日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

この歳にして、「ノルウェーの森」(村上春樹著)を読みました。

2010-12-29 12:28:38 | 
出版されたのは1987年。村上春樹と同世代のこともあって、発売直ぐに上巻を買って読みました。
私そのとき30代後半。世間はバブルの真っ只中でした。
同世代の村上春樹は時代はどのような眼をもって、あの68年大学入学、そしてあの学生運動のキャンパスを書いているのかしら、という思惑もあって、読み始めたのです。読んでみたら、ひたすら恋路の物語でした。当時は夫は事業を独立したばかりで必死でしたし、いつまでも借家というわけにもいかないし、という現実を抱えていた私には、下巻を買いたいという気持ちが湧きませんでした。
3人の子供を抱えて、仕事を手伝いながら、家庭教師のアルバイトをして資格試験の通信教育、そんな毎日だったから。
なんだか世間では、ノルウェーの森が大ヒットして、すごい発行部数、というけれど、???でした。
平成になっても、村上春樹の話題作として語り継がれて、家人は下巻も購入して、赤と緑の2冊は書棚にありました。
で、また最近、映画化されるという話題。そんなにいいのかしら、と。
そう思って、久しぶりに読んで(上巻については、読み返して)見ました。
読後感は、ぼんやりと記憶に残っていたイメージと、その延長のような感慨です。
若い男の物語なのでしょう。美しくないと、女ではなく、多分現実には、普通プラスであっても、若い男には、とてつもなく魅力的に映る、そういう年頃のお話です。
タイトルにもつけたけれど、「この歳にして」なものだから、「ああそうですか」という
「読んだよ」という印のための読書でした。

こんなに話題になっているのだから、どこがいいのか知りたいものです。
自分で読んでいないと、世間で評価されていることも、わからないですから。
この本が日本だけでなく何ヶ国語にも翻訳されて評価されているのですよね。
ああ、不感症なのかしら。(笑)

因みに、上巻を読んでいた頃に、読んでいた本の1冊を覚えています。
パールバックの「大地」です。あの本は、長編だったけれど、その後再読もしたものです。
セックスが日常化した若者の恋路の話、受け入れられない私だったって、お判りでしょ。
あー、「大地」を読んでいないと、これまた判らないですね~。


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年末、油絵を処分した。

2010-12-25 11:24:47 | 私の雑感あれこれ
たいしたものではなくて、粗大ごみの類だから、処分が遅きに失したようなものだ。
ただし、今日は中途半端なものや、気に入らないものばかり。
次、第2弾は、写真に収めてから処分しようと考えている。

長かったー。途切れ途切れに絵の具を引っ張り出していたので、2~30枚ほどしかないけれど。
ずっと、描き出したのは、中学生ころだったけど、こんな風にキャンパスを切り刻んで処分したのは初めて。
あー、実家で、迷惑かけているのか、処分済みなのか、不知(苦笑)。



そもそも得意でなかったのだけれど、整理能力がレベルダウンしていて、困り者です。
だから、さっぱり物は欲しくない。

かつて羽仁もと子さん設立の「友の会」に首を突っ込んだとき、衣類の枚数もきちんと管理する家事の仕方を知った。
当時は、何をそこまで、と思ってうなずけなかった私だったけれど、今は真似れるのもなら真似たい気分です。

毎日の郵便物や新聞雑誌の類で、テーブルを片付けるのも一難の我が家。
こんなにダイレクトメールや、定期購読ものなどに追いかけられて!

