日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

介護の話  その後

2006-11-30 15:50:30 | 私の雑感あれこれ
件の介護申請の結果が届きました。要介護1。
福祉行政予算の増大を防ぐためにも認定がシビアになってきていると聞いていたので、気にはなっていたけれど、ケアマネージャーさんがついてくださるケースになったので、一安心です。
さて、施設について、以前に書いたAを希望することになるのですが、入居待ちが多い、というか、出入りがないので、順番待ちしていても、前に進まない状態の気配。
「空きが出るまで自宅で待つ」ということを考えられてはいかがですか、との返答。
施設探しに奔走し、本人も施設入所に気持ちを決めていたところだから、「うーん」、また、選択肢の方向を調整する必要が出てきました。

自宅で暮らすとなると、改修の必要も出てきます。
一人暮らしの家事から解放されると、こころ積りした本人の心の内をもう一度戻さなければならない。たとえ、3食は宅配に頼るとしても、気持ちが違うハズだ。

現在入院中。
退院、即施設入所、よりも自宅待機して支援を受けながら一人暮らしをしたほうが、体力も回復も進み、今後Aレベルの施設に入るためにはよい、との専門家の考え方。
何でもしてもらえる病院暮らしは、自立にはマイナスとの共通認識みたいです。

高齢者福祉の方々の話を聞きながら、てきぱきとこなしていらっしゃる皆さんに頭が下がるおもいです。

そして思うのです。
介護保険制度ができて、随分住みよくなったものだと。
①介護の必要度合いが第三者の目で測ってもらえること。
②自立支援の方針が貫かれており、必要に応じて専門家の手を借りられること。
③身分による介護を強要されないこと。

③番が問題なのですよね(笑い)。
家族なのだから、助け合うのは当然なのだけれど、それが、あなたの「身分」だから、そういわれると、やだなー、と思う人が多かったのではないですか。

第三者が、いろんなケースを知っているプロの方が、高齢者介護に関わってくださるということになって、世の中の仕組み随分よくなったのではないですか。
え?
違う?
私、脳天気?
自分自身が、自立して生きて行くと、絡んだ紐も解けるように、世の中そうなってきていると、今の私は思っています。
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ついでに、もう一回「お昼ご飯」

2006-11-29 16:52:25 | 子育ての周辺
自分のお昼ご飯ではないのに、同じテーマでもう一回。

あの頃は、息子は「ミニ四駆」に夢中でした。いつも何かに熱中しながら育っていった、そんなタイプだから、わかり易い育ち方でした。
週刊誌「少年ジャンプ」だかなんだかで、デパートで開催される大会に応募していたらしく、抽選にあたったとかで、ワクワク頼み込んできました。
「お母さん、おにぎりを作って」と。
小学生の息子は自分だけで食堂に入ったことも当然ありません。
だから、外でのお昼=お弁当、だったのです。
興味のあることに熱中するタイプだから、喜び勇んでいる息子には、一人で地下鉄を乗り継いでのデパート行きも、止めるどころではありません。
私?
おにぎりを作って持たせました。
ミニ四駆のレース模様も当然語ってくれました。
だけれど、覚えているのは、
デパートの屋上への階段のところで、一人おにぎりを食べたと、なんのわだかまりもなく話してくれたこと。(だから、本人は覚えていないでしょうね)
「だって、お母さん、食堂へ子供が一人ではいるのダメでしょう」
「ウン、ウン、そうだね」
と答えながらも、包み紙を開いて、おにぎりをほおばっている小柄な小学6年生を想像すると、笑えて来ました。
息子の本棚の上には、大切に、大切に、その自慢のミニ四駆が飾ってあったのは、言うまでもありません。
息子にはミニ四駆の話ですが、私には、デパートの階段で食べたおにぎりのエピソードです(笑い)。

余禄:後日、息子大学生の時。同じ時期に子供時代を過した、同好の仲間と語り合ったのでしょうか、宅急便で下宿先に送りました(笑い)。息子曰く。「あのころ、タイヤが年月でつぶれると嫌だから、木のブロックで車の胴体を支え、タイヤを浮かして飾っていたのだと…。
なんと、細かい!マニヤってそこまで愛玩するものなのですね。
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こんな「お昼ご飯」

