ!
声を聞くだけで、本人の姿を見ていない。元気そうで胸をなでおろしているのだけれど、…。
昨日、仕事の用で、ひとりで出かけた、と。
あっ!めまいとか、吐き気とか、大丈夫?と、つい。
タクシーで駅まで行って、電車を使って、降りてからもタクシーを利用したから、心配ない、と。
事故前のアレコレが、現実なのかどうか、ぼんやりしていることもあるけれど、こうやって、仕事に関ると、以前の自分が実感できて、そっちのほうが、回復にもいいと思うよ、と、元気。

疲れ過ぎないように、無理しないように、
繰り返しても、効果薄、かも知れないけれど、
ついつい、繰り返し口にしている母親です。

何事もなく、1ヶ月、2ヶ月と回復していってくれることを、念じるおもいです。


追記

今日8日(金)は、入院していた病院に通院する日。ひとりでタクシーで大丈夫?と、思っていたのに、上記のとおり、起業家のはしくれ、なのですね~、一駅二駅電車にも乗っているのだから、親の出る幕ではありません。
「お母さんの電話があると、ワタシ入院していたんだな、と思い出す」と口にするほど、家の中では「普通に」戻っているらしい。
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今日から楽しみなドラマ始まる NHK BS 「グット・ワイフ」

2010-10-05 07:09:00 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
先日、一瞬の番組予告を目にして、10月の火曜日からね、とだけ記憶していた。
今日がその火曜日。早速、番組の毎週予約して、準備OK。
ドラマ「グット・ワイフ
うふふ、主人公は、あの「ER緊急救命室」で看護婦役をしていた、キャロル・ハサウェー(役名でしか覚えていない)。今は見ていないが、10年以上前に、シリーズ1から随分集中してみたもので、グリーン先生、ロス先生って、みんな役名で役者さんを覚えている(苦笑)。
さて、そのキャロルが、今度は主婦から弁護士として活躍という設定。ERでも、奨学金を受けて猛勉強して医師資格を取得したけれど、ロス先生との恋愛が絡んで…、との展開だった。
家人に、キミが好きそうなドラマだね、といわれた。アハハ判りやすい女です。

前記事のヴィヨンの妻とは、まったく正反対ともいえる(笑)。

ま、まだ初回も見ていないのですが、楽しみです。
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太宰治著「ヴィヨンの妻」を読む

2010-10-01 08:50:34 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
東京行きの新幹線の中で、iPODに収録した青空文庫で、太宰治の「ヴィヨンの妻」を読む。
去年映画化された作品。実は学生時代に全集を買っているのだけれど、たまたま掲載の巻が見当たらず、よって,読んだかどうかは覚えもない、という状態だった。

ヴィヨンの妻は、太宰の奥さんがモデル(?)との作品紹介の一行も、読んでみようかな、の興味のきっかけか?(自問)
時代は昭和19年頃だから、戦争末期。妻の連れ合いは、30歳で、妻は6歳年下で、幼子を抱えている。
その夫は、中世のフランスの詩人「フランソワ・ヴィヨン」についての論文を書いたり、で、無頼派詩人に傾倒している青年。自分の生活の無頼振りと、ヴィヨンの破天荒振りを重ねて、自分の妻に「ウィヨンの妻」と冠しての話、なのだろう、か。

夫は、旧家の次男で、ゆくゆくは膨大な財産がはいるという立場と、ちゃっかり記されていて、生活素行はハチャメチャで、見るからに出来の悪そうな幼子を抱えた妻は、苦労を背負い込んでいる、という設定。

コレまでに、その昭和の時代を書いたノンフィクションも多々読んできたものにとっては、この戦とも関係なく、お酒に酔いしれ、散財しまくり、あとは財産が転がり込んで…、の設定が、太宰という人の「お話」、それだけのこと、に思えてしまった。
但し、今の私には、です。

昭和40年代始めから中頃、私が太宰を読んだ頃は、彼の、文章は惹きつけて止まない、ものをもっていると感じられて、どの作品も、読み始めると、そこから媚薬のような出ているのではないかとすら思えるほどの、特徴があった、のに。
いつの間にか、太宰を卒業していたのですね。
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