日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

花は咲く時を忘れず。

2011-03-31 09:50:16 | 私の雑感あれこれ
去年、我が家の庭にやってきた椿です。
寒風に花開く時を戸惑っているかのようでしたが、今朝、ここまで開いていました。
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地震被害のニュースが続いている。

2011-03-29 06:55:56 | 社会問題
それでも日の経過とともに、伝えられる内容も変わってきている。でも、最初に目にした映像を思い出したりもする。余りにもショッキングな映像だったから。

地震の後、津浪が来るということは皆知っていた。地震が来て、退避しなくてはと思いながら、誰かを助けるために避難が遅れた、とか,消防の半鐘を鳴らしていて波に飲まれたとか、対策会議中に逃げ遅れた、なんて聞くと、なんとも忍びない。

ワタシはたまたまその金曜日の2時台はテレビを見ていた。
「46分に東北地方で地震がありました」は、画面のテロップで見た。数分後に我が家も揺れて、この揺れとテレビのテロップの地震と同じものなのか、と思ったりして、照明器具の点灯ひもの揺れ具合を眺めていた。

まもなくテレビは地震被害の報道に切り替わった。
東京お台場の建物火事の映像。東京九段下で被害がでた話題。そして東北の地震の揺れの様子。お台場からはそう離れていない娘の安否が気になり、電話したがつながらず。
まだ3時。
「3時○分ごろに津浪第1波が来ます」の情報が流れ出した。
大変だな、とは思ったけれど、地震から間があるから逃げられるもの、程度に考えていた。
で、津浪が押し寄せる映像が映った。
びっくり、です。
なんという水の力。
これ、今、今の本当の現実なんだよね、と。
なんとかならないものか、それから見る映像は信じられない光景でした。
あの場所にいる人もいるのに、どうしようもないのです。
ひたひたと押し寄せる瓦礫の軍団。
水の音までは聞こえません。
今までなんともなかった家が、その軍団が押し寄せたとたん、少し傾いて、動き出して、そのうちにぶつかったりして、崩れていくのです。
人がいるのではないだろうか。果たして逃げ出せたかしら。
そればかり思っていました。

今思うと、私が見ていたのは、テレビ局が現地上空から取材した映像です。
後の祭り、なのですが、あの時、テレビカメラを回すのと同時に、
「逃げてください」「高台へ避難してください」のアナウンスはできなかったのか、
そんなことを思ったりします。
全く、後の祭り、です。

アフリカの内戦地域で、飢えた子供とそれを狙っている猛禽の写真が話題になりました。
よい写真を撮るより、その子供を救うべきではないか、と。

もう2週間たちました。
ふと、その話題を思い出しました。
報道ヘリコプターは、迫真の報道をする目的なのでしょうが、
もう一つ、例えば外にいて、津浪注意の報道に接することができない人に伝える、という役割もできていたら、
そう思うのです。
その地域に暮らしていた人より、遠く離れた私などが、リアルタイムで津浪を目にした、という、この津浪災害には、なんともいえない思いがあります。



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今回の災害の副次的効果はこんなところに・・・

2011-03-27 08:46:12 | 私の雑感あれこれ
先週、娘夫婦が東京から帰省して一泊していった。
お風呂を沸かし一人が入ったあと、「次、入る人は直ぐ入って」と、思いかけない一言。
今の東京は、生活に節電が徹底しているらしいのです。
「そうだね、エネルギー節約になるから、すぐ入るね」と応じた。
これまでは、ワタシがこの台詞を言うと、
「お母さんって、イチイチうるさい。自由にしておいて」と無視され、若い子たちは深夜に追い炊きして入浴していた。

こちらは、東京電力圏内でないから、関東圏ほど節電のアナウンスはない。
お母さんがいくら「節電」をアナウンスしても、聞いてくれなかったわが子だけれど、災害によって、初めて目を覚まさせてもらっている。
ああ、なんと情けなや、でもある。

でもね、トイレの便座の蓋をする、という「節電」意識までは、徹底していなかったねー。(笑)
…他の子の帰省時に、一言注意したら「ムッ」とうるさがられたのだ!
独立した子供たちが帰ってくる、ということは、その子らに、ウチの生活習慣を押付けてはいけない、と自分に言い聞かせて、今回は黙っていた。

電気がふんだんにあって、それを当然と暮らしてきていた東京という街に、一大ショックが起きたことは、そこに暮らしている若い世代にとっては、学ぶところも多いのかもしれない。

「石油ショックのときはねー、東京タワーの電飾も消えて、ガソリンスタンドは土日休業したんだ…」などと話しながら…
「あっ!あなたたちは、あの石油ショックの後に生まれたから、知らないんだねー」とワタシ。
ワタシが親から、いくら戦争中の苦難を語られても、生まれる前の話だった。この子らにとって石油ショックの話が生まれる前の話なのです。
人って、そんな繰り返しをしているのですね。
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ワタシの提案!