2006-11-29 07:46:01 | 子育ての周辺
朝、車で出勤する。その冬の朝、冬期講習の中学3年の娘と家を出る時間が重なった。
家から出て最初の信号が赤。信号待ちしていると、横断歩道を自転車で娘が横切ろうとした。
そのとたん、朝方の冷え込みで路面凍結した段差で、自転車ごと転倒。
「あっ!」
娘は、さっと自転車を起こし、信号が変わらないうちに横断歩道を渡りきった。
「やれやれ」
彼女は冬休みに入って、一日中学習塾の2週間である。
年末も近いから、半分は過ぎたのだろう。
昨日、娘から聞いた話で気が重い。
「あなたがお昼ごはんを食べに自宅に帰っても、お母さんが仕事で、一人で食べることになるのだから、お弁当を持っていったら?」
「ううん、家に帰って食べるから、いいの」
「他のみんなはどうしているの?」
「…みんなは、お弁当だよ」
「そうでしょう。寒い中、いちいち自転車で戻ることはないって…」
と、いったその返事。
「みんなは、集まってお弁当を食べているけれど、私は、『忘れ物したから、家に取りに帰る』っていって、毎日、お昼に戻ってきているの」
年中塾通いしている仲間と、冬期講習だけに参加している我が娘。
「はっ!」です。
「私も一緒に」といえなくて、「あなたもこっちにおいで」と言ってもらえなくて、そのお昼時間の間がいたたまれないから、そ知らぬ振りして、自宅へ毎日帰っていたのだと、判りました。
朝お母さんが作ったお弁当を、自宅で一人食べる切なさよりも、お昼休みの学習塾で一人過ごすことが辛い気持ち。
-わかります。
そして、この朝。
凍結した横断歩道で転んでも、あわてて自転車を引き起こして、塾へ向かった娘の姿。
-見ているしかありません。
お昼時間には、またこの横断歩道を横切るのでしょう。
真冬の道の行ったり来たり。
居心地の良くない教室にいるよりも、行ったり来たりを選択している彼女。
-見ているしかありませんでした。

ちなみに、春は来ました。
寒い冬の経験も、本人のどこかで血肉となっていることと思います。

テレビでは、大人たちが、教育関係者が、親たちが「いじめ」「いじめ」と連呼をしています。
「いじめ」は、どこにでも転がっていて、誰もが救助者になる機会があります。
そして、いじめられたり、いじめたりの経験をしたことが、その辛さを理解できるから、救助者になれるのではないでしょうか。
だからといって、救助者になれるのは、「いじめ」に気づいたから、即、誰でもが、なれるわけではありません。
一声かけて欲しいのに、一声で助かるのに、見ているだけの立場って言うのもあるのです。
不思議ですね。
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昨日京都、八坂神社で

2006-11-26 09:22:20 | 私の雑感あれこれ
昨日友引。紅葉の季節。
京都八坂神社で、思わぬ体験をしました。
京都で暮らす姪の結婚式。
3時からの式の前に、少し早めの集合し、花嫁、花婿の後に各一列に後に続いてくださいと説明。
何のことか、特に気にせずその通りにしていたら、
あっ!
外の砂利道を本殿まで列を成して歩くのです。
白無垢の花嫁と、差しかけられた真っ赤な唐傘に、大勢の観光客は花嫁行列のために道を開け、両側からカメラの目がこっちを見ている。
なんと、なんと、テレビで見たことがないではないが、衆目の中をこんな風にして自分が歩いているなんで、思わぬびっくりです。
私の前を行く結婚式不要派の夫はどう思っているだろう、思わぬ付き合いをすることになって腐っているのではないだろうか、気になって仕方がない。
花婿花嫁に連なる近親縁者の皆さんは地方から来た人が殆ど。
これからしばらくは、紅葉観光に神社を訪れた観光客の中を歩いた話題を何度も何度も語るのでしょうね。
まったく思いもしなかった体験でした。

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「・・・口で意地悪するの」

2006-11-24 08:10:45 | 私の雑感あれこれ
ピカピカの一年生の娘は、小さな声でそういった。
「そう、困ったわね」と、答えたものの、困ったのは私もだった。

