日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

その言葉がなかったら・・・

2008-07-26 09:13:29 | 私の雑感あれこれ
今朝の朝日新聞「天声人語」の中で、明治期の開化期に「社会」「個人」「哲学」という日本語の言葉ができたという。

言われてみれば、そうなのだろう。
「哲学」はともかくとして、「社会」という言葉も「個人」という言葉もない時代、私たちはその暮らしているということを、どんなイメージ(コレも外来語ですね、「概念」と置き換えても、「概念」もなかったでしょう)で、把握していたのでしょうか。
「把握」もあったかどうか?
と、想像すると、私たちが想う明治期の前の人たちの、「暮らしの中でしめるもの」というのは、相当に、今想像するものとは違うのでしょうか。

どんな言葉が、明治期に入ってきて、新しく日本語が作られたか、興味深く思い、こんな、ページを見つけました。

多分ご高齢の方でしょうが、コラムの文章として平易で親切、素敵に想いました。
よろしかったら、ご一読を。

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飾り窓の・・・

2008-07-25 07:12:47 | 私の雑感あれこれ
とくれば、女、なのでしょうが、今日の話は、鞄、バックです。
仕事でよく使う銀行ATMコーナー(支店の統廃合でATMだけになった)の隣に、バックのお店があります。
ほぼ全面ガラス張り状態で、街路から中が丸見え。
ソファーがひとつあって、30代後半の男性がいつも、手持ち無沙汰に座っています。
バックは、1段2段…4段に丁寧にガラス面の向こう側に並べられて、どれも、きっとブランド物なのでしょう。
確かあればブランド物、と思う見たことのあるバックも1点、2点はありますから。
仕事の用事でさっと通り過ぎるだけだけれど、見たことはないのです。お客が入っているのは。
きっと、あるじは街の中心部、大手銀行のATMの隣だし、チョコッと立ち寄ってもらえれば、デパートの価格よりチョコッと安くしたり、掘り出し物もあるよ、なんて情報も話そうと思っているのだろうな。
個人輸入だろうか、でも店舗の借賃も大変だろうな。
ずっと、手持ち無沙汰にソファーに座っていて、何考えているんだろう。
そんなことを、思ったりする。--余計なお世話でしょう。→私

で、思った。
あのバックたちは、隣のバックに迎合することなく、それぞれに個性を発揮して、飾り窓の女のごとく、道行くお客を待っている。
私を選んで!と。
ああ、先日尾鷲の駅前の喫茶店に入ったとき、見事な毛ばりの収集品が壁のデコレーションとして飾られていましたっけ。
毛ばりも、魚に近づいてもらいたい一心でピカピカゆらゆら、芸を凝らすのでしょう。
あの陳列棚の一点ものバックも、男性あるじが、女性客という獲物を狙って、蒔いている毛ばり、飾り窓のバック、なのかも。

ああ、今日は給料日。
あのお店のドアを押してはいるお客はいるかしら。

で、追加編。
家人に、この話をしたら、
そんな客もいないのに、店がやっていっているというのは…
お店のあるじは仮の姿、銀行(ATM)を狙っているのではないか?
と。
うん、そうかも。
大きい支店が閉鎖になったATMコーナーだから、相当なお金の出入りがあるハズ。
と、近頃よく見ている、アメリカのテレビドラマ「モンク」などを思い浮かべてみる。
まさか。
そんなリスクの高いことを、と、ソファーの主を思い浮かべようとしても、顔までは知らない。

あー、
振込め詐欺で引っ掛かった高齢者の動向を素知らぬふりして、観察しているのかしら?

と、買い物客など通らない、ビル街の一角だから、妄想はどんどん膨らんでいく。

で、今朝ATMに行くと…、
すぐ前の車道で、電話線のポールに正面衝突した自動車事故が起きたばかり。
車の前面グシャグシャ。
ポールは45度は傾いている。
一方通行の問屋街なのに。
荷降ろしのための一時駐車も多いし、スピードなんて出せそうもない所なのに。
バンパーの折曲がり具合から見たら、相当なスピードで突っ込んだ感じ。
ああ、居眠りかしら。
何で、何で。
事故を起こした人は、そうとう後悔しているだろうな。

私立探偵ボアロの画面に出てきそうな、日本では珍しい、帽子をかぶり、山吹色のワンピース姿の正装っぽく装った高齢の女性がパイ部椅子に腰掛け、隣に老紳士が言葉もなく、佇んでいる。

