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葛飾水元・閘門橋・スライド  3の2

2015年11月30日 | 紀  郷土博物館 葛探団

 閘門橋・ 弐郷半領猿又閘門と刻まれている
弐郷半領=三郷(埼玉)  ・  猿又=水元(東京)

参  考
弐郷半領猿又とは三郷市付近(旧地名:弐郷半)の水利組合が
葛飾区西水元(旧地名:猿ヶ又)に造った樋門ということで名付けられた。

昭和45年に下流側に道路橋である葛三橋が架設されたため、
人道橋として現在も使用されており、埼玉県側から水元公園へのルートとして
多くの人々が利用する地域のランドマークになっている。

 

  所在地: 東京都葛飾区西水元6丁目、大場川   建設:1909年
              形 式: 煉瓦造りのアーチ橋(上流側:4連、下流側:6連)、長さ30m(歩測)、幅3.0m、高さ5.5m(推定)
   
     建設当初のアーチ形式は、上流側:3連、下流側:5連だったが、大場川の改修によって
   橋付近の川幅が広がったために、右岸側に1連(コンクリート製)が増築されている。
   なお、上流と下流でアーチの連数が異なる。


閘門橋所在地




人物像の後ろを良く見てください。

中央アーチの上にはブロンズ像(堰板を落とし込む、
 身長70cmくらい男たち)が設置されている。像の背後の
 面壁には、石造りの銘板が8枚埋め込まれていて、
 弐郷半領猿又閘門と刻まれている(1枚につき1文字)。

 

デジブック 『葛飾水元・閘門橋』

 

 

コメント (11)
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水元・閘門橋から新大場川水門  3の1

2015年11月30日 | 紀  郷土博物館 葛探団

葛飾区境を歩く

 

今回は大場川・中川を挟んで

葛飾区水元側から、埼玉県八潮市、東京都足立区を望見しながら歩きました。

    『参考』  葛飾探検団の活動の内容
      ①葛飾区境を歩く、 ②葛飾水の記録(中川べりに残る水上生活者)、 ③荒川の河川景観を学ぶ、
       ④葛飾近代遺産リストの作成、 ⑤柴又地域文化の景観調査、 ⑥『葛飾区の昭和』写真集の編集、
      ⑦戦争遺跡の探訪、 ⑧銭湯ウオーク  ⑨下町寄席の開催 等など

 

←クリック拡大

 
葛飾探検団の御旗です

       ⇒  ⇒  ←クリック拡大

金町駅前南口ロータリー             水元5丁目(閘門橋)

クリック拡大します

                              

 
閘門橋 
   

閘門とは、
本来は舟運や洪水防止等を
 目的として、川の水位や流量を調節するための水門ですが、
現在では、通船用の水位調節水門を指すことが多い。

江戸時代(宝永年間)この辺りは。古利根川(現在の中川)小合川(現在の大場川、小合溜)入り組んだ、複雑な地形を有しており、古利根川の氾濫地域でありました。この古利根川と小合川の逆流を防ぎ水田の水源確保のため、さらに岩槻街道の流通路として閘門と橋が造られたと言われております。

      
中川河川敷に有りました、名前不詳                 土木会社の庭に有った銀杏


埼玉県八潮市側にある大場川マリーナ
2機の重機により、水辺から陸地につり上げられ補修や修理をしています。

   
中州自然保護区域案内板 & 鴨の群れ

   
たくさんの老桜木がある                   釣りを楽しむ人

   
水元地区は、まだ農業が健在場所がありました           新大場川水門に到着、
 

 


新大場川水門の全景

お断わり
細かな地図を並べました。
    葛飾探検団の記録・保存用です。   
        次回は、新大場川水門→常磐線下まで

☆ 閘門橋は、DBでスライドにて詳細にUPします。

                                                               

コメント (6)
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