昨日、高校時代の友人から電話。
Hさん宅から喪中欠礼のはがきが届いた、Hさん亡くなったと。
彼女が大分前に癌の手術をしたのは知っていました。だけれど2年前に顔を会わせたときは、回復して数年転移も無くてよかったねと、明るく旧交を温めた記憶だったのに…。
娘の大学の入学式に出席したときの話。
彼女曰く「あんなに沢山の学生がいても、原石は少ないのだなって思った」「殆ど石よ」
と、彼女笑いながら話していた。
彼女も理系、お嬢さんも理系。
「きっと彼女もキュリー夫人に憧れた時期があったんだろうな」と、ひっそり思ったものだ。
そうして、すっかり病気の件は終了していたと思っていたのに、彼女自身のための喪中案内が来るなんで。
12月19日没とのこと。
12月20日午前7時に、このブログに汽車通学した仲間と「女子大生亡国論なんてねーと、話していたと書いていたわたしだけれど、その話していた相手だった彼女が最期のときを迎えていたなんて、言葉もありません。
今年は歳初めにも同い年の友人自身のの葬儀に列席しました。
そしてまた訃報を知りました。
引き止めたくてもどうしようもないことがあることを、ひとつひとつ学ばなくてはならないのですね。
一緒に汽車通学した彼女、雪道を北アルプスを眺めながら登校したあの頃が浮かんだことが不思議です。
Hさん宅から喪中欠礼のはがきが届いた、Hさん亡くなったと。
彼女が大分前に癌の手術をしたのは知っていました。だけれど2年前に顔を会わせたときは、回復して数年転移も無くてよかったねと、明るく旧交を温めた記憶だったのに…。
娘の大学の入学式に出席したときの話。
彼女曰く「あんなに沢山の学生がいても、原石は少ないのだなって思った」「殆ど石よ」
と、彼女笑いながら話していた。
彼女も理系、お嬢さんも理系。
「きっと彼女もキュリー夫人に憧れた時期があったんだろうな」と、ひっそり思ったものだ。
そうして、すっかり病気の件は終了していたと思っていたのに、彼女自身のための喪中案内が来るなんで。
12月19日没とのこと。
12月20日午前7時に、このブログに汽車通学した仲間と「女子大生亡国論なんてねーと、話していたと書いていたわたしだけれど、その話していた相手だった彼女が最期のときを迎えていたなんて、言葉もありません。
今年は歳初めにも同い年の友人自身のの葬儀に列席しました。
そしてまた訃報を知りました。
引き止めたくてもどうしようもないことがあることを、ひとつひとつ学ばなくてはならないのですね。
一緒に汽車通学した彼女、雪道を北アルプスを眺めながら登校したあの頃が浮かんだことが不思議です。