日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

知らしむべからず、寄らしむべし

2008-04-30 11:51:33 | 私の雑感あれこれ
これはマキャベリズムの政策姿勢とのこと。

――知らしむべからず、寄らしむべし――

で、この国も、国民は「予算のばら撒きを歓迎し、徴収を渋る」という、判りやすい参政権者を育ててきたのではないでしょうか。

国は現状800兆円の赤字とかで、ばら撒きに黄色、いや赤信号が付き、プライマリーバランスということが言われだしたのが、小泉政権のとき。

収入で支出を賄う。
これが原則。
もちろん、いろんな状況のひとがあり、福祉の協力が求められる、これもよいこと。
だけど、声を大きく張り上げて、ばら撒きを求めるって言うのは、どうだろう。
昨今の県知事さんの多く…、票のことを考えれば、分らなくもないけれど。

理解していらっしゃる方々も、大勢いらっしゃるハズなのに、マスコミは、若手記者を動員してニュースを集めているからか、伝え方が浅い、というのか、届いていない、というような気がする。

例えば、後期高齢者の健康保険料について
(呼び名がまずいけれど、この際論議しません)

保険というのは、リスクを分散する仕組み。

保険料を納めることによって、万一病気治療が必要になったときは、所定の割合を支払うことによって治療を受けることができる。
この所定の割合が、私などは国保だから3割、高齢者の場合1割(最近所得によって違うらしい)。
後の、9割ないし7割は、健康な人も支払っている保険料で賄う。

ところが、高齢者については、医療費が多大でこの保険料では賄いきれないらしい。
それでは、ということで、
国が5割を支えましょう。
若い人たちの保険料で4割支えましょう。
だから、せめて1割を、ご自分の収入(殆どの場合年金)から支払ってください。

国も赤字で大変です。若い人の保険組合も余裕があるわけではない(赤字?)のです。
でも、収入の限られた方々から徴収するのは、少しにすべきだ、との考えは貫かれています。

そして、国は考えました。
高齢者の医療費の内容には慢性病がおおく、各々の病気の共通項も他の世代よりも多い。
だとすると、慢性病で、半年1年、2年と通院する方々の、医療費コストを下げれないか、そうも考えたらしいのです。

何か知らないけれど、年をとったら若い人が負担してくれるから…、でもなく、自分の医療費の支出に関心を持つ、これって大事なことだと思います。

もちろん、生活保護のようなセフティネットは必要です。
物事の理を理解できる高齢者の方も多くいらっしゃいます。
今の現状を理解していただく、よい方向だと思います。
それとも、自分の息子や娘の保険料が増えた方がいいですか。

もう、20年程前の話です。
70代の一人暮らしの男性が、笑いながら話していました。
この国の年より、病気になったら、まったくお金がかからないのだよ、と。

病院までの地下鉄無料。
ターミナル駅から病院までのバスも無料。
入院費も無料。
で、家にいる時にかかった食費まで、タダで食べさせてくれる。

こんなので、いいのかなと、彼は言っていました。

そういう時代に医療費支出が大きく膨らんだのかもしれません。
国の負担だから、お金にいとめなく治療もできたでしょう。

今回独立して保険料を負担し、治療費1割を負担することで、国や医療行政に目を光らせるのだ、そういう思いで今回の改革を受け止めている方、いらっしゃらないでしょうか。

国は、――知らしむべからず、寄らしむべし――ではなく、説明して、理解を得るという方向を貫いてほしいものです。
そのためには、当然国は、支出に身ぎれいでなければならず、国民に説明不要な別枠財源など、即刻一般財源化すべき、だと思うのです。





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聖火リレー・・・私の記憶

2008-04-27 07:30:09 | 私の雑感あれこれ
昨日の長野、それなりに混乱もあったし、大事故にもならなかったし、こうして通り過ぎていくものですね。
臨時にかりだされた警備担当者にしたら、少々ぼやきたくなったかも知れません。

さて、私の記憶の聖火リレーとは…、東京オリンピックです。
北陸の小さな町の中学3年生でした。
東京は親戚もないし、遠いところでした。
学校にもオリンピックの競技観覧券の割当が廻ってきて、希望者を募ったりしていました。
国を挙げてのオリンピックだったのですね。
聖火リレーには、地元の人も走ったのです。
というか、学校の行事として、全クラスが列を成して、沿道まで聖火リレーを応援(?)に行った覚えがあります。
そして、聖火をもって走ったのは、町内の3つほど年上の、横山のまさちゃん。
三つも年上だと、しゃべったこともないのですが、夏休みのラジオ体操のときに、リーダーやったり、町内の先輩のお兄さんというイメージでした。そのお兄さん格のまさちゃんが沿道の大勢の拍手に見守られて走っていくのです。
凄いなー、立派ただなー、と見送ったものです。

