日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

今日の一首

2007-02-28 07:43:27 | 今日の一句・今日の一首
- 描くならと手折ってくれた花の枝待ちくたびれて侘び助一輪 -

珍しく雪のない北陸でしたが、冬を過した花は季節を違わず、数本の梅はつぼみを膨らませ、寒椿が咲いていました。
母が「絵に描いたら」と何種類かの椿、そして紅梅の枝を持ち帰ったのですが、ゆっくり筆をとる時間がありません。あれよあれよという間にリビングで紅梅は満開。
空き瓶に無造作に挿した、薄桃色の椿、侘び助も台所で私を眺めています。
侘び助一輪は、水彩紙に留め置きたいのですが、間に合うでしょうか(笑い)。

売り時を調整して育った「商品としての花」ではなく、自分で季節を感じて花開いている花って、いいものですね。

ああ、富山の「チューリップフェア」は有名ですが、今年は暖冬で大変らしいです。
なにが?
花が早く咲きすぎて、ゴールデンウィークの観光週間とずれてしまうということで…。
少しの調整は、チューリップ畑に雪を載せて、春の訪れを教えるのを遅くするのだそうですが、今年はあまりにも暖冬で畑に載せる雪がない!というらしいです。
こんなところでも、生活がかかっていると大変です。




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今の季節の北陸路。

2007-02-26 07:52:43 | 私の雑感あれこれ
冬晴れ。
朝日岳、白馬岳、僧が岳、毛勝岳、剣岳、そして立山連峰。
雪を抱いた北アルプスの稜線が快晴の日差しにくっきり。
山脈は行く手の左側に屏風のように連なっています。

雪が一番深そうに、真っ白なのは白馬。岩肌が見え始め白馬の姿があわられるまでには、今しばらく時間がかかりそうです。
稜線が眉の形に弧を描いている僧が岳も、岩肌にお坊さんの形が現れるというけれど、まだ先の話でしょうか。
雪解けを待って畑仕事を始める季節の印としていた昔の人の知恵が名前になっているのでしょうね。
急峻な毛勝、その奥に剣。高くても急峻な岩肌のために雪もとどまりにくいのか、高さは充分に高く、さぞ吹く風も冷たかろうと思うけれど岩肌が目立ちます。

そして、右手遠方は日本海の水平線。
すごいね、この風景。
そう思う。
こんな風景が、この土地の人には見慣れたいつもの風景なんだな、とも思う。
私はこんな風景の中で育ったのかと、かつてを懐かしむ思い、そして長らく雪のない暮らしに慣れた今の私が感じる、幾分の旅人気分。
入り混じって微妙です。
でも、少し注釈が入ります。私の子供時代は車社会でなかったから、国道を、ハイウェーをパノラマを楽しみながら走るということがありませんでした。
汽車の窓から、という程度でしょうか。


BS.夫の母の入居の決まったケアハウスの窓からも、北アルプスが一望できて見事です。
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今日、桜の開花見つけました。

2007-02-22 11:54:07 | 私の雑感あれこれ
今日の日付は2月22日。
町内の端にあたる、ため池の淵の桜の若木が、明け方の空に確かに、花を開かせていました。
えっ!と思い、幹を確認。
やっぱり桜です。

身の縮む寒さを殆ど味わうことなく、春が来ました。
今冬は楽に過ごせたのですが、「その代わり」というものがあって、何かが不都合になるのではないかと、ちょっと気にはなります。
今日見つけた、ここの淵の桜は6、7本のささやかな並木で、毎年この道の沿道の家は、いい眺めだろうな、なんて思ってウォーキングしているのです。その並木の根元当たりには、水仙が、1月、ウォーキングを始めた頃から控えめに花をつけています。沿道の家の方の手植えなのだろうなと思いながら、毎朝眺めさせてもらっているのです。
そんな好立地の淵の一本だけが、一番乗りで桜の春の始まりを知らせています。
若い桜木だから、エネルギーが溢れているのでしょうか。
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今日の一首

