日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

幸田文著「おとうと」を読む

2009-10-28 21:26:43 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
本棚で埃をかぶっていた文庫本を引っ張り出して読む。
昭和42年第3版の文庫本だから、買い求めてから随分経っているし、中味の記憶もない。先日朝日新聞で、この本の感想文が取り上げられていたのが目に留まり、読んでみようか、と引っ張り出した次第です。
女学校へ通うげんと中学校に入学した弟がともに通学する光景から小説は始まる。
中学生になって早々、弟は不良グループに巻き込まれ、素行が次第に悪くなる。
リウマチで家事ができない継母に替わって、家事を任されながら、弟の不良振りから目が話せない姉げん。
堅実な姉はハラハラしながらも、なさぬ仲の母親に替わって弟を気遣う。
何事も上手くいかずに、横道にそれようとしている弟の心は、げんの思いにも当然素直に対応しない。
物書きの父。不平不満の多い継母。地味で母親代わりの役回りの姉げん。行き当たりばったりの生活に明け暮れるおとうと。
家族ではありながら、ぬくもりの薄さはぬぐえない。それをつくづく感じながら、どうしようもなく思っているところに、弟が結核にかかっていることが分かり、げんは、おとうとの看病に誠意を持って尽くしていく。

今日、この本読み終わったところ。

そして、仕事の合間に交わした、ほんのちょっとした言葉を記す。

困りごとを抱えた弟と付き添ってくる兄。
厄介な問題を抱えた父親と、付き添ってくる息子。

そんなケースにしばしば出くわす。

素質として力が弱くて、またはいい加減なところがあって、
つい、トラブルに巻き込まれていくというケースも、いくつも見ている。

家族って、大変だね。
きっと、小さいときから、いじめられたり、忘れっぽかったり、無責任だったりして、小さいトラブルを起こしてきたんだろうか。

だとしたら、今、ここで解決しても、これで全部問題が解決できて、今後困難は発生しないって、保証はないよね。

気が弱くてルーズだったり、の性格はこれからも就いてまわるのだし、また何か問題を起こしても、家族はその問題解決に取り組まなくては成らないんだね。

ーーきっと、こんな子いなければって、思う瞬間がないだろうか。
ーーやだなー。自分の中の、そんな人としての汚い部分を見なくてはならないってことが、いやだなー。
ーー不出来な子供とか、ルーズな親がいないと、そんな思いになることなく一生を送れるのに。
ーーきれい事を言っている人って、こんな家族を抱えていない人だったりして・・・。

今日、幸田文の小説「おとうと」を読み終わったばかりだったので、上の会話が、ズシンと来た。
姉げんは文さん自身らしい。幸田露伴の娘だった彼女は50代で物書きになった人。
父母が不仲であっても、姉弟には継母であっても、げんには家族です。げんにとって、おとうとは、不良ではあっても、かけがえのないおとうとであることを、その看病で徹底してみせるのです。
時々出てくる露伴の投影なのだろうと思われる父親の示唆は、表現は今風ではないけれど、息子の人となりをよく把握しているし、充分に息子への愛情で溢れている。
思慮浅く、不始末の連続であっても、げんの弟であり、継母とのあいだが上手くいかなければ行かないほど、母親役も引き受けなくては成らない存在、家族というものなのです。

文章もよくって、滋味ある本でした。

現実の家族も、小説に劣らず、家族の中のそれぞれの役割を担っている。

さて、我が家のケースは?



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還暦の頃、私の場合

2009-10-23 07:32:32 | 私の雑感あれこれ
高校時代に、黒板の文字が見えにくいのが気になり、コンタクトレンズを利用したことはありますが、メガネが必要なほど近視ではありませんでした。
左目が0.3ぐらいでしたが、右目が1.0近くだったので、近視のメガネは使ったことがありません。
そんな具合の目でしたから、老眼になるのもゆっくり加減だったのです。
ーー私よりいくつか若い人でも、パンフレットを見えない、見えない、と困り果てているのを横目で見ていたこれまででした。

仕事場では、契約書の約款の細かい文字は、到底見えなくて、慎重を期して老眼鏡を掛けたり、虫眼鏡をいつも手元においていました。
印刷数字の5と6、そして8などとの判別は、厄介で、眼鏡と拡大鏡(シャンボ虫眼鏡)を重ねたりもして、時には無様な仕事振りではありました。
でも、平時は眼鏡不要の生活だったのです。

それが、それが、この還暦という曲がり角に来て、新聞を読むときに、先ず眼鏡を探すのが日常。地下鉄の中で本を読むときも、眼鏡無しで何とか、というわけには行かなくなりました。

ああ、このくっきりとした転換。
これから先は、もっともっと、眼鏡のお世話になるのでしょう。
その、面倒さの分だけ、日々の読んだり、取り掛かったりの、ペースが落ちるのでしょうね。

これでも、老眼の進度はゆっくりなのでしょう。
近視の人が言っていたことを覚えています。

文字を読むときの眼鏡。
パソコンを使うときの眼鏡。
普段の生活のときの眼鏡。
それぞれ度数が違って、面倒なのですよ、と。

長いこと、眼鏡無しの便利が普通だったから、少しの不都合に、ぼやいている案山子です。

あー面倒!
首からぶら下げる眼鏡を買おうかしら!
なんて。
それって、おしゃれっ気にマイナスですか?

