日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

快晴。ガーデニング日和

2014-09-23 08:21:02 | 庭 9月
でも、「目の養生」という言い訳をつけて、ガーデニング時間は短めに切り上げています。
先日、庭仕事の終わりかけに、手術した目にホコリが入ったようで、ヒヤッとしてからは、サングラス必至です。

私のガーデニングは、自宅にいる日は、日になんども、ちょっと出ては作業、お気軽なので、私の腕には、今引っかき傷が多々、なのです。犯人はバラのトゲ。あまりにも伸びた枝(シュート)を切ったときの爪痕です。苦笑。
ハイ、今朝は長袖着用しました。


花壇の雑草管理について

簡便に庭の構図をノートに描いて、番号をふってみると、10ゾーンありました。もちろん広さはマチマチ。
これをほぼ均等の面積に区分けすると、6エリアになりました。
この6つに区分けされた1エリアを一日の管理(雑草取り)区域にすることにしました。
1週間で1ローテーション。
そういう目線で庭を捉え、一巡してしまえば、毎度毎度そんなに雑草は茂らないのでは、という魂胆、そして草取りしなくっちゃ、という負担感からも開放されそうに思うのです。
そして、1エリアの雑草取りをしたら、その日のノルマ完了で、ささやかな達成感を味わえるのでは、ということです。この作戦、いかがでしょうか。…って、庭仕事していない人には関係ないことですけどね。


そんな作業中に、サフランが白い新芽を出しているのを見つけたり!炎暑をやり過ごしたアリッサムが花をつけているのに気づいたり、ひそかな出会いもあります。



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見ようによっては微妙な事態かもしれないのだけれど。

2014-09-20 14:01:50 | 母のことなど
先日、弟夫婦のところで世話になっている母を訪ねた。
駅まで車で出迎えてくれた弟から、弟の奥さんのお父さんが脳梗塞で入院中、という話を初めて聞いた。
脳梗塞で右半身に麻痺が残った母は、介護が必要となり、これまでどおりの長男夫婦との暮らしが困難、ということで多人数部屋の施設に入る手続き中に、事情変更で弟夫婦宅で暮らすことになったという経緯がありました。
弟の奥さんは二人姉妹の長女で、ひとり暮らしのお父さんに何かあると世話をする立場、というのは了解事項でした。
母の退院時のドタバタも落ち着いた頃、
「お父さんも倒れたら、どうなるか、、」ということを弟は口にしました。
二人の高齢者を自宅で介護しろ、とは、社会は言わないと思うし、そうしたら高齢の母(
当時95歳)は、介護施設の入居順位が繰り上がって、入れるのじゃないかしら、そういうやり取りをしていた。
4人や6人部屋ではなく、ひとり部屋が可能であれば、悪くはないというのは、私の思い、なのです。
あー、いよいよ、そういう時が来たのか、と、思いました。

でも、弟夫婦や母の雰囲気は、これまでとはちっとも変わっていません。
母は、今の状況が居心地がいいのでしょう。お父さんが一人暮らしできないようなら、隣の和室に来てもらっても、、、なーんて、言ったりしています。

80代半ばのお父さんの気力はまだまだ元気で、リハビリ後には元の状態に復活できると確信していられるようです。
少しずつ、自分の状況を受け入れていくまでは、周りがなんといっても機嫌が悪くなるだけだから、2ヶ月ほどのリハビリ入院期間で様子を見ていくしかないのです、というのが弟夫婦の路線。

介護がまたまた増える、と大騒ぎもせず、なんと出来た人たちなんだ、と思うばかりです。

母は右半身に麻痺があって、それでもリハビリパンツを履くことを拒否しています。あっぱれ、なのでしょうか。デイサービスにいっても、自分は普通のパンツなんだ、というのが自慢のひとつなのでしょう、と弟の奥さん。自慢したい気力も大事なことだから、と受け入れる、フトコロの深い女性です。
私としては、ありがたい、に尽きます。


