日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

暫定税率だったはずがウン十年

2008-01-29 08:19:56 | 社会問題
ガソリンに付加されている暫定税の終了期間を延長したくて、政府与党は躍起です。

-消費者重視の政治を― 

と国会開会の演説で福田首相が述べられたけれど、あっちの消費者を思い、こっちの消費者を考える、と使い分けると、結局どうとでも解釈できる・・・と、思ってしまいます。

-自民党には、ハトもタカもいなかった、いたのはサギばかりだった-

と言われてみれば、一番納得か(笑)。

日曜日の朝日新聞の川柳

-道路より道路工事が欲しいのです-

日本は土建業従事者のパーセンテージが格段に多いのだそうです。

そういえば、かつて1か月ほどロンドンに滞在していた娘のセリフ。
「ロンドンって、建築技術の発展が求められていないよね。汚れたらペンキ塗り返して使っているんだもの」
きっと、彼女のアパートはそうだったのでしょう。
この国は、作っては壊し、作っては壊しを繰り返すから、需要が多い、のかも。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数日前のニュースが耳に残って・・・。

2008-01-27 12:37:27 | 私の雑感あれこれ
曽野さんの本を読み進めているときに、耳に入ったニュース。

朝のNHK。

アメリカには、イラクのフィセイン政権を嫌って、亡命でやってきた人たちが7800人もいるとの事。
中には、アメリカ軍のイラク派兵の際の情報源として、軍に協力している人たちがいる、というニュース。
イラクで使われている言語、部族の情報、国民感情、地勢等々、アメリカ軍は自軍の目的達成のために、雇い入れているという。
勿論、現地に同行するときはアメリカ軍の軍服を着て。

亡命してアメリカに暮らすために、生活の手段も必要だから、とは判る、けれど、
まさか、亡命先で、自分の国を爆撃している国側の一人として加勢する立場になろうとは…。
やがて平和が戻っても、その戦時をあちら側だったものと、こちら側だったものの溝が埋まるのは難しいだろう。

でも、これが現実。
テレビニュースは、部族長との交渉のシュミレーションの場面を映していた。
和やかにサッカーの話題をして、部族長の身内の傷病手当の優遇を率先して…と。

ああ、争いの、力のせめぎあいの最先端には、こんな策略やら、人遣いやら、があるのか、と、その、ほんの一端を垣間見られただけ、だろう。

暖房の効いたリビングに届いたニュース。
解決の方法としての戦闘はいけない。
だから戦闘への加勢はいけない、

届かない声かもしれないけれど、ブログに記す。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「沖縄戦・渡嘉敷島『集団自決』の真実」 曽野綾子著 を読む

2008-01-24 07:46:05 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
作家曽野綾子さんが、渡嘉敷島で300名を超える集団自決があったという事実に着目し、昭和45年頃から関係者への取材を重ね、資料を分析しながら、ノンフィクションとしてまとめた「ある神話の風景」(昭和48年 文芸春秋)が先にあり、絶版になっていたものを、掲題の書名で、改めて2006年に出版したのが、本書です。
平明で飛躍することのない文章、結論を急がないで、事象をひとつひとつ検証する方法、事実を知ろうとする場合の、その丁寧な検証ぶりに曽野さんの仕事の誠実さ、その力量に圧倒されます。

・300名を超える集団自決があったのは、昭和20年3月28日。
・当時駐留していた赤松氏(25歳)の部隊は特攻隊(人間魚雷)で、任務は特攻隊長。
・隊員は、近い将来の任務の先に戦死があることを了解していたこと。
・守備部隊ではなかったため、現地住民との対応まで、任務の内になかったこと。

事態が急変して、特攻隊としての出撃がかなわぬことになって、アメリカ軍の上陸となる。土砂降りの雨。
艦砲射撃を受け戸惑う住民は、日本軍に助けを求めようとする。
敵に陣地を察知されてはかなわぬと、住民が近づくことを拒む日本軍。

・手りゅう弾を住民に渡したではないか、との疑問。
一般的には、招集された兵は地元を離れて派兵されるが、当時の沖縄では、急きょ地元住民から招集して防衛招集軍人となっていたため、軍から手りゅう弾を受け取った防衛招集軍人が、家族に手渡してしまったこと。但し不発が多くて、ナタなどの刃物やひもなどを使って、近い身内から、か弱いものから殺していった。