警備の人たちが忙しく歩きまわっている中で、ポアロ画面風カップルは、被害者か加害者か…。

私、ミステリー、探偵、刑事ものドラマの見過ぎです(笑)。









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映画2点を続けさまに観て、

2008-07-20 10:15:14 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
映画「名もなく貧しく美しく」監督松山善三、高峰秀子、小林圭樹主演、1961年(昭和36年)製作
映画「オリバー・ツイスト」監督は戦場のピアニストのロマン・ポランスキー監督で2005年製作。原作は1838年に書かれたディケンズの小説。
いずれもNHKBSで放映されたものを録画してみた。

よって、この2週間ほどは、映画の中の貧しい映像が頭の中を去来する。

「名もなく…」のほうは、子供の頃に見た記憶があり、記憶に残っている場面が辛く可哀想なので、どちらかというとシブシブという思いを持ちながら見た。
で、感想。
50年近く抱いていた暗いイメージより救われた思い。
聾唖者夫婦が自立して生きていく苦難がえがかれているけれど、救いは、夫婦の絆が固く、健全であること。誤解もされ、踏みなじられもするけれど、誠実なココロモチは、迷うことはあっても、選択を間違わない。そこがどうにか安らかに見ていられる所以でしょう。
ああ、そこが「美しく」なのですね。
中野重治の妻であった原泉さんが母親役でしたが、彼女の母親としての心痛止むことなかったでしょう。
3人の子供の、長女は水商売から台湾人のお妾さん暮らし。末っ子は刑務所から出たあとも、ろくに更正する気配がない。
けなげに生きている聾唖者夫婦に吉報を伝えに奔ってくる母親。
それを聞いて、一目散に走り出すとと…。
ラストの設定は悲惨。既に故人ですが、「監督さん、そんなピリオドないでしょう」といいたくなりました。
目に見える形ある高価な美術品よりも、生き方に「美しく」と形容する監督さんの理性にココロ振れるところがあるから、ずっと思いが尾を引くのでしょう。


「オリバー・ツイスト」は、あの戦場のピアニストを製作した監督とのことで、時代考証が丁寧になされているのでしょう、19世紀前半のイギリス、下層階級を知る映像としてはよかったと思います。

ツイストは孤児。救貧院(孤児院)に入れられ、食事の一椀のおかゆのお代わりをしたことから、追い出される。
孤児たちがズラッと並んでおかゆを啜る光景。別室では大人たちが飽食のテーブルを囲んでいる。
逃げ出した子供は人攫いの手を経て仕事場に。
ギュウギュウにつめて並ばされて、やる仕事は、古いロープの短片を解く作業。
並ぶのは、浮浪者のようななりをした子供たちばかり。
産業革命の始まり、大量生産のための底辺の作業を、まだ野放しだった資本主義構造では、安い労働力=喰いっぱぐれた労働者(子供もOK)があって成り立っていたのだと教えられる。
広い作業場に驚くほど多くの子供たちが、同じ単純作業をされせれている場面、この場面が、この1週間ほど「やるせない貧しさ」として頭の中を去来する。
そこを逃げ出して、ツイストはロンドンを目指して1週間(?)歩き続ける。
襤褸切れのごとく草臥れたツイストに、食べ物を与え、住む場所をと連れていってくれたのは、子供にスリ、窃盗をさせて生業としている一味。
先の映画の「貧しさ」は、二人連れだったのに比べ、こちらは、孤児ツイストはひとり。
ラストではツイストはお金持ちの理解を得て、貧しさからの脱出はできるのだろうけれど、見ている途中で、より気が重くなるのは、「孤立している」、「理解してもらえない」が際立っているほう。
ラストで、刑務所に窃盗団の親方を訪ねるシーン。
心配する大人をよそに、少年ツイストは監獄の親方と抱擁する。
決して良いことを教えてくれたわけでもなく、辛い日々、嫌なことを強いられた日々だったのに、ツイストは刑務所の老人をしっかりと抱擁する。













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つづき、教員採用・教育業界の腐敗 

2008-07-15 15:48:07 | 社会問題
なかなか下火にならない、大分県の教員採用試験関連の話題。
県の教育界のナンバー2も関係していたと報道されている。

でも、不思議。
こんなに多勢の不正が取りざたされ、また他県でもとのうわさもないわけではないのに、文部科学省が動かない。

お相撲さんのことや子供のちょっとしてことでも、文部科学省が関係者を呼び出したりして、訓示を垂れたりするのに、こんな、教育業界の不正に対して、出てくるのは、いつなのでしょう。

時は、お中元の季節。
公務員にもお中元が届いているのでしょうか。
ゲスの勘ぐりかしら。
公務員の中の、それなりの人たちは、そおっと、そぉっと、75日が過ぎるのを待っているように思えたりします。

