「2月の同窓会どうする?」と電話したら、(それよりも近場の私たちで)「会いたいね」ということになり、昨日がその日でした。
もう50年も前の日々に、同じ制服を着て通学した仲間。
1学年8クラスだった中学校から、汽車通学したのは女子5人。そのうちの4人が奇遇にも近場に暮らしているのです。
4人で集まったのは初めて。
10時に地下鉄の○番出口、という連絡を受けて、
着いたのは5分ほど前。
(風当たりを避けて)階段を下りてきた二人連れは、まぎれもなく彼女たち。
自分には自分の姿は目に入らないけれど、しっかり年月を重ねた容貌。
そうだよね~。若いはずがない。アッハハ
もう一人も時間ピッタリに到着。乗り換えをいくつかしての慣れない行程だったので、ヒヤヒヤだったとのこと。
破顔。
こんなふうにして会う機会が持てることの幸い感があふれてしまいます。
なんとありがたいことでしょう。
さっそく、一人が提案してくれた、名古屋市博物館の企画展を観に向かいました。
メジィチ家が隆盛を誇っていた時代が去った後の為政者がレオドナルドダビンチとミケランジェロに壁画制作を依頼したもののとん挫して、途中まで描かれていた下絵をもとに描かれた作品などの展示。中世の絵画からいかにレオナルドの描写力が革新的で、当時以降の画家への影響が大きいものであったかがわかります。
その時代のフィレンツェの解説もあり興味いものでした。ビデオ解説で流れるフィレンツェの街は、実は値打ち旅行で行ったことがあり、フリータイムを利用して、地図片手に歩き回り、ほんの少しは土地勘があります。笑 フィレンツェの市庁舎のよこにあるダビデ像のあたりで、ジェラードを食べた、とかなんですけど。「私、行ったことある」なんて言うのは、ちょっと品がないので、一切話題にはしません。だれも言わなかった。多分こんな街は旅行の経験済みだろうけれど、みんな良識の人たちですね~。
※そういえば、15世紀末以降のローマ教皇ボルジア家がのし上がっていく熾烈な状況を描いたドラマをシリーズで見ているので、実は当時のダビンチは武器政策の研究や死体が手に入ると解剖図を描くのに明け暮れているとか、そんなシーンを思い出したりしていました。
※確か我が家の本棚に塩野七生さんが書いたボルジア家の長男チェーザレ・ボルジアを書いた本があるはず。タイトルは「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」でした。この時代を書いた塩野本はフィレンツェの興亡を書いた数冊などもありました。
展覧会を見終わって、近場のイタリアンレストランへ。あちこち探し回るってのは、(ワタシは)実は疲れてイライラしそうなので、食べログでチェックしておいたアンティークな装飾のお店にはどうかと提案すると、特に異論もなく、博物館の至近距離ということもあり、そちらに入りました。店内は女性客でほぼ満杯。4人掛けのテーブル一つが空いていてラッキー。でも食卓のテーブルのようで、長居するにはイマイチに思えて、食後のコーヒー・デザートは場所を変えて、ということにしました。
ま、でも、座れば即、おしゃべりに華です。うっふふ
場所を替えて入った博物館わきの軽食喫茶は、いたって簡便というか、出てきたコーヒーは紙コップ!!