働き始めのその当時、学童保育見学に出かけたら、普段おとなしい娘は、黙って話を聞きながら、私の身体に身をピタッとつけていた。
そして、「あっ!」。
私の腕時計をはずして、放り投げたのです。
びっくり、!
バツの悪い思いで時計を拾いながら、ここに預けられることを彼女は精一杯拒絶しているのだと、私は理解しました。だから、それから後の話は、消化試合のようなものでした。
はたと困って、ご近所の専業主婦の方に帰宅後の世話を頼みました。
あー、助かったと、思った矢先、その話も破談。
ご主人の転勤で3月末で引越しになったのです。
またまた困った。
そこで、幼稚園の通園仲間のお母さんに最後のお願い、となったわけです。

そうこうして、どうにかピカピカの一年生になった娘。
ある日、仕事場に電話がかかってきました。
「○ちゃん、『どうしても自分の家に帰る!』っていうので、今日はお宅の玄関先にシートをひいて、自分の娘と一緒にマックのハンバーガーを食べさせたわ」と。
彼女も困っている様子。遠足気分で楽しくなってくれたらとの配慮。

「ありがとう、ありがとう、迷惑かけたね、助かった」
そういって、早めに仕事場から帰ってきて、「お母さんが帰ってきたから、○ちゃん家でも遊んでいってね」と、二人で遊ばせる。
その幼稚園友達が帰ってから、我が娘が語った、その日の顛末。娘の口から出た言葉が、表題の台詞。
なんと、子供に良かれと、寂しくないようにとの気遣いだったのに、我が娘は、逃げだしたかったのです。
母ですもの、一瞬にいろんなことが頭の中を巡ります。
だけれど…、だからといって、明日も仕事です。
結果として、下校時の通学路途中までの親のお迎えが必要な期間が過ぎると、娘の鍵っ子生活が始まったわけです。

女子高生の自殺のテレビのニュースで「口でいじめられた…」というような台詞が耳に入ったものだから、小さなトゲのようなエピソードだけれど、ちょっと引っ張り出してみました。そのときは窮地に陥った気分でしたが、小さなトゲでしたから、何とか解決策探して乗り切りました。

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立ち話から。

2006-11-21 17:45:26 | 私の雑感あれこれ
夕暮れ時、バスを降りて、もうすぐ自宅というところで、ご近所さんに出会い、挨拶。
80歳ぐらいのご年配。ゆっくりとしたO脚気味の歩き方に、つい自分の母を思い出して、「膝が痛いのですか」と、声をかける。

「いやー、私はビッコなのです。左足が右よりこれほど短いのです」と、5センチほどの長さを指で示す。
「あっ、ごめんなさいね。知らなかった。自分の母親が膝がもっと、もっとO脚になってしまって、痛いといっているもので…」と、少しバツが悪い。
「私はね、戦争中に焼夷弾に左足の膝をやられて…。みんなが、そろそろ防空壕から出ようといって、最後に出た私に弾が当たったの」
なんと、思わぬ話を聞いてしまいました。
その時19歳。
松葉杖になってしまって、膝が曲がらず、もう結婚もできないとまで思って…。
でも、命が助かってよかったわね。
さぁ、命が助かったのが良かったのかどうか。
-返す言葉がない。

回復して、松葉杖をつかなくても良くなっても、若いときはビッコが嫌でね、片足を爪先立ちで歩くようにして、無理をしていたわね、と微笑う(わらう)。
無意識に爪先立ちをしなくなったせいもあって、年とともに足の長さの違いは目立つように、なったという。
そんなことを知らずに、ゆっくりの歩行を、膝痛と勘違いした私。
3年ほど前から、保険で靴底矯正の靴を作ってもらえるようになったとのこと。
それまでは、戦争での被害者だけれど、補償の対象にはならず、負傷した人個人の問題のままだったという。今も保険で矯正靴底を作れるのは1年半に1足という限定があるとのこと。
「新しい靴で靴底補正をすればよかったのに、以前から使っていた靴でしたものだから、ほらこんなになって」とほころびそうなつま先を指で示して、色を塗ったりして、ごまかしているのと、微笑う。
もう80歳は超えている彼女の話です。
カンボジアなどの、地雷被害者の話は聞くけれど、貧しかった日本も、戦争で被害にあった民間人は、ずっと置き去りにされていたのだと、そんなことをはじめて知った夕暮れ時でした。

