日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

コーヒーブレイクを屋外で・・・

2013-03-31 07:27:21 | 庭 3月
出来るようにと、よく見受ける洒落た白い椅子とテーブルセットを購入(どちらかというと、ワタシは、野暮、バンカラが好きなタイプなのだけれど…)。
ハッサクの木の下においてみる。今までお隣に迷惑にならないようにと剪定していたので、枝は芝生を覆うように横広がり状態。それが丁度木陰を作ってくれるので、いい塩梅なのです。しかれども今は芝生の枯れ芝が目に付く。早く青々した芝生になってほしくて早速肥料を。なんとゲンキンな行動なのだろう(苦笑)。

庭をウロウロしながら癒されている。昨日は春の日差しの中の庭をスケッチしてみた。
至福。但し、家の中の整理整頓をスルーしているので、気になりはしている。トホホ

振り返れば、6週間で4回も東京へ行ってきた。いつも2泊3日。どの東京行きも、息が詰まるほどハラハラしたものだったけれど、新3人家族はそれなりに軌道に乗っていることだろうし、おばあちゃんは庭の手入れで英気を養うべし、なのだろう。

追加記入

またまた、園芸店でバラを2株購入。
マリリンモンロー(色はアプリコットホワイト)とバーガンディー・アイスバーグ(ワインレッド)。

和風コーナー用に、コデマリも購入。
白のやさしい花が椿の背景に似合うと思って。

どんどん増えていくばかり。上手く成長し、開花してくれると見事なんだけれどな。



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昨夕「笑ったよ」とメールが来た

2013-03-30 09:10:42 | 家族
ひとつひとつがうれしい限りだろう。
火曜日に退院したから、今日が始めての土曜日。
「なんだか、『病院に行かないとこどもの顔が見られないものだ』、という刷り込みが自分の中に出来ていて、家の中に赤ちゃんがいることが不思議な気がする」といっていた、新米パパも今日はゆっくり赤ちゃんを抱っこできるだろう。

新米ママも、「今までは、この子はNICUの子で、ちょっとお借りしてオッパイをやったりオムツ換えの練習をさせてもらっている、という気分がどこかにあった」けど、これからはずっと、ウチにいるんだねー、と感慨深げだった。今日で5日目。慣れたかな(笑)。

一ヵ月半は長かった、というか、あの時は今日のようなこんな日が来ることを想定することもなく、1日1日を送ったよね。

肝を冷やすようなアレコレがあったけれど、「ひとつひとつ最善を選択してここまで来たし、これからもそうしていく、それだけ」と新米パパ、ママ。

おっかなビックリでの子育てだろうけれど、もう夜も4時間は連続で寝てくれるらしく、新米ママにはいい子だ。

きっといい子に育つよ。新米おばあちゃんは、念力(!?)で応援するからね。アッハハ


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春、萌えの季節

2013-03-30 07:00:39 | 庭 3月
いまどきだからだろうか。2泊3日留守にしていると、「あらっ」と思わせる変化を見せている。

■葉牡丹がスタンディングオベーションをしたいかのように、すくっと背伸びし始めた。潮時もまじか。間に植えてあるチューリップは以外にのんびりしている。がんばれ。
■コブシのつぼみは全部開ききって、一番花は花びらを散らしている。ご苦労さん。
■あっ、ラベーダーの挿し芽が、新しい針葉をつくつく出している。6本とも。移植後随分経過するも、まったく成長なしだったのに、根付いていたのだ。しめた!
■私が始めて植えた球根ムスカリが青い素敵な色を付け始めている。始めまして。これから長い付き合いの始まりです。
■パンジーもビオラもデージーも晩秋から庭の彩としてがんばっていたのだけれど、今が一番の季節なのだろう、賑やかに満開。
■バラの新芽もつやつやとした葉っぱになって寒そうだった枝もつややかな緑で覆われだした。新芽の出方が遅くて心配していた3本。うち2本はすっかり他のバラに追いつき、残り1本も追いつかんしている様子。ほっ。
■椿は8割開花。(幼木ですが、がんばっています)
■牡丹は閉じていた芽を開き始めた。よく見るとつぼみらしきものも。コレは今年咲くのだろうか?
■芍薬も赤い新芽を土から10センチあまり伸ばしている。定植したあとに、南側に物置を設置したため、日当たりがイマイチで気の毒。
■カンパネラの葉っぱも元気にこんもりし始めた。花が楽しみ。
■アネモネ、ストック、ノースポールなどががんばっている。
■スィトピーも随分大きくなった。