赤松隊長が渡嘉敷島での戦後25年の慰霊祭列席を拒まれたのは、昭和45年3月26日。
曽野綾子さんが、この本のために取材を始めたのも、昭和45年~。
大江健三郎さんの「沖縄ノート」出版、昭和45年。

曽野さんは取材の意図もあって、45年9月に開かれた赤松部隊の集まりに出席。
集団自決の記事は沢山出回っているけれど、報道機関が部隊の関係者に取材したケースは極端に少なく、多く世間に知れ渡っている、集団自決命令の情報の出所は、古波蔵惟好村長側から発せられた記事なり、文章ではなかろうかと受け止めたこと。

部外者からの現実的な意見として、こんな記述もある。

それは軍命令であったことにしないと、島民で死んだ人たちの遺族に年金が下りなかったのだ、という説。
戦傷病者戦没者遺族等援護法ができたのは昭和27年、渡嘉敷の場合は軍の要請で参加したということで、島民全部が準軍属とみなされ、気の毒で戦死とみなした。

とある。

本書の展開は、曽野さんが昭和63年4月家永訴訟の法廷で、
「できる限り直接資料にあたり、ご存知の方がいればお目にかかるやり方をとった。推論や断定を避け、矛盾した証言があっても、統一は図らないことを心がけた」と証言されたごとく、本書もその姿勢に徹していらっしゃる。

ひとつきりの真実が書かれているという趣旨はどこにも見当たりません。
曽野さんの調べらた限りの、事実が並んでいます。
その彼女が、書いておかねばならないとして、

私よりはるかに沖縄のことをよく知っていると思われる先輩の言葉として
「島の人は、とにかく何も話さんでしょう」
という、一言を加えています。
これほど、たどってきたけれど、村の人が話してくれたと思っていたけれど、
実は誰も、何も喋ってくれなかったのかもしれない。
人々は事のあまりの大きさにそれを表現する方法を初めから失っているのかもしれない。
と。

この本は、沖縄を知ることのためにも、曽野さんという物書きさんを知ることでも、幾重にも私にとって、かけがいのない出会いの本となりました。









コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビ討論番組から、心に引っかかったコメント

2008-01-16 12:22:22 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
先日の日曜に見たTV討論番組「そこまで言って委員会」で、パネラーの三宅さん(政治評論家、たけしのTVタックルでも常連の方)のコメントが、心に引っかかっている。

・・・記憶から再現してみると・・・

談合、談合っていうけれど、私はそれを言っているマスコミが一番談合しているとおもっている。
マスコミ、新聞なんて、今に始まったことじゃない。
戦争中も、朝日(新聞)も、みんなこぞって、戦争をあおるような記事を毎日書いていたじゃないですか。(←パネラーの中で最高齢だから、説得力がある)
今は、事件が起こったら、みんな警察や検察に取材に行きます。記者クラブという控え室とかがあって、担当者はいつもそこに顔を出すんです。
そこで拾ったことを記事にするのでしょ。警察や検察の嫌がることを書くと、出入り禁止になるわけ、そんなことがあっちゃぁ大変、と、みんな嫌がることを書かない、という流れで、これって結果的に談合と同じじゃないですか。

・・・以上・・・

うーん、そうなのだろうな、と頭の中で場面を想像してみる。
例えば、あのライブドアの堀江氏とか村上ファンドの時も、マスコミは逐一報道するけれど、出てくる進行状況は、官製というか、警察、検察がながしているのだろうなという情報ばかりだった記憶。
そして、こんなこぼれ話題を見たことも、
かつて、まだ絶大な権限を持っていた頃の鈴木宗男代議士宅に夜討朝駆けで取材に行くと、彼はいつも取材記者に北海道特産の蟹を振舞ってくれたとか、(←これでは、悪い記事は書けません)

