日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

職場の昼ごはんと炭水化物

2006-08-31 08:14:13 | 私の雑感あれこれ
ダイエットをしています。
というか、5月下旬から1ヶ月張り切りました。
で、4キロ減。但し、ダイエット食品がよかったというより、ダイエット食品会社の指示通り、1日1200キロカロリーにカロリーを意識した生活をしたことが大きいのでしょう。
その後、停滞状態。
そこで趣向を変えました。
9品目をしっかり、満足いく程度に食べる。
炭水化物は極力摂らない。
果物もダメらしいのですが、これは私的にはOKにしています。
味覚の秋には勝てません(笑い)。

そこで、思うのです。
昼食メニューのなんと炭水化物の割合の多いこと!
外食しても、お弁当を買っても、サンドイッチにしても、炭水化物、炭水化物、炭水化物です。
炭水化物は、すぐにエネルギーに変ってくれるというし、それ以外の食材よりも低廉なのでしょう。
ラーメン屋さんで具のみ、天丼屋さんでてんぷらのみ、って訳に行かないので、弁当を買ってきて、ご飯を断ったり、残したりして、ここ1週間。

自分で弁当を作ることにします。
それを昨日からはじめたところです。
9品目は①~⑨です。
①肉  
②魚  …おつまみ用の味付け小魚でもいい。
③卵
④豆  …味噌汁の味噌もOK
⑤油
⑥野菜
⑦海草 …ないときは酢昆布などが簡便
⑧貝  …佃煮は味が濃いから、これを取り揃えるのは苦戦しそうです。
⑨乳製品…家ではヨーグルト、お昼はスモークチーズでOK

小さいおかず入れに入れて持参した今日のお昼食。足りなかったのは「貝」1品でした。

そして、少しですが運動もプラスしています。

エネルギーは、食物の炭水化物からではなく、体の脂肪を燃やして使うという考え方だそうです。

かつては、肉体労働がほとんどだったから、ご飯など炭水化物主体の食事が、すぐにエネルギーとして役立ったのでしょうね。

座職の今、つい食べ続けてきたから、蓄積がいっぱい。
理屈はわかるのですが、あぁ、ラーメンが美味しそうに見える(笑)。






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中国の旅、彼女の感性

2006-08-29 21:59:32 | 子育ての周辺
数年前、二女が中国雲南省への一人旅から帰って、出来上がってきた旅の写真を見ながら語ってくれた話の中から、ひとつ二つ。

小学校3,4年の子供たちが4人、女の子が3人と男の子が一人写っている写真が数枚。
着ている服が垢光りしたところもあり、日本の子ではないとはわかる。でもカメラに向かって笑っている笑顔を見ると、「どこの子供も一緒だね」と声をかけたくなるほど屈託がない。
そのうちの1枚。
「よい景色のところへ案内するって、この子らが私を連れて行ってくれたの」…写真の背景には見事な雪山が写っている。
「そのお礼にって、旅の途中でもらったぬいぐるみ1つをあげたらね、女の子たちがなにやらジャンケンしてたの。誰のものにするか決めているのかと思ったら、そうではなくて、一晩交代にするので、その順番を決めるジャンケンだった」
「それでね、この男の子が私に言うの。『せっかく貰ったものを容易に人にあげてはいけないよ』って」
…彼なりに考えた理屈です。
本当は自分もジャンケンに加わりたいのに、男の子である自分としては、ちょっと気まずくて、あげるのをやめればいいジャン、なんて考えるところ、その少年の気持ち、納得、納得です。
娘と子供たちは中国語。
その場にいても私にはちっともわからない会話だろうけれど、解説されると、その心理、わかる判る、同じだな、と思った一コマの話です。

そして、場所は変わって、もうひとつの話。
青いジャージー姿の中学生と娘が一緒に写っている。
この後ろに写っているいるのが彼女の家。古材で作った小屋のような家です。
向こうて゜働いているのがお母さん。いつも畑仕事をしているから、日焼けして年取って見えるけれど…。
娘は南京の大学に留学している日本人の大学生。広い国中国では南京は遠くにある大都会です。雲南省の田舎の畑作家庭の中学生は、日本という国からやってきた少し年上のお姉さんである娘に、叶うかどうか判らない向学心を語ったのでしょうか。
「別れ際にね、あなたと会った印に、なにかプレゼントを残したいのだけれど、今私は、プレゼントできるようなものを持つていないの。もし、失礼にならなければ」と断って、紙幣1枚を渡してきたのだと。
文化が異なり、生活レベルの違う国で、彼女と話すことで満たされた気分の印を残したかったのでしよう。

