銭湯から単身・結婚当初を想起する
==役目を終えた銭湯、昔の煙突は太く高い==
街の銭湯、ピークから1万6000軒減少
銭湯の数が大幅に減っている。
ピークの1968年に1万7999軒を数えたが、その後は減少が続き、
2022年は1865軒とピークから1万6134軒減少した。
戦後の復興期から昭和30年代中頃まで、モルタルアパートが街のいたる所に建てられた。
風呂なし・共同トイレ・共同炊事場・一間の狭いものが多く、
家賃が安い住み家だった。
まだ、ほとんどマンションというものがない時代、モルタルアパートが
主流でした。単身時代だけでなく、新婚時代も
モルタルのアパートに住んだ。
その当時に流行った名曲「神田川」、その舞台となった「横丁の風呂屋」は
いったいどこにあるのでしょうか・・・。
私の新婚時代の始まりは、都内練馬区・豊島園の近く、風呂なし・共同トイレ・共同炊事場・
一間からが出発点でした。
この折れた銭湯の煙突を見たときに、新婚時代の生活を想起し、当時の思い出の
ほろ苦い生活と狭い4畳半の哀愁を感じるのでした。
その後、間もなく5階建て新築の共同住宅の官舎へと引っ越し、
長男の誕生となった。
若き時分、毎夜銭湯を利用したので懐かしい・・・。ネットより転載
健康つくりを銭湯で!!
役目を終えシャッターの閉まった銭湯の玄関
表のシャッターは閉まっていた。
玄関に表示されていたポスたー
令和5年7月1日より東京都の銭湯の入浴料金は上記の通りです。
料金表が、520円と言うことは最近まで営業していたのか・・・な!?
上部の折れた煙突の右に、最新式のスマートな煙突在る。
折れた煙突の横に建てられた新しい煙突。
最近の燃料は、薪から重油やガスに切り替わった。
此の風呂屋さんも長大な煙突から新煙突に切り替え
最近まで営業されていたと、見受けられますが、店のシャッターは
閉ざされていた。
煙突や昭和激動ながめをり
安保闘争太陽族も (縄)
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