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ブログは私見をいえる場だから、言っとこ。

2009-10-22 07:32:20 | 社会問題
えっ!
あんなに「脱官僚依存」
とか、
「事務次官会議の廃止」
とか、
「政府主導」
とかのフレーズが並んで、きっぱり、官僚の御膳立てに乗っかった政治はやらない主義だと思っていたのに。

世界一大規模な金融機関、保険機関の組織のトップに、元大蔵官僚、それも事務次官経験者を抜擢、とはこれいかに???

退任してから15年経過しているから、もう官僚色は抜けているっていう考えかしら。
社会人としての30年以上を、省庁で一番と言われた大蔵省で過し、そこのトップに上り詰めた人、ということは、その組織の習性、考え方で人生を送ってこられた方だと思います。
50代なかばから、70代半ばまで、他の職にあったといっても、彼が大蔵官僚でなかったら就任できたポストでしょうか。
やはり、事務次官経験者ということで遇されたポストだと想像してしまいます。
彼が、どんな抜本的な手腕を成功なさった方かは存じません。
けれども、こんなにまで、官僚に負ぶさることを廃して行政をリードする政治を心がけている今の鳩山内閣が選抜したとしたら、ミスキャストではないでしょうか。
西川氏退陣の顛末で、民間出身者の候補者が難航したのかも知れません。
でも、政権が変わったのです。
前政権が巻き起こした混乱の部分については、頭をたれてもいいじゃないですか。鳩山内閣なればこその人選を見たかったものです。
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子供手当てを国債発行でというのはやめて欲しい。

2009-10-21 07:19:16 | 社会問題
独り言です。
そりゃー、予算はトータル額が出て、不足すると国債で賄うということになり、子供手当てが即国債で、と明確にはならない仕組みだろうけれど、
うーーん、です。
娘の嫁入り道具をクレジットで買う人もいるでしょう。
冠婚葬祭のために、借金をする人もいるでしょう。
でも、殆どの人は、そうしなくてもいいように、予算を組んで暮らしています。

なのに、国が子供に渡すお金を、借金して作るって、えっ!
その借金は将来子供たちが背負っていくものです。

どうしても必要、という困窮世帯であれば、最近よく聞く生活保護とか、児童手当という対処になるのではないでしょうか。

埋蔵金があるから資金は大丈夫、というのが、総選挙の時のうたい文句だったと思います。
埋蔵金を掘り当てたのであれば、説明して欲しいし、残念ながら掘り当てられなかったのであれば、それなりの対策へと進むべきでしょう。

2万6千円の子供手当てをもらっても、それを上回る保育費用がかかるひともいるのではありませんか。
待機児童ゼロ対策、とか、コンパクトな子育て環境を作っていくためにコストを回すと、地域での仕事も増えるし、有効活用だと思うのですけれど。

最近の中学生って、殆ど塾通い、と聞きました。
あー、子供手当てって、塾費用相当分なのかしら、なんて、咄嗟に思ったのですが。
公教育を充実させる(※)と、塾に通う必要はない、という考え方の案山子としては、なんだか、お金を回すための政策のように思えます。

(※)義務教育時代は、少人数学級とか、各教室にサポート教員を配置するとか、それだけで、充分中味の濃い学習環境を提供できると思っています。
ウン十年前に比べると、質のよい環境がありながら、さらにお金をかけて、夜まで勉強という拘束を子供に強いているのは、いかがでしょう。
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えっ!これまでの無駄をカットするといっている政権なのに、90兆円超!