などなど。

去年の今頃はまだ出来ていなかった庭に、1年間で上記の通り。
現在20種類のバラを植えたことにはなったが(園芸店で購入し移植しただけ)、去年咲いたのは6種類。
あとは、まだ定植しただけ。さぁて、どうなるか。楽しみではあるけれど、うまくいっているのかどうかは判らない。





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花見 その2

2013-03-29 12:04:39 | 私の雑感あれこれ
昨日は東京のららぽーと前の広場でしばしの花見。
娘の赤ちゃんの初めての短時間のお散歩(勿論抱っこして)。
マンションから数分で海なのか運河なのか知らないが、水辺が見えて、ららぽーとがある。芝生には子供たち連れがいっぱい。

土日はものすごい人出だから、近所の住民は週日に出かけるのだとか。
ひとつのマンションに600世帯が入居しているという超高層マンションがニョキニョキ。
いろんなものが揃っているから便利、というけれど、大都会で暮らす極みのような気がします。
マンションのエントランスのソファーに乗って幼稚園児くらいの男の子が2人ふざけっこしていました。
子供は都会でも田舎でも元気です。
「子供だけでお外に出てはだめよ」と諭されて、手短な遊び場がデラックスなエントランスなのでしょうか。なんだか可哀想な気持ちになったりして。余計なお世話なんでしょうね。

「小屋に秘密基地を作ったんだ」と手柄話をしたり、クワガタのよく集まる木を知っている自慢話、などとは遠い世界です。

赤ちゃんを近景にどうにか桜を入れてスマホのシャッターを切りました。
孫の初お花見です。
勿論、本人の記憶にかすりもしませんけどね。苦笑


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桜の季節に

2013-03-29 02:13:34 | 私の雑感あれこれ
場所は東京。天気は晴れ。桜の季節。
となると、人でいっぱいなのは当然なのですが、時間を見つけて、靖国神社まで行ってきました。10年ほど前に千鳥が淵の戦没者墓苑には行ったことがあります。やはり桜の季節でした。ここははじめてです。
東京、桜、で検索すると、双方ともリストの上に出てくるような名所ですから、尋ねるには当りの季節かもしれません。縁でしょうか。
「戦争責任者のA級戦犯も祭られているから、靖国神社はちょっと・・・」のタイプで、あえて無名戦没者の納骨堂の千鳥が淵に参拝していたのです。

還暦も過ぎて、かたくなさも目減りしたのか(苦笑)、テレビ番組で三宅久之氏が靖国神社に隣接する遊就館の話も、言ってみたい一因だったのです。

神社の桜は満開。入り口付近の両脇には縁日のお店が並んでいます。ブルーシートで場所取りしている光景も。わだかまっていた、あの靖国神社はお花見三昧の場所…、妙でもありました。
鳥居をくぐると、よくテレビで目にするあの神社が。
戦争経験者世代には格別な神社なのだろうな、と思いながら参拝。外国人(白人)の姿もチラホラ。彼らはどんな解説を読みながらここにやってきているのだろうか、と少し興味を覚える。
参拝を済ませて遊就館に。ここもそれなりの人混み。かつて桜の千鳥が淵墓苑に向かった日も週日の好天だったと思うけれど、人影すくなかったのとは大違い、です。お堀にせり出した桜を楽しむ人は多かったけれど。
閉館時間まであと1時間ある、そう思いながら館内の順路どおりに観覧を始める。やはり砲台やゼロ戦の実物に圧倒される。鹿児島の知覧でも、特攻隊の飛行機の展示をみたけれど、偏見だろうか、国家の息のかかり方が違うような思いがした。
軍記ものに精通するタイプでもないので、展示物を眺めながら、確か戦没者の遺影の展示があるはず、と歩を進める。
戦争がなかったら命を落とす必要がなかった息子を思って花嫁人形を手向けた母親があったりして、、、と三宅氏の話しぶりを思い出していた。
最後の部屋に軍服姿の遺影、遺影、遺影。軍での位と没年もあわせて記名されている。
中尉なんてのは偉い軍人と思っていたけれど、年齢は二十歳を何年も過ぎていないのは、私の新発見。軍人学校を出たエリートは若くして偉い地位になる。強い組織としては、年功序列ではなく、能力主義で軍人を養成していたのだとおもった。
鼻をすする音がいやに耳に入ります。確かに、桜の季節は花粉症の季節でもあります。
特攻隊出撃が決まった兵士の家族にあてた書簡を読んでいくと、花粉症鼻炎も度を増したかのように、むせるものがありました。
「自分は国のために」と律しながらも、家族への情はあふれるばかりの手紙です。やり切れません。不戦の思いがあふれるばかりです。遊就館が何を展示してある場所かも知って入館している人たちばかりでしょう。黙して陳列書簡を読む人たち。閉館のメロディーの流れるなか、鼻をすする音があちこちから聞こえていました。