モチ、警備員なんていませんでしたよ(笑い)>

そして、見送った後、中学生たちは列を作って、学校に戻って、グランドで先生の話を聞いていたとき、
グラッ!
と、来たのです。
あっ!
これっ、地震じゃない?
晴れた空の下、グランドに立つ、その足元の揺らぎ。

周りのものがぐらつく音はまったくしないけれど…。
「地震だと思うよ、きっと」
そういって、下校して、自宅で見た、テレビの映像は、
スゴイ惨状を映していました。

オリンピックは10月1日に開催。
勿論入場行進はテレビで見たのですが、
このとき、私たちが見ていたテレビ画像、白黒だったのですね。
興奮と感激で見た画面、後日見たカラー映像と混乱して、私が思い出す入場式場面には色が付いているのです。

聖火リレーというと、私に思い出されるのは、こんな昭和39年(1964年)の新潟地震とセットであり、ランニング姿のまさちゃんの勇姿です。
石屋さんの次男坊まさちゃんはその後高校を卒業して寿司職人の修行に東京へ行ったと聞きました。
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橋下知事が考え抜いた結果は・・・

2008-04-24 13:18:25 | 私の雑感あれこれ
日本の仕組みから、無駄をなくしてスリム化するとしたら、
橋下知事からこんな発言が・・・。
私のところを訪ねてくださる皆様にも、ご一読いただければと思って、アサヒドットコム4月23日記事をコピーしました。

以下貼り付けです。

                ※※※

橋下知事「大阪府を解消する」 権限、市町村へ移譲検討
2008年04月23日11時45分

 大阪府の橋下徹知事は22日、大阪市内で開かれた地方分権に関する公開討論会で、「大阪府庁を発展的に解消する。府の権限と人とお金をできる限り市町村におろす」と述べ、府と市町村の役割を精査したうえで権限移譲を進めていく考えを明らかにした。

 橋下知事は「税金の無駄遣いを無くすのは地方分権しかない」と強調。府の役割を「市でできないこと、市町村にまたがること、調整が必要なこと、地域のあるべき将来像を描くこと」とし、それ以外の行政サービスは「どんどん下におろす。国ができないんだったら、府でがんがん実施したい」と語った。

 橋下知事はこの日の府幹部会議でも「都道府県は国と基礎自治体の間に立って調整を行う中二階。府庁解体とかいう趣旨ではないが、役割を純化させたい」と述べた。

 府では橋下知事の指示を受け、すでに府と市町村の役割について検証を始めており、移譲できる権限についても検討している。政令指定市や中核市以外の市町村も保健所を持つことや、市町村教委による教員採用・人事などが可能性として考えられるという。

 ただ、府や市町村の権限は法律で決められたものが非常に多く、移譲には法改正が必要になるため、「府だけで進めるのは困難。国や他の都道府県と連携する必要がある」(府幹部)という。

 公開討論会に参加した府市長会長の倉田薫・池田市長は「他の知事では言えない。よくぞ言われた。知事は大阪府の救世主になる」などと賛意を示した。

 この日の公開討論会は「関西広域機構」などが主催。「どないすんねん・地方分権シンポジウム@関西」と題して橋下知事や倉田市長、猪瀬直樹・東京都副知事らが府の財政再建案や関西3空港の一体運用について議論した。また、同機構に今年度、鳥取県が加わることが明らかになった。

アサヒ・コムトップへ

                ※※※

公務員は安泰と思っているご仁には、寝耳に水、でしょうけれどもね。
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先の土日、東京に行ってきました。