なんにも来なくなったら、また、それはそれで寂しいのでしょうか。




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そして、弟に病気判明。

2010-12-18 08:22:59 | 私の雑感あれこれ
「宝くじに当たったこともないのに、こんな病気に当たっちゃった」と、電話での会話。
厄介な病気、悪性リンパ腫。
気管と食堂あたりに、大きい腫瘍ができているので、会話の声はこすれ話しにくそう。
まだ50代だから、ショックも大きい。

なんやかやとスケジュールが入っていた土日が済んで、先週の土日にお見舞いに行く、といったら、土日は一時帰宅になる、と電話。家族との団欒を楽しみにしているなら、急いで顔出すこともなかろう、と先延ばし。
しばしば電話で入ってくる情報では、今は治療の先延ばし状態。

「お母さんは、出しゃばりで、お節介」というレッテルをすぐ貼ってしまう、わが家族たちですが、「それは違う」と、ここで、いいたい。

弟家族は、病状説明をお医者さんから聞いたことだし、家族で話し合いもしていることだろう。それぞれ別の家庭を持って何十年の姉・弟だから、私の立場は回復を願い、心晴れる助けになる役割をしよう、と思っている。

ある役割とすれば、息子が大病を得て、気が滅入っている高齢の母親の聞き役になること。いつまでも親は子供が心配なのだから、四六時中そのことばかり考えている、と思う。
「できれば、毎日でも見舞いに行きたい」「できれば、ずっと傍で看病していたい」
だろう。いかんせん94歳。
病院まで車で1時間以上かかるし、膝が痛くて歩行困難状態。

「いいんだよ。今は携帯電話もあるし、病院で暇だから電話しても大丈夫だよ」と、母親の心情心配係、です。

-思えば、11月12日の一泊旅行、キャンセルしないで続行したのは、弟の心根。咳き込んでつらかったけど、病名が判らなかったから決行した。回復したらまた、一泊旅行企画したいものです。

いくつになっても、子の抱える厄介ごとは、なんとかしてやれないものだろうか、と
そういう気持ちが湧いてやまない、
母親とはそういうものだと、思う。




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還1(還暦1年目)を振り返って その1

2010-12-17 07:35:23 | 私の雑感あれこれ
師走も半ばになった。
「1年を振り返って」という癖はないのだけれど、60代に入って1年1年が貴重な気がして、拙ブログの徒然文章を、「1年振り返りバージョン」にします。

いの一番は、二女の交通事故。
打ちどころが悪くて、意識が戻るまでの心配、後遺症の心配、妊娠初期の赤ちゃんの心配で溢れました。
「日本人だったら、当然母親(娘)の回復を第一に考えるのに、・・・なんで?」と、気をもんだ夜をすごしました。
ひとまず母子順調の今、あの1~2週間の怒涛は嘘のようです。
実は入院中から、私的に初孫に名前をつけました。
森鴎外じゃありませんが、外国でも通りやすい、名前。
それから、今の夫婦にとっての、赤ちゃんの存在の意味も込めたネーミングなんだけどネ~。
でも、娘夫婦は、お母さんの介入を嫌がるでしょうから、公表はしません。
(夫には、ちょっこっと口にしました。笑)
「外国でも通用しやすい名前にするんだ」と娘も言っていましたが、お母さんのほうも、あうんの呼吸で百も承知。・・・こんな先回りしてしまうところが、娘に嫌われるのです。トホホ

だから、その子は二つの名前を持つ子、になるでしょう。
入らぬお世話、何を遊んでいるの!と言われそうですが(笑)、
ま、お許しください。

時が重なって、長女の結婚
ひとりでいるよりも、相棒がいる人生がよい、と思うから、よかったね、といいたい。
周りが何を言っても、馬耳東風の人、かなと思えるところと、親に認めてもらいたい(親の期待に応えたい)思考、から抜けきれないタイプ、どっちなのか。
分析などしたらきりがない。もう、こんな歳、なのだから、それがあなたの生き方だったのね~。
先日、娘を訪ねたとき、私の持っていたipodを婿殿に見せたら、「反対ですね」(若い人が、年配者に最新機器を紹介されるパターンだから、の意)といって、興味を持って、搭載書籍の今年のベストセラー本の「もしドラ」を、一晩で読んでくれた。(1時間半ぐらいで読んだとのこと)
聞き上手。彼が関心を寄せている中国の話題から、ユン・チュアンさんの「ワイルドスワン」を高校時代に読んだという話になり(多分翻訳本が出た頃です)、本の話題ができる相手ができて、ラッキー!な気分。
私も中国を書いた本の中では強く印象に残っている1冊。中国に留学した二女にも勧めて、彼女は読了。二女とロンドンに行ったとき、ロンドン大学のユン・チュアンの研究所を訪ねていった厚かましい逸話(その時は土曜の夕暮れで、希望適わず、受付係に月曜日にどうぞ、といわれた)もお喋りしたり…。
お姑さんだから、気を使ってくれているんだよ、気をつけないと、とココロしてハイ。



