日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

干し柿はいかがでしょうか。

2015-10-31 09:59:11 | 家族
娘に干し柿を送ろうか、とメールしたら

まだH君は柿という果物を食べたことないから、、、、

と返信メールが来ていた。


好物らしい安納芋と一緒に干し柿も送った。
そのガブリと食べようかな、という瞬間の写真メール




すまし顔が可愛いね、と電話したら、
頬に指を当てているのは「ポーズをとっている」という。

苦笑

保育園で写真を撮られるときは、みんなこのポーズをしてニッコリするのだけれど、2月生まれでテンポが遅めなので、H君はしたりしなかったりのレベルだそうだ。

で、ママがカメラを構えたら、保育園ポーズを決めた、というわけでした。

現在2歳。
社会生活しているんですね~。

こうするとカワイイと理解しているオマセな女の子に引きずられて保育園で流行っているのでしょうが、
この本人には、意味わかっていない、と思えるから、オカシイ。

笑 笑 笑








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司馬遼太郎著「歳月」下  読了

2015-10-29 15:49:26 | 
経済関連本読みが続いたので、久しぶりに(小説のほうがラクかなと)司馬遼太郎の「峠」をクリックしたのが始まり。
――夫婦でそれぞれのiPADを使っているのですが、電子書籍を取り寄せると両方で読める環境なのです。司馬作品の中で最近「峠」が電子書籍化されたということで、夫がクリックしていた、ただそれだけのこと。
まぁ、読んでみるか、と軽く始まったのですが、ぐいぐいと引き込まれていきました。
長編です。「上」を読み終わったころは、当然「中」を読みたくってたまらない症状(笑)に陥っていました。で、クリック。5分ほどで読書スタートできるのです。最近の文明の利器はすごい!
そんなこんなで、計5冊を読了しました。
さっそく今日は、特に読みたいものはない状態だったからか、通勤鞄の中にiPAD入れるのを忘れる始末。夢中になっている間は、電車の中も楽しみでしたから。

峠の主人公河井継之助は明治元年の夏に北越戦争で倒れるのですが、「歳月」の主人江藤新平は、新政府で大抜擢されるのですが、征韓論が出始めたころから反政府の立場に傾き始め、佐賀藩にくすぶっている佐幕派に担がれる形で、官を敵とする反乱の大将となる。明治7年梟首(さらし首)という惨さ最たる刑を受けて落命。

よって、洗脳されやすい(苦笑)私の頭の中は江戸時代。江戸300年の仕組みをぼんやり思いめぐらしている。

江戸期においての正義ってなんだったのだろう
幕府は、諸藩の大名が徳川の転覆を企てないように政策することが最優先。不都合な事態には禄高を減じたり、召し上げたりして対応。
武士階級って、なんだろう。
そもそもの起こりは、徳川幕府成立時に武勲があったもの、戦で活躍するのを専業にしてきたものたち。主君のために命を落とすかもしれない戦場をものともしなかった。反徳川として戦った者たちは外様として江戸から遠い地に留め置かれ、どんなに遠距離でも参勤交代などの役はこなさなければならなかったのです。
そんな江戸時代、幕府の為政が上手くいったのか、多少の謀反はあったかもしれないけれど、戦国の世とはならず、戦いの場を経験しないで一生を送る武士、というものになっていった。
では、武士たちは何をしたのか。
剣術を磨き、藩の学問所で学び、親から世襲の役職を受け継いで禄をもらう階層になっていった。
世襲される役職。殿様の藩の仕事。いわゆる公務員という立場なんだと思う。
厳しい枠でがんじがらめに生活を縛り、階層の上位下位の区分けを徹底させて、希望の芽を摘んできた社会だったのではなかろうか。
「武士階級以外は床の間を作ってはならない」(※)などのルールは今回知ったことだけれど、そういえば、自分の家をこしらえるのにも、柱の太さや天井の高さまで規制されていた社会だった。
(※)時代が下ると、商家(大店)でこっそり贅沢を楽しむ、という傾向が見られたらしい。