そういう、こんな討論番組であっても、各コメンティターのスタンスの割り振りがおのずとできているようで、今後もパネリストとして呼んでもらうためのトーク、なんて意識しての発言もあると思うし、番組構成者の目線で行くと、これも談合の匂いがしないでもない・・・。
うーん、ややこしい。
一億総○○、という流れになることなかれ。言論の自由奪うことなかれ。
ということでしょうか。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログがあるからこその恩恵

2008-01-14 10:16:21 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
いつもお訪ねしているブログで紹介されていたブログをだずねて、そこでまた紹介されていた、「読書感想文」です。
小学2年生の女の子の読んだ本は、あの宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」。
ブログがあるからこその出会い、こんな感慨を持ちました。
小学校2年生の作文に泣かせられたよ
もし、時間がありましたらお訪ねください。
きっと、わたしのところを訪ねられる方には、既にお読みの方もあると思いますが、訪問先が重なっていない方々もいらっしゃるかと、思いまして。


そして、もうひとつ、追加します。
また、同様に、こんな文章に出会いました。
作家曽野綾子さんの「どこまで恵まれれば気が済む
背筋をビシッと叩かれたように思います。
時々自分に言い聞かせたくなる文章です。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日、テロ特別措置法が衆議院で再可決された

2008-01-12 22:10:19 | 社会問題
そりゃ、参院で否決されたときは、衆院で再度審議し、3分の2以上の賛成があれば、法案が成立する、そのルールに則って、昨日テロ特措法は成立しました。

去年の参院選挙で自民党が大敗を喫し、衆参で、多数党が違うというねじれ国会だから発生した57年振りの、再可決だそうです。

民主党の鳩山氏はコメントで、直近の国政選挙での民意は、民主党支持が多いのに、なぜ参院否決の時点で、国民の意思を問うための選挙をしないのかと、いっていました。

多分、今衆院を解散総選挙すると、衆院の自民党議員が減じる可能性が大だから、3分の2の賛成が確保できる今、国会延長を重ねても、法案を通したい、現政権のその願いは、国政が民意の上で行なわれる、という趣旨から遠いように感じる。

で、振り返ってみるに、小泉政権が郵政民営化、構造改革の徹底、特殊法人の整理とか、これまでのばら撒き政治ではなく、赤字財政からの脱却を支持するつもりで、私は、あの時初めて自民党に投票しました。
小泉首相の靖国参拝、イラク派兵は不支持だったけれど、ひとまず族議員や派閥から自由な小泉政治に一票を入れたのです。

今になって、そのときの総選挙において自民党大勝であったことが、このような力で押し切る自民党に連なってきてしまったことを、ふと思います。

時限立法だと、また厄介だから、一度決めたら、再チェックしなくてもいいように…、なんて小耳に挟みました。

ズルズルときな臭い方向に進みたくないのです。
でも、実はアメリカで政権交代が行なわれ、民主党政権になる可能性に願いをかけなければならない、私は日本人なのに、きっとアメリカの次期政権が方針を変えるだろうから、そのときは日本も変わるだろう…、なんて、思っています。
変ですよね。
私は、この国、日本人で、日本の政治に参政権があるのに。アメリカの方針変更に期待しているなんて。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「厚生年金保険 納付額の不正、見つかる」のニュース

2008-01-10 09:52:51 | 社会問題
昨日、何時のニュースだったか忘れたけれど、「厚生年金保険料が正当に納付されていないケースが見つかった」とのテレビ報道を見た。
私的には、さもありなん、との感をうける。
厚生年金保険料や健康保険料は、雇用主が社会保険事務所に支払い給料・賞与を書類で毎年報告することで決定される。標準月額報酬の決定書が送られてきて、それに基づいて、保険料が決まり、雇用主と本人が折半で負担する。
ニュースでは、「雇い主が報告する金額が実際より低額に報告され、よって標準報酬も低い決定がなされていたケース」を指摘していた。
結果として、雇用主の負担が減り、その時点での従業員の控除額が少なくなり、給料手取り額が多くなる。
けれど、将来支払われる年金は、実際に納められてた年金保険料に対応したものだから、受取額が少なくなる、ということ。
全国的に調べると、今回と同様の届出は、多々でてくるのではないだろうか。
現在のシステムだと、雇用主が半分負担のこの半分の金額が、利益率の少ないところでしのぎを削っている業界にとっては、苦しいところではないだろうか。
企業の社会保険料の届出を専門家として、依頼されて仕事をしているのは、社会保険労務士です。
企業から依頼を受けて監査の任にあたる監査法人が、会社の経理の不正を摘発する力を持ち合わせていない、ケースが見受けられたと同様に、社会保険労務士にあっても、依頼会社側へ与しがちになるのではないでしょうか。
杞憂であれば、幸いですけれど・・・。
パンドラの箱を開いた、ことにならなければいいけれど・・・。

つけたしてで、
厚生年金制度は男性が昭和17年から、女性は昭和19年から施行されている制度とのことです。
資本の保証がなくても株式会社を設立することになった現在と、戦争中の70年前とは、比べようもない程、世の中が変わってきています。
40年間、年毎の収入に応じた納付額を確定し収める・・・、うーん、基礎年金に統一するとか、その基礎年金部分、積み立てていく制度だと、また現在のように維持管理の費用がかかるので、消費税等で徴収して、国民に生活保障の基礎部分を給付の形にしたほうがいいのでは…。
そして、それ以上の生活を求める場合は、自分の管理で、貯蓄、積立等するという仕組み、こっちのほうがいいと思うけれどなー。
毎月の給料から社会保険料の内の厚生年金保険料の控除、なくなります、
いかがですか。
と、私見です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

活きている食べ物の話

2008-01-08 14:54:17 | 私の雑感あれこれ
「鮮度」は、食べ物については贅沢なのでしょうが、こんな場合、微妙、です。

その1 年末に息子から「活きエビ」が届く。
実はちょっと苦手、というか、初めて頂いた時の、エビの活きの良さにびっくりして、尻込みしてしまった経験がある。
もみ殻の中に、エビを探そうと手を入れると、跳ねて、捕まえようとしたら、マナ板から床へジャンプ。
考えてみれば、命の瀬戸際。必死になって飛び跳ねるのもむべなるかな、です。
噛みつくわけではないけれど、包丁を持つ私は、ヒビッてしまいました。
で、二回目に頂いた時は、一晩冷蔵庫の中で過ごしていただきました。
元気がなくなるように。・・・でも、これってエビ自身は苦しい時間が延びるだけで、決してやさしくはないのですよね。
で、今回3度目は息子からのお歳暮です。活きエビは、食べるのも、食べないのも、気が重い頂き物なのです。

その2 鯛の活き作りを食す。
お正月、少し贅沢に温泉付き昼食を味わう。
海原一望の食事の席に届いた、鯛の活き作り。
身は透き通るようで、おいしいのですが、お隣の席から、「この魚、目が・・・」。わがテーブルの鯛の目を見ると、同じく目玉が震えているのです。
舟盛りで、お頭付きで出てきたお刺身は経験あり、ですが、目がウルウル、尻尾がピクピク、は、舌はおいしいと感じていましたが(汗)、後味は・・・。

その3 豚を食す。
これは私ではなく、R国で体験してきた娘の話。
歓迎の食事として、ブタを買う。生きている豚1匹。黒かったというから、偽装の余地もなく黒豚。それを賭して御馳走とのこと。
もちろんトリもらしいけれど、鶏ではなく、ダック(あひる)だそうで…、なんとも世界が違う。私にはダメです。

なんと、食に関しては、わがままでひ弱なことか、と、思わざるをえません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKドラマ「篤姫」を見る

2008-01-07 21:43:30 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
昨日から始まった、日曜夜のNHKドラマ「篤姫」を見る。
この時間帯は別用があることから、大河ドラマは、ほとんど見たことがない、のに、録画して見た。
テロップが流れて、宮尾登美子原作とわかり、あー、そうなのか、とまったく、低レベルの納得をしている。
時代が幕末で、いわゆる歴史ものとしては、最近物に属すること、主演の宮崎あおいさんの髷姿の顔写真が、いわゆる白塗りでなく自然体であったこと、などから、自分の尺度ながら好感を持って、話題を見聞きしていました。
視聴者を意識したドラマ仕立てになってはいるのでしょうが、この一年は、宮尾さんの筆になったひとりの女性を、彼女を取り巻く男性陣を楽しみたいと思います。

早速再認識しました。
藩主はほとんど江戸住まい。藩主の嫡男(島津斉彬)も、ずっと江戸屋敷で育ち、国許を知るのは成人してから、という仕組み。
徳川幕府というのは、各藩に豊かになってもらっては困るので、トップは江戸屋敷に駐在させ(幕府はこの方が大名を管理しやすい)、参勤交代で藩主が国許に帰っても、きっと嫡男は江戸に残るのでしょう。なんとも費用がかさむ仕組みが作られている。よって国許の民百姓は、江戸住まいの藩の殿様から常に絞られキュウキュウというのが実態。
そのほうがいいのです。豊かになって幕府に楯突くための武器弾薬を揃えられるのが一番困るのでしょうから。
先のブログに書いた、藤沢周平著「風の果て」では、藩内の支出の6倍の費用が江戸屋敷でかかっている、という記述がありました。
こんな風に、各藩が江戸で散財したことが、江戸文化発達の源、なのでしょうね。
国が、国民が豊かになることを目指すのではなく、時の政権の安泰を目指す、
あー、これが封建政治の実態。
300年もこの体制が続き、民主という概念がそもそも育っていない時代が、どのように変わっていくのか--。
活字本で既にこの時代の歴史が血肉になっている人には、ドラマの矛盾が目に付くかもしれませんが、私としては、うーーん、それなりに学べます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末に・・・、そして。

2008-01-07 08:08:50 | 私の雑感あれこれ
末娘はR国に出かけた。
利用空港が我が家の近くだったことから、出発前の数日を我が家で過ごした。
彼女が持ってきた荷物は20キロ。持ち込み重量の目いっぱいだそうです。
彼のお兄さんの赤ちゃんのための粉ミルク4缶。彼のお父さん、お母さんの洋服、靴。甥や姪のためのお絵かき帳にクレヨン。彼の妹のためのアイラインなどの化粧品も。
赤ちゃんのおもちゃを買いそびれたと、近くの店で買い足していました。
そんな荷物でトランクはぎっしり。
そして、出発前夜、彼もどっさりの荷物を持ってやってきて、荷造りして、翌朝最寄り駅まで見送りました。

「お母さん、家に私の衣類を残してきたけれど、忘れ物じゃないからね。入らなかったから、置いておくから・・・」

自分の着替えを減らしてでも、彼の故郷へのお土産優先。

はきなれたスニーカーにジーンズ姿。
トランクを引く姿は、かつて何度も海外へ飛び立った姿に重なり、T子らしい、とそう思って、駅舎に入っていく姿を見送りました。

お母さんは心配しているかもしれないけれど、いいんだよ。私はなにも心配していないから、お母さんがする心配は、必要がないんだよ。

彼女がお土産を荷造りしながら語った言葉を、反芻しながら年の暮を送りました。

大晦日の晩、電話がありました。
国際電話。
お母さん、私、27日に結婚式をしたの、と。

知ってはいたものの、こんな伝えられ方で聞くのだと、その電話が、不用意な私の耳に飛び込んできたので、彼女の話の聞き手であること、健康を気遣うことに精一杯でした。

人間が小さいのだろうと、そう思います。
失礼なのだと思います。
私の役目は、娘を信じ、祝福してやるべきなのに、
先方へのお土産を2人で40キロ詰めて、自分用には少しの身の回り品をだけ持っていく。
そりゃ、先方は、着る物、生活品、のどれをも不足しているのだから、当然なのです。

彼女の選択だから、私が心配するのは、お門違い
そう、何度も、自分に言い聞かせている、胆の据わっていない、母親、がいる。

その彼女は、今日帰国する予定。
2人で行動しているだろうから、これまでの何度かの一人旅と違って、道中の危険とかへの気遣いは少ない。

私が心配すべきことは、自分自身のことであるべきであり、余計な心配をしている、と、笑っている人生の先輩もいらっしゃることだろう。
私って、こんな程度です。

自分を、自分の生活を磨くことを怠って、しなくてもいい心配をしている、これって、証です。
なんの?
・・・バカ、の。

新年、初ブログなのに、吐き出してしまいました。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする