日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

四川省 成都・・・

2008-05-30 07:27:00 | 私の雑感あれこれ
連日、四川省地震のニュースが続いています。
ああ、今朝のニュースでは、自衛隊機での乗り入れが見送りになったとのこと、うーん、まだ理解が得られないってことでしょうね。
昨日の新聞の写真に、知恵を思いました。
日本から送られたテントの付いているロゴマーク。
普通なら、日の丸が付くところでしょうが、日の丸から手でいる手と、地球と思われる絵柄から出ている手が握手(だったかな?)しているレイアウトになっているのです。
中国の被災地に、軒並み日の丸マークのテントが並ぶと、別の感情が・・・と、配慮されているのだと思いました。
皆さんも気づかれましたか。
相手を配慮する、大事なこと、日本政府も大人だなって、思った次第です。

連日、成都、成都と耳に入るのですが、その都度、思い浮かぶ本があります。
ワイルド・スワン」ユン・チュアン著の舞台として成都(チョンツー)という省都を知ったのは10年以上前。
毛沢東時代、紅衛兵が席巻していた街、強烈な印象を受けた本だったから、ああ、あの本で描かれていた街が、高齢者の方々は、まさしくその時代をご存知のはず…、と、ひとり感慨にふけりながら、今、ここまで開放的になって、世界に報道されているニュースを眺めています。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだまだ、被災地は大変なのでしょうが・・・。

2008-05-29 07:44:46 | 私の雑感あれこれ
四川大地震の被害者数がドンドン増えて、いかに大きな災害だったか、更に塞き止め湖の決壊で2次災害発生可能性があるとのことで、住民の退避勧告がなされて…、と映像を伴った報道がなされています。
オリンピックの年で、関心を北京に集中したかったであろうに、それど頃ではない。
情報発信の操作をしないで、オリンピック行事よりも、災害救援を前面に公表しているところが、今の中国が、西側諸国の発想に通じるし、そこまで力を備えてきたということだと、そう考えます。
オリンピックをやり終え、この災害から立ち直ったとき、見違えるように堂々とした中国が世界にランクアップされるでしょうね。

自衛隊機が物資を運んで中国に向かうとテレビは伝えています。
へエー、受け入れてくれるのか。と、60年のわだかまりが氷解したかのよう。
台湾からの救援物資も受け入れたそうです。
アメリカも不足のテントを大量に送るそうです。
帝国主義とか、悪い政府の典型と教えられてきた国々から、援助物資が届いて、かたくなだった中国の人々も、これまで忌避してきていた国々との垣根を低くする機会になるのではと思います。

国連も、赤十字社も救援物資を送るそうです。
困ったときのお互い様が世界規模で発進する、
世界の良心は息づいているのだと、
教えてもらっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

途上国援助とはいうけれど・・・。

2008-05-27 07:10:33 | 私の雑感あれこれ
ミャンマーの軍事政権トップと国連事務総長の会談のニュースを見ながら、私は彼らが座っている、超、超デラックスな椅子に目をやってしまう。
特別誂えの輸入品か、なーんて。

貧困国であることと、そのトップの暮らしとは別物。
いくらODA援助を差し向けても、トップを潤してから。
果たして庶民のところにはどれだけ届いているのか。

「発展途上国に学校を作る」という話は良く聞いてきた。
良いことだと、ずっと思ってきた。
だけど、学校は作っても、先生の給料が支払われないと、学校は立ちゆかない。

土曜日に聞いた話。
入学した高校生の卒業率10パーセント。
えぇっ!
制服が変わって、負担が増えるって話は、先日書いた
加えて、教科書が不足すると、コピーを作って先生が売る、とのこと。
それも先生の収入源。
先生に給料なんで払わないの??
と思うけれど、国を守る軍人にも遅配らしいから・・・。
お金がないって言うのが常套句になっているのでしょう。
ODAなんて、その国の物価水準から見ると、凄い金額になっていると思うのだけれど・・・、
そんな時、頭書の「超、超デラックスな椅子」が思い起こされ、それに類する使われ方の支出が多いのだろうなー、と思ってしまいます。

