葛飾区細田の地・中野甘藍誕生の地
地域活性化
稲荷(細田)神社に石碑があります
葛飾区細田3-17-6
(JR総武線新小岩駅25分)
中野甘藍(キャベツ)
キャベツ(甘藍)が野菜として日本に伝わったのは、
江戸時代の終わりごろだといわれています。
すずしい気候のヨーロッパでは春に種をまき、秋に収穫するのがふつうの
栽培方法でしたが、日本では夏の気温が高いため、すずしい地域で栽培されていました。
現在の細田に住んでいた中野藤助さんは、1882(明治15)年ごろからキャベツの
研究をはじめました。
1897(明治30)年ごろになるとキャベツが人気の野菜となります。しかし、
栽培できる地域と時期が限られていたため、夏になるとキャベツが不足して値段が高くなりました。
そこで、藤助さんは息子の庫太郎さんとともに品種改良に取り組みました。
秋に種をまいて春に収穫できるキャベツを開発し、「中野甘藍」と名づけました。
この功績が認められ、1913(大正2)年に当時の東京府知事から表彰されました。
その賞状には、藤助さんがキャベツの栽培を村の人たちにすすめ、「村内で中野甘藍を栽培していない農家はない」
と書かれています。
また、葛飾が属した南葛飾郡(現在の葛飾区・江戸川区と足立区・江東区・墨田区の一部)でも広く栽培され、
1911(明治44)年の栽培面積は約45ヘクタールに達しました。
品種改良は、藤助さん、庫太郎さん、真一さんと3代にわたり続けられ、
九州や四国などの暖かい地域でも栽培できるように改良され、全国に広がっていきました。
葛飾区では現在もキャベツが栽培されており、2013(平成25)年度の
収穫量は約98トンありました。
地域活性化のために「中野かんらん」の幟がはためいています。
細田神社境内記念碑
梅雨明けて蒼い空にぞ幟旗 (縄)
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