2009-10-19 21:32:10 | 社会問題
概算要求95兆円に対し、92兆円以下にはしたいとか、仙谷行政刷新担当議員のコメントがありました。
46兆円の税収が40兆円程度に減少するのではと言われているおりから、「92兆円までには押さえる」とか、数字が大きすぎるように思えて仕方がなかった。
なーんだ、結局国債発行して、国民のためにやっている!と思わせられて、結局次世代に借金の先送りをすることに変わりがないじゃないの。
そう思っていたものだから、鳩山首相の下記の発言に、状況判断能力の高さ、首相の国民目線を思いました。
政権交代を望んだけれど、予算オーバー無視でのマニフェスト実施最優先までは望んでいなかった一人としては、少し安心してもいいでしょうか。
さぁて、どういう方向に向かいますやら。

◆以下ネットの産経ニュースより◆

鳩山由紀夫首相は19日夜、報道各社の世論調査で衆院選マニフェスト(政権公約)実現よりも赤字国債増発を慎重にすべきだとの回答が多数を占めたことについて、「子供たちにツケを回してはいけないという気持ちは大切にしたい。むやみに発行される状態は何としても避けなければいけない」と述べた。首相官邸で記者団に答えた。国債増発に慎重な考えを示したものだ。

 首相は「国民は柔軟だ。マニフェストだけにこだわるのも国民に失礼な話になるかもしれない。柔軟に考える工夫が必要だ。(世論調査は)そういう指針を与えてくれた」と語った。

 首相は15日には「国民がマニフェスト実現よりも国債をこれ以上発行してはいけないというなら、そういう方向もある」と述べ、判断を世論に委ねる姿勢を示していた。
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食器洗い機がやってきた♪♪

2009-10-17 10:18:17 | 私の雑感あれこれ
新しいキッチンになって、食器洗い機が加わった。
友人に、その話をすると、「既にある」という人が多くて、我が家が遅れていたの?という気分。
でも、一人を除き経験者の使い勝手評はイマイチでした。トホホ。

さて、我が家では。
ぎこちなくタイマー設定して、使い始めました。
初めての翌朝は、ピッカピカのグラスやお皿にうっとり!

すごいものですね~。
でも、手で洗える食器を機械にお願いするなんて、
と、
以前の私は思ったでしょう。
でも、
もう、いいんです。
(考えてみれば、水汲みも水道の恩恵を受けているし、お洗濯も洗濯機にお願いしているわけですし…)

夫と同時に帰宅し、
夕食を作り、食べて、
後片付けの段階では余力がなくなっていたのです。

で、夫が皿洗いをしていました。
ほろ酔い加減のアルコールが入った身体では、食器洗いは苦行だったかもしれません。

洗いに使う水が少なくて済むってこと。
まあ、電気代がかかりますが、

子育て終わったアラカンなのですから、ヨシとします。
メーカーの案内では、もっと家族数が多くてもOKのはずでしたが、そんなには入らず、二人家族に丁度です。

一日にどれくらいの食器を使うか、その食器をどう食器洗い機にセットするか、今まで経験していない思考の角度が一つ加わった感覚です。

まことに、よい塩梅です。

※朝から一日分、といっても、週日の昼は自宅にいませんから。
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一文を記す。夫婦別姓のこと。

2009-10-12 10:39:06 | 私の雑感あれこれ
政権交代して、弁護士出身の千葉さんという方が法務大臣になられました。
同じく弁護士出身の福島さんも入閣し、大臣です。
鳩山内閣は、霞ヶ関から上がってきた法案を国会審議に回すのではなく、内閣で法案を検討して国会に提出する、という大転換を掲げています。
で、女性大臣がお二人。
お二人とも「選択的夫婦別姓」の法案の国会提出に前向きな方とか。
そう、福島さんは、一貫して別姓で通してこられたかたです。
法律家の二人の女性が閣内にいらっしゃるのであれば、そりゃーそうなるでしょう。
と、報道の紙面に目をやっていました。
で、男性閣僚の方々は?
すんなり内閣府の法案として、国会に提出、となるのだろうか。
そんな思いでした。

で、先日のネットニュース欄では
鳩山首相は「選択的夫婦別姓」は、まだ、その時期に来ていない・・・、という文面がありました。

ふーん、100%別姓ではなく、「選択的」と冠しているのに、それでも時期尚早?
私の知る限りでは、30年以上前から、{夫婦別姓」の論議はありました。
家制度から、個人として尊重されると謳う現在の憲法になって60年。
「選択的夫婦別姓」は受け入れるときが着ているのではないでしょうか。
姉妹しかいないケースで墓守の心配がなくなります。
世界的に論文発表をしている人は、改姓で、同一人物であることを、あえて説明しなくてはならない、という面倒もなくなります。

みんなが別姓にしなくてもいいのです。
で、なんで時期が来ていない?
二人もの女性弁護士が入閣した、いい機会なのに。
いろんな懸案を抱えていて、それどころではなく面倒なのかしら?