ミャンマーでは先日の選挙98%ぐらいが政府案に賛成で、反対した人を検挙しようとしているらしい、と言うと、
ラオスは、反対はそもそもない、ありえない、らしい。

で、問う。
優秀な人であれば、ラオスの国内で学んだだけでも、世界の中でラオスという国は、どういうスタンスなのかは、わかるだろうか、と。
いや、それは難しい。
外に出てみないと、ラオス内にいるだけでは無理だと思う、と。

歴史はレーニンからホーチミンの革命をたたえる内容が中心。美術も音楽も勿論体育もなし。
ラオスの政府は正しいと、それは教えるそうです。

小泉さんや、安倍さん、国民から散々言われ、福田さんなんて、支持率がまた下がった、また下がったと報道される、この国の自由度。
中曽根首相の時には、海外留学生受け入れ目標10万人だったけれど、最近、福田さんは更に引き上げて、受け入れ目標20万人としましたね。

日本の民主国家度が後退しては困りますが、こんな形で来日してもらって、民主主義の伝播ができたらいい、かつてヨーロッパやアメリカもしてきた役割を、アジアにおいて日本が担うべきだと、そうおもうのですが・・・。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こどもの手を引いて。

2008-05-26 07:35:14 | 私の雑感あれこれ
1950年代の初め頃。
4歳の春のぼんやりと、でも、確かにそう思った、という記憶があります。
2学年年上(多分、実年齢では1年半ぐらいの違いか)の、お向かいのきぬ子ちゃんが仲良しの遊び友達でした。ぬりえや着せ替え人形遊びをしたものです。
その春、「きぬ子ちゃんが小学校にあがる」と聞き、「私も行きたいのになー」とそれは、ねだっても真似のできないものだと、羨ましかったことを覚えています。あのころの、来年、再来年って、果てしなく遠いものですから。

で、昨日、こんな話を聞きました。
私より一世代若い1980年代。
ベトナム戦争も終了し、革命政権も落ち着いたころなのでしょうか。
まだ、義務教育制度も整ってはいなかったのでしょう。
お母さんは、長男と二男の手を引いて、「この子らを学校に入れてください」と、学校に連れて行ったそうです。
彼らが生まれた頃は、国の行政も整っていない時期。
出生届出もなされていないことが、最近判りました。
正確な年齢を証明するという手だても知りません。
兄と弟は3歳違い、だそうです。
先生がそのとき言った言葉を弟は覚えているそうです。

「片手をこうして頭の後ろへ回してね、反対側の耳をつかめたら入学してもいいよ」と。

お兄さんの手は届いたのですが、弟は届きませんでした。
先生は言いました。
「手が届くようにならないと、学校はダメだよ」と。
そういわれ、自分が期待していた学校に行けなかったことがとても寂しかった、と。
物心ついた時から、何でもお兄さんと一緒のつもりだったのでしょう。学校当然も、と思って、いそいそと学校にやってきたのに。
「自分は入れてもらえない」とわかったときの思い。
幼稚園なんてものもないし、初めての興味にあふれていただろうに…。

とにかく生活は当然貧しい。
そんな中でも、二人まとめて、「この子らには学校教育を是非」と手を引いて連れて行った文字を知らない母親の思い。

傍から見ると、長男の入学が目的だったのかも・・・。
お母さんに手を引かれて、喜び勇んで「学校」というところに胸を弾ませた弟。
・・・けなげです。

ちなみに、弟の現在の名前、正式な出生届けもなされていなくて、身内内の通称しかなかったので、入学後に先生がつけてくれたものだそうです。

国が違って、豊かさに格段の差があっても、生まれて4つ、5つの子供が抱く気持ち、共通したものってありますね。

私も、(勿論私の場合は親に)「再来年ね}と言われて、小学校に上がるきぬ子ちゃんが、まぶしかったこと、覚えているから、幼い子の抱えた願いを思い起こして、・・・いとしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこにあるか知らないで食べるチュニジア料理。

