日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

映画「ヘンリー5世」を観る

2012-01-27 12:17:59 | 映画・テレビドラマ・音楽
WOWWOWで。

確かヘンリー8世とかの映画も見たし(トーマス・モアの話がらみ)、ヘンリー5世の知識もなく見始めました。アカデミー賞受賞映画だし程度の興味でした。
丁寧な作り。中世イギリス社会の風俗の勉強にもなるしと思いながらみました。

ある時点の私の動き。
ウチのリビングテーブルには、テレビ・ビデオ関係のリモコン4つ転がっています。
トイレに行きたくなり、リモコンのボタンをアレコレ探して、「停止ボタン」「停止ボタン」と慌てふためきました。
アホカ!→ワタシ。
これは録画じゃないから、「停止」はできないのです。
仕方なく、大急ぎで済ませました。汗

ああ、返す返すも、素敵な台詞の場面で、中座したくなかったな~、
と思いながら、観終わってベットに入った。

今朝、ネットで調べてみたら、
「ヘンリー5世」という作品は、もとはシェークスピアなのだ!
ワタシの知識の浅さよ!
そして、この作品は1944年と1989年に映画化されているらしい。
私の観た1989年の作品は、


そして、あの私が座を立ちたくなかった!場面のスピーチは、世にも有名な演説らしい。
webでは、坪内逍遥の訳文まで載っていた。
言葉に惚れてもしょうもないのだけれど、ワタシって、名台詞に弱い。
なんと人に訴える言葉だったのか!
もう一度、映画の字幕を転記したいぐらい。アホか→ワタシ

自分の知らない世界が、いかに膨大にあるか、それを知るばかりです。
ああ、そんでも、観て良かった。
戦場で兵士たちに自分の言葉で語る国王がいた時代ってすごい。

ま、4年前はバラク・オバマ氏の名演説が話題になりましたけどね。

追記
で、録画もしてあったことから、あの「聖クリスピンの祭日の演説」の場面の字幕を掲載しようと、ビデオを早送りしながら場面を探した。
残念!字幕の場面に丁度録画進行バーが重なって見えないのです。食い入るように字幕を読みながら、結局はその後最後まで見終わりました。
フランスの王女を人質にし、妻に迎えるのですが、その求愛の台詞もまたいい。
比較的小柄なケネス・ブラナーですが、全身で求愛をする男の愛らしさ、その演技力は見事です。
映画製作時、彼は23歳で、シェークスピア演劇学校を首席で卒業した役者なのだそうですね。
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青空文庫で「よだかの星」(宮沢賢治著)を読む

2012-01-24 09:02:38 | 
あの宮沢賢治の名作です。
小学校の低学年の頃の教科書に載っていたのは多分抜粋だったのでしょう。
挿絵の記憶があって、なんだか物悲しい感覚が残っていたけれど、筋の詳しいところはおぼろげなままで、半世紀!以上経っています。
青空文庫のおかげで、容易く読める、なんという便利さ!


ー抜粋ー
 よだかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。
 寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなったために、はねをそれはそれはせわしなくうごかさなければなりませんでした。

以上、抜粋おわり

ああ、この文章のあたりで、あの挿絵があったのだと、語調とともに懐かしく思いました。
ぼんやりだった話の筋もわかりました。
宮沢賢治の捉えている世界の大きさ、気づいていることがらの細やかさに胸打たれます。
きっと、6つ7つだった、あの頃のわたしは、よくわからなかったのでしょうね。ただよたかが可哀想な鳥だとは思ったけれど。

webで誰でも読めるようになっている青空文庫で検索すれば出会える16ページの小品です。

こちらでどうぞ。
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思わぬ価格ダウンに出くわす。

2012-01-22 16:10:14 | 私の雑感あれこれ
昨日、大型店舗にヒートテック(?)肌着を買いに行った。
昨日までは割引して1枚500円だったけど、今は定価。
残念!と思っていたら、
「あと15分、11時になると、30分限定で価格半額になります。だからお客様、もう15分、カゴをもって店内で時間を潰してくださいませんか」と、薦められる。
で、結果1枚390円で買うことになった。

今日、クリーニング店にどっさりと洗濯物を持っていった。
「お客様、この袋(赤い福袋と書かれた大きな衣類を入れて持ち運べる袋)を500円でお買いいただくと、クリーニング代が半額になります」と。
どっさりのジャケットなどのクリーニング代は約5000円であり、半額で2500円。福袋代を加えると3000円で目的が達しました。
本来の5000円よりは随分お値打ちになったわけです。

