みゆき通り、並木通り、銀座のやなぎ
ギンザに”銀座カンカン娘”が居りました。
「カンカン」とは、山本嘉次郎の造語であり、当時の売春婦の別称「パンパンガール」に対して
「カンカンに怒っている」という意味が込められている。
暗い世相を嘆いた山本の心の叫びであった(フリー百科事典から)
原人縄文爺さん、
今の政治の体たらくにカンカン、ブツブツ怒りながら銀座の街を往く。
↑ 中央通り、銀座5丁目から三越方向を見る
日本一の繁華街 銀ブラ族は多し
↑ みゆき通り
日本各地にある、通りや商店街の名称。多くは天皇(御)( み)が行幸(幸)(ゆき)に際して
通行したことを記念して命名されている(銀座の「みゆき 通り」)
みゆき族
↑ 銀座5丁目に≪ユニクロ≫出店
銀座カンカン爺さんとユニクロ・・・バランス感覚は!?
↑ 並木通りは銀座1丁目から8丁目、新橋方向への約1kmの区間。
海外高級ブランド店が立ち並ぶことで注目されている
↑ 並木通りの緑、ビルの谷間にホットする一瞬
↑ 数寄屋橋交番、外堀通り、
銀座のやなぎ並木発見・・・・黄色枠
数奇屋橋公園の柳は、銀座のヤナギのシンボル的存在
銀座のやなぎ
現在では、「中央区の木」にも指定されている。
日本初の街路樹として、桜、松、楓が銀座通りに植樹されたが、埋立地である銀座の土地が水分の多いことから根腐れを起こしてしまいました。
湿地に生育する柳に植え替えられた。しかし、1921年に車道の拡幅にともない銀杏へと植え替えられた。
しかし、銀座の柳に対する思いは強く、1929年に発表された西条八十作詞の『東京行進曲』でも銀座の柳をなつかしむ歌詞が登場する。
朝日新聞社の寄贈で再び銀座通りに柳が復活し、同年4月には第1回柳まつりが開催された。
その後も、『東京ラプソティ』や『東京音頭』で歌われるなど、柳は銀座のシンボルとして定着した。(フリー百科事典より)