いつの旅でも、彼女ならではの話題を語ってくれます。
この娘、海外に行くとのびのびするタイプらしいです(笑い)。
そこに小学校があれば教室の子供たちを訪ねもするし、村の結婚式にも急遽列席したり、アジアの文化を研究しているならばと村人から火葬の場にも呼ばれたり、旅の話を聞きながら、親の知らない一面の持ち主だと判ってびっくりでした。

一人海外旅行が、ちょっぴり不安な私が、「一緒にどう?」と誘うと、「お母さんと一緒だと、海外に行った気がしない。いつもそばにお母さんの顔があって、日本語話すことになるから」
「うーん、……。」

初めて大学1年の春休みに、一人でアメリカ行きの飛行機に乗るとき、「日本円を片付けていいよ」というと「機内でお腹すいたとき、お弁当買わなくてはならないから…」なんて言っていたのに、あっという間に様変わり。

出かけた旅先の一コマ、一コマを語ってもらった中から、いま頭に浮かんだ話です。
いつも一人旅で、こちらは無事の帰りを待つばかりなのですけれど。



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町長選挙の話   その2

2006-08-28 07:14:37 | 社会問題
昨日は7月14日の私のブログ記事に書いていた町長選挙でした。
結果は、新人候補の勝利。
その差は100票。
4年前の選挙では300票差で現町長の再選となり、箱物建設がGOとなってしまったのですが、その結果多大な負債と今後の維持費発生が明らかになったことから、薄氷ながら逆転劇につながったのでしょうか(前回の候補者とは別の人物ですが)。
「透明性を第1に、分かりやすい町づくりを進めたい。町財政が厳しいので、町長の給与を30パーセントカットし、収入役を廃止する」と、今朝の朝日朝刊にもあります。
現職は無所属ながら、自民・公明・民主が支持でした。小さな町ですが、政党が支持したほうが負けるというのは、滋賀県知事選挙に似ているのでしょうか。
赤字財政を引き継ぐことになるから、マイナスからのスタートみたいですが、住みよい町になるための前向きな姿勢に変ったのだと、信じたいものです。

自民・公明・民主。いずれも政党として影響力と住民の意思とは別物ということの表れということでしょうか。

9月には自民党総裁選、そして時期を置かずに国会で新首相の選出がありそうす。
自民・公明・民主。国民の支持派A氏が圧倒的とマスコミは報道していますが、支持者がいない人が2番目に多い。私はこの2番目に属する部類なので、気分はいまいちです。
だからといって、第2党である民主党代表は、どうしても以前の自民党保守派のイメージが強い。
そんな人を代表に置くことをよしとしている地元民主党議員さんの意見を聞きたいなと思っても、聞くことはできない。
   ↑
質問などしてもいいということで、現在、地元議員さんのメールによるレター配信を受けてみたのですが、質問への回答などなくて、本人自身の満足感あふれる活動報告と平易なアンケートです。
あーあ。
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子育て覚書 

2006-08-27 10:07:37 | 子育ての周辺
今日から1週間、「釣りバカ」ならぬ、「親バカ」シリーズです。
昨日に続いて、くどい!と思われる方は、パスしてください(笑い)。

あんな時があったのだろうか。
確かに、そうだった。
高校3年になる長男の秋の文化祭。

それは5月ころだったろうか。
食事をしながら、
「秋の文化祭で、主役級の役をすることになった。ピアノを弾く役でね…」
「えっ、そんなに大きい役?」
「僕が決めたのだから、何も文句を言ってほしくない」
-小学校の時から、目立つことが嫌いだったのに、よりにもよって、受験前のこのときに台詞の多い主役級…ー
母親の私の心のうちは、不安がムクムク。
「この話題は、家では一切しないからね」
長男の剣幕で、話はストップ。

夏休みが過ぎて、秋。
多分、あの話は進行しているのだろうとは思うものの、情報は一切なし。
同じ高校に通っている中学時代の同級生のお母さんに電話で聞いたら、文化祭の日程ぐらいはわかるかもしれない。
まったく、親バカで、漸く聞き込んだ日程の日に息子の高校へ。