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映画「きっと うまくいく」を観る。

2014-09-20 13:38:49 | 映画・テレビドラマ・音楽
初めて見るインド映画「きっと うまくいく

WOWWOWの録画したものを見始めたのだけれど、不手際で途中で録画終わり、になってしまった。翌月にまた放映があり、録画したものの、またまた途中でストップ。
長編で170分の作品。
あとの30分ほどだろうけれど、次のWOWWOW放映を待てなくて、DVDを購入してしまった(
苦笑)。
予約リストに入れたのが、私か夫かも覚えておらず、時間もあるし、見るか、の気持ちで見始めたのです。
インド映画って、ゴテゴテしていて合わないかも、、、とも思っていました。
ところが、ついつい引き込まれていきます。
当然、ゴテゴテのしつこさもあり、なのですが、それを上回る、ココロを鷲掴みにするものがあるのです。喝采です。
ネットサーフィンで、この映画評をみていたら、あのスピルバーグ監督も、3回は見てしまう映画だ、とか、俳優のブラットピットも、心奪われた、とかの記載もあったり。

映画って、いい。国境なんてするりと超える。
主人公は、いわばスーパーマンなのだけれど、なんとかっこいいスーパーマンなんだろう。
なんども涙が頬を伝った。
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またまた小さな話。  -負荷をかける-

2014-09-18 10:15:11 | 私の雑感あれこれ
自分の思いを綴ってているのだから、いちいち小さいと断ることもないのだろうけれど、つい癖かな。

鍼灸院の待ち時間に雑誌(婦人公論だったかな)を読んでいたら、某氏の言で「自分に負荷をかけて生きてきた」という言葉に出会った。
本を読むのが好きだったけれど、敢えて自分に負荷をかけようと思って、理系を選択したのもそういうことの一つ。これまでで選択の場面では、ちょっと負荷のかかる方を選んできたように思う。
といった話。ワタシ、この手の話者に反応するタイプです。出会えてラッキー。

昨日のテレビ「ためしてガッテン」の後半のみを少し見ただけれど、
膝痛対策がテーマだった。
あ~、ワタシ用ではないですか、と思って、後半を見入る。
ウォーキングの話です。
3分普通歩き、その後3分早歩き、この繰り返しを5回ほど、週4回やるのがお薦めらしい。1日目で足が軽くなり、2日目で汗がかきやすくなり、1週間(2週間だったかも)で1キロ痩せる。
早足のスピードは、自分なりの速さ、普通の歩きよりも負荷がかかっているな、と思う速さで大丈夫、とのこと。
歩き終わってから、エネルギーを消費した体に1杯の牛乳を補給してやること。
腿に筋肉を付けるのにいいとのこと。

生き方についても、自分の体についても
「負荷をかける」
ことが大事という、「共通項だ」とひとり頷くワタシでした。

ちなみに、ウォーキングした体は、車で言えばアイドリングしている状態で、エネルギー
が燃えやすい(脂肪が燃焼しやすい)状態にある、という説明。これも納得。

で、今朝のワタシどうしたかって?
アッハハ。
普通歩き、早歩き、15分あまり実行しました。
鍼灸院に通うほどの膝痛持ちですから、ワタシの歩きをみて、誰も早足とは思わないでしょう。でも、ワタシなりの負荷をかけて、、、。一日目にして汗ばみました。

バラの名前覚えも、負荷のひとつです。はい。






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本日は敬老の日 (追加記事あり)

2014-09-15 20:59:13 | 私の雑感あれこれ
自治会の敬老会があった。
民生委員として初めて出席。
老人会の参加資格は60歳以上なのだけれど、敬老会の出席対象は72歳以上だとか!
高齢者の人数が多くて、予算やコミニティーセンターのスペースの関係らしいです。
お茶菓子と飲み物が出て、その後昼食とアルコールも。
2時には散会になった。
帰りの道すがら、腰を曲げがちに歩を進めていたご近所の80代の方の荷物を代わって持つことが出来た!
ほっ。
実は、先日金沢の武家屋敷界隈を散策した時に、2泊3日の着替えの入った荷物を男性の友人に持ってもらったのです。お互い60代。悪いなー、という思いはつのるものの、結構暑い日で、ワタシが持ちながらだとグロッキーになりそうなのも事実でした。
その体験から1週間あまり。なので、今日、ワタシが「荷物を持ちましょをう」と言え、一緒にゆっくり歩いて帰路につけたことがよかった、と思えました。