2008-04-24 07:20:42 | 私の雑感あれこれ
娘の顔を見に。久しぶり、今の住まいには初めてです。
実は、大好きな亡き詩人茨木のり子さんのお住まいを訪ねたかったのですが、西武新宿線東伏見から早稲田大学のグランドのあるあたり、なんて漠然とした道案内の文章しかもっていなかったので、込み入った東京の住宅街では無理とあきらめ。
で、方針転換。
駒込近辺の、古河庭園六義園に、久しぶりに、実に35年ぶりにいってきました。
昔、お母さんがまだ独身だった頃・・・、なんて娘に語りながら訪れたその庭園、石造りの洋館がメインなのですが、懐かしい、そのままでそこにありました(何を言っているんだか・・・当然でしょう→私)。
そして、同じように、雑誌のモデルさんの写真撮影が行なわれていて、これも35年前の光景と一緒。
一瞬、私が年頃の若い女性の気分にもなりそうでしたが、イエイエ、しっかりと年頃の我が娘が、パートナーとなるべく人と目の前にいます(笑い)。
ナンダコリャ、です。
35年前にここを散策していた自分の若い頃は、こんな年月がやってくることを考えることもなかったし、この娘らも、かつての私と同じように、何十年後は、遠い遠い先のこと、なのだろうなー、そう思いながら、一枚だけ携帯のカメラに今の庭園をおさめました。私のアルバムには、洋館をバックにした若い私のスナップ写真、多分あるはずです。
そして、六義園もよく行ったお定まりのコース。
都会の喧騒の中で、木々が空を覆うように茂っていて、土の道を歩ける、なんと贅沢。
保存し続けている東京都(?)に、感謝です。

ちなみに、かつては都知事が美濃部さんのころで、都の公園は無料でした。今は2箇所で400円。
ああ、先年、ロンドンを訪ねたとき、ブレア首相になってから、ロンドンの博物館などの施設は無料でしたっけ。
首長は、自分のポリシーをそんなところに表現したいのでしょう。




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東京都は塾の費用を無利子で貸すという

2008-04-23 21:40:50 | 社会問題
新銀行東京に400億円追加出資したかと思うと、今度は中学、高校に通う低所得家庭の生徒の通塾費用を無利子で貸しだすという話。

東京都はやさしいのだな、と思う。
失敗したけれど、当初の新銀行東京は無担保で中小企業に融資をしようとしたわけだし、今回も「困っている人を、200万円以下の低所得者を、助けたがっている」とも思われる。

でも、借金してまで通塾しないと学力が付かないのだろうか。
公立の中学、高校には、生徒に教育を授ける自信がないのだろうか。

専門家である教師の皆さん、
都のこの方針で、間違っていないと思いますか。

どの子も塾に行っているから、行かないと目的の進学が果たせない?
塾に行かないと、不利だ?

ウーン、「勉強するのは、学校だけでしっかり身に付くんだよ」と、先生方、子供たちにそういってやってください。
ダメ?
言えないのが現状なのでしょうか。

私の住む愛知県では、公立学校が比較的がんばっています。・・・わが子が通学していたころから10年ほどたちましたが・・・
公立の学校から、最高とされる大学にも、医学部にも、合格しています。
公立の高校へは、公立の中学の学校で教わったことしか試験に出ません。
だから、教科書内容を充分習得していれば、塾が補足しなくても大丈夫のはずです。
ハイレベルの内容を習得したければ、ハイレベルと参考書や問題集で学習すればいいのです。
教科書内容の習得がやっと、というレベルでは、繰り返しの説明や反復学習など、学校繋がりでの勉強が一番効率的。
塾に通って、新たな教本や参考書が増えれば、費用にしても、効率にしても、負担が何割か増し、になるのではないでしょうか。

そりゃ、都が通塾費用を融資するというと、塾は喜ぶでしょう。
100パーセントが通塾、ということになるかも知れません。
こんな現象って、本当に子供のレベルアップを願ってのことでしょうか。
公立学校の管理者である都が、教育を外注するためのコストを計上した・・・、というように見えるのですが、いかがでしょう。

昔、家庭教師をしていたときの話をひとつ。
中学2年の4月。その男の子は勉強から関心が離れそうな時期でした。
主に英語(たしか漢字も)だったと思います。2時間の家庭教師の初めの10分。中学1年生の教科書からスタートして、毎回宿題にしていた10個だか20個だかの単語テストを続けて、単語を全部覚えさせました①。
学校で使っている教科書、問題集の「りっかり理解」②が方針で、数学や、理科の計算問題、何でもやっていましたね。・・・ああ、若かった(笑い)。
①と②が満足に身に付くことで、秋も終わり頃には、充分自分のペースを習得していったのです。
特別に教材を買う必要はありません。
少し、伴走して支えればいいのです。
このレベルを上回る高難度の学習にも興味がある、という子供であれば、力があるのだから、子ども自身がそれ向きの学習教材を求めて、できるのではないでしょうか。