舞台のある体育館。
受付でもらったプログラムを手に暗がりの中、一脚のパイプ椅子に腰を下ろす。
件の劇の番。
舞台上には誰もいない。
突然、脇の通路(なんというのか、2階席の高さの窓際通路)から台詞が聞こえスポットライトが、長い台詞を語っているのが…、
小学校のときにジャンケンで台詞の少ない役を奪い合っていた息子です。
そして、舞台中央に登場して、ライトを浴びて、ここでも滔々と長台詞を…。
小学校のときにジャンケンで台詞の少ない役を奪い合っていた息子です。

初めて話題にしたときの、私の反応を察してから、ずっと話題を避けていたから、衣装を見るのも初めてです。
これをやりぬきたかったから、発声練習の素振りも一切見せずに、彼はこの日を迎えている。家族(母)が見に来ていることも、当然知らない。
そういえば、映画「いまを生きる」が大好きだと、何回も見ていた。
思春期、映画の中の高校生に共感するものがあったのだろう。
内気な法律家の息子○○が主役じゃない?と言っていたこともある。
映画の中でも、親に反対されながら、シェークスピア劇に夢中になっている高校生チャップ(?)がいた。
今は、あの演劇青年に自分を投影しているのだろうか。

そんなことをあれこれ思い巡らしながらの時間だった。

全国の高校で、毎年あるであろう文化祭。
いろんな演劇が、今年も上演されるのでしょう。
どこの家庭にでもある、ひとつの通過点なのでしょうけれど、自分だけでは味わえない、子育てをしていたからこそ味わえた1シーンです。

その後も、ずっと話題にしていません。
家族で観客としてみたのは私だけ。
本当に見たのは確かなのですが、だんだんぼやけてしまいそうで、ここに記して残します。

もし、ここまで読んでくださったとしたら、親バカの話として、ご笑納ください。
ピアノ?
舞台では弾きませんでした。
隣室から曲が流れてくるという設定になっていたようで…。

そういえば先日ドライブ中、FMから聞き覚えのある曲が流れてきました。
ほら、この曲、食事の準備をしながら、いつも聞いていた。
リビングダイニングにピアノがある我が家では、練習の音がモロに聞こえるのです。
ベートーベンの「テンペスト
自分が弾いていた訳ではないのに、なぜか子供たちがピアノに向かっていたころが思い浮かぶのです。
クーラーのない部屋で、ご近所迷惑だから窓を閉め切って。
子供には背中に扇風機の風。
私?。
台所の熱気、暑つかったー。
これも、子育ての置き土産です。








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風は9月に向かって・・・

2006-08-26 16:01:16 | 子育ての周辺
日差しは強くても、窓から入る風は確かに幾分涼しくて、耳を澄ませば虫の声も聞こえるようです。
「お母さん、うちの子たちってね、お母さんを喜ばせたいんだよ」
少し前、長女が電話で言っていました。
小さいときから「お利口さん」をやり続けて、多分くたびれた筈の子供たちなのに、期待に応えようとする癖が染み付いているのだろうか。
 ……。
引き出しには結婚式の案内状が入っています。
「式はしない」といって、結婚届出を出した長女に続いて、二人目の子供(長男)の結婚式です。
飛行機で出席する距離だということが、心さびしくて、ダダをこねていました。
社会人になって間もない息子と、社会人10年近いお相手とでは、本当にいいのか、と、よく知りもしないで、勝手に戸惑っていました。
でも、それはお母さんの詮索することではないはずでしょ。
家族にそういわれて、この件では、ひとりぼっちの1年半でした。

「お母さん、うちの子たちってね、お母さんを喜ばせたいんだよ」
知恵者の長女が、くよくよしている私を十二分に知っての上で、そう言うのだから、今この状態で、悲しんでいるのは長男なのだと察するべきなのです。

「気になることがあると、子供のことって、頭から離れないよね」
「そう、お茶碗洗っていても、そのこと考えているもの…」
友人と、そんな会話をしたことがあります。

ブログをはじめて、もうすぐ1年半。
ありがとうと、何度言っても言い切れないくらい、楽しい思い出を残していってくれた子供たちなのに、その幸いが災いして、我が儘になっているのかもしれません。