戦がなく時間があるわけだから、学問や文化的な習熟が必要な部門が開花していったのだろう。朱子学が本流だったのだろうが、各所に塾ができ、師について学ぶ、学びたいという層が知性の研磨して、脈々と連なってもいった社会なのだろうか。
司馬遼太郎さんの書物では、読書階級という表現を見ることがある。当時書物に接することができたのは、1割(?)程度の武士階級と農民階級に属する者の中の庄屋までだった、とある。
書物に接することができた階級の下層部の優秀者が、黒船騒動でこのままの幕藩体制では持たない、という急場で、フツフツと存在感を現してきた、幕末、維新の時期とは、こういう時代だったのだ、とひとりで反芻している。
藩が国であり、藩外に出ることは滅多にない。当然会話はお国ことばであり、藩外のものには意味が通じなかった。よって、他藩のものが混じった会話となると、とたんに文語(書き言葉)での会話になるのだという。現代では、「他国の人がひとりでも混じると、みんながわかるであろう言葉として、とたんに英語になるよ」とかつて、中国に留学していた娘が言ったことを思い出したりもした。

河井も下級武士。旧来を踏襲するだけでは立ち行かなくなって、大抜擢されている。
江藤も河井よりさらに下層レベルの食うものにも事欠く貧しい小使の倅。でも、読書階級であったことから、アレヨアレヨと頭角を現す。

司馬遼太郎は本を書く準備として、古本屋街で軽四トラックいっぱいにもなるほどの、古書を買い集めるのだ、と聞いたことがあります。
この本のためにも、彼はたくさんの資料に埋もれたのだろうな、と想像できます。
当時の〇〇の日記では、とか、後日の回顧談ではとか、100年前のことがらなので、手が届くほどの歴史でもあるからです。
注)これらの作品が書かれたのは昭和40年代初めです。

明治政府黎明期に是非とも入用な人材と、我こそは登用してもらわないとという輩と、当然それらは2種類ではなく、濃淡織り交ぜて人の欲望のるつぼでもあったことも想像できるし、それらは人間の織り成す社会である限り、いつの時代も共通項があるのだと、ひつりつくづく思っています。

天皇を頂点とした公家社会のこと。
江戸時代は、徳川幕府から各藩は石高で賄うように分配されていたのだけれど、京都に住む天皇と公家全体で1万石とし、富を生み出す活動を禁じ、洛外に出ることを禁じ、という厳しい規制の中に置かれていたのだそうです。
それが、薩長に担がれて、明治政府のトップとなり、江戸にあった大名屋敷は政府が取り上げて、公家たちにも下賜されたのだろうか。

明治当初の士族の扱い。
元来士族はお上から石高をもらって暮らしているのであり、おのずから生産はしていない。
国の総石高のほぼ半分が、士族への配布分となり、残り半分で政府を運営していかなくてはならない、ということでは国は立ち行かない。そこで、士族へは一時金の形で給付して以後国が負う負担をなくす政策を江藤も考案していた(らしい)。そういえば磯田道文氏の「武士の家計簿」では、これらの実情が書かれており、武士の家計の窮状が描かれていた。
藩幕政治から一挙に東京政府が財政を握る形態に舵を切った訳であるから、物心両面において相当の軋みが出てきたのだろう。
当時の関係者の名前も多々出てくる。100年前の時代の当事者(リーダー階層とその周辺の人たちだろうけれど)も、良かれと思うそれぞれの選択をして、生涯をまい進したわけで、今、現代を生きる当事者である私達も、課題の大きい小さいの差があるけれど、一面、50歩百歩のような思いもしたりする。
ま、民主主義の時代の恩恵はかつての人々と比べようもないほど輝かしいものだとは、思うけれど。

これらの作品が世に出てからも50年近く経過している。
大勢の読者がいるのでしょうね。
今の時代になって、改めて電子書籍になるくらいですから。
若い次の世代の読者に届きますように。

司馬史観ではあるのでしょうが、よくわかりました。



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夜半の雨音に、ほっ。

2015-10-28 11:51:56 | 庭 10月
雨水タンクも空っぽになり、お湿りが欲しいところでした。

夜が明けると雨は上がっており、草取りや移植日和です。

公園ガーデンのようには、きっぱりと模様替えはできません。
開花がよほど下火になるまで咲かせてあげたいし、、、の心境の持ち主です。
で、忘れな草やノースポールの零れ種から育った苗を、あっちこっちに植えています。

