百間廊下
修行僧のお勤めは、朝の雑巾掛けから・・・・。
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真ん中に通路を挟み両サイドに広がる廊下です。
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正月に鶴見・総持寺を参詣しました。
修行僧(雲水)は、あちこちで受付やら掃除をしていた。
朝のお勤め(雑巾掛け)は・・・と尋ねると、七日の松が取れてからですと、言った。
朝のお勤め(雑巾掛け)は・・・と尋ねると、七日の松が取れてからですと、言った。
富山県・永平寺の厳寒の雑巾掛け、TVで見ますが清々しい気持ちになります。
鶴見総持寺には、長い一直線の廊下があります。
学校の校舎間を繋ぐ渡り廊下のような長い々建物です。
この長い廊下を「百間廊下」と呼びます。
1間が1.8mですから180mもあると言う事でしょうか?
雲水さんが雑巾かけをしていました。
両手を前に出して、腰を屈んで、湿した雑巾で拭き清めます。
廊下の縁やガラス戸の桟を拭いてゆきます。
廊下の縁やガラス戸の桟を拭いてゆきます。
墨染めの衣に素足、素手が良く似合います。
”雑巾がけは疲れるでしょう・・・・” 声をかけると、雲水さんは笑っておいでです。
私の倅よりずっとお若いようです。
”モップにすれば楽でしょうに・・・・・?” 性格のひねた私は変な質問をします。
雲水さんは”変な親爺!”思ったでしょうが、相変わらず笑顔だけで応えます。
”百間廊下、どのくらいの距離ですか?”私は重ねて尋ねました。
”152メートルですよ”応えていただきました。
笑顔が『お掃除が楽しいですよ!』 言っています。
(色違いの字 yun**ake200* から抜粋)
(色違いの字 yun**ake200* から抜粋)
京都や鎌倉の禅寺は公案を課して、悟りを得る事を目的に座禅を組みます。
曹洞宗の教えは”お掃除等の作務(さむ)を行うこと事(修行)自体が成仏である”と諭します。
この教えを「修証一如」と言うようですが、お掃除に精を出す雲水さんを見ていると、
何者にも捉われず何者をも恐れず、清清しい気がします。
何者にも捉われず何者をも恐れず、清清しい気がします。
曹洞宗は、わが先祖(田舎)の菩提樹・宗派です。
坊守の僧侶が何かにつけてここ鶴見に来こられたと・・・、話を聞いていた。
是非訪れて見たいと思い続けていた”鶴見・総持寺”でした。
念願を果たして、肩の荷が下りました。
坊守の僧侶が何かにつけてここ鶴見に来こられたと・・・、話を聞いていた。
是非訪れて見たいと思い続けていた”鶴見・総持寺”でした。
念願を果たして、肩の荷が下りました。
デジブック
『雲水の磨く百間廊下』
清々しい気持ちにさせて頂きました。
鶴見の総持寺、実家が隣の川崎でしたから
子供の頃は良く遊びに出かけたものです。
再び訪れてみたくなりました。
「雲水さんの修行は雑巾がけ」、
時代変わってもモップにならないところが修行の真髄なのでしょう。
我が家も曹洞宗、本山は永平寺です。
月に一度のお墓参りでお寺さんとの付き合いが多くなった最近です。
いずれ雪の永平寺にも訪れてみたいです。
百廊下のことは 知っていましたが。
とても立派なお寺なんですね~
敷地も広いし 手入れがよく行き届いていて清々しいですね。
いつか 行ってみたいと思いました。
修行僧のひたむきな姿から学ぶ姿勢こそが
もう立派な心がけだと存じます。
宗派は違えどそれぞれの菩提寺で
真摯に参詣する心は受け継ぎたいものですね。
コメント欄が開いている時とそうではないとき
どのように区別しているのでしょうか?
感動を書き込みたくてもけない【涙】
チョイト絵文字がいかましい!!
雲水の心の中は、きっとこんな修行をさせて・・・と、きっと思うことでしょう。
年は二十歳を過ぎてまだ間がない。
これが修行と思ったとき、きっと全うな道、僧侶の為の修行と・・道を歩むようになるのでしょう。
☆ 床磨く 修証一如 心きめ
日航を立て直した、京セラの会長も頭をまるめて仏門の世に一時身を任せたと本で読んだことがあります。
笑い有り、悟りあり、思うことあり絵文字の如し
一度尋ねても損はないと思います。
とにかく境内は広い、それなりの境地は有ろうかと思います。
☆ 境内に 身を置きてこそ 思うこと
絵文字の如く、仏門の世界に最短距離にあるのはたしかです。
悟りを開けば、・・・?!・・・寂聴さんのように出家していますと・・・・も。
まだまだその身になれず、仕事に明け暮れています。
今日は昨日ほど寒くなく、しかし日が暮れるとあっという間に気温が2~3度急降下。
わざわざ どんこさんの本文に展示会の訂正文、全くもって恐縮・どんこさんの人柄を垣間見ました。(閉っていました)
☆ 悟りとは 頭の毛まで 丸坊主
≫どのように区別しているのでしょうか?
ハイハイ次のように区別しています。
自分の意見が色濃く、しかも単色の意見を述べるときは[閉じる]
世間一般、もろもろを取り入れるとき、又葛ハイ紀行は、すべてクドクならない程度に[開ける]
理由
ブロガーの、さまざまの意見が有ろうかと思いますが、自分の意見・主張を真っ向からぶって会うと、ついつい火花が飛びます。
3~4行でお互いの本真の意見は理解できない。
そんなこんなでブログの友が去って行く傾向に有ります。
本音のやりとりは禁句・・・かと思っています。
本音のやり取りは他の通信手段にゆだねるべきかと思います。
・・・宗派でも・・・また無宗教でも・・・
お寺さんの静かなたたずまいは 気持ちいいですね。
特に禅宗の場合はお掃除が素晴らしいと思います。
総持寺って西国三十三観音で行ったことあります。。摂津の国でした。
妹と二人でしたが中には入れず建物の外から拝んだだけでした。若い時の話です、
今この年になると お話を聞きながらゆっくりとお寺参りしたいです。。
縄文人さん・・・・実は私無宗教ですよ。。教会や聖堂も好きです。。。
どちらもなかなかのお寺で修行の場としての厳しさも感じました。
石原裕次郎のお墓はまだ訪ねていません。