親ばかの話です。
まだ歩みだした卵ですが、よいお医者さんに育つと思います。
毎晩、翌日の準備や勉強で帰宅が遅いらしいですが、体を壊さない限り、努力するタイプ(父親ゆずり)ですから。

飛行機の切符がまだ届いていませんが、来月飛行機で出かけます。




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・・・そういうことだったのですか。

2006-08-25 08:13:02 | 私の雑感あれこれ
ある編集ボランティアでのこと。
「どうしたら、手にした人が読みたい文章になるか」
「表現がまどろっこしくて、興味が失せるのではないか」
「でも、現地で仕事をしてきた人は、きちんと伝えるべきだと考えるから、つい全体説明的になって…」
私が加入してから日が浅いけれど、いつも、いつも挙がってくる課題。

「冊子完成後に、執筆者と担当編集者が、該当記事ができあがるまでの感想コメントを、表にして残したらどうですか。
漠然と問題を話題にして時間をつぶすより、どこに改善点があるか(第1原稿が遅い、とか、相互連絡が取れなかったとか)、快く仕事ができたとか、後に残り、次の参考になるではないですか」

ということを話したのだけれど、全員から、やんわりと総スカン。
「(本業の)仕事でも細かくチェックされたりして、人間関係がギクシャクしがちなのに、ボランテイァでまで評価されたくない」
「一生懸命することもあれば、時には手を抜くこともあり、それぞれだから、そこまでは…」
「いままでも、反省会の発言として文章に残してあるから、これまでどおりで…」

「う?」
-私的には、事務的な文章なので、いまいち興が載らなくてゴメン-
-忙しくて、執筆者とのやり取り回数が1度だけでした-
-予定字数の数倍の原稿を「あとは適当にお任せ!」って渡されて、編集担当が枠に収めたところで、執筆者から不満の声が出て―
なんていう、マイナスコメントがあっても、今後の貴重な資料になるのに、と思うのだけれど、皆さんの感想としては、それがマイナスの人事評価のイメージとなるようで、いやだというのです。
「そこまでして、人間関係が気まずくなりたくない」らしいのです。

私の感想?
おんなじ反省を繰り返したくないな。
おんなじ反省が繰り返されるのであれば、何故そうなるのか、原因を見つけて解消したらいいのに…。

実際の問題となると…
…そういうものだったのですね。

幸いにして、私は少人数の信頼できる職場にいるものですから、咄嗟に気づかない感覚でした。
こうしたら改善できる、こうしたら漏れることなく作業内容が一覧できる、パソコンが職場に入ったことで記録を残すことがずいぶん役に立っている昨今だと思っていたけれど、評される立場にいる人たちとは微妙に受け取り方が違っていたことに気づきました。

私的には、かかわるからには楽しみたい、魅力的なものにしたい、せめて自分の担当の部分だけでも、いいものに…、なんて思っている。
…けれど。
ほかのメンバーも同じように前向きのはずです(ほぼ毎週、夜間7時から11時近くまでかかっているのですから)。

だのに、微妙な違い…、こんなものなのですね。
だから、きっと、昨夜やり取りされた、文頭のような反省的感想、問題点の指摘がこれからも続くのでしょう。

そういうことを学習した一晩でした。


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これが田舎時間?

2006-08-22 13:57:17 | 私の雑感あれこれ
里帰りの帰路は、久しぶりに汽車で帰った。
駅舎正面の時計には、「故障中」と書かれた紙片が張ってある。
まぁ、「故障中」、確かに、故障の時はこんな風にしたものだ、と思って、駅舎内の開札の上の時計を見ると、そこも同じく「故障中」。
なんと、まぁ。
早めに着いたからと、冷房中で締め切ってある待合室に入ると、こちらの時計も「故障中」。
3拍子揃ったように、同じ張り紙。
腕時計や携帯電話で時間を知ることを特に必要としないから、誰も不足を言わないのかと、そののどかさが笑えてきた。
そろそろかと腰をあげて、開札を通り、ホームに出ると、そこの時計にも、これまた同じ張り紙。
朝の通勤通学ラッシュも少しはあるだろうに、これでまかり通っていると思うと、不思議にすら思えてきた。
35年以上も昔の高校時代の3年間は、朝6時42分発の始発の汽車に乗るために、時間とにらめっこしていた私。その時は、この町と学校のある市が私の暮らしのすべてだったのに、その後随分といろんなところで暮らしてきた。その私の始点となっている町ののどかさにあきれながらも、懐かしいさを覚えました。
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1週間遅れの里帰り