種から育てているビオラは「成育の悪し」で、移植はもう少し後からになります。

■今日のお花

◎クレマチス「冬の旅」大輪です。今年2度目の開花。
水滴を輝かせて厳かです。(クレマチスは何度も枯らしているので、今朝の開花は私的には感動ものなのです)





◎ヒメツルソバ。雨上がりの斜めからの日差しに輝いています。




◎アリッサム。夏を越して再度の満開です。




◎バラ。フラウ・カール・ドルシュキ。午前の光に陰影が涼やかです。


◎バラのシュート。二日ほど前に発見して、もうこんなに伸びました。
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こんなことに!

2015-10-25 09:19:31 | 庭 10月
つるバラの生育が旺盛です。
いくぶん、手に余る、というかどう整枝していくべきか途方に暮れている部分もあります。

で、クレムゾンスカイ。ベランダの隙間に進出していっています。


外側から見ると。


成育旺盛は嬉しいのですが、隙間から二階のベランダに行かせるべきか、外側に出してやるべきか。迷っていま~す。苦笑

■引き続き秋のバラなど。

ビックなバラ、ファーストプライズ2輪。


シックなブラックティー。


病み上がり気味の、ブルーバュー(多分)。



最初の年に購入したのだけれど、なかなか増えてくれない多年草、ブラキカム


去年から越年して株が倍増したガザニア。


以上は、昨日の写真です。

■今朝のガーデニングの嬉しい発見。
5月に挿し木したシャンテ・ロサ・ミサトにサーベルシュート(根もとから出る新しい芽)が出ていました。親株にも出ていないのにビックリやらありがたいやら。
真にささやかで地味なことですが、当事者には一日ルンルンになれるほどのご褒美です。苦笑

今朝の仕事は、コンポストで作った堆肥をバラなどの株もとにおいて回りました。
今の場所で暮らし始めたころからコンポストを使っていて、生ごみを外に出したことはあのません。容器の10倍ほどのものが投入されているでしょうか。分解されるので嵩が減り、さらに投入を繰り返しているのです。野菜くずや魚の頭なども完全に分解されて黒々とした土になっているので、草花たちに優しい養分入りだと思っています。






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司馬遼太郎ワールド楽し。「歳月」上を読了。

2015-10-23 05:18:14 | 
時代は明治維新が歩を進め始めたところ。

先に長岡藩士河井継之助を描いた「峠」上を読んでいるとブログ記事を書いた日付が、9月29日。「中」「下」を読了して、次に江藤新平の「歳月」を読み進めているということで、まぁ、読みたい本を抱えている日々が続いている、という昨今です。

嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応、明治と年号が連なっている。
年号の前後がぼんやりしないために、年号表をプリントアウトしたりしている(苦笑)んですよ。

峠は明治維新の10年ほど前から始まって、慶喜が大政奉還した後も、長年徳川の封建制度の中で禄をもらってきた忠君の道から外れることを良しとせずに、政権の転覆を目指している薩長に立ち向かう藩(継之助の行政を任せられる家老職に就いている)の顛末です。
慶応4年=明治元年の夏、長岡城を奪還しようと挑んだ戦いの中で被弾し、それが落命となります。司馬さんの筆で、すっかり河井継之助の思考回路理解者になってしまっている読者(私)は、大きな世界の流れの中で、この道しかとりえなかった彼の末期に熱いものがこみ上げてきました。

電子書籍で読んでいるもので、読了後に、ついつい、次の本も、というお誘いに載せられてしまって、ハイ「歳月」(上)をクリック(購入)。
あっという間、5分後には読み始められるのです。
今の世の中、自宅が本やの隣以上に近いのです!