外へ出ると、満開の桜が今年も春がきたよ、とふつうに咲いていました。


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不思議な思い

2013-03-23 18:53:37 | 庭 3月
夫がいるときは一緒に園芸店にいくのがコレまでだったのに、特に今日は必要もないし、という夫を残して、ひとりで出かけた。
買いたいものは、花壇用のレンガと和風花壇(椿や牡丹、芍薬などのコーナーをワタシ的に勝手にそう呼んでいます。)の縁用にと玉龍(リュウノヒゲ)。まだまだ花壇を作り続けている状態なのです。
超お値打ちレンガを購入後に、ケース売りの玉龍が欲しかったので、もうひとつの売り場まで移動。
肥料と玉龍のケースを確保したあと、春の花の陳列を楽しみ、そのあとバラのコーナーを覗きました。
さすが春です。たくさんあるのはこれまでと同じだけれど、それなりにどの株も芽吹いています。
で、一角に既にバラが咲き誇っている株が5つ、6つ。
いまどき?と不思議なコーナーでした。
温室で育って、いまお客さんの目の前に陳列されたのでしょう。季節を間違えたかのような開花!です。
その中に、アプリコット色の大輪の花がありました。
アレ!もしかしたら、と花の名前を見ました。
もしかしたらがドンピシャ、でした。
本来は中輪の花と思っていたのに、コレは手入れが行き届きすぎているのか中輪というよりも大輪に近い。見事です。

23日はもう一人の孫の誕生日です。孫はその花と同じ名前です。
去年にもその花の株をネット注文で購入して植えているのですが、おっとりもので、他のバラたちに大いに遅れをとっている状態で、庭を眺めては気をもんでいる毎日だったのです。
なんだか、誕生日の今日、見てもらいたいために、そこに並んでいたような、そんな気持ちになりました。
こんなバラが咲く時期でもないのに、なんでワタシの目に触れるように、その美しい花が、目の前に並んで置かれていたのか。
奇遇です。

勿論、購入。
今、リビングにあります。
だって、開花した2輪と開花を待つ大振りなつぼみが4つもついている株ですから、3月の庭に移植するには、気温が不釣合いです。

いつか、こんなエピソードもあったのだよ、という語り草のためにここに記述しておきます。

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猿谷要 著「アメリカよ、美しく年をとれ」岩波新書を読む ■付けたし雑記あり

2013-03-23 09:55:58 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
この本に出会えたことがうれしい。
「アメリカよ、美しく年をとれ」

実は、猿谷要(1923年生まれ)という名前は随分前から見てはいた。そう何十年も前から。週刊誌だったか月刊誌に著者の名前を何度もみた記憶はあった。アメリカのことを書いている人だ、とそこまではぼんやり知っていた。でも、お恥ずかしいことに、その文章の1ページも読んだことはなかった。
先日、某週刊誌で絵本画家の安野光雅氏が猿谷氏が紹介し、この本を推薦していた。

これまで、見ていても素通りだった自分に呆れながら、ま、今出会えたことがうれしい。
著者の長年にわたるアメリカ研究に絡んだエッセイで、2006年に出版された当時は、ブッシュ大統領のアメリカです。その後アメリカは民主党のオバマ氏を大統領として選んだのですから、美しく年を取るための舵を失ってはいなかったということになるのでしょうか。
余談ですが、私が旅行で初めて(というか一度だけですが)アメリカに行ったのは、その選挙の丁度1週間前でした。旅行ガイドさんは、ワシントンのリンカーンの像を案内し、キング牧師が演説したという場所のプレートを説明したあと、「来週は大統領選です」と話題にしていたことを憶えています。そして、彼女は、今オバマ氏の「自叙伝(?ハーバードロースクールのローレビューの編集長になった縁で出版社から誘いがあり書くことになったという本)」を面白く読んでいる、と教えてくれたものです(帰国してすぐに読んだ)。