2007-02-21 07:52:15 | 今日の一句・今日の一首
-鎮守さま石段登りて拍手(かしわで)二つ 前にお日さま後ろにお日さまー

いつも思う。なんと贅沢なひと時だろうと。
社殿には、まんまるの朝日が映り、振り返ればこれまたくっきりとした赤いお日様。
「二つのお日様に挟まれて、石畳を歩く」これをうれしく思うのは、私が「感激屋」や「ありがたがり屋」の部類だからでしょうか(笑い)。

太宰治の文章で、夕日が「明日生まれる私の子供は、まん丸太った良い子です…」と言い残して沈んでいく、という箇所がありました。
若かった私は、そのフレーズが印象に残っていたのでしょうか、自分に生まれた、まん丸太った子供に、お日様の名前をつけました。
今、その彼女が、何の縁でこうなったのか、超難関といわれている試験を目指しているのです。

まー、はっきり言ってしまえば、毎朝、鎮守様へ私を向かわせているものというのは、毎日10時間もの勉強時間を必要とする試験を目指し、日々をすごしているだろうと思われる(殆ど連絡がないから、詳細は知らないけれど)彼女を思っての、時間でもあるわけです。
実は、夫も若い頃にその試験を受けており、後日に、夫のおばあちゃんが、お百度参りをした、とそう聞いたことが、耳に残っているものですから…。

願いが叶うかどうかは、彼女の努力しだいなのですが、彼女の存在が、私に朝の「健康ウォーク」をさせてくれている、そんな感謝で、今朝も行ってきました。
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ここ数ヶ月での体験

2007-02-17 16:09:02 | 私の雑感あれこれ
介護関連で、うれしい気分を味わったので、少し書きます。
うれしい気分(というか、誇らしく思う、というか、世の中、ほらこんなに捨てたモンではないという気分)を、皆様に少し自慢したくて、書きます。

10月半ば、一人暮らしの夫の80代の母が股関節骨折で入院。
多分、今後は一人暮らしが困難だろうと言うことで、施設を探し始める。
長男、二男はそれぞれ離れたところで暮らしている。
三男は住居は比較的近いけれど、職場に5日間泊り込みで、その間連絡が取りにくい状態。

以後、離れて住む息子3人は、メールで情報の共有

息子との同居の見通しは困難で、母は施設入居を了解する。
母の住所地の1施設(以下「海辺の里」という)に順番待ちながら申し込む。
同市と隣市のケアハウスのいくつかを訪ね、残りに対しては電話で問い合わせるがすべて順番待ち。
思案しているところに、ケースワーカーさんが、30分ほどの距離のところの施設「山の里」を紹介してもらう。
その結果、空室ありで息子たちは安堵。早速母を車椅子で連れて見学。
「満員、待機しても何時とはいえません」という返事ばかりだったこともあり、見晴らしもよく、部屋も比較的広い、その「山の里」も申し込む。
改めて、入居に際して「山の里」の面接に行く。
自立生活の基準を調べるテストがあったらしいが、母は計算問題や記憶力が思ったほどできなかったこともあり「バカにされた」と気分を悪くする。病院でのリハビリをもう少し続けることにする。
その間、「山の里」に一旦入居して、「海辺の里」の順番が来るのを待とうと説明する。
母は「最近も『海辺の里』に入った人がいる」と仕切りと口にする。
息子3人は「それはおかしい。『海辺の里』は順番待ちだから、『山の里』に入居して、空がでたら引越そう」と何度も何度も言い聞かせるが、一旦「ウン」と言っても、すぐに翻意してしまう。

2月3日(土)
三男と空のある入所予定の「山の里」へケアマネージャーさんらとの打ち合わせのために出向く。「遠くて、どうしても、ここ(『山の里』)はイヤだ」といい、契約は2月1日からとして、実際の引越しは少しあとにしてもらう。集まってもらったケアマネージーさん、ヘルパーさんに迷惑をかける。
そんなとき、母本人が、友人に頼んで、「「海辺の里」見学に行くことになっていると耳にする。

2月6日(火)
友人と「海辺の里」に見学に行く。その友人から「多分近いうちに『海辺の里』に入居できるから、施設長に電話を入れてくれ」と電話があったという。
『海辺の里』に問い合わせる。
友人と来られた。母は「思ったよりいい施設」といっていたと。施設長さんは「次の入居を母と考えている」とのこと。「多分15、16日頃ではないか」と聞く。
えっ、急によい話!とは思う。土日でないと引越しはできないので、17日にお願いする。