東京都は、好意で通塾費用を手助け、と考えていらっしゃるのだと思いますが、塾へ通わなくてもいいような教育環境を与えることを、放棄なさったのでしょうか。
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聞いたばかりの話

2008-04-22 12:51:57 | 私の雑感あれこれ
を、書きのこして置こうとおもう。
読んでくださる方がいれば幸い。
これが現実です。

ラオスの学校の話。
学校の制服がしばしば変わるという話。
先生が独断で、制服や通学靴を変更してしまう。
今年からは、この靴を履いてこない人は学校に来てはダメ、と。
靴を買えない人は、学校へ行けません。
靴や制服が短期間で変更になる、これがしばしばで、豊かでない親は困ります。

何でそんなことを、と思うでしょう。
先生が、販売業者からリベートをもらう仕組みになっているのです。
なんてひどい!と、思うでしょう。
先生も生活していかなくてはならないのです。
ところが、日本のように先生の給料が約束通りに支払われる、というシステムがないのです。
話を聞かせてくれたラオス人の父親は軍に勤務していました。
ベトナム戦争のときに北ベトナム軍に従軍し、その後はラオス軍で働き、軍の教官をしていたとのことです。
その軍の教官の給料も2年間支給なし、というのが実情。
国を守る組織の人間にすら支給なしなのですから、学校の教師の給料支払いどころではありません。
で、先生が考える苦肉の策が、リベートで生活費を得ようとするという発想。

うーん、やり切れません。
第一、教師になっていたのでは食べてはいけないのです。
で、教育も散々。
入学試験も公正とは言えないし、卒業証書はお金で買えるし、・・・。
聞けば聞くほど、気がめいります。
それでも、これが現実。

各国のODAやUN(国連)が援助しているでしょう。
そのお金は?
と、当然聞きます。
そんなお金は、人々のところには届かない。

ラオスで働く先進国の人の立派な車や滞在施設として使われて、それがODAや援助資金の支出したと報告されるのでしょう。
もちろん政府担当者の懐にも入っているのでしょう。

小山内美紀子さん(?以前の金八先生のシナリオライター)らが、カンボジアで沢山の学校を作ってきたという新聞記事に、一つの学校建設に500万円とあったと話すと、
ラオスではそんなにかからない。カンボジアの500万円の学校はどういう大きさかはわからないけれど、ラオスだったら、25万円でできると思うよ。
彼のイメージする学校は、日本の鉄筋コンクリートとは格段に違うでしょう。
でも、25万で学校の建物はできる。
でも、そこからが問題。
だって、先生の給料が・・・。

とりとめもなく書いていますが、とりあえず、書き連ねます。
「そう、そういえば、私はインドの学校の先生の給料を負担するグループに寄付金を送っている」
と、思い出したことを言った。
「うーん。でも、本当に送ったお金が、先生の給料になっているか、それは疑わしい」と彼。
「でもね、去年、DVDを送ってもらって、学校の風景を見たけれど・・・」。
「そんな・・・、お金になるとしたら、偽のDVDを作る人はどれだけでもいるよ」。

ああ、どこまで信じて、何を疑えばいいのか。

日本の今の憲法のもとで育ったこと、教育を受けられたことの幸を思います。

話はまだまだあるのですが、ここまで。

それでも、人は生きていきます。

追記:今の段階でも、私のインドの学校の先生の給料支援は信じていますけどね。
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やっぱり「篤姫」、楽しみなドラマです。

2008-04-21 08:13:48 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
日曜の8時はテレビの前に座れない状況なので、いつもビデオで。
でも、帰宅するとすぐビデオの電源オン、という毎週です。