東部、西部といってもあのアメリカの西半分、東半分ではなく(州名や地名が出てくると巻頭に添付されているアメリカ地図に何度も戻って確認しながら読みました)、テキサス、ニューメキシコ、カルフォルニアなどは、メキシコとの戦争で勝ち取った地域であり、違法難民が押し寄せるといっても、もともとがメキシコだったところというのも妙なものです。

移民が作ったアメリカ合衆国。近い将来、白人が過半数を割ってしまう状況だという。200年程でナンバーワンの国になり、これからどう年月を経ていくのか。アメリカと拘わって65年になるという著者のアメリカへの思いは深い。
60年代以降のアメリカ政治史にも多く触れられており、ニュースなどで、ぼんやりと把握していたことの実態がわかりやすく語られていて、読みやすかった。

■付けたし雑記■
私たちは、欧米という言い方をするけれど、欧州の国々とアメリカは全く異なる性質の国なのだと思う。
アメリカは200年足らずに世界の覇者になった国。長らく「外国との戦争はよいもの」「国を富ませてくれるもの」という経験を持っている国だったのだ。
有能な人材をドンドン受け入れて、経済にも理系にも強いアメリカを拵えていったのだ。もともと移民たちが作った国だから、移民受入れには鷹揚なところがあったのだろう。結果として、豊なアメリカにあこがれて不法移民も押し寄せるのが現実。
強い国(軍事力でも)であるために、西欧や日本などに比して、社会保障の手当が置き去りにされがち。よって貧しさへの手当が薄いのか。本には貧しい層2000万人がいる、とある。軍事費はダントツであり、2位から14位の国の軍事費予算合計額の倍だと書かれている。日本の戦前も軍事費割合が国家予算の中の半分(?)を占めていたとかだったから、私たちは平和憲法下で暮らしてきたけれど、アメリカは世界の警察として多くを割いていた、というわけになるのか。経済に多大なしわ寄せをしながら軍備増強している北朝鮮という国があるけれど、アメリカも2000万人の貧しく捨て置かれている人たちの犠牲の下、世界に君臨し続けてきたというわけか。ルイジアナなど南部諸州は底辺の人たちが多く、そこにハリケーンの襲来があったという記述に、あのときのニュース映像を思い出した。
今、北アフリカで政権転覆はしたものの動乱の中にあるというニュースも耳にする。何故アメリカはこの状態を野放しにしているのか(これまでだったら、なんらかの助っ人として乗り出しただろう)、というフレーズも耳に入った。この本が書かれていた時代だったら、アメリカは乗り出していっていたかもしれない。
オバマの民主党政権に変わって、社会保障にも目配りの比重を置きだしたように思える。また、社会保障の進んだユーロ圏にも経済混乱の火種がある。
遠いところのアレコレを詮索しても、机上でしかないのだけれど、ヨーロッパと別物で、まだ独立して200年余りの世界に冠たるアメリカはどんな国だったかがわかる本だったな、とつくづく思った。





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コブシが咲いた。

2013-03-23 08:59:16 | 庭 3月
姫コブシです。
去年隣地を購入してまもなく苗木を購入しました。
工事が済むまでは鉢植えで待機。その間に元気がなくなり、葉っぱは茶色くなって落ちていきました。ダメかと思っていると、根元から脇芽が出始めて、葉っぱを広げ始め、どうにか命はあるのだと、そんな心もとない苗木だったのです。

定植後、夏、秋、冬が過ぎて春。
花芽が膨らみ(何しろ初めてなものだから、葉っぱの素なのか、花芽なのかも判らなかった)、昨日、ようやく1輪、赤ちゃんのコブシが開くようにピンクの花を広げました。あと花芽が5つ6つ・・・と数えています(苦笑)。
まだワタシの腰ほどにもない苗木ながら、がんばっています。

あのコブシの咲いている家です。と我が家のマークになるには、まだまだ数年はかかるでしょう。元気でいたいものです。

春先から庭に出るたびに、花壇の目に付いた小さな雑草を抜く癖がつきました。そんな時母の言い草が脳裏をよぎります。「草は、親指の先ほどのときに抜いてしまうと楽(負担が少ない)なんだよ」と。
こういうことだったのか、と母の言い草の意味が判りました。
あんなに花の世話を根気よくしていたあの時間は、しんどい仕事ではなく、楽しい時間だったのだと、よく判ります。