もう一つ、よい出会いがありました。
ふと立ち話が耳に入って、話題に混ざったのが切っ掛け。
敗戦で朝鮮から引き揚げてきた経験を持つ方、でした。
20代後半に、友人らとしていた読書会でであった「棄民」という本が、外地での苦難の知り始めでしょうか。父がシベリア抑留者だから、そのあたりの話は子供時代から聞いてはいましたけれど。
それ以来、本を読んだり、映像を見たり、で関心を寄せていたものです。藤原ていさんの本「流れる星は生きている」の、子連れでの引揚げの様子、いくつかのシーンは今でも思い起こせます。
で、その彼女の話。
今の北朝鮮で一緒に引揚げようとしていた母親を亡くしたそうです。
小6の姉、小4の兄、小1のご自分、そして弟の4兄弟は孤児になったというのです。
で、その後どうして?と尋ねると、孤児院に入ったと。その孤児院は、引揚げる日本人が作ったということです。立ち話ですから、詳細は後日。その経緯を本にも書いているそうで、本を送ります、ということで、その場での話は終わりました。
戦争で兵として満州に渡っている父のこともあり、自分になにかできないかと、残留孤児に日本語を教えるボランティアに加わったこともあります。
ほんの通りすがりのような時間でしたが、次にまたお話ができる人に会えた気がしました。

帰り際に、その方が「今日の敬老会に出てよかった」と私に挨拶しに来てくださいました。
彼女の本と今春に北朝鮮に墓参した時の新聞記事を送ってもらうことになりました。
(金正雲の政策でか、赤十字を介しての交渉がまとまり、70年近く経って、ようやく実現した墓参なのです。)

また、バラの季節にでも、お立ち寄りください、と言える知り合いになれるようで嬉しいです。

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味覚の秋にダイエットはいかに?(笑)

2014-09-15 07:43:15 | 健康
多分、2ヶ月ほど前から夫の痛風に付き合ってだろうとおもうけれど、食事を控えめにしていたら、5キロ減となった。
入院前に、ちょっと1キロほど戻りかけでいたけれど、また病院食の少食で、もとの5キロ減の状態が今。
あと5キロ減というのは、虫が良すぎるから、2キロ減を心したいものです。…味覚の秋に、本来は大食漢のワタシが掲げるのだから、達成は覚束ないのですが、、、。

この土日、夫の同窓会もあった。
かつて同じ官舎暮らしの知合いと話して、彼の奥様と、久しぶりのご対面!となりそう。
3人目出産と子育て真っ最中の時以来だから、30年以上経過している。
あの頃よりは、まだ7キロぐらいはオーバーだから、元には戻れずとも、せめて2キロ減を、そう心しようと思っている。

まことにバカバカしい話って、自分でもわかっているのだけれど、軟弱者のワタシの動機付け、動機付け。笑


「付記」

白内障の手術後の視力にもだんだん慣れてきている。
パソコン使用時の距離もメガネなしでOKになってきた。
白内障の多焦点レンズ挿入はまだ普及途中なのだろうか。全国的にも眼科で有名な病院であったこともあり、診察のお医者さんから勧められるままに、了解したのだけれど、今のところ快適です。
パソコン画面から、キーボードに視点を移動した一瞬、ピントを合わせるまでの間があるように思うのが、人工物だからかも。慣れで克服するのでしょうか。




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こんなの。手術前の暇にまかせて作ってみました。

2014-09-14 06:34:28 | 今日の一句・今日の一首
手術するのは「目」ですから、体調に問題があるわけではないし、退屈なのです。
で、ノートにこんなのを書き付けていました。
短歌に川柳も混じって、、、イヤ、キミのはただの説明じゃないか、とも評されるでしょうが、まず一歩、ですから、失笑しないでください。


①北陸路弟宅に母訪ね渓谷ドライブ焼き鮎極上

  母は脳梗塞から退院して2年。97歳です。あれこれあって弟宅で介護をうける生活。
私の久しぶりの訪問に、弟夫婦は庄川峡沿いにある鮎料理屋さんに連れて行ってくれました。


②三人で行けばいいよと母の云う 車椅子で待つ配慮を了解

  母は外出時は車椅子です。スロープ設備のないお菓子工場見学や金沢城石川門の内部見学のときは、弟だったり、弟の奥さんが車椅子に付き添って待とうとすると「自分は大丈夫だから、一緒に観てくるといいよ」といいます。3人で仲良く見に行く姿を喜こぶというタイプの母を、私も弟たちも感じています。
ドライブついでに、と同窓会のある金沢まで送ってもらい、金沢城内を一緒に散策したあと宿泊予約してあるホテル前で下ろしてもらいました。私は長女。介護の分担をすべき立場なのに、なんか変!こっちがお世話になってしまいました。