さて「歳月」。
幕末に下級のそのまた下ほどの、末端の武士階級。父親も咎を受けていたりして、極貧の江藤新平です。
佐賀藩です。戊辰戦争も知ってはいましたが、大政奉還後の暦が戊辰の年に各地で起きた佐幕派と勤王はの戦のことと再認識。河井継之助たちの革命軍と戦った北越戦争も戊辰戦争と同類です。国が大きく変わるのですから、あちこちにくすぶりが生じ、右へ転ぶか左へ転ぶかという状況であったのだと、読書という手段で歴史の中に連れて行ってもらっています。
慶喜が政権放棄したのですから、それに代わるシステムを作らないと、虎視眈々と狙っている外国にも太刀打ちできません。
行政というものが重大な役割となってくるのですが、倒幕の勇士たちは必ずしも行政に長けているわけではなく、さんな中で、理論家江藤新平は重用されていきます。
武士階級が廃止しただけでは、彼らは食べていけません。そこで、足軽に至るまで俸禄が決められました。その俸禄の総額が2600万石となり、国家収入の半分近くになり、残りで国を動かしていくのは到底できない、この仕組みを変えてしまわないと、たちまち外国に乗っ取られる。士農工商を廃止した武士たちには一時金として支払い、末代支給するという制度廃止を構想します。

司法の独立、民法を作る、などなど、山積の仕事を切り抜けて今の日本に連なっているのだと、制度の発生源をのぞき見るような思いです。
内閣なんていう仕組もない時代ですから。

明治4年から2年間、岩倉具視ら立国の重鎮たち(行政職の8割)が先進国の実態を視察しようと世界一周に旅経ちます。そんなにすっぽり抜けてもいいものか?と思うのですが、行きたかったのでしょうね~。
留守番役とは、帰ってくるまで、大きなことは決めるな、変革するな、と誓約書を取り交わしたりしているのです。

その重鎮ら留守の間に、国に残った、西郷、板垣らを筆頭として出てくるのが「征韓論」。勝手に決めても、、、、なんですが。当時の帝国主義欧米のやり方に倣うと、という発想でいくと、江藤新平も征韓論派です。


司馬さんの解説に、そういうことだったのか、と納得させられながら、現在進行中の私の読書です。









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バラも秋色になってきました。

2015-10-22 07:29:25 | 庭 10月
農業用資材にペイントしてトンネル状にしてあるところのつるバラ、パレードのピンクが、おゃっと思うほど色濃くなっています。密集して咲いているわけではないので、切り花用に摘んでパチリ。


ブラックティーとマリリンモンローのコラボレーション


正面からのマリリン。



シャンテ・ロサ・ミサト。外側の花弁が濃い色合いで横顔も素敵なんですけれど。



シェラザード。4種類一度に購入した中では一番の成長株です。



スペクトラ。微妙な色合いなので写真映りかイマイチかも。



ファーストプライズ。2本あるのですが、この秋は2本とも快調です。



初登場かしら、つるバラのパフビューティーです。



■バラ以外では

秋明菊とアメジストセージの再登場。
バラ庭では脇役ですが、大事な存在です。



発展途上のバラ庭段階で庭上にしたハナカイドウ。
園芸店で素敵なお花だったので、買わずにいられなかったのですが、通路を狭くしてしまう位置に育ったため、鉢植えに移動。育ち過ぎた根っこをズタズタにしたため、枯れてしまいました。あきらめていたところ、わき目の葉っぱがまだ緑ではありませんが。そこで、昨日、大人の手首ほどもある主幹をのこぎりでバッサリ。頑張っている脇芽を育ててみようと思います。



■付け足し
こぼれだねから育った忘れな草が庭のあちこちで元気です。
ご近所、友人に声をかけて、貰っていただいています。枯れても気にしないで、まだどうぞ、と。
そして、去年と同じように、小ポットに株分けして置いた苗25本が、地域のコミュニティーセンターに貰われていきました。
ふと、母のことを思いました。母もカキツバタや水仙などなど、保育園や自治体の施設にもらってもらった、と言っていたことを。
母の規模と違って、私のはほんのささやかなことなんですけどね。うっふふ

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これって、どう?