2006-08-22 07:53:06 | 母のことなど
1週間遅れの里帰りをしてきました。
テレビニュースのお盆時の帰省ラッシュを懐かしく思うようになって、もう10年程。
我が家も、朝暗いうちから準備して、渋滞をものともせず13時間かけて大阪から北陸へと帰省したこともある。車には冷房がないし、布オムツの時代だし、離乳食の気遣いもしていたはずだと思い出すと、そのころの自分の若さまでがくっついて思い出されるからおかしい。
だから、テレビが写している高速道路の車列をみても、子供をあやしている若い夫婦を想像したりする癖がある。

今回は年老いた母に久しぶりに顔を見せるための帰省。あのときに同伴した子供たちは巣立ってしまってもういない。
元気な顔がお土産。子の顔を見たがっているのは親。母が一人留守番をしながら、待っていてくれた。
先週帰省していた娘と、連日話し込んだように、今度は、私が母の聞き役。
聞いたことのある話が半分、でも、また聞く(笑い)。
それでも、ひとつ二つ(いや、みっつかな(笑い))、「あぁ、参った」という話題がある。
そのひとつをここに。
「延命治療をしてほしくないから、書面に書いて残している…」と。
「『延命治療』なんて難しい字、よう書けないのだけれど、日野原さんの本の中に出ているから、それをみて書いたよ」と。
※数年前「生き方上手」という本を贈ったことがあり、今も母の小さな本棚にある
「お医者さん宛と、家族あてに2通書いておいたけれど、離れて暮らすお前ら(私は3人兄弟)にも渡しておいたほうがいいだろうか。

私:意識不明ですぐ治療を断つのでは困るから、2ヶ月経過後にとか、期限も書いたらなんて、言葉を返したけれど、そんな些細なことはいいらしい。

そして、二つ目。
「トイレの世話にはなりたくないから、こんな運動をしているよ」と。
腹ばいになって、膝を曲げて踵でお尻をペタッペタッと、叩いて見せる(母の言うところでは尿漏れ改善効果があるらしい)。
そして、これを続けると、背骨がこわばるから、次は、こうするの。
と、母がして見せたのは、開脚前屈。
なんと!両手を前方に伸ばし、額が床につくのです。
それと、もうひとつ、伸ばした足を抱えて、ゴロンゴロント寝た姿勢から、起き上がり、また寝て、と繰り返す。
母は大正5年生まれです。

体操が好きだったから、とはいうものの、真似した私は、ペタッペタッできず、額が床につかず、ゴロンゴロンとスムーズにいかず、
あれっ、あれっ、という状態でした。

私:多分家族に語っても信じてもらえない気がしたので、カメラ付携帯でパシャッ、と証拠を確保(笑い)。

昨日、戻って早速自宅でやってみました。
そして、今朝も。
90の人と同じ体操をと笑うことなかれ!
ちょっと、踵がお尻にあたるようになりました(笑い)。



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8月15日が過ぎて

2006-08-17 07:47:06 | 社会問題
小泉首相の靖国参拝が取りざたされた日でした。一挙一動を見守るかのようにテレビ局がこぞって中継の画像を流していました。
近隣諸国への配慮より、公約を守ることを選択したわけだし、彼の判断ではそれをよしとするところがあったのでしょう。
そこで、私たちにできることは何か、この国を近隣に伝えるべきことは何か、と思うことがあります。
同じ日の夜にNHKが討論番組をやっていましたね。あんなのがアジアの人たちにも見てもらえればと、思ったり(といいながら、自分はちょこっとしか見ていません)。

昨日の朝日新聞「ひととき」欄の記事のことを書きます。
かつて韓国の友人と交流したとき、韓国の歌「アリラン」を歌ったら、友人はなぜ知っているのかと驚いたと。
1970年代の音楽の教科書に載っていて、音楽の授業で教わったと伝えたら、びっくりしたとの話。
今は日本は韓流ブームですが、韓国では10年ほど前まで、日本文化が入ってくることを強く禁じていましたよね。日本の歌を口にするのもダメ、日本映画の上映もダメという状態。「日帝は悪」の教育の連なりで、国民の間に日本への親近感が沸くのを禁じていた風に理解していました。
そんな状況下で育った人が、いま交流の敷居が低くなって、70年代に自分の国の歌が、日帝と嫌っていた国で、教科書の取り上げられていた事実を知って、その驚きぶりは想像できます。