2月7日(水)
親類のKさんから電話。「病院から母が今日明日にでも退院してくれと言われている。見舞いに来ていた母の友人から、いろいろ人に動いてもらって『海辺の里』に入れるようになったと、聞きました」と。
「『海辺の里』に入る17日までの間、自宅に来てもらってもいい」とのこと。
このときはじめて、即退院要請されていることを始めて知る。
病院のソーシャルワーカーさんに確認。
同日(水)
退院要請は確かだということがわかる。
「『山の里』に入所できるのに、拒んでいるのは本人で、『海辺の里』にいろいろ人を使って動いているらしいという話が伝わっている」とのこと。またまた、えっ、そんな!
驚くことばかりです。
メールで、他の兄弟にも、今日聞いた話を、できるだけそのまま知らせ、こんな形での順番繰上げは良くないのでは、と伝える。
勿論、みんな えっ!です。

2月8日(木)夜遅く。
三男から、「人を使って順番を早めて入るのはいけないことだから、『海辺の里』に断ってくださいと」のメール。
2月9日(金)朝
夫と話す。コネを使っての順番繰上げはしてはいけないこと。
『海辺の里』の施設長からは「特殊な緊急の場合をのぞいて、皆さん順番に入ってもらいます」と、確かに聞いたはずだ。母の場合は、『山の里』があるから、行くところがない場合ではない、しかし、いくら「山の里」に連れて行っても、イヤだと拒否するのだから、息子たちにとっては困った事態ではある。さて、即断るべきか?
微妙な問題だから、妻の私は、「なんらの判断をはさまないからね」といって、断りは、母が日曜日に「山の里」に引越したあとの、月曜日にしようという考えに落ち着いたところで、夫出勤。

同日、9時4分 「海辺の里」から電話。
「17日の見込みだったのがはっきりとOKになりました」と。
ドキッ。「判りました。電話があったことを伝え、またこちらから電話します」と聞き置く形を取る。
どうすれば、一番迷惑がかからないか、厄介な状況です。
夫から電話。
先に親戚のKさんから電話があり、「海辺の里」に、「今の状況で入ることを断ると判断した」ことを伝え、施設に電話する用件があれば伝えてと頼む。
彼女は即電話したらしく、事実はこちらが心配していたのと違ったらしいとのこと。
「(コネではなく)正当な順番です」との回答だったとのこと。

それを聞いて、胸がスー、です。
即、『海辺の里』に電話をして、順番が繰り上がった事情を聞き逐一書き留める。
そして、「病院の即退院要請を、日曜日まで待ってもらっていること。日曜日に『山の里』に入居予定。1週間後に17日に『海辺の里』に移ることになる」と、こちらの状況を伝えると、「退去後のクリーニングが簡便でよければ、17日(土)を11日(日)に早めても良い」との返事を貰う。
こんなこともあるのかと、どんよりした雲が途端に晴れたようです。

即、明日帰省して「山の里」への引越し準備予定の長男宅に電話。勿論、書き留めた内容を知らせ、正当な順番で、引越し先が、本人希望の「海辺の里」になったことを伝える。
長男の話では、そんなコネを使おうとすることはいけないことだから、希望しても叶える必要はない!順番どおりではなくて、もう一度順番の最後に回るべきだと、母親の取った行動を怒っていたと。

10月半ばから、介護のことで、病院関係者、いろんな施設の方々、市役所の方、いろんな方と接してきました。どこであっても嫌な印象は受けませんでした。
そして、もっとも「いいな」と思ったのは、電話を掛け捲り、何度も足を運び、手間や経費がかかっても、ルールを守った方法を取ろうと、そこにおいては、3人の息子たちの意見がすっきりまとまっていたことです。
それは、当たり前のことなのですが、この選択をして尚望みがかなったこと、うれしく思いと共に、恵まれているのだろうなとも思いました。