2011-03-25 08:13:55 | 社会問題
こんな小さいブログで提案しても、効き目がないこと百も承知ですが、ちょっと思いついたので、どうでしょう。

連日、福島原子力発電所からの放射能漏れから、野菜、牛乳そして飲料水の放射能濃度のニュースで持ちきりです。
放射能成分の名前と○○ミリ、とか、マイクロがついた単位を耳にして、基準値の何倍とか音声と字幕で流れます。
超微量の成分なら、あっという間に、数倍ってこともありだし、量が多いと分量の増加割合の変化に現れません。
数字にはそんな性質があるのに、耳から聞くと、滅相大変な状態に思えたりもします。
だから、「基準値が○○で、1年間の摂取限度が◎◎で、現状は△△です」などという表現を、円グラフなど視覚に訴える表示を字幕に添えて伝えたらどうでしょう。

テレビ局は正確な数字を伝えようとなさっているのかも知れませんが、テロップとして流れて直ぐ消える数字はなかなか頭に入りません。
マスコミ報道は、国民に対する一種のプレゼンテーションです。
円グラフなど、視覚に訴えた説明で、瞬時でも理解が定着するような報道を工夫したら、
少しは、無用な心配はなくなるのではないでしょうか。


ー今時の風景ー
昨日、郵便局の窓口で、ダンボール入りの荷物を送っている年配のご婦人を見た。
重くてカウンターに上げられなくて、局員がこちら側まで取りに来てくれていた。
ダンボールには「立山の水」と書かれていた。
お母さんから、きっと子供に「水」が運ばれていくんだな。
すごい時代!
そう思った。
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今だけの、糠よろこび?

2011-03-24 14:38:26 | 私の雑感あれこれ
の心境。
いろいろ、思いどおりにことが運ばないことばかりが続いて、
そんなものだ、乗り越えなくては!
とか、
結局は、自分にできることだけしかできないのだ!
とか、
何かにつけて、
自分という馬のお尻に鞭打つ気分でいたのに、

思わぬところから、
えっ!
という情報。

伸るか反るか
石橋をたたいて、かつ眺めて立ちん棒タイプなのですが、
ひとときの「糠よろこびタイム」にいます。

ま、いつまで続きますことやら。
人生シーソー、上がったり下がったり。

幕が下りる可能性大とは知りながら、
ちょっと、秋口に春が来た、ような思いです。
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東北の春は・・・

2011-03-23 07:30:52 | 私の雑感あれこれ
東北には縁がない、というか、遠い昔東北の南辺で、ひと時暮らしたことがあるだけ。
そういえば、寒冷地手当てが出る、最南端だった。空き地にできる霜柱の長さには驚かされたものです。

その後で、雪の残っている北陸で、こんな会話を交わしたことを覚えている。
お互い転勤族で、3月末は移動の時期だった。
「こっち(雪国北陸)は、どれだけ雪があっても、3月にはいると、あっという間に融けて暖かくなる。岩手の盛岡はね、雪が少なくても、いつまでも融けなくて寒いの。引越しの掃除のときは、とても水ではやっていられなくて、最後までお風呂のお湯を沸かして、拭き掃除に使ったものよ」と。
私、まだ20代。彼女は30代。お互い布オムツを必要とする赤ちゃんを抱えていた頃でした。

その3月下旬です。
まだ、寒いのでしょうね。
体調を崩すことなく、春を迎えて欲しいものです。





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若草色の・・・

2011-03-22 12:20:32 | 私の雑感あれこれ
卒業以来多分初めて若草色の弁当箱買う

そっか、今までは、間に合わせのケースだったり、家人と兼用だったり、で自分用はなかった。
ちゃんと買おう。そう思って陳列棚を眺めると、今どきのそのコーナーは、素敵なお弁当箱の花盛り。
小さいの、少しでいいの、そうブツクサ言いながら、手に取った小ぶり細長いお弁当箱。
ボリュームは幼稚園児向きと大差ないところが苦笑もの。

フキノトウ色の春らしさ。
野菜類を大目に詰めて、医食同源の気持ちを新たに、さぁ!
です。

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曽野綾子著「老いの才覚」を読む

2011-03-18 10:16:00 | 
今70万部のベストセラー。
どなたが読んでいらっしゃるのか。
自分の老いを、これからの生き方を、自分自身に問いながら暮らしていらっしゃる方が、少なくとも本の数だけはいらっしゃるということ。
かな。

歳を重ねると、尊敬される大人になれる、なんてことはない。死ぬまで、自力的に生きることしかないのだ。
彼女の、合理的で甘えない、さっぱり加減が、納得できたり、目から鱗だったり。


彼女は、文中何箇所かで、彼女が50歳ころに書いた『戒老録』のことを話題にしている。
(曽野さん現在78歳)
「老い」を向かうべき将来とみたときと、今、78歳で思うところとの比較も興味がある。

で、ネット検索していたら、彼女、こんな本も書いているらしい。

『「本物の大人」になるヒント―知っておきたい「良識ある人間」の考え方』

なんと、あけすけなタイトルだろう!
こんなタイトルつける人の気が知れない!
と、思ったのだけれど、
肝の据わった曽野さんのスタイルなのだから、近いうちに読んでみようと思っています。
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今 ひとり思っていること