2008-05-25 21:31:36 | 私の雑感あれこれ
チュニジア料理のお店で・・・。
チュニジアって、どこ?
って話になった。
アフリカだけれど、地中海を挟んでイタリアのすぐ南。
そう?
イスラム圏で中東じゃない?
トルコノ近辺でしょ?
いや、違うと思うよ。中東ではなくて北アフリカ。
イスラム圏で、かつてイスラム文化が栄えていたとき、地中海沿岸部はそれなりの発展を遂げているから、アフリカっていっても、古い文化は残っている国のハズ…。
ほら、カルタゴ、ハンニバル将軍の、あれもチュニジア…だったと思う。
と、しゃべると、
またまた、イヤミな人、知ったかぶりの私、というレッテル。

先日、友人からチュニジア土産の干したナツメを一粒いただいたよ…なんて、余計なことしゃべって…、私の頭の中は、アフリカ北部の角ばったあたりを想定しているのだけれど…、みんなの中では、KYのお邪魔虫…なのです。
企画した人は、何のためにチュニジア料理を選んだのか・・・。

そんなことで薀蓄聞かされたくない。
解説なんて、可愛くない、路線。

映画カサブランカのイントロ部分の地図の説明、たしか、チュニジア経由でアフリカ北西部のモロッコに逃避ルートがあったと、解説あったような・・・、と一人思いながら、これは口に出さない。

女の子は、賢い必要はない。器量が良くて、働き者だったらそれが一番。
遠い親戚のおじさんが、茶飲み話にしゃべって言った台詞が浮かび上がる。

理屈っぽい女は困る、のでしょう。
下働きに向く程度の賢さが備わっていれば、上等。それ以上の理屈をこねたり、知識をひけらかすのは、イヤな女。

あれを言っても、これを言っても、嫌そうに口封じをされるって、おしゃべりの私には、ツライんだよね。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国地震救援部隊の活動

2008-05-22 07:29:38 | 私の雑感あれこれ
中国から、レスキュー隊が帰ってきて、今度は医療チームの派遣されました。
レスキュー隊は、ひとりも生存者の救助ができなかった、と耳にして、少し思うのです。
これは中国政府の意図ではなかったかと。
救助申込みを拒絶すると、国際的な非難の目があるかもしれない。
だから、受け入れる。
しかし、日本人救助隊が大活躍すると、政府にとって面白くはない。
だから、地震災害は一刻を争って、早めの救援が必要なのに、受け入れOKまでに、時間がかかりました。
ーーそういえば、このことを、福田首相はいつもの他人事風の口ぶりで「それは、むこうの事情がおありなのでしょう」と、コメントなさっていましたね。
日本のトップは、あたりさわりのない、ただ受け流すだけのコメント。
対して、中国政府はいろいろ賢い。
受け入れはするが、成果までを持ち帰ってもらっては、面白くないから、一晩二晩三晩(生還の確立の高い72時間)が過ぎた時分から活動してもらう・・・。
こんな仕組みだった(?)のでしょうか。

そして、次に要請された医療チーム。
大学病院を拠点に活動と報道されています。
国際協力って、当事国と協力国の間での齟齬があるのは、仕方がないことでしょうが、援助が被災者のために効率よく役立つよう願っています。

30年ほど前は、入国もままならなかった国ですし、受け入れられて旅行しても、外国人が行ける範囲は限定されていて、みだりにカメラを向けてはいけなかったと、聞いたことがあります。
それから比べると、格段の前進。
そう思えばいいのでしょうか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれも食事、これも食事 ・・・よもやま雑感。

2008-05-21 07:42:15 | 私の雑感あれこれ
今朝の朝食をご紹介しましょう。(写真をのせたらよかったですね)

トーストパン1枚。 →自家製パン
カスピ海ヨーグルト。 →自家製
イチゴ食べ放題だけれど、食べきれず。 →自家菜園からの朝採り
スナックエンドウ、食べ放題。 →自家菜園からの朝採り
コーヒー1杯。 →ドリップでいれる。