「うちの県は決してそんなことはしていません」と名乗りを上げるところが出てきたら拍手喝采なのだけれど。
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教員採用試験がこれでは・・・

2008-07-14 16:12:42 | 社会問題
なんか根の深い問題ですね。

もう30年以上前の話です。
私も、教員採用試験をいくつも受けました。
結構な倍率でした。
最寄りの駅から受験会場の学校までの、押し合うほどワンサカな人の列。
殆どの会場は、学校の教室。
「中学校国語」という教科は、エントリーする人も多くて、結構倍率が高かったのです。
うーん、20倍だとしたら、この教室で1番か2番の成績をとる必要があるんだ。
そう考えながら、試験用紙に向かったことを覚えています。
私の友人、彼女も「中学校国語」なのですが、北陸では募集が少ない。大都市しか望みがない、と判断し、1年先輩の「小学校教師」予定の恋人が、先に都会で教師となって、彼女の卒業を待つ、そんなエピソードもありました。
みんな、真剣に、どうしたら目的が達せられるか、考えて臨んでいるのです。
そういえば、その時も、実は、親の退職と引き換えに息子を教職に就職させることはできる、という話は伝わってきていましたっけ。

ふーん。

そんな試験が、点数の上乗せや、カットで細工されているとしたら、なんとまあ!

そして、私の耳に入った例として。
いくつか受けた試験で、一つだけ、ABC判定でBを貰ったところがありました。
それなりに後味が悪い感触であったけれど、第1志望ではなかったから、まっいいか、と思っていました。
それなのに、ある人から、こんな言い方をされました。
○県は殆どA判定を出さないのです。B判定があれば大丈夫です。
A判定を出してしまうと、必ず採用しなければならない。
B判定にしておくと、どの受験生を採用するか裁量がきく。
B判定で十分目的は達成できるのです。
そう教えられました。
22歳の私は、大人の世界を見た思いでした。
B判定でも悪くなかったのか、と自分を慰めていました。

○県が第1志望でない私にとって、耳新しい情報の一つとして印象に残っているだけですけれども。

あれから30年。
大卒の職場の少ない地方で取りざたされる話題。
きっと根が深いように思います。

追伸:第一希望の東京都で合格して教師をしていたからと言って、私が有能な教師であったわけではないことを付け加えておきます(笑)。
こんな程度ですから。
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皆さんの地域で、盆踊り、ありますか?

2008-07-08 16:02:39 | 私の雑感あれこれ
私たちのところは、そんなに古い地域ではないのですが、地区の小学校の校庭で恒例の盆踊りがあります。
で、尽力するのは、各組長さんたち。
今年も、ジュース1本の無料券券付きの盆踊りの案内が回ってきました。

ふふふ。
この案、ワタシなのです。
5、6年も前でしょうか。
例年というか、前年の会計帳簿ではジュース券は印刷屋さんに外注していました。
財政難の折、B5の案内チラシの下欄に、ジュース券も印刷して、切り取り線をつけたらいいのでは、と提案して、採用になったのです。

あれから、毎年、子供もいないし、盆踊りに行くことはないのですが、あの提案が引き継がれているな、と一人ほくそ笑んでいます。

その時、もう一つ提案しました。
ジュースを冷やす水槽の氷。
これも、氷屋さんから買っていたことが分かりました。
これも、節約したのです。
何人かの組長さんに自宅の冷蔵庫で水を凍らせたペットボトルを各2個ずつ持ってきてもらいました。
この案は、その後どうなっているかわかりません。

ああ、まだあります。
町内で作った浴衣や帯の揃い20組ほどあるのですが、これも区域の世帯数で案分して、分配しました。
「とかく自分に懇意なところに、よい思いをさせる」っていう、風評を避けたかったから。

そういえば、もう一つ。
-書き出すと、しつこいね、この人→ワタシ
盆踊りの輪の目印として、白線を引くことなっている。
櫓を組み立てる前に、ちょっとまってね、と私。
自宅から用意してきていた10メートル(だったかな?)のビニール紐を結んだ棒を取り出して、片方を支柱として押さえてもらい、、他方で校庭に印をつけながら一回り。
そしてその後、石灰の白線を引いて、半径10メートルの輪の出来上がり。
こんなの、やりなれている人だと当然のこと、でしょう。
でも、初めての盆踊りセッティングで、事前準備して、役に立った、なんて喜んでいる、コレもワタシの癖、こんなタイプなのです(苦笑)。

もう、あれから随分たって、この度配られたチラシで思い出しました。
ふふふ、そして、今年の我が家の無駄になるジュース無料券、
小さい兄弟の子供さんがいるお宅に、迷惑でなかったら、と了解を得て、
もらっていただくことにしました。
ただ、私、忘れなかったら郵便受けに入れておくからね、と、一言ことわりをいれただけなのですが。