どのお店も、お客様サービスという印象を前面に出した集客に必死です。こんな形で物価の下落が進んでいるのでしょうか。利益率も薄くなり、大変だろうなーと、思います。

余談、肌着を買ったお店では、待ち時間15分でブラウス追加購入したから、結局は支出増でしたけどネ。
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人参スープを作っている。

2012-01-22 09:29:42 | 私の雑感あれこれ
この歳ですが「初」です。
自家製の無農薬人参が沢山あるので、チャレンジしました。
趣味農家ですので、形が小さくて個性的で風味も濃い人参です。
皮むきに手間取りますが、朝の元気な時間に、せっせと下処理して、ネット検索で見つけたレシピどおりに。時間に追われずに料理が出来るというのはいいものですね~。

沢山作って、冷凍しておこうと思います。
フランス料理レストランに行ったときに、「○○のスープでございます」と洒落て出てくる「アレ」とどちらがおいしいか、楽しみです。
絶対、わが家のほうが栄養分が濃いのは確かです。

追記
出来上がり今試食!
それなりに美味しい。
今朝の朝食で缶詰の「帝国ホテルの人参スープ」を食したから思いついたことだったけれど、私的には、決して見劣りがしない美味しさだった、です(笑)。

実は年末にも、「初」料理「ローストビーフ」を習得しました。
娘たちの帰省に向けての、メインディッシュに、と思いついたのですが、
娘には「ローストビーフは、料理を作ったといえないほどシンプルだよ」と言われて、お正月料理からははずしました。しかし夫には好評でコレまで既に3度も作りました。
実は、娘が言ったとおり、ホントに簡単!熱が入りすぎにならないように、ちょっとオーブンの時間を加減することも習得しました。苦笑
夫はローストビーフが気に入ったそうで、この歳になってであったわが家の新メニューですが、簡単でラッキーです。
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「ローマ人の物語」塩野七生著 第10巻を読み始める。

2012-01-20 08:00:28 | 
紀元前50年代、ガリアでの戦闘は続いています。
塩野さんは、ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」を読み説いて、戦闘の模様の連続ですが、あんまり続くので、私の目は文字面を泳ぎ気味です。苦笑
ところが、「ガリアとゲルマンの比較論」になると、興味が喚起されるので、抜粋しておきます。
2000年前に多分ラテン語で帰されていたであろうカエサルの文章が、どのような形で残っているのか知らず(添削の余地が見当たらないほどの名文筆家だったらしい)、それがどういう形で、今に至るまで保存、翻訳されて伝わっているのかわかりませんが、アルプスを越えて、ガリア(今のフランス以北)やライン河あたりまで遠征し、それを戦記として残していたからこそ知れる、と思うと感慨深く、ほんの抜粋ですが、転記します。
2000年前の西欧です。
因みに、ブリタニア(イギリス)についての記載もありますが、さらに未開。
スペインはもっと以前からローマ属州ですが、原住民という扱いです。

「ガリアとゲルマンの比較論」
中略

 ガリアでは、二つの階級が人々を支配している。平民階級は、ほとんど奴隷と同じ程度にしか考えられていない。何事も自らの意志ではやれず、集会にも出席の権利はない。それでいて、重税を払わせられている。
 支配する二階級だが、その第一はドゥルイデスと呼ばれる祭司たちで、宗教に限らず、教育も司法もこの人たちが取りしきる。祭司たちの権力はすこぶる強く、彼らが良しとすれば村八分にされかねない。教育は、読んで理解するよりは、暗記が重んじられている。言語は、ギリシャ語ではないがギリシャ語のアルファベットが用いられている。
 もう一つの支配階級は騎士たちで、もちろん軍事を受け持つ。それに属するか否かは、生まれで決まる。
 ガリアでは人身御供の制度が温存され、普通は罪人が犠牲にされるが、罪人がたりなくなると、無実の人でも犠牲にされかねない。

