住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れ、
芸術が育み、画が出来る。(草枕)
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「日本人とは」
山村から問い30年 鈴木忠志の「演劇と農」日経・9/18日掲載
日本人とは何か。そんな問いに向き合う演劇が富山県の山村で続けられて、30年がたった。
午前は農作業、午後には演劇。82歳の演出家、鈴木忠志が利賀(南砺市)で生みだした「演劇の国」は、社会のあり方を見直す場として存在感を増している。
「日本がお亡くなりに」
鈴木忠志構成・演出の「世界の果てから今日は」で、ひときわ印象に残るせりふは、なんとも奇妙だ。
『国が死ぬ?』
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新聞記事を読んでいて
ふと高校時代習った「草枕」が頭をよぎった。
夏目漱石「草 枕」冒頭部分の原文
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。
着想を紙に落さぬとも鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。
以下略・・・。
私の感想
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと
悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。
人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三件両隣のわれらと同じ人間である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
この部分が私の心をひきつけ新聞記事とコラボレイションして「演劇と農」に
ほれ込んだセンテンスの部分である。
SCOT劇団30名は、自分たちの生産したカボチャを観客に配ったとのこと。
して、この劇団の最も興味を引いたのは、「体を鍛える農耕は芸術集団の技術力、持続力を高める。
劇団員が3食を作ることで、初期うざい日が節約できる。自給自足は精神力を鍛える。
人に頼ろう、人からお金を得ようそんなちゃちの問題でなく玉の汗から芸術をつかみ取ろう、生み出そうに気持ちがすばらしい。
観劇料は「御随意に」と、寄付を募るのだと言う。ウソのようなホントの話、芸術とは格もありなむ、
芸術の原点を見たように気がいたしました。
SCOT劇団、演出家・鈴木忠志氏とは考えに
開きがあるかもしれない、しかし私の心を揺り動かしたのは確かである。
「草枕」の生まれ来る芸術論、現実に富山の山奥で綿々と続く劇団両者の立つ位置、
発生的要因に差異があるかもしれない。
だが、芸術の生まれ来る必然的な要素、それを自らの力で自然(農業)と格闘しながら、生み出して育てる、なかなか難しい。
この演劇集団を知ったとき、身体がピクリと傾いた。
SCOT劇団ガンバレ!
長いです!「芸術論」です。
お好きな方はお読みください。