年に1度の逢引き
「夜祭」女神・「武甲山」男神
武甲山の伏流水が、盆地をうるおす大切な水源の山。
夜祭りのご神幸行列の先頭を行く大榊に巻きつけられた藁づくりは竜神をあらわしています。
この竜神は、「御田植祭」において、今宮神社境内の竜神池から迎える
水神様のご神体です。
しかも、この竜神池の湧き水は、秩父神社に対面して聳える武甲山の伏流水であり、
盆地をうるおす大切な水源なのです。
秋の収穫を終えての夜祭の神幸祭には、武甲山の竜神を太古以来の風土の神祭りを
読み解くことができるのです。
この竜神は、「御田植祭」において、今宮神社境内の竜神池から迎える
水神様のご神体です。
しかも、この竜神池の湧き水は、秩父神社に対面して聳える武甲山の伏流水であり、
盆地をうるおす大切な水源なのです。
秋の収穫を終えての夜祭の神幸祭には、武甲山の竜神を太古以来の風土の神祭りを
読み解くことができるのです。
昔々の武甲山(WEBから引用)
武甲山の伏流水によって田畑を耕した
微笑ましい神話も
夜祭りをめぐっては、今でも地元に語り伝えられる微笑ましい神話もあります。
それを語るには、神社にまつる妙見菩薩は女神さま、武甲山に棲む神は
男神さまで、互いに相思相愛の仲であります。
ところが残念なことに、実は武甲山さまの正妻が近くの町内に鎮まるお諏訪
さまなので、お二方も毎晩逢瀬を重ねるわけにもゆかない。
かろうじて秩父夜祭の晩だけは、お諏訪さまの許しを得て、年に一度の逢引き
をされるというものです。
現在ならば「3ケ月の役得停止」と言ったお咎めでしょうが、
神代の世界は1年1度許しが・・・・あった。
付 録
武甲山の思い出
昭和30年代の武甲山
学窓から眺めた山肌は、右端が白くむき出していた。
現在の武甲山
現在は宝の山として、秩父セメントの原料(石灰石)を切り出していて、
山のてっぺんまでも掘削がすすみ、白い原石肌を
剥き出しています。
山のてっぺんまでも掘削がすすみ、白い原石肌を
剥き出しています。
採掘原石運搬貨車
秩父セメント(太平洋セメント)の製品袋
仰ぎ見る武甲の峰の雄々しさよ
原石を掘りセメントに成る(縄)
武甲山の麓から昼前の10時、爆破予告のサイレンが鳴り間もなくすると、
3~5回ダイナマイトが爆破し、山はそのたびに崩れ落ちた。
その度に山は削られ、天辺まで掘削が進んでいます。
しかし武甲山は宝の山、秩父セメントKKの社員として多くの方々が働き
生活の糧を得ていた。また高額な法人税を市に納めた。
サイレンとダイナマイトの音は、学窓からその度に聴きながら
高校3年間を学び育った。
(秩父夜祭・完)、
BEBからの引用、我儘な記事に成ったことお許し下さい。
秩父夜祭は、私の身体に染み着いていて、何十年ぶりかにこうして
私の体内を抜けて行った。
懐かしさ望郷の念のあまり「その5」まで引きずりました。
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