空模様は雪ではなく、何とか助かった。
高速道路で6時間ほどの遠方にある夫の母親の入院先に向かう車の中で、小雨が降る前方を見やりながら、傍らの夫につぶやく。
私が、あなたのお母さんの介護のことに、自分にできることをしようとココロしているのはね、ただお母さんのためだけではないの。
あなたのお父さんとおばあちゃん(母親の母親)が、きっと、喜んでくれるだろうな、と思うから。
多分、あの二人は今の状況(80歳代で骨折で入院)を案じていると思う。お母さんには、私がいろいろ手配したりすることが通じなくても、あの二人は絶対に私のことを、できる範囲でだけれど、私の今しているを見守ってくれている筈。お母さんのためにする私を見ていてくれている筈だから…。
車の中。一人暮らしの夫の母親が入院してから、何度も、心の中で転がしていた思いを、言葉に出してつぶやいた。
ワイパーが雨粒をぬぐっている。
雪になりませんように。
その頃は関西に暮らしていたときだから、私がまだ20代の最後の年だったろうか。
2歳と3歳の子供を連れて、夫の実家に帰省していた。
子供たちは一番手のかかる最中である。
汽車で帰る段になって、荷物が多いから、宅急便で送れるものは送りたい。だからダンボールが欲しい。近所の八百屋さんで空き箱ないかしら
と、夫に頼んだ。
小さな子供達は、もちろん私の周りにまとわりついている。
-ウン?何だって?あんたはそんなことまで、夫に頼むの?引越しの世話もすべて夫にさせたのでしょう。
私、びっくり、です。
小さな子供を連れて私が行くより、自分が育つたところの近所の八百屋でダンボールひとつを貰って来れないかしら…、と言っただけなのに。
理屈ではないのです。
腹が立つのでしょう。
私は、ただ離れた小部屋で泣くだけでした。
そのとき、夫の母親の母親(そのとき70代)がやってきて、ささやいたのです。
○子さん、堪えてね。
泣いてちゃ駄目。堪えて。
-私は、子供を産むことができたけれど、子供の心までは産むことはできなかった。
あの子も、全部が全部悪いところばかりじゃないのだけれど…。
○子さん、目ふたつ(ひとり)だけだから、堪えてね。
(夫の)お父さんも、兄弟の二人も、なんにもとがめるような人ではないでしょう。
私は、姑、小姑、沢山の目が辛かった。あなたは、目ふたつ、それだけなのだから、堪えてね。
そして、こんなことを、あなたのお母さんには、言うもんじゃないよ。お母さんが悲しむから。お母さんを悲しませてはいけないですよ。
そういって、私の背中をさすってくれました。
びっくりしました。
なんという語りかけでしょう。-子供の心までは産めなかった…と。
私は、その後、何度も掌中で転がすように、おばあちゃんの語りかけを確かめながら生きてきたように思います。
帰省するごとに、夫の母親に接し、隣家で一人暮らしをしているその祖母とも顔をあわせていましたが、勿論、お互いそんな話をしたとの素振りも見せませんでした。
でも、私の中では、そのおばあちゃんの存在が、ココロの杖でした。
後年、子供たちも大人になって、二人の子供を連れて、100歳を超えたおばあちゃんに挨拶に行き、ひ孫の近況などを話していました。
話の継ぎ目で、おばあちゃんは、私の手をさするのです。
○子さん、私覚えていますよ。
みーんな、昔のこと、いろいろ覚えていますよ。
(ひ孫達は)いい子に育ったね。
どの子も本当にいい子ですね。あなたはいい子に育てた、と。
根堀りはほりは、お互い語りません。
だけれど、100歳を超えて、「みーんな」と、いう言い方で、私が夫の育つた家に行くようになった初めの頃からのことを、ひっくるめて「配慮していたよ」「判っていたよ」との暗号を私に送ってくれたようで、このときもびっくりでした。
あの子も、いいところもあるのだけれどもねー。
おばあちゃんにとっては、70代の娘も「あの子」です。
もう、30年近い年月が経ちました。
おばあちゃんもお父さんも、もう亡くなっていません。でも、長い間、ココロの杖として、私の中に登場していたものだから、生きているか亡くなったかなんて、どうでもいいのです。
私に、どこででも手に入れることができない
こういうことがあるのかと思うほどの、そんな杖を手渡してくれた、おばあちゃんのために、できる範囲でですけれど、夫の母の役に立つであろうことを、やっています。
千の風になって、おばあちゃんとお父さんが私の元にやってきてくれているのでしょう。
「千の風になって」訳詩、抜粋
私のお墓の前で 泣かないで下さい/そこに私はいません 眠
ってなんかいません/千の風に 千の風になって/あの大きな
空を 吹きわたっています …