※ 「ビッコ」は、表記禁止語かもしれないけれど、19歳で負傷したときから、彼女が背負ってきた自分自身のこととして、自分の口から語っていることなので、そのままにしました。
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金融機関で。

2006-11-18 14:03:12 | 私の雑感あれこれ
「銀行の倒産もアリ」の情勢から少し変化して、金利も少しずつ上がり始めたのでしょうか。
それでも、ほぼ塩漬け状態のようなものですから、先日、ちょっと運用してみようと手続きしました(聞き耳を立てる程の代物ではありません)。
金融機関で、沢山の書類が次々と提示され、立て板に水のごとくの説明が続きます。
すごいなー、他行より少しでも勧誘に有利なように、へー、大元ではグローバルにつながっているのか、そんなことを思いながら、聞いていました。
期間や金額、利率、変動リスク、どれも微妙に異なって、さぁどうぞと、これらが「商品」なのですね。
誰が考えているのだろう。誰のお金かわからないけれど、割り当てらて運用に励んでいる人がいるから、結果として窓口の私たちに利息というプラスが発生するわけです。彼らの賃金もその運用益の中から支払われる訳です。
昨日までは書類の不足につっけんどんだったのに、今日は始終にこやか。最上級の丁寧語を駆使して、お客の満足度アップに必死です。
けれども、不思議だなとも思う。
「金融資産」「紙幣」は、人の扱い方をこんなにも扱いを変えるけれど、目の前にいるのが猫だったら、見向きもしないで、鰹節のところに行くだろうな。
私も確かにヒトの仲間なのですが、長引く手続きの途中の待ち時間に、ふとそんなことが頭をよぎりました。
小一時間、「有利です」「利率は…」と語られ責めでは、ちょっと頭の体操をしないと、変になります。
銀行をはじめ、仕事熱心な日本には、気分転換の頭の体操をする必要のヒトが、あちこちにいるように思うのですが、それは帰りにデパートへ立ち寄ったせいでしょうか。
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頻繁に自殺のニュースを見聞きして

2006-11-15 23:44:42 | 私の雑感あれこれ
自殺のニュースが新聞やテレビにしばしば登場します。
いじめによる自殺予告も出て、教育関係者は戦々恐々です。
それなりに長く生きてきたので、自殺したと聞こえてきた話を幾つも記憶しています。
青年期の息子だったり、子供を残して若いお嫁さんだったり、子育てが済んだお父さんだったり。
私の暮らしているところからではなく、母からの電話の中での話が殆どだから、18歳で故郷を離れている私には、亡くなった人の面影が、ぼんやり記憶にあるかどうかの知り合い程度なのだけれど、時代を追って思い出してみると、生き辛さって言うものが、結構、あちこちに点在しているのだな、なんて思ったりする。
死んでしまった人に、もう声はかけられないのは判っているのだけれど、何で、そんな選択をしなくてはならなかったのか、ちょっと横に逃げて、目の前の悩みをかわせなかったのか、その一瞬はどんな思いなのか、そんなことを考えている自分がいる。

鉄道が近いので、鉄道自殺もいくつか知っている。
「『いない』『姿が見えない』そういって、みんなで探したらね、朝、嫁さんが履いていたズボンが線路脇に…、お父さんも(母は90歳のおばあちゃん。だから同居の兄のことをこういう風に呼ぶ)箸で粉々になった遺体を拾ってね…、」という話も聞いたことがある。
また、そんな経験を、と私は思う。兄の同級生が列車から落ちて死んだときも、割り箸で散り々々になった肉片を拾ったという、かつての話を思い出す。
実家に帰ったときに、敢えて話題にすることもないけれど、なかなか出くわすことのない体験をやっているのだな、と思ったりもする。
新聞に掲載されたかどうか知らない。母が伝えてくれる話は、小さな田舎町の辛く悲しい本当の話。