2015-10-20 05:20:27 | 私の雑感あれこれ
今の界隈が仕事場になって30年。
大都市の官庁街に隣接したビジネス街といった場所柄です。

片側4車線もあるメイン道路から中に入った道路。
歩道は両側にあり、タイルブロック敷きで、幅3メートルほどはあります。
車道は2車線の一方通行だけれど、路上の1時間限定のコインパーキングがあったりします。
銀行や官庁に用事があるときは自転車を利用します。
そう、歩道を。

昨日、お昼前に、いつものように歩道を自転車で進んでおり、
前を行く二人ずれに声を掛けました。

「すみません、通してください」

歩道は歩行者用の道路だから、避けてもらうのであり、「すみません」「ありがとうございます」はいつものことです。

で、昨日は反応が違いました。

二度ほど「すみません、通してください」といっても、反応がなく、
そのあとに
「自転車はあっちでしょ」と指差されました。

一瞬、意味不明でしたが、すぐにわかりました。

彼は、自転車だから車道を走るべきだ、と言っているのだ、と。

思うば、交通ルールでは、確かそうらしい、ということを思い出しました。
でも、車道に降りれば、コインパーキングのエリアを避けたりすると、車の中に入っていかなくてはなりません。どう見たって危ないのです。

前を行く二人のサラリーマン風はゆったりと幅を開けて並んでいきます。
彼の主張は変わらないだろうし、議論しても始まらないから、
追い越さないように、少し離れて歩道を進みました。

彼の示した正しい交通ルールに従って、車との接触事故を起こしたって、彼の責任とはならないでしょう。事故を起こすなど面倒なことになりたくないから、自分の身は自分で守れ、です。

それにしても、この妙チクリンなルール、実態に合わせてほしいものです。
片側4車線(道路幅が40メートルはあるでしょうか)もあるメイン道路には自転車道がほぼ備わりました。未完備の道路ではどこもかしこも車道へ出なさい、って守っていたら危ないのでは?

そこで、考えます。
どうしたらいいのかしら。
応急処置として、歩道は歩行者優先だから、自転車はいつでも止まれるように速度を落として走ること。
こんな便法も必要だと思うのです。

あっ、そういえば、コインパーキングのチェックに、緑のベストを着た係員が二人ずれで自転車で回っていることがあります。うっかりしていたけれど、彼らはどちら側を通るか意識してみてみようと思います。







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久しぶりに母の顔を見に。

2015-10-19 20:06:40 | 母のことなど
弟家族と一緒に暮らしていることに安心して、母の顔を見に行かずにはや1年が過ぎていた。
ようやく1か月前にスケジュールを入れて、その日がこの金土日だった。
脳梗塞で倒れて4か月半入院。退院後は弟宅に転居して4年目に入ったところ。
電話では聞いていた、98歳で仕方がないことだけれど、やはり老衰は進んでいる。
「脚と命が一緒に終わりになってくれればいい」母はそういう。
廊下をガッチャンガッチャンと歩行器に頼りながらトイレに行き来している。使い捨てパンツはどうしても嫌なので、そこが難儀なところです。

いつ死んでもいい、と口では言っているけれど、本人はまだまだ生きたいと思っている、と弟夫婦の見立て。笑

弟が外泊付きの用事があるときはショートステイを利用している。
4泊ほどのショートスティから戻ってくると、どことなく疲れた顔つきになっているから、やっぱり家がいいんだね、と弟の奥さんの口から感想を聞くと、私は「ありがたく」思う。預けたほうが楽、なはずなのに、家がいいのだ、と事実を曲げないで話題にしてくださるその心根に感謝です。
この環境、これ以上いうことはありません。

娘の私は「月に1度はショートスティを利用するようにしたらいいよ」と、すっかり聞き取りが悪くなった母の耳に語りかけるのだけれど、
母は応答しなかった。
聞き取りにくいのか、
聞きたくないのか、
理解しにくいのか、
それらは定かではない。苦笑

弟夫婦の負担が過分にならないように、それが私の役目。
外出するときはトイレの心配ばかりにならないように、便利なものは使ったらいいんだよ、といっても、
自分は頑固だから、とはねのける。

弟の奥さんが言いにくいことは私が言わないと、と思っている。

それにしても、退院したころと比べて、母はすっかり、細やかな話はできなくなっている。
何十年も前に体験した話題は元気にしゃべり始めるのだけれど、こちらの反応とのやりとりができない。
能力の低下とはこういうことか、と思う。
昨今は、ボケという表現を使わず、認知症という言い方になっているけれど、
母の状態は、認知症というより、人としての能力が落ちた、って感じです。
その低下部分を補うように、「ありがとう、世話をしてもらってありがとう」を連発する。