夫婦二人の食卓。
露地イチゴだから、形は不揃い、甘みも自然派。
茹でたエンドウの緑は見事です。
至ってシンプルだけれど、贅沢な食卓だと、悦にいりながら口に入れている50代の夫婦です。

先日、東京に出かけたときの一食。
東京駅前の新築丸ビルのエスカレーターを上って、上って、イタリアレストランへ。
幾つものお店が並んでいます。
コース料理、お一人様6000円~とか。
ちょこっと、子供たちと食事をと思っているだけなのに、そんな大枚を払わなければならないのコースはパスです。
で、入ったパスタのレストラン。
確かに洒落ています。
メニューを聞いた後、頼んでもいないパンが何キレか乗った皿を持ってきました。
テーブルチャージの標とか。
これも値段に入るらしい。
一皿料理を各人選んで頼んだけれど、パスタ1皿が1700円!
超高地価のところの、高家賃の分も含まれているのでしょう。
ボーイさんは、調理場に注文を伝えるのに、イタリア語を使っていました。
もちろん彼は日本人青年です。
きらびやかなデイプレーやら、イタリヤ素朴風インテリアやら、各テナントさんは工夫に工夫を凝らしています。
でもね。
きっと、お家賃もたかいのだろうなー、大変だなー、
なんて、下すの勘ぐりをしてしまいます。

ああ、「田舎のねずみと都会のねずみ」って、お話ありましたね。
さしずめ私は、都会にも行ったことがある田舎のネズミなのでしょうか。
あのショーウィンドの向こう側の、タキシード姿の店員さんも、姿に見えるほど生活が楽じゃないのにね、きっと。
そりゃ、そうですね、と、同行の若者の返事。

超高層ビルの中は、大人のゲームが繰り広げられているかのようでした。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

基礎年金、税方式に賛成です。

2008-05-20 03:28:51 | 社会問題
基礎年金は、厚生年金などの場合の基礎部分。国民年金に相当する部分です。
40年払い続けて66,000円の給付が受けられる部分のことです。

①給与所得者の場合は、社会保険料として、対応する金額の2分の1を控除されており、残りの2分の1は雇い主(会社)が、負担しているのです。
②給与所得者の配偶者控除を受けられる妻は、支払わなくても払ったことになる扱いです。
③自営業者やアルバイト、フリーターなどは、国民年金として月額14,410円、年額17万円あまりの納付義務があります。

これが現状です。
早速、給与所得者のケースでは、負担増になると、新聞は報道しています。
でも、考えて欲しいのです。
自営業者は、当然夫婦で二人分納付、月額28,820円です。
ところが、専業主婦のサラリーマン家庭では、夫分の2分の1の負担、7,205円です。
いやー、夫の控除はもっと多いと思われるでしょう。
それは厚生年金であり、将来納付分に相応して年金給付となる部分です。
自営業者には、この部分がありません。
だから、給与所得者の未亡人には、遺族年金という概念がありますが、国民年金は、個人として納付しているので、遺族年金というものがないのです。

この仕組み、公正でしょうか。
国民年金を40年納め続けるということは大変なことです。
25年以上掛けていないと、そもそも給付対象になれません。
納めていなくても納めたことにする、カラ期間という扱いもあるようですが、当然受取額が減るわけで、国民年金3万~4万円ってのもあり、です。

個人事業者のの奥さんであれば、奥さんとしての仕事も、子育てもしているでしょう。
でも、夫が給与所得者でないと、「払わなくても払ったことにする」という扱いが、ないのです。
個人事業者の奥さんだったけれど、事業が苦しくて年金掛け金も払えず、離婚後、無年金になる自分の将来を考えて、年の離れた年金受給者と結婚するという話も知っています。