中略

「一方ゲルマン人だが、彼らはガリア人とは大変に違う風俗をもつ。
中略
 ゲルマンの男の人生は、狩猟と戦闘に費やされる。幼少の頃から、厳しく訓練される。
中略
 農耕には、ごくわずかしか関心を示さない。彼らの食生活は、乳とチーズと肉で成り立っている。一人として土地を私有しているものはいない。各地区の長たちが、一年ごとに、どこに移動するかもどの地で狩猟するかも決めるからである。生活基盤は家族にはなく、親族の合同体かそれ以上の規模の共同体に置かれる。
中略
 戦時は、全員の生死を決する権利を与えられた指揮官たちを選び、彼らの支持に従う。反対に平時は、統一的な考えに立った統治機関を置かないのがゲルマンのやり方だ。ために、共同体ごとに異なる裁きや対処が成されることが多い。

以下略


今の時代で、本当に良かったと思う。
多くの人たちの血を流しての歴史が重ねられて、今日に至っている。先人につくづく感謝したいものだ。
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あの時はまだ・・・

2012-01-19 06:59:49 | 私の雑感あれこれ
去年の今頃はまだ、大地震のことなど想像もしていなかった。去年の今頃、帰省から戻る列車の中で、金沢から乗り込んできた女性3人組の話し声が賑やかだった。みなさん子育てを終えて、能登の加賀屋の温泉を楽しんできた福島女性でした。

http://blog.goo.ne.jp/salubia2070/e/c4a3d1044ad3ee3d3fe92e63a981a710
その後の大震災。
彼女らの住む地域は、福島のどの当たりかは知らないけれど、震災後はなんども頭をよぎる。
あんなに笑い転げて、楽しそうだったけれど、お元気だろうか、と。

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今日の拾いもの

2012-01-18 07:25:15 | 
今日の朝日新聞下段の書籍広告欄

月読寺・正現寺住職
小池龍之介氏の新刊「もう、怒らない」(幻冬文庫の新刊本のタイトル?)紹介文のなかから

◆「嫌な言葉」は「しょせんはただの音」と考える

ふ~ん。

ちょっと、webで調べてみたら、東大卒のお坊さんで1978年生まれなんですね。
若い!
ウチの子供より若い!

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朝ドラ「カーネーション」を見ている。その2

2012-01-17 10:40:14 | 映画・テレビドラマ・音楽
戦争も終わり、昭和23年まで下ってきた。
まだ私は生まれていない。(笑)
でも、私が育った田舎町のメインストリートにあったパーマ屋さんとか洋装店の趣に近くなってきた。
親たちが語る戦後まもなくのころって、こういう光景だったのか、と想像しながら見ている。
洋服を誂えはじめた女性たちが出てきて、小原洋装店は繁盛し始めたけれど、シベリアから夫が戻っていない、わが母(当時30歳前後)はそれど頃ではなかったんだな、と考えたりもする。
テレビ画面の闇市シーンを眺めながら、母が妹の夫に頼まれて、りんごを信州まで買出しに行った話も聞いていたけど、戦後のドサクサの中でも、商売を志すものにはチャンスでもあったのだと思ったり。…その叔父は、その後阪神地域にいくつもの店舗を構えてそれなりの成功者となった。
私が小学校入学したのは昭和30年代初め。
入学記念写真の同級生の何人かは、左右の髪にパーマネントを当てている。お母さんのパーマネントのついでに、可愛くしてもらったのだろう。
糸子の子供たちが、しばしば安岡美容室で髪をカットしてもらっているけれど、そのうちに、両側にパーマを当てて、後ろを刈上げにするのではないだろうか。…推測です。
私の記憶では、子供雑誌の表紙に登場する松島トモ子とか小鳩くるみがそんな髪型だったような気がするから。
私は、そんな髪型にしたことはない(顔型から言って100%似合わないけれど)。
こどもココロに、あれは自分とは違うひとたち、なんだか、そう解釈していたようにおもう。・・・思えば、クラス写真のパーマネントの子は公務員の家の子供たちです。
少し贅沢が出来る人、ムリをしてもおしゃれにお金をかけたいと思う人からパーマネントが入ったのだと、そんなことを思ったりしながら、みている。
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今日1月17日

2012-01-17 08:42:59 | 子育ての周辺
あの1月17日から17年が経ったとテレビは報じている。
あの日私は普段どおりに仕事に出かけた。外から帰ってきた人が「テレビが神戸の火災の様子を写している、神戸は今も大変なことになっている」と聞いたのは、お昼近くのデスクワークの最中だった。
夕刻帰宅して、行く筋もの煙を挙げている映像を見たことも覚えている。