早朝、自室でお経を唱えるのだけれど、その声がいつもより大きく針があり、
いつもは昼食後お昼寝するのに、嬉しくってお昼寝もせず、
だから、〇子ちゃんが来ていることが嬉しいんだね、と弟夫婦。

ありがたい。
次は、12月にある弟の長男の結婚式でまた顔を合わせることになります。

また来るね、と母の耳に大きな声で伝えて、戻ってきました。






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夜7時台の地下鉄の中で。

2015-10-19 07:56:38 | 私の雑感あれこれ
遠路母の顔を見に行ってきた。
7時過ぎに高速長距離バスを降りて、地下鉄に乗る。

ま、長旅で疲れているし高齢者もいないし、空いていたシルバーシートに座る。
向かいの席にはハタチ前後のお肌ピチピチの二人連れが女性が座っていた。
本を読んでいると、突然

キャッキャと彼女たち。

わっ、気持ち悪い!

長い手足をバタバタ。

大騒ぎ。

すし詰め満員ではないけれど、立っている人も何人もいる車内。

その若い女性のキャッキャの声の原因は



でした。

紋白蝶を少し灰色にしたぐらいの蛾です。
ヒラヒラ飛んでいます。

立っているオトナのほうにもいきます。
黙って、避けるだけ。

私のほうに来ても
黙って、避けるだけ。

この地下鉄で、ドアが開いた拍子に出ていく術はないものか、
ないだろうな~、なんて思う。

蛾も、迷い込んだ先がこんな空間で、ほとほとびっくりしているだろうに、

目の前の二人の女性の騒ぎ具合に

ウンザリ

でした。

攻撃されるわけでもないのに、
怖がっているのは、蛾 のほうなのに。

彼女たちと自分との距離の遠さに、唖然としました。

そうか、
葉っぱが落ちても笑い転げる年頃
って表現もあったけど、その類かしら、
とも考えたけれど、
微妙に違いそう。

あの嬌声には、ウンザリでした。
私の中に旅の疲れが溜っていたからでしょうか。


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ガーデニングも着々。笑

2015-10-15 10:28:14 | 庭 10月
ガーデニングを初めて4回目の秋です。
園芸店へいって、花苗コーナーを巡回はするのですが、この秋はまだケース買いはしていません。
これまでは、サクサクとケース買い(4×7=28ポット入り)したものです。

この秋買った花はほぼ多年草です。長く育てられたらいいのに。←そんなにうまくいったら苗屋さん泣かせですね。笑

①コレオプシス ウリドリームの2色。オオキンケイギク(大金鶏菊)の仲間だそうです。



②ユーフォルビア ダイアモンドフロスト(白い細かい花)
③ネメシア メロウ 2色


④プルンパーゴ(水色の花です)
写真は後日


バラは私のパワーの栽培限界に来ていそうなので、食指を収めています(苦笑)。
つるバラが大いに繁茂して、嬉しいのですが~~。
で、挿し木の世話を焼いています。


ご近所さんが、この5月にウチのバラ庭の影響で一念発起!
まったくの初心者から、「バラ買い中毒」になられたのです。
ご本人の弁では、バラの魅力に狂った、と。うっふふ
で、彼女の庭に咲いた、ウチにないバラの枝の数種類を挿し木用に提供してもらっているというわけです。

昨秋にご近所から苗をもらったワスレナグサ、わが庭のいたるところに成育中。
お花好きさんのあちこちに配布しています。


小菊の開花。
去年の晩秋、小菊2色購入しました。
春先に生き残っていた新芽を挿し木して、ようやく開花にこぎつけました。
親株よりも溌剌としています。



菊はウチの庭ではこれが最初だったのですが、友人が挿し木用をくれたので、種類の違ういくつかも、蕾をつけ始めてスタンバイしてきました。
(挿し木苗の捨身のバックに写っています)


■秋色で開花中のバラも見てください。

ジュプレデュプリンスモナコ  シングルで。




プリンセスアイコ  ツインで。 



スーブニールドアンネフランク  トリプルで。













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