2011-03-17 12:25:28 | 私の雑感あれこれ
地震による津波被災地のこと。

昨日今日と風がつめたい。
さぞや寒くて、体力も消耗なさるだろう、と自転車で街を走るたびに思っている。


こんなことはどうだろう。

構想 その1

我が町は、人口4万人超の小さな町ですが、被災地の皆さんを受け入れられないだろうか。
例えば、
①公設の宿泊可能な施設はどれだけあって
②その施設は、短期または中期または長期の受入れ可能かどうか

①、②を早急に調査し、町として、「被災された方を受け入れます」と声を挙げる。

我が町に知合いがいる等の関係がある方のほうが、お互いに心強いとおもう。

条件として、最初の○ヶ月は、賃料負担なし、その後は相応の負担をお願いする。

来町してもらって、町が気にいって、永住してもらうことになれば、人口増加にもつながって尚更いい。…5万人だと町が市になれるのです。

最初の○ヶ月の大変な時、私たち町の人たちも近くで援助もできるかもしれない。
東北地方に知り合いもない私などは、公共の「町」としての提案を求めます。


構想 その2

ニュースを見ていると、
みなさんは避難場所で名前を記載しておられる。
数多くの場所に、手書きの沢山の名前。誰がどこにいるか、の確認のためには、賢い方法だと、いつも思っています。
しかし、今回はあまりにも、区域が広くて、あちこちの避難場所を回って家族を探しているかたを思うと、
各避難場所に担当者を割当てて、避難場所ごとの名簿作成して、ネットで見られるようにできないものでしょうか。
随時追加もあるでしょう。例えば1時間単位で更新して、○日△時現在、とすればいいのです。
ネットでは、名前入力すればすぐに、避難所にいるかどうか、それはどこの避難所か、など検索できる仕組みもできるでしょう。

検索することができない方は、電話で問い合わせると、検索確認してくれるというボランティアスタッフを配置するのはどうでしょう。こんな形のボランティアだと、現地に行かなくても、被災地の方々の役に立てるのではないですか。

避難場所も各市町村に沢山あるのでしょう。
でも、そこを自治会の係の方の協力を得て把握し、現地の担当者とタイアップして、被災者の方々の体力の消耗を減じられるのではないでしょうか。

幸いにして、遠いので地震情報は新聞、テレビから見ている立場です。
以前に起こった災害時、30代の頃には、子供会の係として、義捐金集めや、衣類、石鹸などの救援物資送りをしたこともあります。
全国から送られてくる救援物資の堆い段ボールの山をテレビで見て、「良いことをしたつもりでも、(どの段ボールに何が詰まっているかバラバラで)まったくの迷惑だったのだ」と、その後起こった災害のたびに思うのです。
だから、今回の個人からの救援物資は受け付けない、という対応は、経験から来た知恵だと思っています。被災者の方々の物資不足の不都合の声がテレビから入ってくると、気の毒になります。だけど、道路事情等が復興して物流がスムーズに行くのを期待するだけです。
で、なにかできないか。
となると、ぼんやり、ひとりで構想を温めているのですが・・・、どうでしょう。








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昨日の午後2時46分地震発生

2011-03-12 10:22:16 | 私の雑感あれこれ
テレビをつけていたので、東北地方の地震の第1報は、画面に流れたテロップで知った。
その4分ほど後、我が家も揺れた。
リビングの蛍光灯のロープがしばらく揺れ続けるほどの、揺れだった。
となると、東京はもっと大変かな、と思っていると、お台場のビル火災の映像が映った。
えっ、と江東区のタワーマンションに住んでいる家族に電話。2度目ぐらいで運よくつながった。
今帰宅したら、壁にヒビが入っていた、これからとりあえず非難する、と。
エレベーターがストップして、高層階の人たちがみんな降りてきている、と。

その後は、テレビ報道に釘付け。
津波の恐ろしさ。中継画像という表示がうそみたいに見える。
水というより、倒壊物の残骸がドンドンと田畑や街を飲み込んでいく。
何よりは身の安全。
火の手もあちこちで上がっている。

地震から30分、1時間と過ぎているのに、次々と飲み込まれていく家や車、せめて、人は避難済みであって欲しい、と願うしかない。
道路を行く車の姿に、津波の直ぐそこまで来ていることが判っていないのか、気をもむだけ、です。

交通機関は、二次災害を警戒して、殆どストップ。東京はマヒ状態。
帰宅できない人に対して、学校や公共機関がトイレや寝る場所を提供します、とのアナウンス。
着々とパニックが起こらないようにとの、配慮が汲み取れます。

停電で暗くて、暖房もない避難所で一晩を過ごした人たちの不安は、いや増すことでしょう。
テレビ画像に沈黙の被災地が映っています。
まだ、余震が終わったわけではないのです。
被害がこれ以上大きくならないように、被災者への救助の手が早く届くように、願っています。

今日に入って、震源地が南に移ってきた。
大丈夫、と、北海道からも問い合わせの電話。
私たちのところは、今日は身体に感じる地震はない。

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