日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

こどもを育てるなかで。なんどヒヤヒヤしたことか。

2018-02-07 07:38:54 | ふりかえり
何事もなく、ということのほうが多いのだけれど、
でも、そのたびごとに、はっ、どうしよう、と最悪まで心配してしまいます。

3人の子供の母親になった娘が、一緒に台所仕事をしながら、こんなエピソードを語ってくれました。

0歳、2歳、4歳じ育てで、てんやわんやの日々。(、、、、でしょうね。)

ある日の午後、ふと気が付くと、家の中に2歳児がいない。
びっくりして家の周りを探し回りました。
4歳児が通っている幼稚園にも電話したら、閉園後だったので、先生たちも一緒に手分けして探してくださったそうです。
4歳児の付き添いで幼稚園に行っているから、先生も2歳児の顔をご存じなのです。

いないと気付いてから30分ほど後に、幼稚園の先生が幼稚園に通っている4歳児の同級生と公園で遊んでいたそうです。

オトナたちは、大いに安堵なのですが、2歳児の本人はそんな事情など分かりません。
まだ公園で遊んでいる~とのたまったという。

ハッピーエンドのエピソードです。

こんな話を語ってくれた彼女にも、ヒヤヒヤさせられたことがあります。
小学校4年生(10歳)ぐらいでしょうか。

子犬を飼い始め、散歩や餌やりなど、その世話は彼女の担当でした。
かぎっ子の彼女の大切な相棒です。

ある日、暗くなっても帰ってきません。
ヒヤッ、です。

そのころはよく公園で遊んでいたので、もちろん公園も探し回りました。
嫌~な気持ちです。

暗くなる前に帰ることをもっと厳しく言っておくべきだったと後悔したり。
後悔先に立たず、です。

結局は30分ほどで帰ってきたのですが、

一緒に遊んでいた同じ4年生の○ちゃんは帰ったのに、何で?

と詰問すると

○ちゃんは、ピアノの練習時間だから急いで帰った。私は、一緒に遊んでいた小学1年生の女の子たちを自宅まで送っていったから、とのこと。

夢中になって、つい遅くなったのは事実だけれど、

「家まで送り届けなくっちゃ」って、そういう思考回路だったことを思い出しました。


わたしも、あなたを探して、すっかり暗くなって街路灯がついた道をハラハラ探し回っていたんだよ、と言いたかったけれど、
ま、通じないでしょう。苦笑



コメント
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随分遠くまで来たものだ。

2011-08-11 09:25:16 | ふりかえり
ひとりひとりに思い出があり、の類のまったくの雑文です。

距離ではありません。
時間的に、の話です。

中学3年のいつ頃だったでしょうか。
家庭訪問で、担任のN先生が、玄関の上り框に腰掛けて、母と話している光景を覚えています。
母はかしこまって聞いています。
おぼろげな記憶なのですが、先生は、進学する高校の話題も、もちかけたように記憶しています。
昭和39年。通知表を親に見せないで保護者欄の印鑑を、こそっと押して返却したり、なにかの保護者のサイン欄に、自分で崩し文字の苗字を代筆して提出する、ぐらいはしていた中三でした。私なりの、親との距離感、生意気の証だったのでしょう。
「U高校(※)へ進学できるのだから、させてやらないと」
N先生が母を説得していました。
(※)その中学から汽車で通学可能な進学校。私の学年は1学年330名余り、8クラスの中学校から、女子は5名進学しました
昨今のように、進学塾もない時代。どこの高校へどれだけの偏差値が、など話題にも上らない時代です。
先生が母親を説得してくれて、母親が父親を説得して、そして、私は、早朝1時間余りかけて汽車で通う高校へ進学希望している女生徒になったのです。
あの頃でも、民間の中学生統一のテストが実施されていました。団塊の世代という言葉もまだない頃ですが、戦後生まれはいつも、コレまで最高、なのです。いつも受験人口は前年より増える、というニュースが当たり前の時代でした。
東京オリンピックがあった年です。

何十年振りかで出席した同級会の時点で、そのN先生は、故人でした。
その先生が、あの家庭訪問で母親を説得していなかったら、違っていたでしょうね。

受験したのは、その高校一つだけ。
今の人たちにしてみれば、不思議でしょうね。入学できなかった場合、どうするの?と。
夜、勉強したあと、電気を消して布団の中に入り、進学校の制服姿で駅へ向かう自分を想像しながら眠りについたものです。そして、もし、もしダメだったら、町に一つある紡績工場の女工さんになるのか、と。その頃の中卒の月給は11,000円から13,000円でした。
取り越し苦労、って、笑われるかも知れないけれど、私って、いつも、万一が気になる性分ですので、中卒のときの初任給も、3年後の高卒のときの初任給も覚えているのですよ。

ずっと後になって、母は、あのN先生、自分に産まれた女の子にお前と同じ名前付けてたよ、って聞いたことがあります。
どうでもいいことなので、聞き流しただけですが、
あの中学3年の頃から、随分遠くに来たものだと、そう思う次第です。


コメント
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