数年前、さる大学院では、別姓で定期試験を受けることを認めていたと聞きました。
結婚している女性の何人かは、戸籍と違う姓で通しているとのこと。
ふーん、組織の中には、理解度はそこまで来ているのかしら、と、感慨深く聞いていました。
35年ほど前、山崎朋子さんの書き物から、この問題を知り、元NHKのアナウンサーYさんも、別姓で通していらっしゃるとも聞いていました。
仕事場では別姓で通しているわたしも、少し、その端くれです。

昨今、高学歴女性にも専業主婦願望が強いそうです。
生活の安定優先だから、夫婦別姓どころではないのでしょうか。
でも、抱き、暖めてきた30年超の思いは、「選択的」で充分ですから、改姓しなくてもいい道を開いて欲しいものです。

うーん、鳩山さんの家庭では、思いも及ばない、想定外の発想、なのでしょうか。




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ビバ!ノーベル平和賞。

2009-10-09 22:09:36 | 私の雑感あれこれ
オスロもいいことをするもんだ!
ノーベル平和賞をオバマさんに、という。

プラハでのオバマ大統領の演説に、耳をそばだてた一人です。(実際は英語は分からないからテレビの字幕を読んだわけですが。苦笑)

すごいことを言葉にできる人だ。
言葉で、感動を与える、ココロを打つ、その極みを味わったような気分でした。
世界のリーダー国の
その国のリーダーが
プラハという東欧の町で、世界中の人々に宣言したメッセージの気高さ。

ソ連のサハロフ博士や
日本の湯川秀樹博士。
これまで、核兵器反対の旗を掲げてきて、この演説を知らないで亡くなった人々にも、オバマ大統領のメッセージを届けたい思いです。

賢くなった現代人であるはずが、
21世紀になっても、
9.11テロという現実を味わい、
超文明国アメリカがイラク攻撃を世界中目視(これも実際の目視ではなく、テレビでだけれど)の中で行なった。

世界の一等国の論理なのかと、声を呑んだ。
でも、ここに来て、オバマさんの存在。

ノルウェーのオスロのノーベル賞選定委員会だけでなく、みんなで平和賞を捧げたい気分です。
アホか、「みんなで」なんて、そんなの権威ないじゃないか、と言われるでしょうけれど。

人は捨てたモンじゃないですね。
こんな方を選んで為政者とする力を持っているのですから。

かつて、「佐藤栄作氏にノーベル平和賞」というニュースには、70年安保世代としては、??だったし、
平和賞は玉石混交もの、という思いも無きにしも非ず、でした。

でも、今年の人選はよかった!
ビバ!ノーベル平和賞、です。

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思えばこれが財産。

2009-10-03 10:21:40 | 私の雑感あれこれ
引越しやら、リフォームやらで、普段とは違う顔ぶれと接する機会がありました。
何度もの打ち合わせあり、予定変更あり、行程表の説明あり、エトセトラ・・・。
そのやり取り、説明がスムーズに進んで、実行されていく。
その一つ一つの業者と連絡をとることなく、コーディネーター役の会社の担当者を介して、作業が進んでいく。

各業者さん同士は、我が家というリフォーム現場で顔をあわせて、たまたま同じ日に各作業をしているだけなのだろうけれど、お互い他に迷惑がかからないように、黙々と仕事をしていかれる。

私たちは、そんなの当たり前でしょ、と思っているかもしれません。
でも、この仕組みを作り上げ、日本のどこにおいても、こり仕組みが機能しているって、すごいことじゃないのでしょうか。
レベルの高い基礎教育がなされているってことでしょう。

約束の日時・時間を守る、とか
負かされた仕事を責任を持って成し遂げる、とか
そんな大事なところを、殆どの人が弁えている
これが、私たちの国の財産!
そう思います。

それができない人(長期間のひきこもりとか)の増加傾向、それが、豊かになった私たちの国の課題なのでしょうね。


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ふふ、微妙に、揺れるのです。

2009-10-02 07:11:46 | 私の雑感あれこれ
いつもは始発電車で座って通勤なのだけれど、その日は途中乗車で立っていた。

あっ!席が空いた。
私の目の前ではなく、間に二人ほど人が立っている。残念!
当然に、空席の前の30代の人が座る。
次の駅で、年配者が乗ってくる。
その30代氏は、サッと立ち上がって、年配者に席を譲る。

そうなんだ。
席には座りたいけれど、世間的にはまだ、譲ってもらう年齢ではないのだな、シメシメ。
で、いつかくるのだろう。
私が前に立ちと、人が席を立つ日が。
そんなことが頭をよぎる。
この感覚は初めて!

「電車に乗ったら、手招きしてくれる人がいて、
それは、私に席を譲るってことだった」と話していた友人がいて、
気軽に笑い飛ばしていたことがあったけれど、彼女のショックに遅ればせながら同感。

ひっそりと、粛々と、それが笑い事ではなくなる日が、やってくるのだと、
そんな思いが、咄嗟に頭の中を一周した。

スタート時は様々だけれど、人はだれも月日の旅人。






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