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知らなかった、尖閣諸島

2010-12-14 07:10:37 | 社会問題
昨日のTVタックルを見ていて
この島は国有地でなく日本人の個人所有だという。で、国が毎年2400万円の借地料を払ってきているとのこと。前総務大臣の原口議員も了解しているという風にうなずいていた。
その人がいつ所有権を獲得し、いつから国が借地料を払っているのだろう。
でも、こんな事実、国境を争う渉外問題としては、意味を持たないのだろうか。
この尖閣諸島の日本国土としての維持確保にどけだけのコストと神経を使っているのか、そして、それが個人の土地だったとは…。国有地に買い上げたいのだろうけれど、合意を得られないのでしょうね。

一方、今、北海道の山林を中国人資産家が買い集めているという報道も耳にしました。
こっちは、無制限でいいのでしょうか。もし仮に、北海道全部を中国人が買い占めたら、中国の領土になるのでしょうか。中国人個人が所有者になり、国家の中国に賃貸するということもできるのでしょう。

かつて日本がバブル期の頃、ニューヨークの一等地を買ったとかが話題になったことがあります。高価格のところを買っていたのでは面積は知れたものだろうけれど、林野を狙えば相当の面積を買い占める、というのはありうる話ではないのでしょうか。

そうそう、アメリカはアラスカをロシアから、カリフォルニアの一部などだったかをメキシコから購入したとい前例もあります。

古来、領土・境界の問題は常に争いごとになってきました。
市井の民は、為政者に頼むしかないのですが、無策でなく、理屈に合うように願いたいものです。




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読書会の本など、雑文

2010-12-08 07:08:24 | 
何度かこのブログでも触れたことが有るけれど、長年読書会をしている。
今の仲間とは末っ子が幼稚園に通っていた頃から。
考えてみれば、その前の転勤族だったときの、大阪の池田市に居たときも、乳飲み子を抱えながら、読書会をしていた。
そういえば、このときき、みんな乳幼子を抱えていたけれど、育児関係の本を取り上げない、というルールがあった。子供の母親ではあるけれど、母親だけではない、という思いが、そんな制限を課していたのだろうか。同業の夫を持つ官舎住まいで、乳幼児を夫に預けて、ご主人の帰宅の遅いお宅で読書会をしたことも、今は懐かしい。
今の読書会は、そんな頑なさはない。それどころか、子供が夏休みの8月はお休みなのである。そして、みんなすっかり子育てを終わってしまっているのに、その「8月お休み」を返上することなく、月1回を続けている。
わたしが主催者でもないし、どちらでもいいから、そのまま。12月はクリスマス月だから、子供の本という傾向もあったらしいが、さすが、それはない。
「老い」への向かい方のほうがひつようになっている世代ですもの。

で、今月始めの読書会で次々回の課題本の話題の中で、「空海の風景」を提案される方があった。
自分は詳しいことは知らないけれど、と前置きして
「死んで、火葬するときに、棺おけに「空海の風景」を入れて欲しい。もう一度向こうの世界に行ってから、読んでみたいから」と、というどなたかの文章を読んで、興味が沸いた、とのこと。
司馬遼太郎の本は、少し摘み食い程度に読んだ私だけど、読んだ本の殆どは、その筆力と、いわゆる司馬史観をどっぷり味わうタイプなことでもあり、賛成、です。

で、多分、我が家の書架にはあるだろうな、とも思った。
彼女の、お誘いの一言がないと、自宅にあっても、私の目に触れることはないはずが、今通勤用のバックに入っています。昭和53年版なので、文庫本の活字も古色がにじんでいますが、それもよし、です。
昭和53年というのは、まだ20代。
あの、最初の読書会をしていた頃です。