2月11日 
三男と帰省して引越しを手伝った長男夫婦の協力で引越しは完了。
長男のメールでは、引越し前の病院で「○さんや△さんのおかげで、『海辺の里』に入れると自慢げに話していた」とのこと。「それは違う。誰でも順番で入居できる。そういう言い方は人に迷惑がかかると、何度も言い聞かせてきた」と書かれていた。

その後ですか?
2月12日(月)朝、三男から電話。ケアマネージャーさんとの打ち合わせに、「海辺の里」の母の部屋へ行くと、顔を見た途端、「ここを出る。家に帰る」と言っているとのこと。

何だコリャ、の世界です。

2月13日(火)昨日の電話が気になって、「海辺の里」に電話してみる。
今、保育所の子供たちが、お寺の行事のお団子作りをやりにきています。その様子をみて、「お母さんは、俳句の季題になるねと、おっしゃっていましたよ」と。
少しずつ、生活になじもうとしているのかもしれない。
家事が好きなタイプではなかったので、3食バランスの取れた食事もできるし、周りの目を気にすることで、気力も沸くと思ったりする。体力回復には良い環境じゃないだろうか。

これからも、いろいろあるかもしれません。
でも、筋の通る選択をしてきたことが、良い方向に向かうのだと実感できた体験でした。






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旧聞ですが、柳沢大臣の件

2007-02-15 22:15:44 | 社会問題
月曜のTVタックルでの話から。
「柳沢さんの発言は失言じゃないよ。アレは本音だよ」
「私も彼と同い年の72歳。僕らの育った頃は「女性は子供を生む(ための)もの」という考えが自然だったよ」
「僕も同じ年。僕らの世代は、柳沢さんの本音をちっとも、変だとは思っていない連中がいっぱいいるよ」
「・・・」
と、正確な再現ではありませんが、この類のやり取りがありました。

皆さん、いかがですか。

かつて、子供が小さかった20年ほど前、創作童話のサークルに参加していました。
そのときの話ですが、講師の大学の先生の話に、唖然とした記憶を思い出しました。
「僕が大学生だった昭和33年。この年は赤線廃止の年。これで最後かと思ったら、奨学金を手にした僕ら学生は、仲間と連れ立って、赤線に駆け込んだものです」と。
「えっ!」(←私の心の中の声です)
講師の先生以外は、全員子育て中の女性なのに、何たる発言。女性を自分の欲望の道具としていることに、なんらの恥じらいも、気遣いもないのです。

私より一回り以上年上の、柳沢大臣の世代の女性感、こんなところに根がある人が多勢だったりするのではないでしょうか。
だとすると、「ごめんなさいね。言い方は良くないけれど…」と断りながら少子化改善を訴えようとしたときの、勇み足発言は、私としては、そんなにとがめる気にはならないのです。

私、50代。
それなりに、「えっ!」と思うことを言われた経験、それはありますから。
柳沢さんと世代が違わないと思う民主党の小沢さんなどが、盛んに柳沢さんを糾弾し、野党そろって国会審議欠席、国民に訴えるために「全員そろって、登院拒否」なんて、その手法、なーんだかと思ってしまいます。
コメント (3)
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「あっ、それは・・・」ーケアハウス入居の顛末、その終わりに-

2007-02-10 10:12:55 | 私の雑感あれこれ
老人介護の話を2度ほど書いたのは、去年の10月、11月だったでしょうか。
一人暮らしの夫の母の退院後の生活の場として、施設を探し始め、その仕組みが判り、現状を知りました。どこもいっぱいでなかなか入所できない状況でした。
12月になってソーシャルワーカーさんの協力を得て、漸く一つ確保できたときの安堵感を覚えています。
その後も何度もどんでん返しが幾つも起こり、前進したり、振り出しに戻ったりを体験しました。
そして、木曜日の段階で息子たちの間で、入居予定を白紙に戻そうという意見がまとまりかけたときに、翌金曜日に問題解決。ようやく明日の日曜日に退院引越しの運びになりました。

夕方、電話でのやり取りで・・・
好意的に補助してくださったある方が「希望のところにいけてよかったですね。息子さんもお嫁さんも(私)、本当に皆さんよくなさいましたよ。お母さんは何にも心配しなくても、いいお嫁さんで…。そう伝えておきましたからね」