任期を1ヶ月残した小泉首相の「靖国参拝」も事実だけれど、日本人それぞれの『アリラン』が浸透していて、国民こぞって小泉首相の参拝の意思と同じではないことを、それを伝えること(発信すること)が、今大切なのではないかと思うのです。
そういえば、歴史教科書問題も取りざたの対象ですよね。中国、韓国では、教科書は国定というらしいですね。日本の場合はどの教科も数冊の中から、教師が(各学校が)、選択するというシステム。
正面からぶつかる事を避けることができない場合は、他の方法をも駆使して、私たちのことを理解してもらえないものかと、そう思ったりするわけです。

あー、次の首相への有力候補は、もっと、要注意の気がしています。
「そのようなことは国民に申し上げるべきものではない」らしいのです。
叩かれても、叩かれても自説を通すほうが、まだ国民は判りやすかった、と、そう懐かしむことになるのでしょうか。
これから9月に向けて、国民の支持率○○%と、報道されます。2番目は「支持したい人無し」で、これも30パーセントを超えていましたよね。
この2番目の塊の声にも耳を傾けてもらいたいのだけれど…。
あっ、これは意思統一しているわけでないから、バラバラで塊ではないのかな。

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AHI(アジア保健研修所)の「アジア津浪基金」に関する出張報告を読んで

2006-08-10 11:43:49 | 私の雑感あれこれ
会報の資料として、担当者M.Yさんの13ページに及ぶ報告書が委員宛にメールで届きました。
今日の編集会議までに、ざっと目を通してください…と。

今年もジャワ地震が起きたこともあり、随分以前に思うけれど、あの大きな災害をもたらした津波から1年半。
AHIとは会員の一人として交流があっただけで、編集のメンバーに入れてもらってからは日が浅い私には、気持ちが暗くなる内容の話が次々と出てきて、気が重くなる。

あの「津波はなんだったのか」との問いに、「『津波』は恵み」と言う返答が多かったとのこと。
即、理解ができますか。
この大規模災害のおかげで、これまで周縁化され誰も知らなかったところが、国内のみならず国際的にも注目を浴びた。そしてヒト・モノ・カネが殺到したというわけです。
国際援助は、貧富の差を助長するなど本に書いてあるとわかったように頷いていた私ですが、具体的に、今回、私たちが編集しようとしている記事が、多くの犠牲者が身近にいながら、その災害を「恵み」ととらえる大勢がいることが現実だと伝えられると、気が重くなってしまうのです。

そして、援助の問題点として
無秩序な援助組織の殺到で、被災者は、少しでも好条件を提示するNGOになびいたり、あるいはNGOの対応に不満を感じたり要望を出したりする。同意したことを簡単に反故にする。もらっても有り難がらない。モノを粗末にする。貰い慣れする。そのような関係を生み出しがちである。

うーん、言われてみれば、想像はできます。

良心が動かされて義捐金を寄せる支援者の「災害救援」理解は、息の長い、自立に向けた地域再生の努力を十分に思い描けず、瓦礫の中で絶望する哀れな被災者への同上と哀れみの念から、援助組織にそのような状況から救い出してあげることを託して寄付をする、ということにつながる。しかし、メディアを通じて報道されなくなると、私も支援した、という満足感と共に忘れてしまうパターンが多いのではないだろうか。

実は私はこのパターンでした。上記の現場の状況等を知り、指摘されれば、全てここにかかれた通りでは無いとしても、なんと表層的な把握をしていたのかと思います。

本来AHIは活動から「災害」を除外していたことから、本件AHIの「アジア津浪基金」は別枠での活動であったとのこと。
アジアのひとたちの生活改善にかかわっているから、その人たちが困った時に、何故即援助しないの?なんて、短絡的に考えていたけれど、昨日届いた原稿から救助の現場報告で、学ぶことが多くありました。

さて、この原稿、会報になったときに、少しでも多くの皆さんの目に触れるように、そう願います。

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