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ラオスの学校

2008-07-08 13:19:55 | 私の雑感あれこれ
話を聞いたのは、30歳になろうとしている青年から。
だから、彼の就学時期と現在とでは、多少の変化があるのかもしれない。
そこのところを含んで読んでください。

ラオスの学制
小学校5年
中学校3年
高等学校3年
その後、大学進学する人は1年間勉強するなかで、自分の専門を定めていくそうです。学問の領域としての文系の分野はそもそもないから、成績優秀者=数学・物理の成績上位者らしい。留学希望の学生は、募集される国別コースを目指して、猛勉強する。就学率が低いし、中退、落第も頻繁な国だから、ここまで頑張るメンバーはどんどん少ないくなっていくのです。

で、そんなメンバーの一人として勉強に励んだ彼が自分の教科書を持てるようになったのは高校3年。その時に初めて父親から教科書を買ってもらったそうです。
それまでは、教科書を持っているのは先生だけ。
生徒は、教科書がない。
だから、当然先生は教科書を音読するところから勉強が始まる。
授業の8割が、先生の教科書音読に費やされる。
学生も教科書があれば、各自が目を通すことができるのに。
先生が説明する時間をたくさん取れるのに。
先生の教科書には、エクササイズが沢山ついているのです。でも、時間がないから、一つふたつのエクササイズしかできません。
(多分「練習問題」という日本語を使ったことがない彼は、エクササイズといいます)
先生が教科書を読む間、聞きとってノートに写すのに必死で、疲れてしまい、大変だった―と、語ります。

小学校の頃、先生の教科書を遠まわしに覗くと、教科書にきれいな絵があるのが見えて、あんな本があればなー、と思ったものだと。

教科書を持たないでの授業だから、数学も物理も語学も、聞き取り、書きとり、と少しばかりのエクササイズ。

その彼が中国の大学に留学して、奨学金で自分の教科書を買い揃えた時、世の中にこんな(各自が自分の教科書を持っている)ことがあるのかと、思ったという。

産まれた国が違うとこんなに環境が違うのです。
この日曜日、目の前の青年が語った話です。
彼は私の子供の世代です。

そして、
ラオスの学校教育の外国語は、ロシア語だったそうです(1970年代の革命後、それ以前は領主国のフランス語)。
1990年頃のペレストロイカで、ソ連からラオスへの支援経路が訝しくなったためか、外国語はかつての領主国のフランス語に戻ったそうです。
しかし、フランス語は短期間で取りやめになり、英語(※)が採用されたそうです。

※ラオスはベトナムに加勢してアメリカと戦っているから、ソ連の崩壊後即英語に転換とはならなかったのでしょう。

で、彼の高校時代はちょうどそのフランス語採用の時期。
中国への留学試験にはフランス語でなく、英語が必須とのことで、1年間の突貫勉強をしたらしいのです。

大学卒業後日本の企業に就職。
その時点で日本語能力はゼロです。
仕事の現場はIT企業だから、英語で何とかなる、と思っていたらしいのですが、
日本の理系大卒のITの職場で英語が通じない、と困って、日本語の特訓。

で、流暢とは言えない日本語ながら、上記のような話を聞くことができました。

「蛍の光、窓の雪」で勉強に励んだという話、ウソー、大袈裟なと思うところがありませんか。
小学校も中学校も教科書が持てなくて、留学先で大学生のみんなが自分の本を購入するということに驚くって、日本人だったら、その彼に、驚きませんか。

ここまで、読んでくださったとしたら、ありがとうございます。
下書きから、投稿まで1日置いたので、最新投稿の順番が逆になってしまいました。



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今日は七夕

2008-07-07 12:06:39 | 私の雑感あれこれ
短冊に書くとしたら、何を願おうか。
20年前に住んでいた借家の一隅に竹が生えていたので、もちろん、子供と七夕飾りをした。
例の如く、お節介な私は、娘の幼稚園友達の家にまで、笹竹を配って回っていた。
笹飾りをしなくなって20年。
今、もし願うとしたら・・・。

ウルトラマンになりたいって子供がいた。
銀河鉄道999のメーテルのようになりたいって子も。

私も、いっぱいなりたいものがあったなー(笑)。

で、今。
何を願おう。
願っても始まらないものと、諦める癖がついているのか、
願いをかなえるには、不屈の努力がいることを知ってしまっているからか、

私には、少し、願うことを、中止している節がある。
分相応、2番手、次善策。

ちょっと、元気にならなくっちゃ。

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