でも、私の関心事は、実はカテゴリーとしては「子育ての周辺」だった。
眠れない夜を過ごしていた。
白状します。
わが子のセンター入試で思わぬ結果だったことを聞いて、ガッカリの極限に達していた。
長らくの親バカで、聡明な子だと確信し、受験で壁にぶつかるタイプだと思ってもいなくて、結果を受け入れられなかった。
眠れぬ夜を過ごし、まだ暗い中、たまたまトイレにいるとき、グラッとときた。
それがあの阪神淡路大地震だった。
その後知ったことだけれど、倒壊家屋の下になって、迫ってくる火に、命があるのに援助を断念せざる得なかった話は、今も思い起こすと胸をしめつける。
次々と被災地の様子が報道され、支援に出かけるボランティアの話題を耳にしながら、申し訳ないけれど、今、私は、情けないけれどそんな心情ではない、と思って眺めていた。

結果として娘が入学することになった大学は、現役ならば推薦でラクに合格可能な大学に決まった。
聡明な子のハズと思い込んでいたワタシ。親(私)の欲目丸出し状態だったから、彼女の大学生活も、晴れやかなスタートではなかった。それではあんまりだと、夫は入学式に列席した。
彼女の気持ちはどうだったのだろう。
どんどん親(私)に心を閉ざし、大学に通っているのか、サボっているのか判らない状態になっていった、のだ。

彼女は利発な知恵者で、よく喋る母娘だったのに、あれは調子のいいときだけの話。
彼女がつらいときには助けていはいない。
そんな烙印を私は持っている。

わが子らの大学生トップバッターだったのに、私の器量のせいで晴れやかなスタートとはならず、いつもギスギスした日常だった。そんな中で、彼女は昼夜逆転の生活になっていった。
・・・この昼夜逆転の生活状況も、親子間を引き続きギスギスさせ続ける原因となった。
やがて、ペンネームで活躍していると知るまでは・・・。
黙して、自分の世界を開いていたのです。

幼児から、彼女はいつもいい子、でした。
争いごとがキライで論理的。5つ6つの頃は、なぞなぞが解ければ満足なタイプでした。
いわゆる、「忘れ物ない?」も「宿題は?」も一度も話題にしたことなく、本人任せに育てた、子育ての楽な子供でした。
その筋書き通りで、親がこの大学を、と薦めたつもりもなかったのです。
でも、親の期待に応える良い子であろうとしたのでしょう。
数学が大好きで、暗記物が不得手。
だから、大学受験では撃沈。まったく大苦笑です。
(それでも、今はある資格保有者のため、有利な条件で仕事をしていますが)

因みに、高校受験のときは、試験後の合格発表前に、家族で初海外旅行をしようと企画していました(なんとまあ!ではあります)。申込んだけれど、湾岸戦争でキャンセル。浮いた費用は、彼女の高校1年夏の、アメリカホームスティー費用となりました。

あれから17年。
世間のメモリアルデー1月17日になる毎に、マイメモリアルデーもやってきます。








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ひとりごと

2012-01-15 15:22:20 | 私の雑感あれこれ
ひとりごとです。
先日、新聞に掲載されていた歌会始の御歌を順番に読んだ。

雅子妃の歌
春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く
に「?」と思った。

私のなかでは、水芭蕉は夏の花。みたことがないときは、はかなそうな名前だけれど、実際に見てみると、以外に大振りな花だったこと、汗ばむ日和のなかで水芭蕉は水辺に群れなしていた記憶がある。
そんなイメージを持っているものだから、決して「春あさき」じゃないぞ、と思った。

歌会始は日本古来からの皇室の伝統行事。
和歌のプロ中のプロが大勢関与していらっしゃるだろうに、だれも気がつかないのだろうか。
気がついても指摘しないのだろうか。

皇室人だからといって和歌が得意でなくてもいい。でも、得意でない人がいたとしたら、サポートする人がいてもいいだろうに、誰も、一声かけないのかしら。

でも、素人の私の、勘違いなのでしょうか?
因みに、水芭蕉の季語を調べてみたら、やはり夏でした。


TV番組「たかじんのそこまで言って委員会」の終わりごろに、今年の歌会始の皇太子の歌が他の皇族と違って、大災害の年に、のんびりとした歌を歌っていると話題にしていた人がいて、思い出しました。



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