③同窓会ついで二次会今深夜 その交差点に六十代の破顔二十

  最近は2年に一度の集まりになっています。なんだか在学時代よりも親しくなったメンバー多々です。家族持ちの60代にはいろんな体験が詰まっていることでしょう。
二次会から宿泊ホテルに戻ったのは深夜1時でした。

  

④その用水城下の暮らしもご存知か登城する侍の行き交うを偲びつ散策す

  加賀百万石の城下町、あの磯田道史著の「武士の家計簿」の前田の殿様の街です。
鞍月用水に沿って散策しました。同道したひとりが、藤沢周平の小説(東北の小藩が舞台)はほぼ読んだ、という人だったりで(私は10冊あまりしか読んでいないけれど、いつも出会って良かったという読後感をもつ作者です)、学生時代には、特になんとも思っていなかった、と口にしながら歩きました。



⑤健康に過ぎ来しことを再確認 入院着姿の我落ち着かず

  火曜日午前から入院しました。病室に入ったら、私は「患者」です。自分的にはなんだか妙な感じです。
手術は翌日17時50分から。待ち時間にくたびれました。



⑥手術後の眼鏡不要を想像し、明日のその時を心待ちする

  ヒマで、ノートを取り出しました。同窓会で短歌結社に入っているという友人がいました。月に10首を提出するそうです。その中で、選抜されて掲載されるのが3首ほどだとか。週に2、3首のペースで作ればいいね、と言ったら、いや、作ろうと思って、一気に10首作るというやり方をしないと、、、、と返答された。
で、作ろうとしたけれど、10首はできず、です。
ヘボ川柳まで混じりましたね。笑



⑦チャンス!二泊三日の入院で過食抑制ダイエット狙う

  病院食の質素さにビックリです。食事制限なしの分類としては「常食」、なにもダイエット食仕様ではないのですよ。これだったら、軽くダイエット成功するでしょう。
というか、私はいかに大食だったか、ということを教えてもらいました。



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思えば左目は・・・。

2014-09-13 07:20:10 | 私の雑感あれこれ
左目の歴史を振り返って。(なんと、こんなことも書くか、のレベルです。苦笑)


高校時代に左目が仮性近視になり眼科に通院し始めるも、改善せず。
そういえば、受験勉強中はアリナミンが眼精疲労に良いということで常備薬でした。
メガネが不似合いの顔ということもあり、左目だけコンタクトレンズを装着。
当時(昭和42年頃)のレンズはガラス(!)だったように記憶しています。

大學時代は、高校時代のように黒板の文字と毎時間にらめっこ、という生活ではなくなり、右目の視力で足りることもあり、付け心地の悪いコンタクトレンズも使わなくなりました。

そして就職。
就職に際しての健康診断の視力検査がありました。
左目、当然よく見えません。
なんとか、と、細目をしたり、の苦心顔になります。
検査のおじさんに、なんでそんな(みっともない)顔をするのか。と軽口を言われたものです。

26歳で運転免許取得。
左目0.3でした。
右目が0.7以上あるので、メガメ不要ではあるのですが、私だけ別に、右目で見える視野の角度の検査を受けました。

50代半ば。
視力がよかった右目が老眼になり、老眼鏡を作りました。
左目は近視です。
そのため、右目だけが老眼レンズ、左目は度なしレンズに。
仕事はデスクワークで、パソコンの前に座っていますので、仕事場=老眼鏡姿、になりました。
いざとなれば、近いところは近眼右目で見ることができるので、買い物時の商品の説明書きや値段表示はメガネ不要、という生活です。

60歳。
老眼鏡を2度作り直していたけれど、なんだか左目の見え具合が衰えているように感じて、再度メガネ屋さんに。
左目の見え具合は、近視が進行したのではなく、別の原因だと思うので、眼科に行ってください、と言われる。

63歳~
ガーデニングをしていても、凸凹の前方へ足を一歩出す時が、用心深くなる。想定と狂った高低差だと、弱い膝にも痛みが走る。
段差を下る時も、つい一旦立ち止まっている自分に気づく。

