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葛飾に唯一残る”防空壕”を見る、その1

2017年03月11日 | 紀  郷土博物館 葛探団

東京大空襲と葛飾 区の公募者(参加者)のお手伝い
【かつしか探検団、ボランティヤ】

 

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大正末期に建てられた山本亭は、和洋折衷の建造物です。
合資会社山本工場(カメラ部品)の創立者、故山本栄之助氏の住居として建てられた。

大正15年から昭和5年までに増改築を重ねました。洋風建築の佇まいを残す貴重な
建築として、葛飾区が登録有形文化財に指定。

昭和63年に買い取り、平成3年4月から一般公開されています。

この中に今でも残る、母屋から
階段続きのコンクリート製
”防空壕”が保存されている。

非公開物件ですが、この日に限って区民公募者の見学が許された。
50名の参加者(抽選)の方々を案内説明(葛飾区探検団員として)をした。

 


A 山本亭

 
B 山本亭入り口門

 


C 玄関口 多くの見学者が訪れていた。

 


D 母屋2階の佇まい

 


E 山本亭の屋敷を通り抜けて寅さん会館へ

 


F 防空壕後、地上への脱失口

 


G 上記Fに同じ

 


H 母屋からの防空壕に通じる階段屋根と防空壕からの脱出口

 


I 母屋からの防空壕へ下りる階段

 


J 内部のコンクリート中に組み込まれた金庫、床は板張り

 


K 大正期には珍しい換気扇が設置されている。

 


L 周囲はコンクリートの上に熱い布が張り付けられていましたが、
傷みが激しく破れていた。

 


M 母屋の階段と防空壕(地下室)の間取り。6畳2間

 


O 防空壕(地下室)の見取り図

 


 

 ← HPからお借りしました。

縄文人と防空壕

終戦の年が、尋常小学校2年生でした。
したがって少々終戦のゴタゴタは記憶に残っています。我が家にも防空壕がありました。

父が亡くなって間がないので、どなたが掘ったのか記憶にない。
今思えば粗末なもので4~5人入壕できた。

穴を掘りその上に材木を渡し、その上を土で覆った。1~2回入った?か。
戦後は、野菜入れに使われたが、いつの間にか無くなっていた。

 

コメント (9)
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