去年の4月半ばに脳梗塞で倒れて、母の草取りも終わりました。
もう充分楽しんだからいい、そう思っているでしょう。
ワタシも、自分に出来る間は、庭に楽しませてもらおう、そういう魂胆なんですよ。
創意工夫が必要なこともあり、ボケ防止もかねて。



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退院のスケジュールが入りました。ヤッターー。

2013-03-22 07:37:47 | 家族
3月上旬に退院の日が翌々日に決まったというメールが入ったとき、実はワタシ、うれしくって、帰路自宅を素通りして、赤ちゃんグッズを売っているお店に向かったんですよ。
お店は月曜でお休みでした。それでも気分ワクワク。夕食後、出産祝いの祝儀袋をルンルン気分で買いにいったものです。
で、戻って届いた電話で事情が急転。つとめて冷静に伝えているであろう娘の気持ちを思うと、「聞きとる」だけでした。

そして、また、退院の話になりました。
ヤッター、です。
担当医は「手術は予定通り済みました、今後の様子を見ないとわかりません」と、そっけない説明だったけれど、今のところ、その「今後の様子」はよい方に展開しています。ありがたい限りです。

どう考えても、一番ずしんと受け止めているのは、赤ちゃんの両親です。
来週、予定通り退院したら、
赤ちゃんのお祝いと、若い両親の慰労会、したい気持ちでいっぱいです。

日本の医療水準は世界トップレベルといわれているとか。その日本の中の、これまた名だたる専門病院だったのですから、最高の治療をしてもらったのでしょう。
医療技術の向上にまい進している人たちの存在に感謝がつきません。

ウチの孫は、そんな日本の医療界の恩恵を充分受けて、人生のスタートを切りました。

話はズレますが、臨床医の息子もこの4月からまた大学に戻ります。
もうすぐです。今は引越しなどでてんやわんやかもしれません。
自分の技量のアップの話題になると話が生き生きしてくる息子です。
こんな種類の人間が医療の世界にそれなりにワンサカいるのでしょう。
人の役に立てる仕事に就いているのは幸せものです。






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いきを潜めるように、一日いちにち

2013-03-19 09:34:49 | 家族
はらはらしながら、1週間をおくった。
すこしの、よいことの気配をさぐりながら、
よかったね、をくりかえして。

お医者さんは神様じゃないのだからーー

そうだよね。

でも、なんにも言葉を交わさなくても
お医者さんは最善を尽くしてくださっている、と信じられる
この国ってすごいね。

すごい優秀なひとたちがお医者さんを目指し、そういう人たちが実際のお医者さんになって、今、こんな風に最善を尽くしてくださっているのだから、

今はここで待つしかないんだよ。

そんな会話を交わしながら、家族控え室で待つ。

どれだけ情報を検索したって、お医者さんにお願いするしかないのだから、検索して情報を知った、知らないで何も変わらないのだよ。

そうだね。

でも、この時代、検索しないではいられない。当然娘も。
だから、検索しながらも、自分に言い聞かせている言葉を音にしただけに過ぎない。

自分を律し、強がったり、不安に駆られたり、そして平然とするしかないと悟っているのだろう。

その大きな病院では、「本日は3月11日です。2年前の震災でなくなった人を悼んで黙祷します」のアナウンスが何度も流れた。
その時刻、二人でアナウンスにしたがって黙祷した。
今、まさに手術中で、事態をなにもわからず耐えているであろう新生児の生命ことを思いながら。

手術が終わりました、と看護師さんが伝えに来た。
なんともいえない、てもふつうにしているしかない、3時間半だった。
もっと長時間になるかもしれないと聞いていたから、想定内だよ、と娘。

緊急の場合は必ずこの部屋に連絡に来ますから、室内に必ず一人はいて下さいね、と念を押されていたけれど、緊急事態はなく終わった。助かった。ほっ。

これが現実か、と少しずつ受け入れて、
しっかり娘は、母親になっている。
かわいいねと、いくど口にしただろう。

まだ自分の家を知らない赤ちゃん。
「いろんな人がボクを抱っこしてくれる。けど、ひとりだけ抱っこが下手な人がいて、あのひとだとボクいやなんだ」
そう思われているような気がする、といってた娘も1ヶ月が経ってオッパイを飲ませるのが上手くなったようだ。
イヤ、彼の生きるエネルギーが旺盛で、飲むのが上達したのかも。

NICUは配慮が行き届いていて感心する。
ありがたい。
この国(の制度)ってすごいね、と昨日の娘からのメールにも添えられていた。

いきをひそめての1週間でした。









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