「(何十年も経って)キミが近づいてくるような気持ち」というようなことを夫はいった。
よい本、お勧め本があると、つい押付けたがる私に対して、黙々と読み込んでいる人ですから、そんな感慨もあるのでしょう。

余談
先日帰省した息子が、民俗学者宮本常一の本「忘れられた日本人」の話題を持ちかけました。
宮本常一についても、夫は何冊も読んでいます。私も上述の読書会で読んでいます。
夫は、彼の人となりを書いた本1冊を書架から持ち出し、勧めました。
今までの息子だったら、親のお勧め本を嫌うのですが、持ち帰ったそうです。

どんな本でも書架にあるように思われるかもしれません。
そんなことはないのですよ。数年前に夫は、再読する可能性のない本の殆どを廃棄処分したのですから。
だから、夫が書架に残しておいた本は、廃棄処分を免れた一冊、一冊だということなのです。



本を読むのは、ひとりの作業なのですが、本と出合うことは、ひととのかかわりの中だったりするから、私にとっての読書会のよいところかもしれません。
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昨日もお葬式

2010-12-07 07:18:20 | 私の雑感あれこれ
先日お向かいのおばあちゃんが亡くなって、ご近所として葬儀に参列した。
長年飼っていた我が家の犬は、お向かいに迷い込んだ捨て犬だった。
そのとき、犬好きのお向かいさんでは、既に2匹を飼っていて、捨て犬の幼犬をどうしたらいいか思案していた。
で、ウチの娘が名乗りを上げて、我が家に犬がやってきた、という間柄です。
だから、20年ほど前にこちらに家を建ててからアレコレとお付き合いがあったほうです。
で、今度はお連れ合いのおじいちゃんがなくなりました。87歳。
おばあちゃんの49日の法要が済んだ晩に、病院から様子がおかしいと連絡が入り、そのまま回復しなかったとのこと。
おばあちゃんが亡くなって、2週間で脳梗塞で入院しておられたそうです。

ご近所の皆さんも、先日のお葬式に参列したかたばかり。
「あの元気なおばあちゃんだったから、おじいちゃんに、早くおいでって、呼んだのよ」
そんな会話も出たりして。
おしゃべり大好きおばあちゃんのことは、みんな承知しているのです。

急に二人を失った、同居のご家族はお寂しいでしょうけれど、コレぐらいがいいな、と思える逝き方のような気がします。

もう、今頃は、二人で出会えているでしょうね~。
和服の似合うオシャレなおばあちゃんを、目を細めてみているようなおじいちゃんでしたから。


                                     合掌
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デパートの催事場で

2010-12-03 22:00:02 | 私の雑感あれこれ
久しぶりに買い物でもしようかとデパートへ行ったら、
「金子みすゞ展」をやっていた。
私は金子みすゞ初心者(はじめて知るひと)ではないけれど、みなれた写真に釣られて、金子みすゞモードの時間もいいか、と、買い物をさておいて入場券を求めて会場へ。

早くに命を絶ったひとだから、詩作の期間は知れている。
よく知られている詩も、記憶に残っていない詩にしても、無条件のやさしさにくるんでくれる心地がする。
「ああ、金子みすゞ」と反芻しながら会場をめぐる。
作品の少なさを埋め合わせるかのように、多くの著名人らの金子みすゞの詩への賛辞と一緒に展示されている。

感受性と日常との狭間の葛藤だったのだろうか。26歳で3歳の子供を残して命を絶った。
確かに、やさしくて、そうよ、とうなずきたくなる詩をイッパイ残してくださったけれど、その感受性は生きつづけることをやめてしまわなくてはならなかったほど傷つきやすいものだったから、あなたは詩心の犠牲者かもしれない。

土と草

母さん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。

草があおあお
茂ったら、
土はかくれて
しまうのに。

(金子みすゞ)






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小春日和の井の頭公園

2010-12-01 07:59:48 | 絵画・マイギャラリー





先日の東京行きで、スケッチしたもの。
炎暑に通った東京に、すっかり秋が深まっていました。

画面をスキャンが上手くいっていなくて、下1センチほど切れています。
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