幕末を生きた人、歴史となっている人なのに、画面を見る私はいつの間にか、彼女を応援し、彼女の台詞に応援されている。
聡明な彼女の吐く台詞、薩摩おんなここにあり、でまったく嬉しいのだけれど、
でも、待てよ、と私の襟首を引っ張っているもう一人の私(?)もいる。
以前、「徳川慶喜の孫たち」(?)とかタイトルされた本を立ち読みしたことがある。作者は当のお孫さんのひとりだったか、お孫さんを母上となさるお方だったか?
母上は著者に対して、「生涯自分の着物を自分でたたまなくてはならないような(惨めな)暮らしはさせたくない」と、言われて育ったとか。
一読して、「は?」でした。
お偉い方々は、着物を着るのも、突っ立っているだけで、誰かが着せてくれ、脱いでも誰かがたたんで片付けてくれる。
お母様にとって「着物をたたむことは、お付の者の役目」
そう思われたというお母様、
篤姫の周りの女性陣もこの類の価値観で埋め尽くされているのではないか、なんて下種の勘ぐりがちょっと頭をもだげる。
本当の力量のある政(まつりごと)の任を担っている人には、表層的なところに大きな意味を置かない、本当のところをみる目を持っているハズでしょうが、形が、形だけに終始する時代が長く続くと、ことの軽重が狂ってくる。
はて、自分が突っ立っているだけで、豪華な着物を着せてもらえることが、満たされた生活、なのだろうか・・・。
などなど、ちょっと横道にそれた思いを抱いたり。
きっと、実際はテレビ脚本ほど、篤姫の役回りがくっきりと見えることはなかったのでは、と思いながらも、爽快で聡明な篤姫の台詞に、美酒の想いを味わっています。
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百家争鳴、高齢者健康保険料

2008-04-16 06:56:08 | 社会問題
昨日、偶数月の15日は年金振込み日。
後期高齢者が受給する年金から健康保険料が控除されて支給されるということで、マスコミは、年金受給者の困った、困ったという、一色のコメントを集めて百家争鳴。これぞ正義の味方って感じでした。
医療費支出にしめる高齢者治療費が三分の一となっており、これらの支出を一般の健康保険料で担うには限度があるということで、赤字の医療行政の健全化のためにも、区分けしていこうというシステムではないでしょうか。
健康保険料には家族割当があるので、その家族割当分が減ることになるのでしょう。
財布が国であれば、国の財布にどれだけ負担がかかっても知らん振り。
もらえる年金に感謝することなく、自分の財布が傷むようだと百家争鳴。
「もらえる」っていう表現が不適切かな?自分で年金を掛けたのだから・・・。
でも、年金って、国民年金以外には、遺族年金という仕組みがありますよね。
自分で掛けていなくても、遺族として、自分が死ぬまで受取れる仕組み。
夫婦として、協力してきたから当然、と主張される方もおありでしょう。
それは分かります。
でも、夫婦として協力する期間がどんなに長くても、短くても、遺族年金に差はありません。
夫となる人が、既に年金受給者になったあとから結婚した場合でも、その配偶者は未亡人になった後は遺族年金をもらえるのです。
友人のお父様は多額の年金受給者。70代でも、これまでに何人もの結婚希望者が現れたとか。
なんと国は大盤振る舞い。
年金財政も火の車といわれているのに、この国はこんなに太っ腹なんですよ。
公平に、公正に、不足するのだったら、節約する。
その仕組みは、国であっても、家庭であっても、同じだと思うのに…。

後期高齢者の方々も何人も知ってます。
沢山の薬が飲みきれず、ゴミ箱行きだと、にこやかに語っていらっしゃるのも聞いたことがあります。多分これは、高齢者の方の希望ではなく、お医者さんの経営方針だと思うのです。ご本人の負担が少ないとなれば、こんな形になり勝ちなのも推測できます。傍らで聞いていて、ああ、我が家の高額の健康保険料が・・・と、心の中で悲鳴(笑い)をあげていました。


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映画2本「暴行」「羅生門」を観る。

2008-04-12 09:16:07 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
まず前日録画しておいたアメリカ映画「暴行」を観る。初めて聞く映画。
1964年製作の、白黒だし、タイトルもそっけなく、一瞬、観るかどうか、ためらったけれど、NHKのBS2で放映しているのだし、という思いもあって見続ける。
時代はなんだか、南北戦争の頃あたり。南西部の掘っ建て小屋のような駅舎で列車を待つ二人(若い牧師と善良で貧しい男)が、やってきた悪たれに、裁判で開陳された事情を語り聞かせる設定。
裁かれたのは、地主階級の軍人夫婦が馬車で通りすがったところを、札付きのワルが妻を夫の目の前で陵辱し、夫を殺したという事件。
ワルの言い分。妻の言い分。イタコ(巫女?)が語る死んだ夫の言い分(笑い)。そしてもう一人…の言い分。
それぞれが相手に伝え、自分でもそれを事実と思っているのだけれど、どれもが同じではなく、どれもが自分を正当化している。
夫の前で強姦された妻のとった行動が・・・。