あらっ。
まぁ、いいじゃない。
ということで、ランチ客が抜けて後のガランとしたお店で、ゆっくりおしゃべり。
分別あるって言うのでしょうか。
少しずつ、加減を見て、話を運んでいるって感じがします。
ケバケバしたかんじなんて、みじんもない。
誰もが体調不良だった時期を経験していて、60代も後半になると、そういうものなのだと、改めて実感する。
大病を患って以来、テレビ体操を10年ほど続けている人もいました。
我が家は、私が骨折して、痛みが和らいでからのスタートで、まだ3か月ほど。
10年継続とはすごいものです。
願うことは、この集まりの次回も持つことができたら、、、ということ。
携帯の番号を教えて、というと、私以外の3人ともが自分の番号を覚えておらず、かつ検索して呼び出すのもあたふたで、私の番号に架けてもらって、ワンギリして番号登録したというのが実態。ほほえましい。
わたしも当初は覚えていなかったのですが、「(ビジネスにかかわっているものとしては)アリエナイ」と言われて、覚えました。
苦笑
さしあたって、来月は母校の近場の温泉で汽車通の同窓会があり、4人のうち二人出席です。
あとの二人は、そこまで気が乗らないようで、すこし残念。
ま、それもあり、です。
みんなでできるだけ健康に年を重ねていけますように。
もう50年も前の日々に、同じ制服を着て通学した仲間。
1学年8クラスだった中学校から、汽車通学したのは女子5人。そのうちの4人が奇遇にも近場に暮らしているのです。
4人で集まったのは初めて。
10時に地下鉄の○番出口、という連絡を受けて、
着いたのは5分ほど前。
(風当たりを避けて)階段を下りてきた二人連れは、まぎれもなく彼女たち。
自分には自分の姿は目に入らないけれど、しっかり年月を重ねた容貌。
そうだよね~。若いはずがない。アッハハ
もう一人も時間ピッタリに到着。乗り換えをいくつかしての慣れない行程だったので、ヒヤヒヤだったとのこと。
破顔。
こんなふうにして会う機会が持てることの幸い感があふれてしまいます。
なんとありがたいことでしょう。
さっそく、一人が提案してくれた、名古屋市博物館の企画展を観に向かいました。
メジィチ家が隆盛を誇っていた時代が去った後の為政者がレオドナルドダビンチとミケランジェロに壁画制作を依頼したもののとん挫して、途中まで描かれていた下絵をもとに描かれた作品などの展示。中世の絵画からいかにレオナルドの描写力が革新的で、当時以降の画家への影響が大きいものであったかがわかります。
その時代のフィレンツェの解説もあり興味いものでした。ビデオ解説で流れるフィレンツェの街は、実は値打ち旅行で行ったことがあり、フリータイムを利用して、地図片手に歩き回り、ほんの少しは土地勘があります。笑 フィレンツェの市庁舎のよこにあるダビデ像のあたりで、ジェラードを食べた、とかなんですけど。「私、行ったことある」なんて言うのは、ちょっと品がないので、一切話題にはしません。だれも言わなかった。多分こんな街は旅行の経験済みだろうけれど、みんな良識の人たちですね~。
※そういえば、15世紀末以降のローマ教皇ボルジア家がのし上がっていく熾烈な状況を描いたドラマをシリーズで見ているので、実は当時のダビンチは武器政策の研究や死体が手に入ると解剖図を描くのに明け暮れているとか、そんなシーンを思い出したりしていました。
※確か我が家の本棚に塩野七生さんが書いたボルジア家の長男チェーザレ・ボルジアを書いた本があるはず。タイトルは「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」でした。この時代を書いた塩野本はフィレンツェの興亡を書いた数冊などもありました。
展覧会を見終わって、近場のイタリアンレストランへ。あちこち探し回るってのは、(ワタシは)実は疲れてイライラしそうなので、食べログでチェックしておいたアンティークな装飾のお店にはどうかと提案すると、特に異論もなく、博物館の至近距離ということもあり、そちらに入りました。店内は女性客でほぼ満杯。4人掛けのテーブル一つが空いていてラッキー。でも食卓のテーブルのようで、長居するにはイマイチに思えて、食後のコーヒー・デザートは場所を変えて、ということにしました。
ま、でも、座れば即、おしゃべりに華です。うっふふ
場所を替えて入った博物館わきの軽食喫茶は、いたって簡便というか、出てきたコーヒーは紙コップ!!
あらっ。
まぁ、いいじゃない。
ということで、ランチ客が抜けて後のガランとしたお店で、ゆっくりおしゃべり。
分別あるって言うのでしょうか。
少しずつ、加減を見て、話を運んでいるって感じがします。
ケバケバしたかんじなんて、みじんもない。
誰もが体調不良だった時期を経験していて、60代も後半になると、そういうものなのだと、改めて実感する。
大病を患って以来、テレビ体操を10年ほど続けている人もいました。
我が家は、私が骨折して、痛みが和らいでからのスタートで、まだ3か月ほど。
10年継続とはすごいものです。
願うことは、この集まりの次回も持つことができたら、、、ということ。
携帯の番号を教えて、というと、私以外の3人ともが自分の番号を覚えておらず、かつ検索して呼び出すのもあたふたで、私の番号に架けてもらって、ワンギリして番号登録したというのが実態。ほほえましい。
わたしも当初は覚えていなかったのですが、「(ビジネスにかかわっているものとしては)アリエナイ」と言われて、覚えました。
苦笑
さしあたって、来月は母校の近場の温泉で汽車通の同窓会があり、4人のうち二人出席です。
あとの二人は、そこまで気が乗らないようで、すこし残念。
ま、それもあり、です。
みんなでできるだけ健康に年を重ねていけますように。