「どうも、いろいろありがとうございます。お世話になりました」と、口では言いながら、
(あっ!…まずい。お母さん、機嫌が悪くならないかな)と、ヒャッとする自分がいます。
息子自慢で息子が褒めらると満足、だけれど息子の嫁さんには不足のところがいっぱい。それでバランスを取ってきている人だから、嫁が褒められることはお母さんにとっては、心中複雑だろうなと思ってしまいます。

「理解してもらうことは、期待していないけれど、自分にできるところまでは、良心的にする」

ただ、それだけ、です。

お父さん、おばあちゃん、私のやっていること、見ていてくれますか」と、きっと、「千の風になって」ではないけれど、そんな風に、問いかける癖のある自分が居ます。




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「日の出」を楽しむ

2007-02-08 16:47:06 | 私の雑感あれこれ
毎日の「歩き」続いています。
東に向ってのコースです。
1月末から今日まで、空気が乾燥していることもあって、早朝の寒気がビシッと肌にしみますが、気持ちいいです。

-東の野にかげろいの立つみえて かえりみすれば月かたぶきぬ-
                          柿本人麻呂だったでしょうか。

まったく、連日こんな風景を目にしています。
働き者の農家の人が枯れ草を燃やしていたり、野火、ですね。
切干大根の夜干しの光景がみられたり、夜明け頃のこの環境と日中の街中に居る自分が繋がっているとは思えないくらいの、気分になります。

そして、遊んでいます。
神社に立ち寄ってから帰路につくのですが、拝殿の格子戸(早朝のため、しまっている)のガラスに、拝礼して頭を上げると、真っ赤なものが映っているのです。
初めて出会ったときは、びっくりしました。
社殿の中の明かりかと思いました。
違います。
振り返れば(人麻呂ふうに言えば、「かえりみすれば」でしょうか)、顔を出したばかりの「お日様」なのです。
まだ、光り輝く前の、輪郭もくっきりとした、線香花火のような色をしたお日様が鳥居の上に。
数段の階段を下りると、その「お日様」を、すっぽり鳥居で囲むことができるのです。
まったく、他愛もないことですが、連日、「お日様」と戯れる、そんなことを楽しんでいます。
少しずつ、日の出が早くなってきているから、この楽しみがいつまで続くことやら。




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今日の一首

2007-02-02 07:59:49 | 今日の一句・今日の一首
早朝の歩き続いています。

-霜降るもあと幾日と節分前夜 雪国に住む君に届け春-

とりあえずの一首です。

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-東雲に歩を停めて嗅ぐ冬薔薇-

2007-02-01 07:35:48 | 今日の一句・今日の一首
早朝の「歩き」続いています。
遠目に見つけて、近づくと白いバラでした。
冬なのに、です。
そこで、処女作の一句です(笑い)。1月31日作

そして、今朝の歌

-ショベルカーあまたつどいて一夜の眠り そを起こすのは若き工夫か-

朝、まだ明けきらないその頃は、沈黙の世界(ときおり車は走りすぎますけれど)。
昨日の作業を終えた6,7台のショベルカーが、置かれている様を見て詠む。
やっぱり、愚作ですね(笑い)。

こんな時間の使い方もあるのかと…、まあ、そのうち飽きるでしょうけれど…。


そして、もう一つ これは鎮魂。

-「満天の星 嶺にさえぎられ」とコメント交し合った友 この睦月その山肌に逝く-

年初めに中央アルプスの木曽駒で遭難し、捜索しても見つからなかった「風」さんが、見つかったそうです。
木曽駒の千畳敷ホテルから見る星は、目の前まで山が迫っているから…、ブログでそんなやり取りをしていたのは一昨年の夏。
無事に帰ってきてくださいとコメントを入れたのは、出発されたその日でした。どうしようもないことなのに、間に合わなかったような気分です。
そして、年末に、風さんのブログのコメント欄で「母」を詠んだ歌のやり取りがあリましたよね。
あの時は、詠むこと等思いもよらなかった案山子ですが、今言います。
「私も手習いはじめました」と。
風さん、聞こえますか。
その未熟を笑わないで下さいね。
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