64歳。
鍼灸院で体調のチェックを受けた際に、左目の視力が尋常でないことが判明。
帰りに、眼科のある総合病院を受診。
相当進んだ白内障と診断され、手術を決める。
手術日が12月になるということで、別の病院に紹介状を書いてもらう。

64歳の7月。
F大學病院を受診。
白内障の手術日が9月10日に決まる。
遠近両用の多焦点レンズを挿入することを選択。
長らく近視だった左目の視力が正常化し(右目視力1.2相当になる)、近くも見える(かつ左目は老眼鏡不要)との説明に期待。

64歳9月10日。
手術。
目の手術準備をしている時に、「名前を表示しませんので、写真を撮らせてください」という申し出がありました。
「目のモデル」です。
イエ、正しくは
「目玉のモデル」でしょう。苦笑
学会資料用に使うのか、眼科手術の広告用ホームページに使うのか、そんなことを思いながら、目玉のモデルになりました。
手術も心して成し遂げてくれるだろうという期待もも一層高まりつつ、です。

9月11日。
眼帯を外すと、前記事に書いた通り、3Dの世界!
長らく右目で見てきた(左目は働いていなかった?)のだけれど、私の左目も見てくれ始めたのです。

9月13日。
まだ、3Dの世界!的な感動余韻のなかにいます。
鏡の中の自分の顔も、手術前と違うのです。入院で自分の顔が変わったのではなく、前から私ってこうだったのだ、と自分に言い聞かせる、の図です。アッハハ
景色が違って見えます。
景色が違ったのではなく、これが見えている人の「普通」だったのですね。
まだ、「左目で手元も自在に見える」までは行っていません。
徐々に、でしょうか。
期待大、です。

以上。



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白内障の手術を終えて。

2014-09-12 08:11:15 | 私の雑感あれこれ
当初の予定通り9月9日からの2泊3日入院で、昨日の午前中に退院しました。
手術は18時~で、翌朝の検査時に始めて、左目の眼帯を外しました。

ドキリ。

眩しい。
室内が輝いて見える。
並んで隣に腰掛けている患者さんの手が、膝が、浮き上がって来るかのように、立体的に「見える!」
少し頭がクラクラします。ものがくっきり浮き上がって来るようで。

それほどにも、左目は見えていなかった、片目でものをみる生活をしていたということでしょう。

帰宅後、さっそく庭へ。
花も葉っぱも、3Dの世界。
にょきにょきと浮き上がって!
白いペチュニアの花弁の涼やかなこと!
白いバラもイメージが違って、よそゆき顔。

一晩経って、当然今朝も庭へ。
まだ、3D感に慣れない。
見慣れたレンガもカドまでくっきり目に飛び込んできて、これまでの遠近感とは別物。
早々に慣れるのだろうけれど、なんだか情報過多でクラクラする感じです。

入院前の、北陸行きで母を訪ねたり、同窓会に出席したり、多々話題はあるのですが、眼を養生したいので、今日はここまで。

まだ、瞳孔が完全に戻っていないこともあり、100%の視力は出ていないのでしょうが、ホッとしています。

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9月上旬はバラの夏剪定!

2014-09-03 09:16:48 | 庭 9月
教則本通りには行かないけれど、少しずつ剪定を進めています。
つぼみがついているのは「もったいないなー」で一旦はチョッキンをパスしてしまいます。
でも、剪定仕事に勢いが着くと、エエイッ、と、膨らみかけたつぼみも切ることができるようになるのです。
夏剪定は、一斉に秋バラを咲かせるために、夏の炎暑疲れのバラに一息いれさせる意図もあるようです。
ひとさまに見てもらうための公園バラ園ではないので、五月雨式に咲くもよし、の気まぐれ剪定になってしまいます。…まだ早咲き、遅め咲きのバラの性質が把握できていません、ワタシ。

四季咲きのつるバラの剪定どうしよう?、?、?
で、一応、この花(ルージュ・ピエール・ド・ロンサール)については、シュートの咲きの房咲き花を剪定しました。
ボリュームたっぷりのブーケはすぐできます。笑
ピンクのひと枝はナエマです。



白は先日購入したシューラネージュです。
今朝地植えにしました。




ピンクの大輪は「芳純」周りは、挿し芽で増やしたスーパーチュニアです。

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