個人企業の底辺をがんばってきた多くの人を知っています。
毎月の支払いに追われ、自分の年金どころではない人たち・・・。

中小企業の経営者は、会社負担分が重くのしかかってきているのが現実です。
厚生年金該当者の社会保険料は、給料の14.996%。この金額を本人と会社が折半で納めているのです。全従業員の給料の7.5%を、給料支払い以外に負担するって、大変なことです。

ダラダラと書いてしまいました。
問答無用に賦課される負担はできるだけ公平であって欲しいものです。

消費税で、基礎年金部分を賄う、というシステムに変わるとき、これまで掛けつづけてきた人に、これまで割負担の重くなる人、軽くなる人、それぞれでしょう。
でも、不公平に近づいていくのであれば、徴収費用、人件費等が軽減されるのであれば、消費税という形で、財源を確保する仕組みを支持したいと思っています。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

災害報道をみながら、

2008-05-19 06:24:43 | 社会問題
ミャンマーのサイクロンに続いて、四川省での大地震。
テレビでは相次ぐ災害報道をしています。
今朝の朝日新聞の朝刊では四川省の死者3万2000人超すとあります。神戸地震の記憶がある私には、その地震は、さらに何倍も大きい犠牲者が出ている大規模なものだったと、画面を眺めています。
一方、ミャンマーの方は外国の救援援助者の受入れを極度に制限し、被害状況も、ある日突然倍増したりして、被害状況認識にも、国民救助にも熱心さは感じられず、それよりも大事なこと(選挙)の後回しになっていると思ってしまいます。

中国の場合も、日本からの援助申込みに対し、救援要請があったのは、一呼吸後。
日本人レスキュー部部隊は準備して、要請を待っていました。
救援は時間との勝負、だったのに、ここでも少し残念です。

それでも、中国の場合は、格段の改善です。
10年ほど前の8月、北京に旅行していました。
そのとき、ガイドさんが、中国の新聞記事を紹介してくださいました。
トルコで大地震が起きた記事が載っていると。
そして、以前私達の国でも被災者30万人(?)規模の大地震がありました。
でも、その地震の情報は国外には出しませんでした。
国内の情報が世界に知られることを避けたかったから。
数年前に地震があったとき、事情は少し変化して、このときは海外にも報道しました。
トルコ地震が即座に世界各国に報道され、各国からの救援活動が受け入れられる新聞記事を、自分の国の国情とまだ行ったことのない外国の国情とは別物として眺めている彼でした。

そんな説明を受けた記憶がまだ耳に残っているものだから、今回の連日の報道は
中国という国の、更なる変化だ、とつくづく思います。

まだまだ行方不明者も多い中、これからも現地は大変です。
今日から、3日間聖火リレーを休むという対応もするようです。
中国が、四川省で被害にあっている人たちの悲しみを共有しようとする意思を示した現われ。
かつて、毛沢東が各地を視察に行くときは、行く先々は豊作の地ばかりだったといいます。
→だから、毛沢東の政策は大成功を収めている、という筋書きになるのです。
広い中国ですから、どんな災害や冷害が、日照りがあっても、どこかが快調な実りを得ているところがあり、毛主席には、良いところばかりの報告がなされていた、とのこと。
温家宝首相がすぐに現地に入り、数日後には胡金濤主席も住民を見舞っています。隔世の感です。

オリンピック景気に酔おうとしていた中国に、地震は思いがけない暗雲であり、被害克服は予想外の課題です。
それでも、両方をこなしていかなければならないのが現実。
被害を受けられた方々には、まだまだ困難な状況が続いているのでしょうが、力を持ってきた中国政府が文明国としての対応をすることは、世界の民度がぐっとアップしていくのだろうな、と思います。だって、中国は世界人口の6分の1はいるのですから。
それに比べると、ミャンマーは悲惨です。
情報を漏らさなかった頃の、中国に近いのでしょうか。
ミャンマーに隣接しているラオスでも、テレビの天気情報は昨日の天気を報道すると聞きました。天気予報というものがないのです。
ミャンマーでも、近づくサイクロンの情報が正しくは伝えられていなかったとのこと。
なんと、情報が伝わらない、伝えようとする意思がないということに、絶望の気配を感じます。
それでも、国連はじめ各国は、ミャンマーから流れてくる情報を伝えています。
完全ではなくても、被害情報を知ろうとしている、救援する意思はある、この情報を周りの国々は発信し続けています。
人って、捨てたモンじゃない。 (大仰な言い方ですね→自分)
年月がかかっても、必ず、改善の方に向かっていく、と信じています。