映像は白黒で、勿論字幕。だけれど、見終わった後も、尾を引く映画。そこでネットで調べてみて知りました。
黒澤明の「羅生門」のリメイク版であること。
メキシコ人の札付きのワルはあのポールニューマンだったこと、などなど。

で、翌日「羅生門」を見ました(これは、かつて一度観ようとして、途中でやめたような記憶)。
「羅生門」は、ベネチア国際映画祭で大きな評価を得て、「世界のクロサワ」といわれるようになったきっかけの映画だとのことです。
昨日の今日だから、(場所は荒野の駅舎ではなく、朽ち果てかけた羅生門とか)理解もしやすいのですが、平安時代の武家の若夫婦という設定で、製作時代が古いからか、台詞がくぐもっていて聞き取りにくい。
これも字幕だったらわかりやすいのだろうか。
夫婦の身分関係も「暴行」のほうが、後発だから理解を助ける設定になっている。
よって、私にはリメイク版の方がわかりやすい。
「羅生門」を日本で発掘して、ベネチアの映画祭にかけようとした人、この映画に高い評価を与えた欧米の映画界も凄い、と思う。
勿論、黒沢明監督の感性と力量が評価されているのでしょうけれど(私は、遅ればせながらですが、ここ2年ほどで随分黒沢作品を見ました。黒沢監督は凄いと言われていることに納得もしています)、「羅生門」については、台詞のくぐもりもあってか、私が魅かれた作品、とまではいえません。

で、しつこく、映画「羅生門」の元本となった、芥川龍之介の短編「藪の中」も読んでみました。
昔の文学全集の活字ですから、細かいのですが10ページほどの作品。
こちらも、検非違使に各人が語るという設定になっています。
スッキリと、よりわかりやすい。さすが、なのですが、芥川のこの本の多くの短編の中の一つであり、他のどれもに、これに劣らずの中身が含まれているのだろうから、
本って、凄いものを内蔵していると、当たり前のことですが、そんな思いです。
多くの短編の中の一つ。








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快適な季節

2008-04-09 07:48:19 | 今日の一句・今日の一首
--群れなして朝寝の蒲公英露光る--
黄色い帽子をかぶった一年生が通る頃は、土手のたんぽぽも、競って花びらを広げるのでしょう。
早朝の今、まだ花びらを閉じてお休み中の如く、でした。

花粉症の人には、飛び越えて言って欲しい季節なのでしょうが、そうでない私には、枝垂桜の透けるようなピンクの花びらの色合いの妙に感動しています。
平安神宮でも、枝垂桜が見ごろとテレビが伝えています。

以下余談、・・・どれもこれも余談ばかりですが・・・

最近目に留まった短文の中の「西暦1000年の都では、34歳の清少納言が枕草子をせっせと書き、22歳の紫式部が源氏物語を書いていた」という、このフレーズが私を1000年前に誘う。
二人ともキャリアウーマン。
文筆は余暇に書き出していたのでしょうか。
きっと、清少納言が今生きていたら、ドンドン人を引き込むブログを書いていたでしょう。ああ、高級官僚だったから、あの坂東真理子さんの「女性の品格」の路線でしょうか。
源氏物語は外側の外側をぼんやり知っている程度で、勿論読んだといえる立場ではない。描かれている内容の色恋の話題のことを思うと22歳で紫式部は、随分おませな女性(女の子)、だとあらためて思う。
筆による描写力は天才振りを発揮しているのだろうけれど、やっぱり22年の年月で見たもの、理解した世界だろうし…、と思うのは、読めないものの僻みでしょうか。
文学の講義で、真剣に読み解いているのかもしれないけれど、高尚な今時で言えば、週刊誌が喜びそうな話題ではなかったでしょうか。(ウン十年前の学生時代も、実はそう思っていました。昨日のテレビニュースで、瀬戸内寂聴さんが、平安時代の文化を知りたいと思って、源氏物語の翻訳に取り組んだと説明しておられたけれど、瀬戸内さんタイプの女性という意味で、興味深かったということもあったのでしょう。一冊の本で平安文化…とは、なーんだか、と案山子の横槍を入れてテレビ画面をみていました。)

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