長年生きていると、いろんな体験や見聞きしたことが蓄積されていく。
テレビの全国ニュースで流れる話のほかにも、届かない悲鳴をあげて命を絶った人たちがいることを、ニュースを聞く都度に思い起こす癖があるものだから、若い職業アナウンサーが伝える口ぶりに、距離を感じたりするが、経験は一人ひとり違うから、これは仕方がないことなのだろう。

画面に向かって、語っている「死ぬことはない。方法はあるハズ」と。
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身近で聞いた、高校の先生の話。

2006-11-13 22:49:14 | 私の雑感あれこれ
朝から会議は引き続いていた。
午後、ブロックごとの話し合いのあと、その人はどんな流れで、その話を始めたかは記憶にありません。
その方は高校教師とのこと。
教え子の高校生たちとネパールに学校を作ったときの体験を訥々と語ってくださいました(○○という名前で活動しておられたとのこと、但し名前は失念)。
高校教師の蓄えが原資だから、潤沢な資金とはいえず(と、謙遜しておられましたが)、基礎作りは村人の人力奉仕に支えられ学校は完成したとのこと。
さて、完成祝いの挨拶の場。
日本からネパールに学校をつくりに来て、今それが完成したと思っていた。
ところが、村長の挨拶では、村が作り、日本人が助けてくれたとの内容。
「えっ!どうして?」と、思ったそうです。
でも、考え直してみると、充分すぎるほどの資金があったわけではなく、石材その他、村民の尽力があったのは確かだし…。
モヤモヤとした気持ちもないではなかったけれど、しばらくすると、そんなことはどうでもよい。学校ができたことは事実。それでよい。そんな気持ちになったそうです。
そのうちにPTAのような組織ができ、就学していない子供へ、通学を呼びかけたり、学校を中心とした村人の結束が高まって行く様子をひしひしと実感できたとの話でした。
連れて行った高校生たちも、ネパールの村での学校建設の有様を体験したわけで、その何人かは大学進学で各地に居を移した今も、それぞれが○○の支部を立ち上げ、それぞれ関心を持ち続けてくれているとの話でした。

その会議に集まった人たちは、アジアにより健康的な暮らしをという目的を同じくする仲間、その教師の方が訥々と語られる内容に耳を済ませました。学校づくりをするという話は、本でも新聞でも、見聞きしないわけではありません。だけれど、すぐ目の前のテーブルのその人が、そう思うと、ちょこっと血が騒ぎました(苦笑)。
そのサークルの発起人の方も、ネパールの医療事情の後進性に何とかならないものかと、事業を立ち上げられた方。
一朝一夕にどうこうなるものではないけれど、志が同じとは言わないまでも、関わっていたいといという点ではつながっている。そんな皆さんの話を身近に聞くだけで、ただそれだけのことなのに、すこし血が騒ぐ、おかしい私です。
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彼女は「不器用な人」と表現する。

2006-11-13 13:13:12 | 
うーん、そうなんだね。
「不器用な人」か。

「なんか、下手だね、不器用なんだね。人が嫌がる言葉をいって、いいことないのに」
「だけれど、その言葉を言わないと気がすまない、のだろうね」
「まったく、不器用!」

意地悪と責めるのでもなく、狭量や吝嗇と決め付けるのでもなく、ちょっと距離をおいて、「不器用な人」。
なんて上手い言い方なのだろう。

彼女は、人を責めない。
自分の中の世界を持っている人。
迷いもしたし、悩みもした。
目の前にいて、あれこれ話し込みながらも、私が抱えられる課題の総量を量りながら、言葉を選んでいるような気がする。

ふーん。
「そういう言い方しかできない人は不器用な人」と捉えると、カチッと来ても、一呼吸置けるんだろうね。
つまらない諍いなんて、できればする必要はない。
「賢い人は、そこんところ上手く距離を置くんだよ」とも。
その間が置けなくて、一瞬にカチッと来てしまう私ですが、精進、精進。

でも、思う。
人が自分に理不尽にぶつかってきた時に、そんな風に距離をおけるためには、自分自身が、自分の足でしっかり立っている必要がある、と。

何が大事か。
茨木のり子さんの詩の文句ではないけれど、
「寄りかからないで」
「自分感受性ぐらい…」

その詩の中のフレーズ「愚か者よ」と自分に。
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