民主的であること、民主国家であることの大切さ、つくづく思います。

※ トルコ地震があったのは、1999年の8月。
その時のガイドさん、以前にもブログで書いたことがあるけれど、北京大学国際政治学科卒でした。
大学4年で、卒論も書き上げた時に、天安門事件があり、毎日デモに参加。そのこともあって、決まっていた日本の東北大学留学もボツになってしまったとか。
まだまだ、一般中国人が観光旅行で国外に出ることもできなかったのです。
彼は、どんなに海外で学びたかったか…。
同行の普通の平和な日本人観光客は、えっ、中国人は、外国へ出ることがそんなに困難?って、理解不能のようでした。
現在、日本の各地で、中国からの観光客に出合います。
本当に、そのオープンさは格段の前進だと思っています。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボーっと、土曜日。一区切り。

2008-05-17 08:47:39 | 私の雑感あれこれ
やっとの予定のない休日。
土日に泊りがけの予定が続き、身体が一段落を求めていた(笑い)ようだ。
スケジュールなく、ぼーっとしよう。

この1カ月半、仕事で沢山の問い合わせ電話を受けた。
不本意で怒りながら電話を掛けてくる人。
判らなくて、自信がなくてすがるような口調の人。
通知を読んで、確認の念押し電話の人。
判らないこと、不慣れなことは尋ねたくなるのは、自然の流れ。
でも、質問するなら、手元の書類を整理してから聞いてくれたらいいのにな。
届いた書類を、ワヤワヤにして、ドレドレと電話の向こうで探している気配。
ふふふ、時間がかかる。
尋ねたくて電話を掛けるのだったら、筆記用具ぐらい手元に置いて電話してくれたらいいのに、受話器を置いてとりに行く人。
ふふふ、こちらは他の電話も鳴っているのに、待つしかない。

二百件程の超える電話を受けて、判ったこと。
皆さん、理解されると、声のトーンが軽くなる、ということ。
これって、共通項、ですね。もちろん自分も含めて。・・・ホラ、なぞなぞが判ったときの気分、ふふふ。

きっと、社会保険庁に架かってくる電話は、もっともっと格段にしんどいのだろうなー、そう思ったりした。

ぼんやりと、不本意だったり、自分が損をするのじゃないかと思うと、愚痴のひとつ、ふたつ、イヤイヤ、とめどなく、相手を、仕組みを、なじりたくなる。

今、そんな標的になっているのが社会保険庁。
私の友人も、30年以上前の国民年金の掛け金が未払いになっていると糾弾していた。
電話をしてもラチがあかないと。

そんなときはね、まず、問題となっている箇所の自分の掛け金の状況を年月日順に一覧で判るように書くこと。
そして、それを説明できる資料をつけること。
資料を補足する記憶があれば、それも箇所書きに一覧に加えること。
その準備をして、相手に疑問を投げかければ、満足がいく回答になるかどうかは分からないけれど、モヤモヤは晴れると思うよ。

電話口や、窓口で、一方的に言葉で訴えられても、当事者に説明モレがあったりして、正確に伝わらないこともある。
書き留めれは、自分でもスッキリするし、説明は易くなるよ。
いつも言葉で伝えようとすると、結構中味の繰り返しも多くて、しんどくなって、不本意な気分になるのでは?
そういったことがある。

イヤー、その整理してまとめるっての、それができればいいのだけれど、それはできないのよー。

結構、混乱しているおばさんは、そんなものかな、と思ったりする。
いや、おじさんも。

あー、対応の方々、社会保険庁、大変だろうなー。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする