本棚で埃をかぶっていた文庫本を引っ張り出して読む。
昭和42年第3版の文庫本だから、買い求めてから随分経っているし、中味の記憶もない。先日朝日新聞で、この本の感想文が取り上げられていたのが目に留まり、読んでみようか、と引っ張り出した次第です。
女学校へ通うげんと中学校に入学した弟がともに通学する光景から小説は始まる。
中学生になって早々、弟は不良グループに巻き込まれ、素行が次第に悪くなる。
リウマチで家事ができない継母に替わって、家事を任されながら、弟の不良振りから目が話せない姉げん。
堅実な姉はハラハラしながらも、なさぬ仲の母親に替わって弟を気遣う。
何事も上手くいかずに、横道にそれようとしている弟の心は、げんの思いにも当然素直に対応しない。
物書きの父。不平不満の多い継母。地味で母親代わりの役回りの姉げん。行き当たりばったりの生活に明け暮れるおとうと。
家族ではありながら、ぬくもりの薄さはぬぐえない。それをつくづく感じながら、どうしようもなく思っているところに、弟が結核にかかっていることが分かり、げんは、おとうとの看病に誠意を持って尽くしていく。
今日、この本読み終わったところ。
そして、仕事の合間に交わした、ほんのちょっとした言葉を記す。
困りごとを抱えた弟と付き添ってくる兄。
厄介な問題を抱えた父親と、付き添ってくる息子。
そんなケースにしばしば出くわす。
素質として力が弱くて、またはいい加減なところがあって、
つい、トラブルに巻き込まれていくというケースも、いくつも見ている。
家族って、大変だね。
きっと、小さいときから、いじめられたり、忘れっぽかったり、無責任だったりして、小さいトラブルを起こしてきたんだろうか。
だとしたら、今、ここで解決しても、これで全部問題が解決できて、今後困難は発生しないって、保証はないよね。
気が弱くてルーズだったり、の性格はこれからも就いてまわるのだし、また何か問題を起こしても、家族はその問題解決に取り組まなくては成らないんだね。
ーーきっと、こんな子いなければって、思う瞬間がないだろうか。
ーーやだなー。自分の中の、そんな人としての汚い部分を見なくてはならないってことが、いやだなー。
ーー不出来な子供とか、ルーズな親がいないと、そんな思いになることなく一生を送れるのに。
ーーきれい事を言っている人って、こんな家族を抱えていない人だったりして・・・。
今日、幸田文の小説「おとうと」を読み終わったばかりだったので、上の会話が、ズシンと来た。
姉げんは文さん自身らしい。幸田露伴の娘だった彼女は50代で物書きになった人。
父母が不仲であっても、姉弟には継母であっても、げんには家族です。げんにとって、おとうとは、不良ではあっても、かけがえのないおとうとであることを、その看病で徹底してみせるのです。
時々出てくる露伴の投影なのだろうと思われる父親の示唆は、表現は今風ではないけれど、息子の人となりをよく把握しているし、充分に息子への愛情で溢れている。
思慮浅く、不始末の連続であっても、げんの弟であり、継母とのあいだが上手くいかなければ行かないほど、母親役も引き受けなくては成らない存在、家族というものなのです。
文章もよくって、滋味ある本でした。
現実の家族も、小説に劣らず、家族の中のそれぞれの役割を担っている。
さて、我が家のケースは?
昭和42年第3版の文庫本だから、買い求めてから随分経っているし、中味の記憶もない。先日朝日新聞で、この本の感想文が取り上げられていたのが目に留まり、読んでみようか、と引っ張り出した次第です。
女学校へ通うげんと中学校に入学した弟がともに通学する光景から小説は始まる。
中学生になって早々、弟は不良グループに巻き込まれ、素行が次第に悪くなる。
リウマチで家事ができない継母に替わって、家事を任されながら、弟の不良振りから目が話せない姉げん。
堅実な姉はハラハラしながらも、なさぬ仲の母親に替わって弟を気遣う。
何事も上手くいかずに、横道にそれようとしている弟の心は、げんの思いにも当然素直に対応しない。
物書きの父。不平不満の多い継母。地味で母親代わりの役回りの姉げん。行き当たりばったりの生活に明け暮れるおとうと。
家族ではありながら、ぬくもりの薄さはぬぐえない。それをつくづく感じながら、どうしようもなく思っているところに、弟が結核にかかっていることが分かり、げんは、おとうとの看病に誠意を持って尽くしていく。
今日、この本読み終わったところ。
そして、仕事の合間に交わした、ほんのちょっとした言葉を記す。
困りごとを抱えた弟と付き添ってくる兄。
厄介な問題を抱えた父親と、付き添ってくる息子。
そんなケースにしばしば出くわす。
素質として力が弱くて、またはいい加減なところがあって、
つい、トラブルに巻き込まれていくというケースも、いくつも見ている。
家族って、大変だね。
きっと、小さいときから、いじめられたり、忘れっぽかったり、無責任だったりして、小さいトラブルを起こしてきたんだろうか。
だとしたら、今、ここで解決しても、これで全部問題が解決できて、今後困難は発生しないって、保証はないよね。
気が弱くてルーズだったり、の性格はこれからも就いてまわるのだし、また何か問題を起こしても、家族はその問題解決に取り組まなくては成らないんだね。
ーーきっと、こんな子いなければって、思う瞬間がないだろうか。
ーーやだなー。自分の中の、そんな人としての汚い部分を見なくてはならないってことが、いやだなー。
ーー不出来な子供とか、ルーズな親がいないと、そんな思いになることなく一生を送れるのに。
ーーきれい事を言っている人って、こんな家族を抱えていない人だったりして・・・。
今日、幸田文の小説「おとうと」を読み終わったばかりだったので、上の会話が、ズシンと来た。
姉げんは文さん自身らしい。幸田露伴の娘だった彼女は50代で物書きになった人。
父母が不仲であっても、姉弟には継母であっても、げんには家族です。げんにとって、おとうとは、不良ではあっても、かけがえのないおとうとであることを、その看病で徹底してみせるのです。
時々出てくる露伴の投影なのだろうと思われる父親の示唆は、表現は今風ではないけれど、息子の人となりをよく把握しているし、充分に息子への愛情で溢れている。
思慮浅く、不始末の連続であっても、げんの弟であり、継母とのあいだが上手くいかなければ行かないほど、母親役も引き受けなくては成らない存在、家族というものなのです。
文章もよくって、滋味ある本でした。
現実の家族も、小説に劣らず、家族の中のそれぞれの役割を担っている。
さて、我が家のケースは?