「道普請ーみちぶしん」
半世紀ぶりに聞きし、懐かしい言葉
荷車、リヤカー ➡ つのハンドルオート三輪、軽自動車(4輪駆動)
(子供心ろに見た移り変わり)
ある業界紙の新聞を見ていたらA氏の「座右の銘」に見入った。
1つが、「ステイゴールド=輝き続けよう」
2つ目は、「道普請=通さねば通す為のみちぶしん」
という言葉です。
そして「道普請」に、こう付け加えられていた。「道普請」とは道路工事のことです。人生が様々な壁に直面します。それは道路工事による通行止め、悪路を通れるように自からが道路をしっかり整理し、現在将来に向かって道を開きます。
人生の難関と「道普請」 は、相関関係があるようでならない。
私と「道普請」(子供心に見た)
私の脳裏をかすめたのは「みちぶしん」と言う懐かしい言葉でした。A氏は
「道普請」は、道路工事のことで・・・現在・将来に自分達が通るために整備するこ
とで、その道路工事は、自らを補修するようなもので私を勇気つけてくれると結
んでいた。
この「みちぶしん」という言葉が70年ぶりに業界新聞によってお目にかかり、
少年時代の田舎言葉が、思い出とともにメラメラと燃え上がり少年時代に散見し
た道普請を彷彿とさせた。
子供心に見てきた秩父地方の「みちぶしん」は、道は古くから人々の往来、生
活と暮らしを支え、地域の通行の重要な通路で有り、文化の往来の道として重要
な役割を担ってきました。
道路補修の道具を持って、集会所(神社)に集まり、年1度のみちぶしんが始まるので
した。 かつて私の住んでいた地域では、自分たちの道は、自分たちの手で守る
のが、当然のこととして、道路の清掃、草刈り、雪かき、補修などが行われた。
ぬかる道には河原から砂利を運んで敷き詰めた。地域に住む人々で「道普請」と
して年中行事としてしっかりと根付いて居た。
しかし急速な車社会の進展に伴い、いつの日からか道は車の通るものと化し、
維持、除雪、管理などは、住民から離れ行政が行うものとなっていました。 こ
のように「道普請」とは、道の補修を多くの人々の手により賄われ、守りは地域
住民の自主的ボランティア活動行事によって行われていた。
休憩中の一コマ
この道路補修工事が終わると耕地の集会所で、夜がふけるのを忘れて飲み食
いが長々と続いた。村社会においては「お日待ち」的なる行事が良く行われた
ので、そんな意味合いも込められていたのかもしれない。
此のみちぶしんお疲れさん会は、それぞれお米を集会所に持ち寄り、飯を焚い
て夕食をし、酒盛りが行われ、雑談・雑事が行われた。これら飲み食いは農村社
会の唯一の愉しみで娯楽的意味合いも含まれていたのかもしれない。そしてこの
地域社会のあらゆることが話し合われて、地域農村の会議的な場所として、世間
話に花を咲かせるひと時でもあった。住民の意見交換、集会の場所でありコミニ
テーは人同士を結び付ける大きな絆であったことは間違いない。
仕事を終え宴会
何十年ぶりかで思わぬむかし言葉にお目にかかれたことは、当時の地域社会を
振り返り、その重要性を垣間見た。此の「道普請、お日待ち」について昔を思い
めぐらし、深く観察したことが、今の現代社会に比較し如何にゆったりのどかで
あったことを見つめ直したことが、心の思い出となり意義深いものとなった。
今では、その道を漫然と通り過ぎていたことをに改めて思いを新たにした。
現在は舗装道路
画像はネットよりすべて借用しました。
*「道普請」道の補修や協働の
古い言葉のあざらけし哉(縄)
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